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48.買い物

「……というわけで来ちゃったんだけど、ソウジちゃんいるぅ?」

「来ちゃったじゃないぞ。帰れ」


 リリスが所長を『慰め』終わったのは一時間後。その時にはもう花壇には総司とフィリアの姿は無かった。ここで本日は諦めようかとも思ったのだが、まだリリスの欲求は満たされていなかった。

 自分を一心不乱に求める所長には大分喜ばせてもらったものの、それとこれとでは別。甘いものは別腹だと散々食べておきながら、デザートに特大チョコレートパフェに手を付けるヘリオドールと同じ考えである。

 まだ総司が向こうの世界に帰るまで時間はある。今日はヘリオドールが休みなので、一人で自由に仕事をやっているとは先程立ち寄ったオボロから聞いている。リリスは総司を捜して役所の中を歩き回っていた。総司の味見がしたい、ただそれだけの爛れた理由で。


 フィリアと先程草毟りをしていた事を考えて訪れた妖精霊保護研究課。普段ならこちらに姿を見せる事のない美女に、職員がざわついた。ハーフどころか100%サキュバスなのではと疑いたくなるような性欲の強さと、艶かしい肉体の持ち主の登場に誰もが思った。誰を喰いに来やがった、と。

 微笑を浮かべながら課を見回す彼女を全員無視して仕事を続ける。目を付けられたら最後、仮眠室に引き摺り込まれて精気をごっそり搾り取られてしまう。男としてサキュバスに好き放題にされるのはある種の憧れではあるが、同僚が大勢いる環境で一緒に遊ばないかと誘われて職場の一室で一線を越える真似はしたくない。

 その時は幸せでいいかもしれない。しかし、その後の気まずさは計り知れないものがあるだろう。保護研究課には女性もいるのだ。



 早く帰ってくんないかな。部下の願いを聞き入れるように、奥から精霊が入ったフラスコ片手に現れた銀髪の男の眉間には何本も皺が寄せられていた。イケメンが台無しになるレベルの不機嫌な顔である。それでも女性職員からは「怒ってる課長もかっこいい」、男性職員からは「痺れるわ課長」と賛美の声。相当な訓練を積んでいる事の証である。


「帰れ、ハウス。お前の餌はここには無い」

「いやーん、ジークちゃんってペットプレイの気があったの? お堅い男程夜は激しいって言うけど」

「お前なんて誰が飼うか。ソウジならここにはいないぞ」

「そうなの? さっきフィリアちゃんと一緒に仲良くしてたからてっきりここかなあって思ったんだけどな~」


 そう呟くリリスの表情は決して残念そうには見えない。むしろ何かを楽しんでいるかのような笑みにジークフリートは溜め息をつく。怒りはもう冷めてしまい、どこか脱力したような顔で微笑んでいるサキュバスへ視線を向ける。


「何でいつもいつもそうなんだ。真面目に仕事してる時としてない時の落差があまりにも酷いぞ」

「あら、私はいつでも真面目に生きているのに。それに今日は非番で暇だから遊びに来ただけよ」

「どうせ所長の機嫌取りに来ただけだろ。やる事やったらさっさと帰れ!」

「まあまあ。で、ソウジちゃんどこに行ったか分かんない? さっきからずっと捜してるんだけど見付かんなくて」


 上目遣いで尋ねるリリス。これがそこらの男ならくらりと来てあっさり答えてしまうだろう。だが、ジークフリートは「知らん」と言うだけだった。


「えー、本当に知らないの?」

「知らんものは知らん。さっさと帰れ。フィリアも森に調査しに行ったから彼女に居場所を聞こうとしても無駄だからな」


 これは本当の事だ。花壇の手入れを終えた後、フィリアは他の職員と森へと精霊の調査のために役所から出て行った。総司は他の課からも要請があったようで、フィリアをここまで送り届けた後にふらりと消えてしまった。少年の行方はジークフリートも掴めていない。

 リリスは「お邪魔しました」とすぐ納得すると、その場から離れようとする。まだ総司捜しを諦めていない様子の彼女に、ジークフリートは二度目の溜め息をつく。


「……どうしてそんなにソウジがいいんだ。他の男でもいいんじゃないのか」

「だって可愛いじゃない!」


 よくぞ聞いてくれました。そんな笑顔をリリスは浮かべた。


「くしゃくしゃに撫で回したい黒い髪といい、黒曜石みたいな綺麗な目といい、まだ子供っぽい顔といい、誰に対しても礼儀正しい性格といい全部可愛いと思うわぁ。ああもう、連れ帰っちゃいたい」

「やめろ痴女。多分ソウジは『あいつ』の子供なんだ。そんな事をしたら殴り込み……いや、それ以前にヘリオドールが怒り狂う」

「……『彼』の息子ねえ。でも中身はどちらかと言うと『あの子』に似てる気がするわ」


 穏やかで優しい声。どこか寂しさを滲ませた微笑を見せるリリスに、ジークフリートは反応に困った。確かめたくても確かめられない。向こうの世界に行って直接聞けば分かる事だろう。

 だが、彼女にとってこちらの世界での出来事は苦痛でしかなかったはずなのだ。突然異世界に呼び出され、何も関係がないはずの大勢の人間のために剣を握らされ、戦わされた。彼女は弱音一つ吐かずにいつも笑っていたが、心はぼろぼろに傷付いていただろう。

 奇跡的に生きてウトガルドに戻れたのだ。そんな彼女に接触して昔の辛い記憶を蘇らせたくはなかった。幸せに暮らしているなら、それでいい。


 『彼』の事にしても生きていたのなら顔を見せにくればいいのに、ずっとウトガルドにいたのには何らかの理由があるのだろう。あの時、痛々しい格好をして現れた時は色々と動揺し過ぎてつい詰め寄ってしまったが、何らかの事情を抱えていてもおかしくはない。


 二十年前に数え切れない苦しみを味わった彼らを無理に詮索していいものか。それがジークフリートが核心に触れようとするのを躊躇う理由だ。


「でも、あまり深刻に考える必要はないんじゃないかしらぁ? もし『あの人』が徹底的にアスガルドとの関係を完全に断ち切りたいなら、ソウジちゃんをこっちに行かせないはずよ」

「まあな。そもそもあいつ自身もこっちに来ないだろうから……」

「課長ー! ちょっと来てくださーい」

「分かった、すぐに行く。……それじゃ、お前もソウジには余計なちょっかいは出すなよ」

「はーい。それでは今度こそ失礼しました」


 手を振りながら保護研究課を後にしようとするリリス。ジークフリートも自分を呼んだ部下の元へ行こうとする。そんな銀髪を「あ、聞き忘れてた」とリリスが呼び止めた。


「何だ?」

「ソウジちゃんはどっちだと思う? あの無表情を最後まで崩さずに『そんなに乱れてしまって。いやらしいですね』って冷たい声で言葉責めするタイプか、顔真っ赤にして半泣きで『もうこれ以上しないでください』って嫌々言いながらも流され」

「三歩歩いたらもう言われた事を忘れやがってこのニワトリ女。鶏小屋にぶちこむぞ」


 異性を虜にするような爽やかな笑顔を浮かべながら、ジークフリートは興奮気味に話すリリスの言葉を遮った。今、ここにはいないフィリアと昼寝中のニールにはとても聞かせられない刺激の強い会話だった。








 ウルド中心部には様々な店が点在しているが、一番多いのは冒険者をターゲットにした武具屋だろう。刀剣専門店、鎧専門店などその品物に特化した武具屋も多く、その店によって入る冒険者のタイプも異なってくる。例えば、杖やローブなどの専門店に訪れる冒険者のほとんどが魔術師だ。

 そして、棍棒やハンマーなどを中心に取り扱う店には屈強な力自慢の冒険者の客がよく入る。その店の一つがオーガのイラストが描かれた看板が目印の『デビルハンマー』だ。別に武器なんて持たなくても十分強そうなオーガが店主であり、この系統の武具屋では一番の人気を誇っている。

 店内には持ち上げるのにも苦労しそうな重量感のある打撃系統の武器が並び、それらを眺める客も筋骨隆々の猛者ばかり。どこを見回してもゴツい武器と筋肉しか目に入らない。非常にむさ苦しい『漢ッ!』という空気が充満する店である。


「よお、ブロ坊。久しぶりだなぁ、何か買っていくか?」

「い、いいだ。オラが来たのは何か買いに来たとかじゃないだよ」

「わぁってるよ」


 額に鋭い切り傷の跡のあるオーガの店主のからかいの言葉に、同じくオーガであるブロッドは弱々しい表情で首を横に振る。相変わらずこの店は店主も含めて怖そうな人達ばかりだと身を縮めながら。


「それでこの店の調子はどうだ?」

「今日も大繁盛さ。テメエも大変だなァ、武具屋の定期見回りも鑑定課の仕事か」

「そうでもないだよ。素材屋の見回りのついでみたいなものだ。オラも色んな種類の武器見れて嬉しいだ」


 この店はちょっと怖いけど。ブロッドは心の中で付け加えた。


「ところでオメエ……あのちっこいのはブロ坊の連れだよな?」

「ソウジ君の事だ? オラの仕事仲間だ」

「すげえなアイツ……」


 ブロッドが密かに恐れている店主が畏怖の眼差しを向けるのは、棍棒のコーナーにいるこの店には不似合いな痩身の少年だった。黒く四角い物体を右手で耳に添えながら、もう片手で武器を手に持っている。


「ああ、ちょうどいいものを見付けました。しかも叩いた物を燃やす能力が備わっているみたいですね。え? これで焼き芋は作れないと思いますよ、多分炭になります」


 四角の物体は通信器具なのだろう。それに話し掛けながら棍棒を眺める少年の様子を窺っていた店主の額から一筋の汗を流れる。


「信じられるかブロ坊。あのチビが一番最初に手に取った棍棒はな……百キロあったんだ……それを片手で……いけねえ……あんな事やっちゃいけねえよ……」

「う、うーん……」

「ブロッド君、すみません。用事が済みました」


 彼の、というより彼の電話相手のお気に召す品物は見付からなかったようだ。携帯を上着のポケットにしまった総司が手ぶらでブロッドの元にやってくる。


「斎藤君が金属バットじゃなくてもいいからクオリティ高いのが欲しいって言ってたので、こちらの世界にいいのあるかなって思ったんですけど中々ちょうどいいものがなくて……」

「素直に向こうの世界で買った方がいいと思うだ」

「そうした方がいいかもしれませんねえ……」

「そんじゃ、その前に『闇夜の館』に行ってみりゃどうだ?」


 二人の会話を聞いていた店主が提案する。先に反応を見せたのはブロッドだ。明らかに嫌そうに顔を歪めている。


「どんな店なんですか、そこ」

「ここじゃなくて隣のスクルドって都市にある変わった効果の持つ武器を売ってる武具屋だ……けど……」

「そこの店主はちょっとした変わり者なんだよ」


 提案した本人であるオーガの店主も少し顔をしかめながら説明する。


「面白そうなので仕事終わった後に行ってみます」


 何を期待しているのか目を輝かせている少年に、やっぱり言わなきゃ良かったと後悔しながら、総司の隣ではブロッドが悲劇のヒロインの如く両手で顔を覆って震えていた。

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