2.少年と魔女
まさかの志望者の登場に思わずその場で小躍りしてしまってから数分後。一つ気になる事があったのでヘリオドールは少年に尋ねてみた。ヘリオドールが踊っている間、少年は空になったペットボトルをゴミ箱に捨てに行ったり、近所の野良猫と視線を合わせたりと時間を潰していた。
「働きたいですって言ってくれるのはかなり嬉しいけど、あんた本当に信じてるの?」
「え……まさか時給これだけ高いのに実際はタダ働きなんですか? まさかブラック企業……」
「うちの職場は一番上の人間以外はクリーンな環境よ失礼な! 私が言いたいのは魔法とか魔物とか所謂ファンタジーな世界を本気で信じてるのかって事!」
ヘリオドールの言葉に反応したのは少年ではなく、擦れ違った学生数人だった。コスプレ女が真剣な表情をしてファンタジーがどうのこうの喚いているのだ。当然の反応ではある。
くすくすと聞こえる笑い声にヘリオドールは頬を赤らめた。その気になれば、あんな生意気そうな連中なんて魔法で叩き潰せるというのに。ウトガルドでは、魔法や召喚術の使用を禁じようと言い出した偽善者は一体誰だとヘリオドールは歯軋りをした。
しかし、少年と知り合いらしき中年女性からの「そうちゃん、その人……」と窺うような視線を向けられると、自分がとんでもなく浮いた存在であると自覚した。別な意味で頬を赤らめる魔女に、少年は笑いも呆れもせず、相変わらず表情を変えずに首を傾げてみせた。
「魔女さんが住んでいる世界って魔法とか魔物だけじゃなくて、精霊とか妖精もいるんですよね? 僕よく見てますよ」
「何言ってんのよ。こっちの世界には精霊も妖精も棲んでいないわよ?」
「あっ、ほらあの電柱の影にも妖精がいます」
少年の指差す方向、つまり電柱の影。首が千切れそうになっている全身血まみれの男が、ヘリオドールと少年を睨み付けながら浮かんでいた。ちなみに膝から下が透けている。
この世の生者への恨み妬みがしっかり凝縮された熱視線。それを目の当たりにしたヘリオドールは絶叫した。
「ぎゃああああああ幽霊!!」
「魔女さんの世界もこんな感じにファンタジーなんですよね」
「ファンタジーじゃなくてホラーだろうが!!」
実際、幽霊は精霊や妖精と大して変わりはない。向こうの世界でもよくいる。しかし、不意討ちで見せられると、流石に驚く。ただ、新人を勧誘しに来ただけなのに、こんな禍々しいものを目撃してしまうとは。見慣れている様子の少年に思わず声を荒げる。
とは言うものの、幽霊が見えるという事は少年はある程度魔力を持っているようだ。それなら別の世界で働いてみませんかなんて、電波な宣伝に食い付くのも分かる気がする。
あ、いや、分からない。他の人間のヘリオドールに対する反応を考えると、普通ではないこの子。
「あんたどうしてこの仕事したいって思ったの?」
「時給が普通より高いし、学生でも大丈夫って書いてあったので……」
「……………………へぇ」
もっと注目する所があっただろうに。とりあえず金が貰えるなら他は気にしないらしい。なりふり構っていられないように感じられる。ヘリオドールは少し少年が心配になってきた。スポーツドリンクを常備出来るくらいの余裕はあるようだが。
「どうしてそんなに金にこだわるの? 家計が苦しいの?」
「家に生活費を入れたいっていうのが一番ですけど、僕漫画が大好きなんです。名前にジョって付く主人公が奇妙な冒険をする漫画とか葛飾区にいる警官の漫画とか。それらを買い揃えるにはお金が必要で」
「あ、ああ、あの辺りって単行本たくさん出てるわね……」
この少年がジャンプ読者なのは理解出来た。なるほど、オタクは金を消費しやすい人種である。
「あと、先日まで働いていたコンビニが閉店してしまったんで」
「ふぅん。不況で?」
「僕がレジを打っていたら銃を持った男が十人くらい入ってきたんです。強盗です」
「ご、強盗!?」
軽いノリで話す内容ではない。
銃はヘリオドールのいる世界でも強力な武器とされている。魔力を使わずに遠くにいる敵へダメージを与えられるのだ。生身の人間が喰らったら一発でも致命傷となる。
そんな危険な道具を持った奴らが十人。ここは日本ではなかったのかとヘリオドールは確かめたくなった。
「あんたよく生きてたわね……」
「奇跡でした。レジの横にモップを立て掛けて置いたおかげで、それを武器にして彼らを倒す事が出来たんです」
「たお……!?」
「でも、その際店内が撃たれて穴だらけになってしまったんです。何とか犯人達を制圧した後、警察を呼んだんですけど、店長には避けられてしまって店を滅茶苦茶にされて相当怒っているようでした。店はもう営業出来ないからと閉店になってしまいました」
それ、怒ってるんじゃなくて怖がっていたんじゃ。ヘリオドールは店長に同情した。普通の少年だと思っていたら、モップ一本で銃を持った大勢の男を倒した恐るべき戦闘能力の持ち主だったのだ。犯人達よりよっぽど怖い。かくいうヘリオドールも自らの過ちという名の伝説を語る少年に恐怖を抱いていた。
「残念です……」
その時の事を思い出しているのか、少年はしょんぼりとしていた。無表情だったが、何となく落ち込んでいるようだった。きっと強盗に遭遇してしまった事による恐怖ではなく、コンビニが閉店した事に対する無念の気持ちを抱いているのだろう。
とんでもない化け物を連れてきてしまった。確かに所長に対抗出来そうな男は欲しいと考えていたが、あくまでも精神的な面での話である。誰もモップで銃に立ち向かっていく学生を捜していましたとは言っていない。
「魔女さん」
「は、はい!?」
「? あなたの方が年上なんですから敬語じゃなくていいですよ。それと今僕達はどこに行こうとしているんですか?」
ヘリオドールと少年は先程からずっと住宅街を歩き続けている。ファンタジーな要素などどこにも感じられなかった。疑問に思ったらしい少年に、ヘリオドールは先程より優しい声で答えた。
「で、出入り口に向かってるの。私達がいる世界とこの世界の境目」
ヘリオドールは完全に少年に萎縮しきっていた。アスガルドでは『黄金の淑女』と呼ばれる名の知れた魔女でも、魔法が使えないこちらではただの女だ。対して隣は死闘を潜り抜けた強豪。いつ逆鱗に触れて叩きのめされるか分からない。
ひょっとしたら草むらに連れて行かれて乱暴されるだなんて展開もあるかもしれないのだ。そこまで考えてヘリオドールは重大な事実に気付く。気付いてしまった。
(というか、あのスポドリだってこの子のだったじゃない! まだ封開いてなかったのを私一気飲みしちゃったわよ……)
今になってヘリオドールは自らの行動を悔いた。ずっと無表情でいるのはもしかしたら怒っているせいなのかもしれない。
向こうに着いたら飲み物だけでなく色々と奢らせていただこう。今月の財布がピンチなのは承知の上。出来るだけ彼を怒らせないようにして職場に連れていかなければならない。
「ほら、ここよ。境目があるのは」
ヘリオドールが足を止めたのは古びた洋館の前だった。ここの本来の主は数年前に別な場所に引っ越してしまっている。なので、ヘリオドールは密かにここに『扉』を作って二つの世界を行き来していた。
「ここ僕の家の近くです」
「そ、そう……それは良かったわね」
境目の扉は玄関のドアに擬態させてある。普通の人間なら絶対に開けられない仕組みになっているので、無闇に扉が開かれる事はない。ヘリオドールは懐から銀色に輝く鍵を取り出す。異世界を繋ぐ扉を開閉するためのそれは、国で認められた者しか持てない貴重な宝物だ。そのブレードの部分をノブに差し込む。
カチャ。施錠が解除される音が聞こえた。
「それじゃあ、開けるわよ」
「お願いします」
少年に丁寧に頭を下げられる。怖いんだかいい子なんだか分からないが、少し彼に対する恐怖が薄れた。今時のこちらの世界の学生はみんなこうなのかと疑問に思いながら、ヘリオドールはゆっくりと扉を開けた。