23.妖精の涙
『待って!』
去り行こうとする少年の背中へと叫ぶ。少年は立ち止まり、後ろを振り向いてくれた。けれど、その鬼のような顔は今にも罪悪感に押し潰されそうな表情を浮かべており、鋭い目は諦めの色を湛えていた。
どうして、どうしてそんな顔をするの。自分よりずっと大きな体にしがみつくように抱き着いた。
『いや……行かないで! どうして行ってしまうのですか!? こんなに、こんなにあなたを愛しているのに』
『だから何だって言うんだよ。俺だってあなたが大好きだけど、俺達は結ばれてはならない……』
『そんな事誰が決めたのです!』
『誰が決めたとかそういう問題じゃない! あなただって分かるはずだ……!』
悲痛な声を上げながら少年はゆっくりと離れていく。柔らかな拒絶。それは永遠の別れを意味していた。
少女は唇を噛み締める。彼の言う通りだ。二人の恋が結ばれない事など分かっている。誰が決めたわけではない。これは必然。運命が想いと想いを繋げる事を赦さなかった。
『そんな……そんな……』
『……姫様、俺を深く愛してくれるのならこれを受け取って貰えないか?』
少年が首からぶら下げていたペンダントを少女に手渡した。中央で輝く半透明の藍色の石の内部には美しい黄金の粒が散りばめられている。それらは石の中を泳ぐようにゆっくりと動いていた。小さな宇宙を閉じ込めたような、不思議な石だった。
『綺麗だろ? 星天の夢って言う石なんだ。俺の宝物だ。俺だと思って持っていて欲しい』
『ええ……持っています。でも、私は諦めません! また、いつか出会えた時、その時はきっと……!』
『ああ、そんな時が来たら……』
「ティターニア様」
「……え?」
「お疲れのように見えますが」
「あら……申し訳ありません。少し眠ってしまっていたようですわ」
気恥ずかしそうに笑いながら馬車の外の風景、草木の少ない荒れ地をぼんやりと眺める少女をグリックスは観察した。ふわふわと柔らかそうな質感の優しい月色の髪に、アクアマリンのような水の色の瞳。純白のドレスに包まれた細く、けれど大きく膨らんだ乳房。背中からは薄い蜻蛉のような羽が、頭部からは二本の触角が生えていた。
通常のエルフよりも強い魔力を持ち、フレイヤ国の中でも数少ない存在とされるハイエルフ。ティターニアもその一人であり、フレイヤの姫君であった。
ゆっくりと進んでいく馬車の中。彼女の従者であるエルフ、グリックスはティターニアと同じようにさして面白くもない風景に視線を向け、密かに抱いていた疑問を口にした。
「しかし、姫様。何故オベロン様を先に使者としてノルンに送らせたのですか? あの方はあなたの……」
「……婚約者、ですわ」
ティターニアは硬い口調でそう言い放った。淡い青の双眸は悔しさと絶望の色で彩られていた。
「ですが、私はオベロン様と結ばれる事など望んでおりません。何が貴族の長男です。何がハイエルフ同士の婚姻です。私は何度も彼を受け入れるつもりはないと申し上げました。なのにオベロン様や皆は……」
「では、ティターニア姫様には他に結婚を望んでいる相手がいると?」
「そうですわ! だけど……私の願いを叶えるためにはこうするしかなかった」
ティターニアの頬に一筋の涙が流れる。まるで水の宝石のような美しい瞳から流れた雫は、それ自体があまりにも尊いもののように見えて。
グリックスは彼女を慰めるように名前を呼びながら、内心でほくそ笑んだ。
(この馬鹿女……そんなにあの馬鹿男と結婚したくないってんなら他の金持ちの変態にでも売ってやるよ)
美しい金髪と長い耳は変化魔法の産物だ。ぼさぼさ頭に髭を生やした姿が本来のグリックスの姿なのだが、ティターニアは全く気付く様子もない。本物のグリックスは今頃はフレイヤの王宮の地下室でぐっすり眠っているだろう。結婚したくないとほざく小娘は、目の前の男を長年仕えている従者と信じて疑わなかった。
強盗、殺人、人身売買などあらゆる犯罪に手を染めているギルド『漆黒の魔手』。そのギルドマスター、バイドンこそがたった今、グリックスに化けている男の正体だった。現在、馬を引いている者も、この馬車を取り囲んでいる護衛の兵士のほとんどもギルドのメンバーだ。
(どういうつもりでオベロンとか言う馬鹿がノルンに行くと言い出したのかは知らねぇが、このチャンスは逃すわけにはいかねぇよな?)
ハイエルフ、それもフレイヤ国の姫となれば大変な価値がつく。何より美しい。ティターニアには変態趣味を持った、あちこちの貴族の男達の性の捌け口と頑張ってもらうつもりだ。いや、『漆黒の魔手』のメンバーの『世話』もしてもらわなければならない。
偶然かノルンの都市ウルドの近くに『漆黒の魔手』のアジトはある。後はこのままノルンに向かわずにアジトに直行するだけでいい。
まず、ティターニアの『味』を確認するのはマスターである自分だろう。そう考えているバイドンをティターニアはやけに真剣な表情で見詰めていた。
「グリックス、あと何分程でウルドには到着するでしょう?」
「? 間もなくですが……」
「そう……」
ティターニアは右手に握り締めていた物を見下ろした。それは藍色の石のペンダントだった。
乳白色の宝石が飾られた指輪を天井付近に設置されたランプに近付ける。すると、宝石が淡く光り出して乳白色から黄色、黄色から橙色と次々と色が変化していく。
ランプの炎が放つ光を吸い取ってしまったように、宝石はランプから離しても尚も仄かな輝きを放ち続ける。今度は緑色から青色に変わっていくそれを興味深そうに観察する少年に、オーガの青年は嬉々とした様子で話し出す。
「うーん、いつ見ても綺麗だ『月兎のランプ』! この石はマナの地でしか取れない宝石でとっても扱いが難しいだ。石に宿る『魂』と対話しながらゆっくり作らないと、魂が拗ねちゃって宝石から輝きを奪ってただの石ころにしてしまうだよ」
「そうなんですか……」
総司がまじまじと掌の指輪を見詰める。その様子にテンションが上がったブロッドは総司の腕を引くと、会計の近くにあるショーケースの所まで連れて行った。
中には美しい装飾が施された指輪やペンダント、髪飾りが陳列されている。
ルビーやガーネットなど赤系統の宝石を薄くスライスして一枚一枚を丁寧にくっ付けていき、完成された宝石の薔薇『レッドローズ』で作られた指輪。
海の細波の音が妖精や精霊によって閉じ込められた蒼い宝石『海の追憶』が中心で輝く銀のブレスレット。
闇属性の魔法や呪いを吸収する聖なる宝石『閃光の護り手』をいくつもあしらった豪華なティアラ。
どれもウトガルドはおろか、ノルンでも滅多にお目にかかれないアクセサリー類だ。例えば『レッドローズ』は作者の繊細かつ高度な技術が求められ、『海の追憶』と『閃光の護り手』は石の中の『魂』との連携が必要となる。
それらの難題を見事クリアして、作り上げられた作品達。これほどまでに見事なアクセサリーが置かれている店は、多くの宝石職人が集まるウルド中心部でもこの店『妖精の涙』だけだろうとブロッドは確信していた。
「ソウジ君こっちにあるのも綺麗なんだ。色んな宝石を使って聖杯を……」
「ブロッド君、楽しそうですね」
「そ、そう見えるだ……?」
冷静さを失わない総司の一言にブロッドは我に返って動きをピタリ、と止めた。同時に羞恥で顔を真っ赤にした。
それをレジ付近で眺めていた小人の種族ゴブリンの女主人は笑った。
「落ち着きなってブロッド。あんたがその子よりはしゃいじゃってどうすんだい!」
「だって、この店を友達と来るのは今日が初めてだ。それが嬉しくてつい……」
「何言ってんだい。けど、客は一人でも多いと助かるよ」
困ったように笑いながら女主人は店内を見回した。様々な宝石で作られた美しい装飾品。だが、客は総司とブロッド以外にはいない。普段は冒険者がちらほら立ち寄って気まぐれに買っていくが、本日は妖精国から姫がやって来る事を記念して街で祭が行われている。それに力を入れた他の宝石店に根刮ぎ客を取られてしまったようだ。
ただでさえ今月は売上が少ないというのに。
「あたし達みたいな種族にはやっぱりこういう仕事は向いてないのかねぇ」
「そんな事ないだ! みんな小人種族の凄さを知らないだけだ!」
「僕もブロッド君の意見に賛成です」
「「本当?」」
総司の言葉に反応して店の奥からわらわらと小さな物体がやって来る。小人用の小さなハンマーを持ったゴブリンと、口周りが真っ白な毛で覆われたドワーフ。店内の商品の製作者だ。総司を気に入ったのか、彼の足にしがみついたり、腰の辺りまでよじ登っている。それでも一つ変えない総司にブロッドはすごいと思った。
「エルフに近い魔力を持っていて石と話せるし、手先も器用。すごいじゃないですか」
「そうは言ってもねぇ」
「元々細工が上手いって言われてるドワーフのワシはまだいいがのぅ……」
「ゴブリンやオーガはこの厳つい見た目のせいで、何の取り柄もない荒れくれ者って言われてるんだ」
ブロッドよりやや背の高いオーガが総司からドワーフとゴブリンを引き離す。複雑そうな表情を見せる彼にブロッドは眉を八の字にした。
「ライネル~自分からそう言っちゃ駄目だ。ネガティブ精神よくないだ」
「お前だってつい最近まで周りにビビってダチが出来てなかっただろ」
「ううっ」
痛い所を突かれた。ブロッドは後退りをした。そんなヘタレな友人にライネルは溜め息をついて、総司へ向き直った。
「まあいいよ。もうすぐここも閉めるんだ。何でも格安で売ってやるから好きなの選んでくれ」
「えっ!?」
その言葉にブロッドは女主人、ドワーフ、ゴブリンを見るも、全員寂しそうに顔を俯けるのだった。
「どこに行ってもゴブリンだのオーガだのって言ってみんなに馬鹿にされ続けてきてちょっと疲れちゃったんだよ……」
「も、もう少し頑張ってみるだよ……!」
「……どうにかして皆さんの品物をちゃんと見てもらえればいいんですけどね。そうすればあなた達の腕も認めてもらえるのでは?」
「うーん、そうは言っても……」
バキン、と大きな音がしたのはその時だった。全員で入り口の方向に視線を向ければ、入り口のドアが無くなって外からの風が入り込んでいた。ドアだったものは床に叩き付けられてノブが横で虚しく転がっていた。
「……あのドアもうちを冷やかしに来た冒険者のサンドバッグ代わりにされて疲れちゃったのさ」
「確かに」
片手で顔を覆う女主人に総司は力強く頷いた。
「そ、そういえばソウジ君、本当に良かっただ?」
「何がです?」
「ヘリオドールさん……」
ブロッドが恐る恐る総司の保護者の名前を口にすると、被保護者は「いいんです」とあっさりと答えた。
(良くないだ……)
ブロッドは今頃起こっているだろう惨状を思い、項垂れた。




