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36.漆黒竜



 パリン。脆い何かが割れて壊れてしまった音にアイオライトは目を閉じて小さく息を吐く。二ヶ月程前から体の中から聞こえた涼やかな音を聞く頻度が多くなっていた。それは緩やかにアイオライトが崩れていく音色だった。

 今の所は日常的生活に支障を来す事はまだない。たまに体のあらゆる場所に激痛が走る程度。きっと『その時』が来たらあっという間に壊れてしまって、お仕舞いなのだ。


(最期がいつか分かったらバレない内に逃げないとな)


 妖精保護研究課の前を通り掛かりながらぼんやりと思う。小さなドラゴンとたくさんの部下に囲まれた銀髪の男は、この事を知ったらアイオライトを救うために動いてくれるに違いない。彼だけではない。あの直情的な魔女も妖艶なサキュバスも何とかしようと奔走するだろう。

 だからこそアイオライトは立ち去らなければならなかった。こればかりはもうどうしようもない。アイオライトが『壊れない』方法はたった一つだけあるものの、それはどう足掻いても無理な手段だった。

 仲間を救えず見殺しにする事で、絶望して欲しくない。そんな思いをさせてしまうくらいなら、誰も知らない場所で独りで最期を迎えたかった。そうすれば生きてるか死んでるかも分からなくなるが、もうこの世界にはいないと確定させるよりはましなように思えた。


(これが罰だと思えば何て事はないな。むしろ軽すぎるくらいだ)


 魔王を殺すための『力』を使いこなせる者を向こうの世界から呼び寄せてみれば、細くて小さな若い娘が出て来てしまった。そんな魔王どころか下等魔族にさえ到底敵わないであろう少女。その娘を人間達は最後の希望だと、魔王を倒す勇者だと崇めた。

 これは何かの間違いであって、今すぐに元の世界に帰すべきだと言おうとしても言えなかった。間違いなど有り得なかったからだ。少女こそが勇者だった。あんな小さな身で世界を救わなければならないという重圧を背負わされてしまった。


 こちらの世界の都合で何度も少女は命を落としそうになった。結果的に魔王を滅ぼして正真正銘の勇者となった少女は、元の世界へ帰還する事が出来た。しかし、それもアイオライトの力では成し遂げられなかった事だ。あの男がいてくれたおかげで勇者はただの少女に戻った。それと引き換えに男は死んでしまったようだが。


(壊れる前にあいつらに謝りたかったなぁ……)


 少女はもう向こうの世界のどこにいるかも分からないし、男は死んでいる。細やかな願いすらアイオライトには叶えられない。叶える資格が無かった。


「アイオライトさん!」


 思考の海からアイオライトを呼び覚ましたのは、ジークフリートの部下だった。あの男と似た外見の、あの少女と似た雰囲気の少年と同じ日に入って来た美しく可憐なエルフだ。彼女の月色の頭の上には小さな黒いドラゴンが乗っていた。


「どうしたよ、フィリア嬢。アイオライトちゃんに何か用か?」

「あ、私ではなくソウジさんとオボロさんが!」

「うん! オイラと一緒に来てよ!」

「ん……?」


 ニコニコと笑うエルフとドラゴンの意図が分からずに、アイオライトは首を傾ぐしかなかった。








「総司君どうしたのよ、それ……」


 役所から外に出て数メートルの所で、ヘリオドールは自分の部下へ奇妙なものを見るような視線を送っていた。


「今から行く場所で必要になるかと思いまして」


 いつものウトガルドの学校の制服という服装に、頭に麦わら帽子を被った総司は手に持った細長い棒を軽く振った。その棒の先端には小さな網。首からは小さな緑色の籠をぶら下げている。そして、あの謎の収納能力を持った鞄。

 非常に不可思議な装備の少年はどこか誇らしげに仁王立ちしていた。これから向かう戦場での狩りを心待ちにしているかのように。


「おーい、ソウジ! アタシに何か用か?」


 入り口からやって来る藍色の少女にヘリオドールと総司、もう一人の人物の視線が向けられる。少女の頭上付近を飛んでいた子供のドラゴンが、麦わら帽子の少年を見るなり目を輝かせて彼目掛けて飛んでいく。


「ソウジお兄ちゃんその格好どうしたの? いつもよりお兄ちゃんがちょっと子供っぽく見えるよー」

「そうですか?」

「それからね、えーと……そっちの人大丈夫?」


 ニールだけではなくヘリオドールからも向けられる案ずるような眼差し。その四つの瞳に獣人の青年はゆっくりと頷いた。生気が完全に失われた瞳をしながら。アイオライトを待っていた三名の内、一名だけが異様な雰囲気を纏っていた。


「大丈夫。人間一日寝なくても生きてられるものだから」

「あんた全然大丈夫じゃないわよ。目の下のクマがもう……!」

「そ、そうだぜオボロ。お前どうしたんだよ……」


 据わった目のオボロに流石にアイオライトも顔色を変えて駆け寄った。かつて住民課に仕事が溜まりまくって、どうにもならなかった時期よりも酷い顔をしている。最早別人。

 あの嫌味な事ばかりを言うオボロはどこに行ってしまったのだろう。その答えを知っているのか、総司はオボロを気遣うように自分よりやや身長の高い彼の肩を叩いた。それから少しだけ申し訳なさそうな声で言った。


「オボロさんには悪い事をしてしまいました。アイオライトさんの分の仕事を徹夜で頑張ってもらっていました」

「アタシの? そういや部下からたまには一日ゆっくりと休んでくださいとか言われたけど……」

「君そんなちっこい体して職員の何倍も仕事してるみたいじゃない。だから具合も悪くなるんだよ」


 ふあ、と欠伸をしながら軽い嫌味を含んだ発言をオボロが漏らす。目尻には涙が滲んでいた。

 しかし、その口調はどこか柔らかく優しさすら感じる。混乱するアイオライトに総司が屈んで告げた。


「アイオライトさん旅に出ましょう」

「は? 旅?」

「この前仕事手伝った時のお礼で行くんです」


 その言葉にアイオライトは先日総司とオボロに巨塔の解体作業を任せ、そのお礼としてクエスト一件をやらせる事を思い出した。割りと欲の無い総司と、口ではああ言いながらも最近は丸くなったオボロだ。無理な『お礼』は来ないだろうと予想していた。

 それでも、まさか好きなクエストをやらせてくれと言われるとは思っていなかった。お礼でも何でもないような気がしたが、「後はお礼要りません」と総司が言い張ったので好きな依頼を選ばせる事にしたのだ。オボロにちゃんと見てもらいながら選べと先に告げてから。


「僕達がこれから挑戦するクエストなんですが、森を荒らす虫を退治するって内容なんです」

「えっ、アタシも虫取りに参加する流れなのか!?」

「違います。その依頼を出した村に有名な薬屋さんがあるみたいなんですよ」

「でね、この子はそこであんたが元気になるような薬が欲しいんですって」


 ヘリオドールが困ったような、嬉しそうな笑顔を浮かべながら総司の目的を話す。アイオライトはその優しげな表情に息を詰まらせ、狼狽しつつ総司を見上げた。


「お前……アタシのためにこのクエスト選んだのか?」

「いえ、偶然です。僕が虫取りを選んだ時にオボロさんが教えてくれました」


 アイオライトが狐に視線を移してみると、青年は物凄い速度で顔を逸らした。疲労のためか蒼白だった頬に赤みが差す。普段彼にからかわれる事の多いヘリオドールが噴き出し、総司が追い撃ちをかける。


「オボロさんもアイオライトさんの事心配してくれているんです。そうでなかったら住民課の仕事終わった後に一人で残ってアイオライトさんがする予定だった仕事を……」

「僕はソウジの負担を減らしたかっただけだよ。そうじゃなかったらソウジが夜中に来る予定だったみたいだし。それにそんなに苦でもなかったよ。ほら、僕はアイオライトやそこにいる魔女と違ってまだ若……」

「それじゃあ、お願いします」

「任せてソウジお兄ちゃん!」


 隣で必死に弁解をしている友人を無視して総司は網に頭を突っ込んで遊んでいたニールに声を掛けた。すると黒くて小さな体が金色に輝き始め、みるみる内に大きくなっていく。

 ジークフリートに教わった体を一時期に大きくさせる魔法。それを役所のボス(ニールから見て)のために使うとあって、ニールは張り切っていた。あんなに可愛らしかった子竜がかなり凶悪な見た目のドラゴンになってしまい、絶句するヘリオドールとオボロには気付いていなかった。魔法を使わなくたってニールはいつかこんな姿になる。残酷。時の流れって残酷ね。


「ソウジお兄ちゃん! 早く背中に乗って乗って! その村まで送ってあげる!!」


 声も中性的な少年系だったのに声変わりしてダンディーなバリトンへと変貌している。その低音ボイスでの『お兄ちゃん』は凄まじい違和感を持っていた。役所の前を通り掛かった市民が目をかっ開いてドラゴンを見る。

 子供が「お母さんあれなーに?」と聞き、母親が「見ちゃいけません!」と注意した。近付くどころか見てもいけないそうだ。


「さあ行きましょう」

「う、うん」


 総司に促されてオボロがニールの背中に乗り込む。漆黒の鱗に覆われた硬い体と、それ自体が武器になりそうな翼。こんなに間近で生きたドラゴンを見られるなんて、ドラゴンを従者として乗りこなす竜騎士でなければ出来ない経験だ。


 苦笑気味のアイオライトも乗り込もうとすると、その手を総司が掴んだ。


「手伝います。乗るの大変そうですから」

「……ありがとうな」

「ごめん、総司君私も手を貸して。オボロが手伝ってくれる気ゼロなのよ。こんなんだから友達少ないのよこいつ……」

「お? お前も行くのか。ソウジのお守りはアタシ一人でも十分だぜ?」

「総司君は私の部下です! 部下の面倒は上司が見るものなの!」

「喧嘩しないでください二人共」


 二名が乗ったら急に煩くなったドラゴンの背の上でオボロは思った。


(孫を独り占めしたがるおばあちゃんと、息子を取り上げられないように必死な母親みたいだ)

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