35.クエスト申請課
普段はダンジョンに潜り魔物を狩り、その戦利品やアイテムを手に入れる事を生業とする冒険者が役所に訪れる理由は主に二つある。一つは鑑定課で持ち帰ったアイテムの価値を調べて貰う事。もう一つはクエスト申請課で短期のクエスト、つまり依頼を受けるためだ。
村の近くに棲み付いた魔物を退治して欲しい。特定の魔物を倒してその部位を手に入れて欲しいなどと言った冒険者らしい内容もあれば、家の大工仕事を手伝ってもらいたい、ペットの世話をしてもらいたいと言った内容まで。様々な短期の仕事がウルド中から集められ、その仕事を冒険者に提供するのがクエスト申請課の仕事だ。
鑑定課と同じようにクエスト申請課の周辺には、多くの冒険者で溢れ返りそうになっていた。重厚な鎧を纏った剣士や斧使いがいれば、軽装の弓使いもいる。単独での冒険者がいれば、複数でチームを作っている冒険者もいる。そんな彼らの内の数人は、ある職員の姿を見るなり目付きを変えた。
深い黒色の髪と見慣れぬ異世界の衣服。感情の見えない、まだ幼さの残る少年の顔付き。星のない夜の空の色をした瞳。
フレイヤのティターニア姫をたった一人で犯罪者ギルド『漆黒の魔手』から守ったとされる職員。背中に幼女を背負い、獣人の青年と会話をしているのがその少年だ。髪と同色の獣の耳を生やした青年からは強い魔力を感じるものの、少年からはこれっぽっちも感じられない。
それもそのはず、彼は魔法や妖術は使わないらしい。その痩身からは想像出来ない程の怪力を秘め、地獄の怪鳥の歌を歌で掻き消したとされている。
役所の職員で留まるにはあまりにも勿体ない逸材。ダイヤモンドの原石、いやダイヤモンドが目の前を練り歩いている。彼を何とか自分達の仲間に引き入れられないだろうか。そんな企みを持った何人かが受付で担当者に交渉を始める。
「では、こちらのナンバー203のクエストでよろしいですか?」
「ええ。それでちょっと相談したい事がありまして。このクエストで退治する魔物って少し強そうじゃないですか。引き受けてから言うのアレなんですが俺だけじゃちょっと不安で。よければお宅の職員を一人お借りしたいんです」
「……うちの職員をですか」
受付嬢の尖り帽子の尖りが僅かに鋭利になる。低くなった声のトーンに冒険者は違和感を覚えつつも、話を進めていく。あの少年を引き入れるべく慎重に。
「あっ、勿論クエストの料金の半分は役所の方にお渡ししますよ。なので出来る事なら……」
「……ちなみに誰をお貸しすれば?」
「あっ! じゃああそこの幼女をおんぶしている少年を是非! 彼は特定の課に所属してないんですよね? それならお宅もあまり痛手にはならないでしょうし……」
「構いませんよ」
受付嬢は優しい微笑みを浮かべると、冒険者の頭を鷲掴みにした。隣にいた受付の担当者と冒険者が「ヒッ」と悲鳴を上げる。金色の炎が揺らめく双眸が凍り付いたように動かない冒険者を射抜く。
「ただし、条件があります」
「じょ、じょ、条件?」
「あの子を勧誘するために借りたいって邪な気持ちがあったら、もれなく他の職員による妨害がついてきます。私もそれに参加します。武力を行使して」
頭を掴む手に力がこもる。頭蓋骨を砕き脳を潰しかねない握力に、冒険者はここ数年感じた事の無かった死の恐怖に心を震わせた。
「す、すいません。やっぱりいいです。自分で頑張ってみます」
そう言って立ち去る冒険者の後ろ姿を魔女は見送りながら溜め息をつく。もう二度と来るなと思いながら。
そして、その魔女の哀愁と苛立ちを漂わせる後ろ姿を眺めながら、オボロはこめかみに指を当てた。ここ数日でよく見る光景である。
「君をねえ、パートナーにしたいって冒険者がちらほら来るんだよ最近」
「僕よりオボロさんとかジークフリートさんの方がいいと思いますよ」
「謙虚だな、お前」
総司の背におぶさったアイオライトが苦笑しながら言う。
「こんなにちやほやされてるんだぞ。もう少しふんぞり返ってもいいんだからな」
「アイオライト、君はもう少しソウジの謙虚さを貰ったら? 全く先輩なのにおんぶされてるんじゃないよ。降りろ!」
「いいんですオボロさん。なんかアイオライトさんちょっと具合悪そうに見えたので」
目を吊り上げて怒るオボロを総司が制止する。その言葉にアイオライトが一瞬表情を強張らせた。だが、それは彼女を背中に乗せた総司も、総司を怪訝そうに見るオボロも知らない。オボロに見られない内にすぐに笑みを戻す。
「ソウジは優しいなぁ。それに比べてこっちの狐は……ソウジより年上で先輩なんだからもうちょい大人になれ」
「大人だよ。君なんかよりはずっと大人だよ」
「はいはい。じゃあ、ソウジ悪いけどこいつとあの書類の整理頼むぜ!」
総司から降りたアイオライトの指差す先。そこには数本の白い塔が佇んでいた。塔の資材は紙。数百の書類が集まり、重ねられていき束となる。
塵も積もれば山となる。紙も積もれば塔となる。白い巨塔。「うわ……」という呟きがオボロの口から漏れる。総司が腕捲りを始める。頑張るぞという彼なりの意思表示であった。
「これをどんな風に整理すればいいんですか?」
「んとな、とりあえず……」
「駄目だよソウジ。ここで話を聞いたら逃げられなくなっちゃうよ」
「頑張りましょうオボロさん」
死んだ魚の目のオボロの肩を総司が掴む。アイオライトが両手で顔を覆って弱々しい声を出した。
「お前はいい子だなあ……一度頼まれた仕事を投げ出さないで……」
「これが僕の仕事です」
「ソウジ……うっ、ううっ……」
「どうしてアイオライトさん泣いてるんですか?」
明らかに嘘泣きのアイオライトの背中を擦りながら総司は狐を見た。その瞳が「どうしよう」とも「お前泣かせんなよ」とも語っているように感じられる。オボロはあまり仕事の内容を聞かないでホイホイ付いてきた事を真剣に後悔した。これは予想以上に時間がかかりそうだ。
かと言って本気で逃げ出すつもりはない。住民課は繁忙期を過ぎて大分安定してきて、今日一日オボロがいなくともやっていけるまでに落ち着いた。アイオライトもそれを分かっていてオボロを連れてきたのだ。
「やらないとは言ってないよ……やるよ、やるから泣かないでよ……」
「そうか!」
顔を上げたアイオライトはとてもいい笑顔をしていた。不吉な黒雲を切り裂き地上を逞しい光で照らす太陽のように。
オボロは顔をしかめた。どうもこの少女には勝てない。ただ、彼女が書類の分け方について説明を終えてから大事な事の確認はさせてもらった。
「でも本当にお礼はちょうだいよ。こんな数の書類と睨めっこ続けてたら目が死ぬ」
「分かってるって。何でも一個叶えてやるからよ」
「アイオライトさん」
「んー?」
「本当に大丈夫ですか?」
総司がアイオライトの顔を覗き込んで念を押すように聞く。少女の目が大きく見開かれ、何を言えばいいのか迷ってるかのように唇が声を出さないまま動いた。
それを見たオボロが目を細めた。こんなアイオライトを見るのは初めてだったのだ。胸の奥が冷たくなるような、嫌な感覚に襲われた。
「……本当に具合悪いなら休んで来たらいいんじゃないの? 無理して働いてもらって倒れられたら元も子もない」
「そっかそっか。疲れてんのかもなー私。そんじゃお言葉に甘えて休憩室でのんびりしてくるな!」
「ゆっくり休んでくださいね」
「お前らも頑張れよ、ソウジ!」
アイオライトはまたいつものように笑って総司の手をぎゅっと握ると、走り去って行った。白い巨塔の頂上に手を乗せてオボロは握られた手を見下ろす友人に話し掛けた。
「よく気付いたね、アイオライトの調子が良くないって」
「表情が似てるんですよ。僕の家の近所に住んでたおばあさんと。その人、自分が病気でもう手遅れだって分かってたのに誰にも心配かけないように振る舞ってたんです」
「そんな縁起でもない事言わないでくれない? あんなに元気そうじゃないか」
「すみません」
二人による塔の解体作業が始まる。書類には各地から集められたクエストやそのクエストを受けた冒険者の情報などが書かれている。その内の一枚の書類に総司の手の動きがぴたりと止まる。
「ソウジどうしたの」
「いえ、このクエストまだ誰も引き受けてないんだなって」
総司の興味を引いたのはとある村から依頼されたクエストだった。その内容は村の祠の虫退治。文章だけ見ると子供でも出来そうな依頼だが、オボロの表情は晴れない。虫退治、にしては報酬額が高い。
これはただ虫を駆逐すればいいという訳では無さそうだ。
「僕、こっちの世界の虫あんまり見た事ないんです」
「え、君虫に興味あるの!?」
「僕昔は虫かご持って山に行って狩りをしてました。……そういえばアイオライトさんがお礼してくれるって言ってましたね」
「言ってたけど……うん? ま、まさか」
そのクエストの内容が書かれた紙をいつまでも見詰める総司の考えている事が今はとても分かる。オボロは乾いた笑みを浮かべる。『お礼』の形がこの時点で決まってしまったと言っても過言ではなかった。




