33.妖精とオーガ
『妖精の涙』へ走る総司は速かった。扉の妖精と名乗る変質者が消えるとほぼ同時にスタートダッシュを決めた。人混みを器用に掻き分けて宝石店へ急ぐ姿はまさに風。人々はたった今、総司が通り過ぎた事すら視認出来なかった。
「速いな……ソウジは。あいつをそこまで慌てさせるなんてその呪いというのは余程のものなんだな」
「ええ……あの子ホラー漫画はもう読み飽きたって言ってたの」
遠い目で少年の走り抜けた跡を眺めている銀髪翁とは対照的に、魔女は優しい笑顔で少年の本の無事を祈った。本人曰く、総司は決してホラーが苦手なわけではない。ホラー漫画好きな父親の影響を受けてむしろ好きな傾向にある。憧れの作家の画集展に行ったくらいだ。
しかし、飽きる。大好物であっても毎日食えば飽きるようにそればっか読んだら飽きる。一番大好きな少年漫画を読みつつ、時折ホラー漫画を読む。そうして調和を保つのだと総司はいつもより少し真剣な顔で語っていた。
今、彼は宝物を守るために必死なのである。
「まあいいわ。私達はこいつらをユグドラシルの城に引き渡しましょう。通信で他の奴らを呼ぶわよ」
「あ、あのヘリオドールさん」
水晶を取り出したヘリオドールへとブロッドが恐る恐る声を掛ける。
「ブロッド君?」
「オラと……ティターニア姫様も『妖精の涙』に行っていいだ?」
その願いにヘリオドールだけでなく、ただの幼女から姫君に戻ったティターニアも目を見開いてブロッドを見る。二人の視線を感じながらブロッドは頭を下げた。もうティターニアが姫である事はバレてしまった。本来なら今すぐにでも役所に連れて行かなければならない。だが、ブロッドには彼女をヘリオドール達に差し出す訳にはいかなかった。まだ連れていく場所がある。
「お願いしますだ! オラ達、この後はオラの友達の店に行く予定だっただ。せめて最後に姫様を連れて行きたいだ」
「僕からもお願いします」
!?
ブロッドの援護射撃を行ったのはまさかの人物。たった今、風となった少年だった。
「ティターニアさんの約束を思い出して戻ってきました。一瞬自分の事しか考えてなかったです。申し訳ない……」
光のような速さで広場に戻ってきた総司も頭を下げる。息切れを全くしていない様子に野次馬達がざわめくが、ちゃんと約束を覚えていてくれて戻ってきてくれた友人にブロッドは目を潤ませるのだった。事情がよく分からないはずの家具職人達も頭を下げた。
「俺らからもお願いします! 姫さんがボスと一緒にいられるのもこれが最後なら行きたかった場所に連れて行ってください!!」
「お願いしゃっす!!」
「しゃっす!!」
五人に頭を下げられてヘリオドールはうっと息を詰まらせた。ティターニアも言葉にはしないものの、乞うような視線で見てくる。一度大人しく役所に行く事を了承した手前、言葉には出来ないようだ。「行かせて欲しい」とは。
意見を求めるようにジークフリートへ視線を向けるも、苦笑するだけで何も言わない。沈黙は肯定とはよく言ったものである。ヘリオドールは深く息を吐いてから総司の肩を叩いた。
「あーもう。ここで駄目って言ったら私血も涙もないように見えるじゃない。それに総司君魔手のリーダー倒してくれたから……今回だけは特別よ」
「ありがとうございますヘリオドールさん。太っ腹ですね」
「……あんたがいれば姫様はまず安全でしょ。ほら、早く行ってきなさい」
上司からの言葉を受けて総司はティターニアの方を向いた。
「ではティターニアさん、また子供の姿になってくれませんか? お店に着いたら元に戻ってもらいますから」
「え、ええ」
「それで家具職人の皆さんにお願いがあるんです。今から行く店に新しい扉を設置したいので……」
「分かりやしたッ! ボスが気に入る最高の扉を用意しますぁ!!」
「では、ブロッド君。ティターニアさんを抱っこしてください」
「わ、分かっただ」
ブロッドが小さくなったティターニアをゆっくり慎重に抱き上げる。オーガがハイエルフの美幼女を抱き上げているアンバランスな図の完成だ。
そのブロッドを総司が持ち上げる。百キロ超えの巨体が米俵のような要領で高校生の肩に乗せられる。アンバランスという言葉では解決出来ない程の奇妙な図だった。
そして総司は再び風となる。
「キャアアアアアアアアアアアアアア!!」
「速いですわー! もっと速く速くー!!」
絹を裂いたような乙漢の悲鳴と加速を要求する掛け声。家具職人達も「しゃあぁぁぁっっ! 俺達も一旦店に戻るぞ!!」と走り去っていく。残されたのは漆黒の魔手と名乗っているくせに黒い闇の手の餌食となった犯罪者ギルドの集団と、魔法でも何でもないもので倒されたそのリーダー。
あれほど自分達を動揺させていた事態がこんなに呆気なく終わってしまうとは。ヘリオドールは脱力感を覚えた。
「あー、リリス聞こえる?」
『聞こえるわよーヘリオちゃん。みんなをそこに向かわせればいいのよねぇ?』
「え」
通信の接続は切っていたはずなのだが。固まるヘリオドールにジークフリートは自らの水晶を指の爪でこつきながら言った。
「この色魔が作り出したんだ。こっそり接続を繋いでおく事くらいは出来るって事だろ」
『あらバレちゃってた? でも、嬉しかったわぁ。懐かしい声を聞けたんですもの』
「それって……あの扉の妖精?」
多少懐疑心を抱きつつヘリオドールが口にしてみる。あんな格好の妖精がいるわけないのは分かっていたが、それ以外に彼の呼び名が考え付かなかった。恐らく、ジークフリートや今の会話からするとリリスは本当の名を知っているようだが。
「あれ、何者なの。格好はおいといて、かなりの闇魔法の使い手でしょ? あんたやリリス、それにアイオライトの知り合い?」
「……勇者の右腕だよ」
「勇者って」
「魔王戦争で活躍した勇者には忠実な部下が一人いた。そいつは本来は魔王の配下だったんだが、よく分からない理由で人間側について戦ったんだ」
妖精が残した兜を拾い上げ、ジークフリートはどこか懐かしむように説明をする。彼の横顔を見ながらヘリオドールは魔王戦争の書物に書かれていたある内容を思い出す。
勇者を守って死んだとされる魔族の話だ。
「え……!? 待って、ちょっと待って。勇者の仲間がどうして扉の妖精に転職してるのよ。死んで生まれ変わったとか?」
「知るか!」
冗談半分での推測にジークフリートは吐き捨てるように否定した。あの男は転生しても妖精になるような性格をしていない。だが、一つだけ可能性が高い説がある。
素敵なお父様。あの兜が誇らしげに言った言葉を脳内再生させて鼻を鳴らす。
(ああ、全く。灯台もと暗しと言った所だな)
あの少年と初めて出会った時に似ているなとは思ったのだ。その人物らしきあの兜が現れた時、少年は父親ではないかと疑っていた。更にあの魔法。ここまで状況証拠が揃っているのだ。どうして今まで一度は本気で疑わなかったのかとジークフリートは自分の鈍さを呪った。
しかも、ここまで来ると、もう一つの可能性まで浮上してくる。総司の母親の事だ。総司の姓は『彼女』と同じ。しかも、よく見れば目元の辺りはどちらかと言えば『彼女』に似ている気がする。
「……ヘリオドール、今の話はアイオライトには聞かせるなよ」
「え? 何でよ」
「また確証が得られない内に話して、もし違うとしたらあいつに悪いからな」
『アイリィちゃんはね、一番勇者様とあの人の近くにいたの』
寂しげに言う二人にヘリオドールは首を傾げるしかなかった。
一陣の風が本日で閉店する予定だった宝石店に辿り着く。文字通り風に乗ってここまで来たブロッドがようやく降ろしてもらった瞬間、腰を抜かした。ティターニアは魔法を解除して元の姿に戻った後も、幼子のように総司の手を掴んではしゃいでいた。
「お父様すごいですわ! 私お父様より速い乗り物に乗った事ありませんわ!」
「ありがとうございます。でも僕乗り物じゃないです」
「ティターニア姫様……肝が据わりまくりだ……」
「それに凄く素敵で立派なお店みたいですわね! こんなに人がいっぱい!!」
ティターニアの言う通りだった。中に入り切れない程の人で溢れている宝石店は新装開店したのでは、と思う程立派なものだった。他の宝石店に比べるとやや小さいが、白壁の外装には汚れ一つなく、所々痛みが目立っていた屋根も綺麗に直されいる。店から商品を買って出てきた客の話によると、床も大理石仕立てになっているようだ。
ブロッドはぽかんと開いた口を塞ぐ事も出来ないまま店の看板を確認してみた。『妖精の涙』と書いてある。ウルドには同じ店名の店が二軒あったのだろうか。
「ソウジ君ここ……」
「ここですよ」
「う、うん……」
総司が道を間違えたわけではない。周りの風景は変わっていないのだ。とすると、やはりここしかない。ブロッドの知っている『妖精の涙』ではないが。
奇妙な恐怖感に胸が鷲掴みにされていると、店からブロッドの知っているゴブリンの女主人とオーガが出てきた。
「はいよー。そんなに入り口に集まられると中に入ったお客様が出られないから皆並んでおくれよ!!」
「これじゃあ閉店とか言ってられないな。あ、ブロッドとソウジが帰っ……」
ライネルの視線がある人物に向いた刹那、言葉が止まった。その人物もライネルに気付いたらしく信じられないものを見るように呆然としている。
「ブロッド! 見ておくれよ、さっきから物凄い量の客が来てるんだ!」
「何で!? それに店も凄く綺麗だ!」
「エルフの集団が入ってきたと思ったら、ソウジ坊やに似てる男が来て顔を隠す物はないかって言うから貰い物の兜を渡したんだよ。そしたらお礼だって言って店に魔法をかけて綺麗にしてくれたんだ」
妖精って凄い。ブロッドの脳裏に浮かんだのは兜を被り背中から薄羽根を生やした総司だった。
「ライ……ネル?」
ブロッドがどんどんと現実逃避している時だ。ティターニアの唇が震えながら友人の名前を呼ぶ。水色の瞳からは涙が次々と流れ出し、美しい顔がくしゃりと歪んだ。
白い手が自分のペンダントを外し、立ち尽くすオーガへと見せる。無数の星粒が散乱した宇宙を思わせる藍色の宝石。ライネルは一人の少女とペンダントを何度も見比べ、頬に一筋の涙を伝わせた。
「姫、姫なのか……?」
「ええ、ティターニアです! あなたを愛した……ティターニアです……!」
ティターニアが周りの目も気にせず泣き声を上げてライネルに抱き着く。ライネルは呆けたような表情を数秒見せた後、恐る恐る小さな背中に武骨な手を回した。
女主人とブロッドは顔を見合わせた。
「じゃあ……姫様の初恋の相手ってまさか」
「身分が違い過ぎるって言ってたねえ……」
二人だけではなく、列に並んでいた客達も突然抱擁を始めたティターニアとライネルに狼狽えている。ただ、想い合っていたが引き離されてしまった悲劇の二人。なようだ。
そんな中、ぱちぱちと拍手の音が響く。総司だった。無表情のまま彼らを祝福するように手を叩いている。
「ティターニアさん、ライネルさん、おめでとうございます」
ウトガルドのオタク大国日本の空が淡い青色から葡萄色に染まっていく。外灯の明かりが付き始めた住宅街を一人の少年が歩いていた。彼の鞄はパンパンに膨らんでおり、何かたくさんの物を詰め込んでいるようだった。
「総司!」
その少年を呼ぶ声。黒いキャリーバッグを持ったサラリーマンだ。少年はサラリーマンへと走り寄った。
「おかえり父さん」
「ただいま。バイト帰りか?」
「うん、今日も楽しかったよ」
「良かったな。で? どうしたその紙袋。俺への土産か」
サラリーマンは少し嬉しそうに少年の持つ紙袋を指差した。その甘い期待を粉々に打ち砕くように少年は首を横に振った。
「僕の先輩にあげるペンダント。友達の知り合いの店で作ってもらったんだ。今日は忙しそうだからやめたけど、今度渡そうと思って」
「洒落てるな」
「ヘリオドールって宝石なんだけど、僕が鉱山に行って取ってきたんだよ」
「こう……ざ……ん?」
「うん」
サラリーマンは知らなかった。少年、いや我が息子が異世界の鉱山に自ら赴いて宝石の原石を掘りに言った事を。
「日頃からお世話になってるからお礼にと思って」
「オメーのバイトって鉱山に行って原石を漁る事だったのか?」
「ううん、コンビニ」
「…………………………………そうか」
会話が終わり薄闇の住宅街に生暖かい風が吹く。遠くから聞こえるエンジン音。家ではサラリーマンの愛妻であり少年の母親が二人のために夕飯を作っている。 さあ、帰ろう。二人は寄り道せず真っ直ぐ帰路に就いた。
ノルン国の要であるユグドラシルに聳え立つ城。国のシンボルであるこの建築物に地下が存在している事を知る者はそう多くない。そこは冷たく重い空気が漂う牢獄となっており、多くの人間を虐殺した者や王族を暗殺しようとした者など重罪人が自身の処刑の日を待っている。生きる気力を失ってしまったのか、彼らは迫り来る死から逃れようとしない。
「おーい、様子見に来たぜ」
一番奥の牢屋に入ったのはまだ十歳程の藍色の髪の少女だった。
簡素な造りの牢屋には人間は入っていない。牢の中央で黒いトカゲが結界の中でじたばた動いているだけだった。
『くそ…こんな結界など無ければ貴様など簡単に……!』
「んな事言うとソウジ呼ぶぜ」
『ヒッ』
少女の脅迫にニーズヘッグはか細い悲鳴を発する。かつて暗黒竜として恐れられた面影はどこにもない、ひ弱なトカゲがそこにはいた。
いい反応を見せてくれる過去の怪物にアイオライトは不敵に笑う。しかし、次の瞬間には顔をしかめた。眉をひそめたまま少女が見下ろした自身の右手に刻まれたいくつかの『ヒビ』。皿を置いた左手でその部分を優しく撫でるが、治る事はない。
アイオライトの様子を見たニーズヘッグが結界の中で嘲笑する。
『ククッ……私を馬鹿にするよりも自分を心配する方が先だな。貴様、その体では長くは持たないぞ』
「ふーん、私の事よく知ってるんじゃないか。つか、そんなにお喋りが出来るならもう少し拷問してからユグドラシルに連れてくるんだった」
『やめろ! 貴様のせいで私がどれだけの苦痛を味わったと思っている!!』
結界の中で暴れ狂うニーズヘッグに行われた拷問の内容はアイオライト本人しか知らない。誰にも知られない場所でアイオライトはニーズヘッグから全ての情報を聞き出した。それにより分かった事はいくつもあった。
新たな魔王が現れた事。魔族の中ではまだまだ人間に対して激しい敵対心を持つ者が多い事。再び人間へ戦いを挑み、今度こそ世界を滅ぼし魔族の支配下に置こうと企んでいる事。
「でも、あそこまでやっても答えなかったって事はやっぱりお前もロキがどうなったかは知らないのか?」
「だから何度も言っているだろう! 奴は死んだと!」
もうやめてください。マジ勘弁して。そんな想いを込めてニーズヘッグは何十回も言った答えを叫ぶ。
『大体それは貴様も知っているではないか! 貴様単に拷問をやってみたくてこんなくだらない質問を何十回もしたのだろう!!』
「うっさい。声少しは小さくしろ。ソウジ呼ぶぜ」
『ヒィ』
体を小刻みに震わせるニーズヘッグにアイオライトはんべ、と舌を出した。
「お前本当にソウジが苦手なんだな。あんなにいい奴はそういないぜ?」
『……あの男は奴らに似ている。顔付きといい黒い髪といい、まるで』
「何だ。それじゃあ、ソウジがあいつらの子供みたいだろー?」
そうであれば、こんなに喜ばしい事はない。アイオライトは笑いながら目の奥が熱くなるのを感じた。




