45.変質
何かが壊れ砕け散ったような涼やかな音色はアイオライトから、
ではなくベンケイの持つ虎徹から聞こえた。
「なっ……!?」
虎徹の禍々しいまでの紅に染まっていた刀身が鈍色に侵食されている。更に切っ先には小さな亀裂が生じ、そこから白い光の粒が漏れ出す。
光は虎徹から抜け出すとふわふわ、とゆっくりと宙を徘徊した後、フェイの元へと飛んでいく。辿り着くと光は消えてしまったが、代わりに違うものが彼女の眼前に現れた。
それは剣、虎徹に吸収されたはずの劔族の剣だった。フェイが柄を握ると大分衰弱しているものの、魔力と生気が感じられる。虎徹に飲み込まれた剣はどうやっても解放する事は出来ないのに、どうして。
緩んでいた気を引き締めてアイオライトは予想外の事態に必死に思考を巡らせた。ヘリオドールも何が起こったのかと考える。ベンケイも大きく狼狽えているところを見ると、彼の意思によるものではないのは確かだ。
一体、虎徹に何が。
「僕のバットの色と微妙に似てますね」
何が。
「「「あっ」」」
「はい?」
ヘリオドール、アイオライト、フェイの三人の視線が少年へと集中する。正しくは彼が持っている半分程虎徹に吸収されてしまった金属バットに。
「まさか……総司君のバット吸い込んじゃったから壊れた、とか?」
「で、ですが、たかが棍棒を吸収した程度で虎徹が異常をきたすなどあるはずが……」
「すみません、これ棍棒じゃありません。友達の斎藤君から借りたただのバットです……」
「おいおい、借り物壊れちゃったのかあ……」
三人がざわついている間にも虎徹の損傷は続く。亀裂は広がっていき、その隙間から次々と光の粒が抜け出して剣へと姿を変える。
それと共に虎徹の中にあった膨大な量の魔力が失われていく。ベンケイは奥歯をぎりり、と噛み締めた。あの偉そうな口を叩く男から武器を取り上げて、自分のものにしてしまえば悔しさと焦りに黙るだろうと思ったのだ。一時の怒りに身を任せ、いや男の言葉を受け止めきれず逃げようとした自身の弱さがこの状況を作り上げた。
あの銀色の武器が力を秘めていたのではない。少年自身が強いのだ。心も体もベンケイとは比べ物にならないくらい。平手打ちされた頬の痛みがその証拠。
「魔力もなければ特別な能力もない奴が……」
「はい?」
「そんな奴がどうして劔族の俺より強い!?」
まだ虎徹には大量の剣が残っており、力も残っている。アイオライトを手に入れる事も忘れ、ベンケイは半壊したバットを静かに見下ろしていた総司へと襲い掛かろうとする。
刹那、総司とアイオライトを庇うように何かがベンケイの前に立ちはだかる。それは獣人の青年であり、彼の両掌からは淡い青色の光が浮かび上がっていた。青年はちらりとアイオライトと総司の腕の傷を一瞥し、ベンケイに向き直った。凍えるような冷気を纏わせながら口を開く。
「何してくれてんだこの野郎」
その言葉と共に『露草』の炎がベンケイへと降り注ぐ。咄嗟にベンケイは虎徹を一振りして蒼炎を消失させようとするが、今のそれでは全ては消し切れない。残った炎が左腕を焼いた。
「ぐぅっ!」
「もう一発行くよ……苛烈なる獄炎を鎮める冷気を。罪を纏いし愚者に断罪の刃を。氷姫が誘うは咎人が行き着く裁きの地。飛び交え『桔梗』」
青年の周囲の冷気が無数の円弧状の氷の刃と化し、一斉にベンケイに迫る。虎徹で弾き返すが、数が多く防ぎ切れなかった一つが頬を掠め傷を作った。
虎徹も刃を受けた場所が傷付き、核をいくつか放出する。金属バットの悲劇を見ていなかったため、その光景にオボロは拍子抜けしたような表情になった。
「あれ……あれがベンケイだよね」
「ベンケイさんです」
「あいつ弱くない? 剣の方も叩けば叩く程劔族の剣っぽいのが出てきてんだけど……」
「オボロさんが強いんですよ」
「……お世辞であっても君にそう言われるのは気分がいいね。殺る気がますます出てきた」
掌に『桔梗』の時の光を灯しながらオボロは笑う。だが、目は獲物を狙うマタギのようにぎらついている。
「それに全力出す機会なんて滅多にないからね……馬鹿だけど悪人ではない奴より、馬鹿な悪人の方が罪悪感無しで魔法使いまくれるし」
罪悪感なんて言葉が全く似合わないどす黒い笑みを浮かべるオボロに、ヘリオドールはある事を思い出す。彼の言う馬鹿だけど悪人ではない奴の事だ。
「オボロ! あんた、あの脳筋は……」
「ん? あそこ」
オボロが上に向かって指差す。そこから馬鹿だけど悪人ではない男がベンケイに向かって急降下してきた。勢いよく振り下ろされた男の蹴りを虎徹の刃が受け止める。凄まじい力を止められず、ベンケイの体が後ろに下がり、刃がまた壊れる音がした。
「ふむ、貴様が森の蟲人を操っていた男だな! 思ったより弱いな!!」
「お、お前どうして傀儡剣が効かな……!?」
「狐男の頼みでなければ弱い貴様とは戦う意味がないが、仕方ないので全力を出させてもらうぞ!!」
弱いと評価しておきながら全力を出すという鬼畜発言。自らの肉体で刀を持つ相手に突っ込んでいく甲の男に、ヘリオドールはオボロを見た。
「狐男の頼みって……あんたらいつからそんな仲になったのよ」
「その言い方何かやだな! 別に親しくなんかなってないよ。僕があいつに勝って一個頼み聞けって冗談で言ったら真に受けちゃったもんだから、ベンケイ退治に協力しろって言ったの」
「……本当に勝ったの? あいつ物凄い元気に戦ってるわよ」
「馬鹿だからねえ」
呆れたように言いつつ、オボロは再び冷気を体に纏い始めた。そうして予想していなかった展開の連続で固まっていたフェイに声を掛ける。
「で? 僕達はあの剣を壊せばいいの? さっきからポンポン核みたいなのが出てきてるけど」
「え、えっと……」
「壊せ。今ならその方法でいけるかもしれない」
自分だってそれで合ってるか分からない。口ごもるフェイの代わりに強い口調で指示を出したのはアイオライトだった。
「……ソウジのおかげで虎徹が変質してるんだ。村長の剣とか関係ない。粉々にぶっ壊せ」
「なるほど。じゃあ容赦なくやらせてもらうよ。現村長さんは先代と僕の友達を守ってて」
「で、ですが、私も村を治める者として……」
「戦力はもう十分足りてんの。ほら、あの人見てよ」
オボロの視線の先にいたのはヘリオドールだった。彼女の杖から緋色の炎が生まれ、ベンケイへと放たれている。先程は虎徹に消されたが、今度は完全に消されずに残った炎が獲物を燃やし尽くそうと迫った。
慌てて後ろへ飛び退くベンケイの顔面へと甲の男の拳が急襲する。それを虎徹で受け止めながらベンケイが叫んだ。
「三対一とは卑怯だぞ!」
「何も関係ない蟲人操って村の人達の核を奪ったあんたに言われたくないわよ!!」
「某の同胞を傀儡へと変えた罪、重いと思え!!」
「あんたはさっき一族の仇よか強い相手と戦う事しか考えてなかったでしょうが!!」
もう無茶苦茶である。炎魔法を撃ちまくる魔女と元気に飛び回るかぶとむしに、オボロは「二人でも大丈夫そうだから僕休憩ね」と側にあった木に寄り掛かった。フェイはアイオライトに駆け寄り、今にも粉々に砕け散りそうな菫青剣に血の気を引かせた。
「アイオライト様……どうして剣が……」
「……二十年前のあの戦いで親玉を倒した時に壊れた」
「今、それはどこにあるのですか!?」
「誰にも手の届かない場所……時の彼方にあの『化物』の道連れになって消えたはずだよ」
力無く笑うアイオライトに、フェイはすぐにその『化物』が何であるか気付いた。気付いて、そうする事でしか倒せなかったのだと理解もした。
だが、理解は出来ても納得は出来ない。世界を救った勇者の聖剣にこんな苦しみが与えられるなんて納得出来るはずがなかった。
オボロはアイオライトの言葉に顎に指を当てて思考する。今の二人の会話に一つの可能性が浮かぶ。彼女が二十年前に何を成し遂げたのか。オボロにはその時起こった事など分からない。
だが、もしアイオライトがあの『聖剣』だとするなら、自らの剣を犠牲にする程の戦いを強いられた事になる。こんなどこにでもいるような幼い姿をした女が。
虎徹を壊してもアイオライトは救えない。オボロは苛立たしげに溜め息をついた後、総司の腕の怪我の様子を見ようとして体を震わせた。
総司の鞄から白い毛玉が顔を覗かせている。それを総司が抱き上げて取り出している最中だった。
「うわあ、何で君の鞄の中に犬入ってるの」
「勝手に入り込んでたみたいです。どこも怪我してませんか? どこか苦しくないですか?」
「他に何入れてんの……」
「変な物は何も入れて……あ」
母親毛玉が木に立て掛けていた総司の虫取り網をくわえた。二匹の毛玉も集まり、母親と同じように網をパクっとくわえる。ぶんぶん振られる三匹の小さな尻尾。
白くてふわふわした犬の体が仄かに発光を始める。毛玉の周りに漂う山吹色の花びらをオボロは掴もうとして、掴めなかった。掴んだと思った瞬間、雪が体温によって溶けたように消えてしまったのだ。花びらは本物ではない。魔力が具現化した姿だった。
「あの、僕の虫取り網……」
何かを予想したらしい総司が毛玉集団に声を掛けると、母犬が網から口を離して持ち主に向かって頭を下げた。「ちょっとお借りしますよ」と言うように。
そして、犬三匹から放出された周囲を包み込む程の目映い光の後、犬と網は消えていた。それらの代わりにあったのは一本の刀だった。
「これでは虫が捕まえられな……」
総司はぽつりと呟きながら刀を手に取り、数秒間動きを停止させた。
次回で長かった劔族編終わります。




