26.宝石好きエルフ
「ライネル! いつまで工房に引き込もってんだいこのぐうたらオーガめ!」
アクセサリーなどの材料となる宝石や金属、作業道具で埋もれた工房。そこの隅で膝を抱えていた宝石細工師の背中を妖精の涙の女ゴブリンの店主が平手打ちする。
灯りの付いていない薄暗い室内に響く衝撃音。オーガに比べて小柄で腕力も弱いはずのゴブリンからの一撃にライネルは悲鳴すら上げられず、突然の激痛に悶えた。その様子を目を吊り上げて見ていた店主だったが、すぐに困ったような表情へ変わっていった。
ここ数日、ライネルはずっと物思いに耽っていた。確かフレイヤ国から姫がこの街にやって来るという話を聞いてからだったろうか。
店主にはライネルの悩みが何であるか分からない。もうすぐ店仕舞いする事に落ち込んでいるのかと思ったのだが、そうでもないらしい。逆にウルドを去るのを寂しがっている同僚二人を励ましていた。
下等種族として見られてきたゴブリンやオーガに才能は不要。そんな周りの評価と経営難によって閉店という決断を下した店主に最初に賛成したのも彼だった。
ウルドに来る前まではずっと故郷でのんびり気ままに宝石を細工してきた同僚のゴブリンとドワーフとは違い、ライネルは妖精の涙に流れ着く前まで世界中を歩き回り、様々な石を見続けていた。種族の壁がどれ程分厚いのかも知っている。だが、同じオーガであり職場で孤立していた親友のブロッドに、初めて人間の友人が出来たと聞かされた時は心から喜んでいた。
そんな優しい性格のライネルに一体何があったのか。大切な従業員の苦しみの原因が掴めずに店主が困っていると、店番をしているはずのゴブリンとドワーフが工房に現れた。
「おばちゃん、ライネルには深い心の傷があるんだよ」
「失恋の痛みはわしらでは癒せないのじゃ」
「お、お前らよせ!」
哀れみの視線を向ける二人にライネルが怒りと羞恥で顔を赤くする。オーガの怒り。普通なら恐怖で震え上がる程の恐ろしい事態だが、長い付き合いであるゴブリンとドワーフにとってはちっとも怖いものではない。
「大体好きな子に自分を忘れて欲しくないからって宝物を渡しちゃって……大切なものを二つも手放しちゃうなんてお前って奴は」
「う、うるさい! 俺とあの人は身分が違い過ぎたんだ!」
「にしてもお前さんが心から愛した娘どのくらい美しいか見てみたいわい」
ねー、と顔を見合わせて頷く従業員の背後に聳え立つ鬼神。年老いた彼女の降り下ろした二つの拳骨は見事彼らの頭部にヒット。クリティカルヒット。あまりの痛さに床を転がる二人に店主は吠えた。
「あんた達ちゃんと店番しな! 品物が盗まれたらどうすんだい! 今日は来ないと思うけど、万が一の事があったら……」
「そ、そうじゃ。大変じゃぞ店長。万が一どころではないのじゃ」
「おばちゃん早く来て! オイラ達じゃどうにもならないんだって!」
ダメージから回復したゴブリンとドワーフが立ち上がり、店主を店へ押し出す。まさか強盗かと焦る店主だったが、工房から出た瞬間別の意味で焦った。
「あっ、そちらの方がこの店の店長ですか!」
「この宝石は幻と呼ばれる『氷姫の吐息』! まさかこんな街で見られるとは!」
「この石は加工が不可能だと言われていたものだぞ。いやぁ、すごいなこれは……」
すごいなこれは、はこちらの台詞だと店主は思った。
祭の日とて閑古鳥が泣き喚いているとばかり思っていた店内。そこでは金髪碧眼の美しいエルフ達で賑わっていた。
ある者は店主を見るなり握手を求め。
ある者は貴重な宝石を見付けて目を輝かせ。
ある者はカッティングされて指輪となった宝石に驚愕の表情を浮かべていた。
「おばちゃん何だろ、この人達……」
「驚いた顔をして店に入ってきたと思ったら大騒ぎし始めてのぅ」
「ああ、すみません驚かせてしまいましたね」
店主の後ろで縮こまるゴブリンとドワーフの言葉に、乳白色の石のペンダントを首から下げたエルフの男性が苦笑した。差し伸べられた白い手と困惑しつつも握手した店主は次の台詞に絶句する事になる。
「私達はフレイ国の住人です」
「!?」
フレイヤと同じようにエルフが多く住み、妖精霊と共存する美しい国だ。ただし、こちらは他国との交流を盛んに行っており、積極的に素晴らしいと思った文化を取り入れる事も多い。
「今回、フレイヤのティターニア姫がこちらにやって来ると聞きましてね。引きこもり国の姫がわざわざ訪れるくらいだ、この国のこの街には素晴らしい何かがあると思って私達も来てみたんですよ」
「は、はあ」
何とか状況を把握しようとする店主だったが、やはり何故彼らがこんなボロい店に集団でやって来るのか理解出来ない。爽やかな笑みを見せるエルフに頷くしかなかった。
様子を見に来たライネルも想像すらしていなかった光景に顔色を悪くする。服装や身に付けている装飾品から、ハイエルフ程でなくても高い身分のエルフだと分かる。
そんな彼らが他の人気宝石店でなく、妖精の涙に目を付けた理由とは一体。四人の思考が一つになる。
だが、頭の上にクエスチョンマークを浮かべたのは妖精の涙の従業員だけではなかった。客であるエルフでさえ不思議そうな表情を浮かべていた。
「自分で言うのもなんですが、フレイに住むエルフは美しい石を好むんです。そこで、この中心部で美しい宝石細工の店はないかと探していたんですが……」
「ええ……みんなで散ってお店巡りをしようとしていたんです。そして、それぞれ店を決めて入ったと思ったんです。そしたら……」
「……何故か扉を開いたらこのお店に繋がっていました」
「……なんだいそりゃ」
転送魔法だろうか。しかし、ならば発動の瞬間、扉付近から魔力を感じるはずだ。工房にいた店主にもそれは気付けただろう。
「魔法……にしてもおかしいんですよ。全く魔力を感じなかったんですから!」
「でも、僕はこの店に出会えて良かったよ! 噂通りドワーフだけでなくゴブリンも宝石細工に長けているんだね! このネックレスのデザインなんて」
「あ、それ作ったのオイラ達じゃなくてオーガのライネル」
「そうなんですか!? すごい!」
巻き起こる称賛の拍手。ライネルは照れる前に困惑が勝って呆然とするばかりだ。
「あのさ、今からオイラ達石を加工する作業なんだけど良かったら見学する?」
「見る! 見ます!」
「やだ……! そんなのも見られるなんて!」
例えるならウトガルドの日本という国で興奮し過ぎてクレイジーモード突入した外国人観光客。目を輝かせるエルフ集団にビクビクしながらも、ゴブリンとドワーフは彼らを工房へ案内する。
静寂が戻った店内に取り残された店主とライネル。二人の視線の先にあるのはあの扉。
壊れた扉の代わりに総司が設置していったあの扉。
「まさかねぇ……」
『漆黒の魔手』に誘拐されたとされるティターニア姫を救出するため、ノルン・フレイヤの両国の兵が祭が催されているウルドを中心に捜索を始める。
しかし、一国の姫を捜すために街に出た兵士の一部は思わぬ足止めを食らっていた。
「だからエルフをうちの店に招待しようとしたら消えてたんだって! 早くうちの店のドアを調べてくれよ!」
「はあ? 単なる見間違いじゃあ……」
「うちの店でもそういう事が起こってんのよ! 確かに店に入ったのにぃぃぃぃぃ!!」
街を歩く兵士に助けを求めてきたのは皆、宝石店の人間だった。エルフの客を店内に入れようとしたら、いつの間にか消えていた。全員が口を揃えてそう言った。
「あれフレイからのエルフだったんだぞ! あの宝石好きにたくさん買ってもらおうと思ったのに!」
「ああもううるせーな! こっちはそれどころじゃねーんだよ!!」
「いいから何とかしろ!!」
青空の下、両者の絶叫が響く。




