28.生まれ変わった三人
「ブロッド君、何ですかあれは」
総司が足を止めたのは街で一番広い広場を通り掛かった時だった。そこでは重厚な鎧に光り輝く剣を持った剣士と、鋭い二本の牙を持った彼よりも二回り程大きい狼の獣が戦闘を繰り広げていた。しかも、周りの観衆は止めるどころか興奮して大きな歓声を上げている。
その光景をじっと眺めている総司にブロッドは苦笑しながら答えた。
「あれは召喚師と腕比べしてるだよ。ほら、あの狼の後ろに人がいるのが分かるだ?」
ブロッドの指差す方向には他の観客よりも明らかにテンションが違う杖を持った男がいた。もっと熱くなれよだの諦めるなと騒いでいる。己の召喚獣の戦いぶりに渇を入れ続ける男は時折口角から泡を吹いていた。うるさい。
「この街の伝統的な祭みたいなものだ。ああやって腕に自信のある剣士や魔導師とか冒険者が召喚獣の強さに自信のある召喚師と戦うだ」
「ほう……僕もそういうことやってますよ」
「ソウジ君も召喚師だ!? 素手でも強いのに召喚獣もいるなんてすごいだ!!」
誤解を招くような高校生の発言に一本釣りされたオーガの姿がそこにはあった。尚、このブロッドの勘違いは後に総司が実際にソフトとゲーム機を持ってこちらの世界に遊びにやって来た時に解決する事になる。その前に話を聞いたヘリオドールの「あんま期待しちゃ駄目よ」という意味深な忠告を受けていたので精神的ショックはあまり深くはなく、逆にゲーム機というアイテムそのものに大きな感動を受けていた。
彼らの話を聞いていたティターニアは数回瞬きした後、総司に思い切り抱き着いた。だが、その表情で子供が甘える時に見せるものではなく、何か疑問にぶち当たった大人の顔だった。
「……薄々気付いてはいましたが、やはりお父様は異世界の人間なのですね。香りが違いますわ」
「僕香水付けてませんよ。汗掻いた時に付けるスプレーも無香料ですから」
「い、いえ、体臭とかではなくて……風、風の香りですわ」
アスガルドとウトガルドに漂う空気は違う。向こうの世界の人間はこの世界とは異なる風の香りを纏っているのだ。
「あの伝説の勇者様も柔らかな異世界の風を纏っていたと聞きます」
当時、フレイヤの国は一応は人間側についていたものの、表立って活躍する事はほとんどなく、戦争に関する記述が残された文献もあまり多くは存在しない。それでも勇者の伝説は民にも広く伝わっている。
星の輝きを集めた目映い光を放つ聖剣に選ばれた異世界の少女。アスガルドには存在しない風と共に現れ、世界のために戦い続け元凶の魔王をも倒した聖女と謳われている。自分も見てみたかったとティターニアは偽りの父親を見ながら思った。きっと彼のようにあまり損得を考えずに困っている者達に手を差し伸べていたのだろう。
勇者伝説には一人の魔族が登場する。恐ろしい魔導師だった彼は魔王の優秀な配下でありながら、勇者の優しさに改心して彼女のために戦う事を決意した。
そして。
「……ティアさんどうしました?」
「何かちょっぴり悲しそうな顔をしてただ……大丈夫だ?」
「あ……申し訳ありません」
城に保管されている数少ない魔王戦争について記された逸話の一つを思い出したせいで、随分と感傷的になってしまった。心配する二人へティターニアは微笑んだ。
剣士と狼の対決を見物していた客の数人が総司の姿に声を上げたのはその時だった。ガタイの良い三人組の男が強面に満面の笑みを浮かべて駆けてくる。接近してくる謎のガチムチ集団にブロッドが若干引いた。
「どもっす、ボス!」
「久しぶりですボス!」
「ボス今日もかっけぇですね!」
更に謎の呼び名にブロッドだけでなくティターニアも動揺が隠せない様子で総司を見る。当の本人は臆する事なくいつもの表情で三人に頭を下げた。
「どうも皆さん」
「いやいや、頭下げないでくださいよボス!」
「ソウジ君この人達誰だ?」
「家具職人の見習いさんです」
以前、やさぐれて泥酔した状態で飲食店に突入、他の客に絡んでいた三人も立派な見習い家具職人となっていた(『惨劇』の回参照)。その後、親方に随分としごかれ鍛えられてきたらしい。彼らの体は以前にも増して筋骨隆々となっていた。
あれから家具職人三人組は自分達の目を覚まさせてくれた恩人として総司を敬っている。だが、それらの事情をブロッドは知らない。友人の交遊関係に不安を抱いてしまった。
総司の人脈ネットワークを心配したのはブロッドだけではない。家具職人三人組もオーガを凝視している。
「ボ、ボス……このオーガとはどんな関係なんすか」
「ま、まさかこいつに脅されて行動を共に……」
「そんな! ボス程の人間を利用するだなんて……!」
「お止めなさい! ブロッド様はお優しい方です! これ以上この方を悪く言うのなら私が許しませんわ!!」
勝手に想像して勝手に怯えている男共に叫んだのはティターニアだった。幼女のあまりの剣幕に彼らだけではなくブロッドも反射的に背筋を伸ばして「はい!」と返事をした。
総司はブロッドの肩をポンと叩くと子分達へと向き直った。
「この人はブロッド君と言って僕の友達です。とても優しい性格の人なんですよ」
「よ、よろしくだ」
「こ、こちらこそよろしくお願いします。というか、すみません! ボスのご友人なのに酷い事を言ってしまいまして」
ティターニアの監視の下、両者共に低姿勢での挨拶が行われる。誤解があったものの、総司を尊敬する者同士の初対面が無事に終わった。どうしてかは分からないものの、とりあえずたどたどしく握手をする三人とブロッドにティターニアが満足そうに胸を張る。
「嬉しそうですねティアさん」
「当然ですわ。お父様を慕う者達同士仲良くしていただきたいのです」
「ん? この女の子はボスのお子さんっすか?」
「はい、そうです」
気を緩めている時の質問にどもりかけていたブロッドを他所に総司が即答する。疑う余地など一ミリも与えさせない自然な嘘だった。ティターニアと一緒にピースサインをして仲良し親子をアピールしている。
「マジですか! めっちゃ可愛いですね! ふわふわしてますね!!」
その真っ赤な嘘は総司を信仰している男達の心に何の引っ掛かりもなく浸透した。憧れの人物の子供、しかも美少女を前にきゃっきゃとはしゃいでいる。彼らには後でちゃんとネタばらしをしなければとブロッドは思った。
「あ、そういえばボスもどうですか召喚獣とのバトル。やっていきませんか?」
「僕がですか?」
「ボスならドラゴンでも圧勝出来るんじゃないっすかね」
「いけますかね」
「ちょ、ソウジ君!?」
暢気に喋りながら腕捲りを始めた総司に焦ったのはブロッドだった。総司が恐ろしく強いのは知っているのだが、召喚獣と戦うとなれば無傷で済まないだろう。彼が怪我をしたとなれば、ヘリオドールが大騒ぎするだろうしフィリアが泣いてしまうかもしれない。何よりもブロッドが傷だらけの友人を見たくない。
「止めた方がいいだソウジ君! 大怪我したらどうするだ!?」
「大丈夫です。人のペットみたいなものですから召喚獣に大怪我をさせたりはしません。約束します」
「何でソウジ君は怪我をしない事を前提に話してるだ!?」
自信があるのか、何も考えていないだけなのか総司はキリッとした表情をしていた。もう一度言うがキリッとしていた。
あ、大丈夫かもしんない。そんな顔を見たブロッドもそんな事を考え始めるので、いよいよ総司を止める者は誰もいなくなった。
「頑張ってくださいお父様!!」
何よりも、一番反対しそうだったティターニアが総司の活躍を一番期待しているようだった。
「あのクソガキ……ティターニア姫は俺らのもんだ」
そんな彼らを物陰から覗きながら『漆黒の魔手』のバイドンは激しく顔を歪めていた。
一方、その頃。魔法や魔物が存在しない世界ウトガルドにあるオタク大国日本。
その国のとある空港に先程着陸した飛行機から降りてきた客が続々と押し寄せる。人口密度がマックスになった空間に顔をしかめながら歩く一人の男がいた。
黒髪に黒いスーツ、黒いキャリーバックを持った黒づくめの三十代の会社員。周りの女性からの甘い視線を無視して男は腕時計で時刻を確認する。その瞳はアメジストのような深い紫色をしていた。
「部長ー、やっと着きましたね。俺日本が滅茶苦茶愛しかったですよ」
「須賀、オメーに海外出張は向いてないってのが今回でよーく分かった。日本食ばっかガツガツ食いやがって」
「そう言う部長は向いてますね。部長だって初めての海外出張だったくせに妙に肝が据わってたっていうか。俺は何か事故に巻き込まれて死ぬかもしれないって一日中思ってましたし」
感心した表情の部下に男は溜め息をつく。飛行機に乗る前は「部長落ちたらどうしましょう」としか言えなかったくせに、無事に到着したら怒涛の勢いで喋り始めるようになった。
「生憎ろくでもない人生送ってきたからな。大抵の事じゃあビビんねえんだよ俺」
「部長喧嘩強いですしね! 部長昔は暴走族のヘッドやってたでしょ」
「いんや、俺は幹部やってた。そんで後から敵チームに寝返って元いたチームぶっ潰した」
「部長すげー!」
サラリーマンが公共の場で話していい内容ではない。二人の前方を歩く気弱そうな男が顔色を悪くしていた。




