表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
40/167

40.虫避け

 無数の木の葉が太陽の光を遮断し、日中であろうと薄暗い道無き道がどこまでも続いている鬱々とした森林。穢れを嫌い、常に清らかな空気を求める妖精霊やここに棲む者達にとっては理想の場所であっても、必要以上に自然を荒らそうとする邪な者にとっては処刑場にもなるだろう。この森を縄張りとする蟲人が棲みかを、棲みかを浄化してくれる妖精霊を、共に棲む仲間達を守るために牙を剥く。

 そして、彼らは今、森の果てにぽつんと存在する小さな若竹色の建築物の周りに集結していた。見た目は巨大な円錐形の石にしか見えないが、一ヶ所にだけ刻まれた斬り口がある。ここに劔族の剣を差し込む事で扉が開く仕掛けになっている。それ以外の方法でこの劔族の祠に入る事は不可能とされている。


 ミーミル村の劔族を率いてきた村長らが遺した二本の剣を護るための祠。現村長のみが入る事を許されるその内部は簡素な造りになっている。剣と剣を封じるための装置のみが置かれているだけ。だが、剣は装置ごと何重もの結界で守られており、それを全て破るには相当の時間が要する。


 そのために蟲人を操り、祠の警備に当たらせた。いくら劔族と言えども殺しても殺しても沸いてくる無数の魔族相手なら手こずるだろう。


「馬鹿な奴らだ……」


 全身を血塗れにした男の右手に握られた紅い刃の剣。この一振りの刃にどれだけの劔族が飲み込まれていったのだろう。男は考える。考えても行き着く先は力を手に入れた快楽のみ。

 何とか虎徹の方の封印を打ち破った所までは覚えている。とても喜んでいた。自分の剣は弱い者を操る事しか能がない。それを強力な能力だと讃える者もいたが、男は納得しなかった。

 男が求めたのは純粋な力だ。他を圧倒し全ての頂点に立てる程の力。他者を傀儡にして操り人形にして戦わせるような卑怯な力など欲しくなかった。

 しかし、男はその忌み嫌っていた力を自らの欲望を叶えるために行使した。長い時間をかけて破壊した封印装置と右手にある『虎徹』がその結果だ。村人たちが蟲人の壁を切り抜けてきたのはその直後で、せっかく手に入れた物を手離したくない一心で虎徹に秘められた能力を使ってしまった。

 ヒトの姿から剣に戻った村人が次々と刃に吸い込まれていく。まるで魂を喰らう化け物のように刃は血の如き紅へと染まっていく。

 虎徹に飲まれた剣は虎徹と同化し、永遠に従属する事になり、苦しみ続ける。この魔刀を破壊した所で一体となっているため、完全なる死を以て解放するだけの結末にしかなり得ない。


「も、もう後戻りは出来ない……」


 村中の剣を奪ったがまだ足りない。『兼定』が残っている。これを手に入れて十分な力を得てから、あの勇者の聖剣となった劔族と戦い、彼女の剣も奪う。

 そうして、初めて自分は最強の劔族になれる。ベンケイはその瞬間を迎えるため、もう一本の剣の結界を破りにかかった。僅かに沸き上がる淀みは心の片隅に追いやる。

 その淀みの名を『罪悪感』という事にベンケイは気付かずにいた。







 森へ足を一歩踏み入れた途端、ヘリオドールは四方八方から突き刺さるような殺気を感じ、杖を握り締めて周囲を見回した。恐らく蟲人のものなのだろうが、どこにもその姿はない。

 森は蟲人にとって最も戦いやすい場所だ。草むらや木の葉に隠れて敵に気付かれないように接近して攻撃を仕掛けてくる。一瞬の油断が命取りである。

 気は抜けない。


「まるでアマゾンの秘境みたいですね」


 呑気に感想を述べているこの少年のように。麦わら帽子と籠と虫取り網を装備した総司を見てヘリオドールは決心する。自分が頑張らなければならないと。自分の横で網を振り回して虫取りのシュミレーションをしている部下を守るのが上司の仕事だと。


「ギャアッ!」

「あっ、ゲットしました!」

「えっ」


 謎の叫び声と総司の手応えを感じさせる声。総司は網を振り下ろしたまま、そこに捕まったものを見下ろしている。ヘリオドールも恐る恐る見てみれば、掌サイズの蜂がブブブと羽を動かして必死に藻掻いていた。しかし、頭部だけは人間という奇妙な姿をしている。

 蜂タイプの蟲人である。


「ちくしょう! 気配を完全に消して女に近付いていたのにどうして……!」

「すみません、適当に網動かしてたら捕まえてしまいました」

「流石だね、ソウジ」


 悪魔のような笑みを浮かべて網に近付いてくるのはオボロだ。その手からは金色の光が浮かび上がっている。本能的に危険を察知した蜂が急いで網から脱出しようとするが、謝っておきながら総司が解放してくれないのでどうしようもない。


「荒れ狂う心に安らぎを、妬み憎む心に穏やかな眠りを。眠りの姫君が誘う先は暗鬱なる森。悠久の夢を見続けろ『枳』」


 オボロの手から生まれる光が蜂を包み込む。蜂は数秒間暴れていたが、闘争心に満ちていた目が虚ろになった直後気を失った。羽も動きを止めて地面に転がった。

 総司に網を外すように指示すると、オボロは蜂を羽の部分を摘まんで持ち上げった。あれほど煩かった虫からのいびき。これはこれで煩かった。


「蟲人の結束力は固いって言うからね。それを利用させてもらおう」

「まさかとは思うけど、あんたその蟲人を人質に使う気……?」

「そりゃあ使うよ。使えるものは使わないと」


 ククッと笑いながら人質を眺めるその様子はただの極悪人である。爆睡中の蜂は総司の首からぶら下げた籠に投獄された。


「にしても、どうしてあのチビドラゴン置いてきちゃったの。壊れかけた劔族の護衛とか言ってたけど」

「ニールなら大丈夫だと思うわよ。いざとなったら大きくなれば、蟲人を追い払うぐらいの事は出来そうだし」

「その力使って蟲人纏めて攻撃すればいいじゃん。火吐けるなら僕達がちまちまやらなくても、ドラゴンブレスだけで一網打尽に……」

「…………………」

「ごめん、冗談。言ってみただけ。そうだよね、そんな事したら森まで燃えるからね。すみません、二度と言いません」


 ほんの少しだけ本気で出してみた案に何も言わずにこちらを見詰めて来る総司に、オボロは顔色を悪くした。


「オボロさんってそういえば魔法使えるんですよね」

「え、うん、まあ、使えるけど」


 先程のオボロの言葉は聞いていなかったのか、「次はねえからな」と敢えて見逃したのか総司は別の事を聞き出した。それに上擦った声で何とか答えるオボロ。悪魔のような笑みを浮かべて昆虫族に魔法をかけた者とはとても思えない怯えぶりだった。


「だったらヘリオドールさんと一緒にこれを祠の周りに撒き散らして欲しいんですけど」


 総司が鞄から取り出したのは無色透明な液体が入った霧吹きだった。魔力も感じられない、ただの水のような見た目だ。


「総司君何これ」

「虫除けスプレーです。近所の人から作り方を聞いて作ってみました」

「虫避け……」

「蟲人さんにも効きますかね?」


 どうだろう。ヘリオドールは渋い表情を浮かべた。蟲人はれっきとした魔族である。そんな魔法もないような世界にいる近所の人とやらから作り方を教わったという、虫避けが効くとはちょっと考えられない。

 オボロは無謀にもその霧吹きを試しに宙に吹き掛けていた。もしも森が汚染されたらどうするつもりだとヘリオドールが一瞬身構えるが、草木が腐敗する気配は見られない。

 更に一吹きしてから、オボロは首を捻らせた。


「これ、本当に君が作ったの? 匂いも全然しないけど」

「はい、原液のままだと虫が死んでしまうので大分薄めてみたんです。人間にも強力みたいで父さんが匂い消しスプレーだと思って部屋に吹き掛けて倒れましたから」

「ちょっとこれ普通の高校生が作って大丈夫なものだったの!?」

「近所の人と一緒に作ってる時はちょっと臭いぐらいにしか感じなかったので、まさか父さんに効果が現れるとは……」


 虫除けではなく殺虫効果があるのでは。オボロはあまり深く考えずに霧吹きを使った事を盛大に後悔した。今、自分が無傷でいられるのは総司の父親という尊き犠牲があったからである。


「人間には害はなかったはずなんですが……やっぱり僕がこっそり林檎のすりおろしを入れたせいでしょうか」

「そんな隠し味的な感覚で入れたせいで人間に害を及ぼすようになったなら私は二度と林檎食べないわよ」

「お前ら何騒いでんの。蟲人に気付かれるぜー?」


 林檎の危険性に戦慄する一同に呆れたように言ったのはアイオライトだった。その後ろからは祠への地図を持ったフェイがやって来た。


「もう気付かれたわよ。総司君が捕まえてくれたけど」

「ふうん。入り口付近だってのに……こりゃ祠まで行くのも一苦労だな」


 フェイが地図を広げる。この入り口からほぼ、まっすぐ進んだ場所に祠はあるようだった。地図が必要になるような地形でもない。フェイかアイオライトの口頭での道案内でも十分辿り着けそうな道のりだ。


「このまま正面ルートで行けば大量の蟲人とやり合う事になる。アタシらの仕事はそれなんだけど、いくらなんでも一気にかかって来られると流石に面倒臭い。遠回りになってもいいから昆虫族の気配が少ないルートを攻めていくぜ」

「この森は単純な地形に見えて案外複雑です。様々な道を歩きながら祠を目指すなら地図を見ながらの方が安全でしょう」

「あ、それなんですけど、これ試しに使ってもらえませんか?」


 総司がアイオライトに見せたのは例の虫除けスプレーだった。


「虫除けの薬です。蟲人さんにも効いたらいいんですが。操られてるならあまり喧嘩したくないですし」

「お前やっぱり優しいなあ。この状況で昆虫族の心配までするなんてさ」

「アイオライト様……ソウジ様には申し訳ありませんが、たとえ効果があったとしても蟲人の数は膨大です。この瓶の中身だけで全ての蟲人を払えるとは」

「ヘリオドールさんとオボロさんに魔法で薬の中身を森中に撒き散らしてもらおうかと」


 こんな小さな霧吹きに詰めた無色透明無臭の液体を森中に。指名されたヘリオドールとオボロは顔を見合わせた。どちらが言う?みたいな視線が二人の間に交わされる。

 そして、ヘリオドールが重い口を開いた。


「あ、あんたそれ意味あるの?」

「大丈夫ですよ」

「その自信は一体どこから……」

「まあ、いいじゃん。やってみろやってみろ」


 アイオライトのどこか投げやりな発言にヘリオドールは杖を翳し、オボロは掌から翠の光を灯す。総司は霧吹きのキャップを外した。

 フェイは「こいつら大丈夫か?」という視線を三人へ向けていた。


「大気を踊り舞う風達よ。その手を脆弱な人間へ差し伸べよ。暖かく穏やかな風を――『風の通り道』」

「嘆きの慟哭を掻き消す風を、不浄なる穢れを連れ去る風を。風乙女が誘うは清浄なる大気。吹き荒べ『常磐』」


 二人の詠唱が終えると、彼らを中心に起こる強風。総司の持っていた霧吹きが持ち主の手から離れ、中身が全て宙へと零れ出す。液体は地面に落下する事なく、二つの風によって舞い上がり、四方へと拡散されていく。

 森中へ運ばれていく液体が溶け込んだ風。その様を見ていたヘリオドールが一言。


「全然効き目ないような気がするんだけど」

「それより今の風は少し強かったかもね。蟲人が一斉に来るかも……」


 どさ。


 何かが落ちたような音はヘリオドールの背後から聞こえた。つい張り切ってしまったと反省していたオボロと、いつ押し寄せるか分からない蟲人に警戒していたフェイは音の方向に目を向け、「ヒィッ」と掠れた悲鳴を上げた。アイオライトですら目を丸くして固まっている。総司だけが「大きいですね」と暢気にコメントをする。


 ヘリオドールは深呼吸してから自分の後ろに落ちたものを確認すべく振り向いた。


 頭部だけが人間の、人と同じサイズの巨大な蜘蛛が白目を剥き、涎をだらしなく流して体をぴくぴく痙攣させていた。


「ぎゃああああああああああああああああああああああ!!!!!」


 ヘリオドールは凄まじい悲鳴と共に総司の首にしがみついた。その間にも木から次々と降ってくる異形。背中から蝶の羽を生やした小人や、額から角や鍬のような物を生やした体格の良い男らもいる。


 彼らは全員蟲人だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ