18.魔王のキス
住民課編ラスト。
「酔っ払って!」
「酷い事をしてしまい!」
「申し訳ありませんでした!!」
後に『酔っ払い事変』と呼ばれる事となる惨劇から一時間後、平和を取り戻した店内には深々と頭を下げる三人の男がいた。その目の前には彼らに絡まれていた母子。母親は口をぽかんと開けて固まっており、チョコレートパフェを食べていた途中の息子の方もやはり固まっていた。
そんな彼らを店側の人間と客達は固唾を飲んで見守っていた。
「あ、あの、もう大丈夫ですから私達。そんなに謝らなくても……」
「そういう訳にはいきません!! 俺らあのまま『あの人』が止めてくれなかったあんた達を……」
「いいよ、おじちゃん達」
「おじ……」
呆れた表情の息子の呼び名にまだ二十代前半の三人は地味にショックを受けていた。だが、そんな大人の事情など露知らず、息子はチョコレートシロップが混ざった生クリームを堪能しながら笑った。
「僕も母さんもすっげぇ怖い思いしたし、本当ならおじちゃん達をぶっ飛ばしてもいいと思うんだけど、そんな事をしたら『あの兄ちゃん』がおじちゃん達助けた意味無くなっちゃうからな!」
「坊主……ほんとに悪かった。ほんとに……」
「あーもー、泣くなよ! 泣いてんだったらその何とか職人になるの頑張れよ!」
「家具職人だよぉ、ちゃんと覚えとけ……!!」
号泣する図体のでかい男三人に母親は軽く引いていたが、憤りは感じていないようだった。大事にならなくて良かったと店員と店主は顔を見合わせて笑った。それを見ていた客が不思議そうな表情で尋ねる。
「な、ソウジって本当にこれ狙ってたのか?」
「さあな。多分狙っていなかったんじゃないか」
「はは……」
「相変わらず何を考えているか分からない奴だよ、あの少年は」
「ううん、やっぱり見付からないな。お前の連れ」
「気にしないでください。その内見付かると思うので」
「私が気にする。ソウジ、ヘル、待っていてくれ。今あの出店の主人に聞いてみる」
止める間もなく出店へ向かって行ってレイラにヘルは苦笑した。すっかり今日出会ったばかりの少年に首ったけだ。ヘルの隣で律儀にレイラの帰りを待つ本人はそれを知らないだろうが。
「…………………」
「ヘルさん? また具合が悪いんですか?」
「いえ、そうでなく……」
やはり、解明しておくべきだろう。先程の違和感を。
覚悟を決めてヘルは総司へゆっくりと口を開いた。
「……ソウジ様。あなたはレイラ様が魔王だと思っているのですか?」
「はい?」
「あなたはあの店でレイラ様と魔王について話していた時、『あなたを支持してくれる方々と連携を取って』と言っていました。それはつまり……」
「あれ、僕そんな事言ってたんですか。すみません、レイラさんを魔王さん扱いしてしまって」
ぺこり。頭を下げる総司にヘルは体中の緊張が一気に抜けていくのを感じた。この反応は一体何だ。
そう思ったのだが、次の一言で主に忠実なメイドは目を大きく見開く事になる。
「もし、レイラさんが魔王さんだったら魔族は平和になるだろうなって考えて喋っていたら、レイラさんが魔王さん本人に見えてしまったんです」
「……!」
「どうしてそんな事を思ったんですかね?」
首を傾げる総司にヘルは吹き出すように笑った。
「ソウジ様……もし、レイラ様が魔王だとしたら、何とか魔族と人間の争いを止めようとしているとしたら、あなたはレイラ様の味方でいてくれますか? 味方になる者があなたしかいないとしても」
「? 僕一人じゃなくてヘルさんもいるんじゃないですか?」
「……そうですね」
「すまない、ソウジ。やはり、お前の連れらしき者達はこの辺りは通らなかったようだ……どうした、ヘル。そんな嬉しそうな顔をして」
からかうような口調のレイラにヘルは「何でもありません」と首を横に振った。幸せそうに口元を緩ませて。
「レイラさん、ヘルさん、僕はこの辺りで待ってみます。その方がずっと探し回るよりも良さそうですから」
「そ、そうか。力になれなくてすまないな……」
「いえ。ジュースを奢ってくれてありがとうございます。あんなに美味しいものがあるなんて大発見でした」
あんなにグロテスクなものを美味しいと言ってのける人間がいるなんて、こちらこそ大発見である。とは、流石に言えずヘルは口を閉ざしたままだった。
そろそろこちらも転送魔法で帰る時間だ。ニーズヘッグの手掛かりは見付けられなかったが、また次がある。何故か楽観的な自身にヘルは苦笑した。
残念そうな表情を浮かべている主を促すと、彼女も本音を隠して頷いた。
「それではレイラさん、ヘルさんお気を付けて」
「はい。ソウジ様も……」
「……ソウジ!」
立ち去ろうとする総司の手をレイラは慌てて掴んだ。少し前もこんな引き止め方をしたな、とヘルは思った。
先程との違いと言えば、レイラの石榴色の瞳が切なげに揺れているという点か。
「レイラさん?」
「ソウジ……お前は18になるまで恋はしないと言っていたな?」
「はい。学業と仕事に専念した……」
レイラの両手が総司の襟首を掴み、自分の方へ引き寄せる。ヘルが心の中で絶叫しているのに構わず、レイラのふっくらと柔らかな唇は総司の頬に押し付けられていた。
「ソウジ、私はお前程いい男を見た事がない。お前が18になるのを待っていたら他の女性に取られてしまうかもしれない」
「レ、レ、レイラ様」
「お前と出会って私はすべき事が二つ出来た。一つは私が本来すべきであった事。そして、もう一つはお前を手に入れる事だ」
「僕をですか」
「お前の唇に触れるのはお前を手に入れてからにする。……さらばだ、ソウジ!」
レイラの掌から白い光が放たれ、彼女自身とヘルを包み込む。そして、光が止んだ後、二人の姿は総司の目の前から消えていた。転送魔法の輝きだった。
「……頑張ってください、レイラさん」
「……頑張ってくださいじゃないよ」
いなくなってしまった二人に手を振る総司の後ろから掴む手。振り返ってみれば、息切れをした黒髪に狐耳の青年が総司を睨み付けていた。
「君は! 迷子になったと思えば! 何とんでもない奴に迫られているのかなぁ!!」
「とんでもない奴とはレイラさんの事ですか? いい人でしたよ」
「この馬鹿! 力の強い魔族だと気付かなかったのか!?」
「魔族だったんですか、あの人」
今初めて知りましたと言うような口調の総司に、オボロは脱力しそうになる。自分が気付けてこの少年が気付かないはずがない、と思ったのは間違いだったらしい。
総司は先程レイラにキスされた部分を触れた、
「……この世界にもキスが挨拶代わりの地域があるんですね」
「はぁ? あれは明らかに恋愛のキスだったでしょ。君を手に入れるって言ってたし」
「あの人も何か大きな仕事を抱えているようでした。手に入れるというのは僕をヘッドハンティングするぞって意味だったと思います。第一、僕とあの人は今日初めて出会ったんですし」
一目惚れを信じる者達の心を地味に抉ってくる言葉だった。あの魔族の女はかなり本気だったというのに、彼女の想いは全く伝わっていなかった。
まあ、いいとオボロは溜め息をつく。総司を捜している間、魔族の強力な魔力を察知し、ヘリオドールとフィリアを途中で立ち寄った喫茶店に置いてきて別の意味で正解だった。修羅場を見るのはごめんだ。面倒臭い。
「……あの、さ。喫茶店で真っ昼間から酔っ払ってた馬鹿を改心させた話聞いたんだけど」
「??????」
「だんまりか。君らしいね。本当に何を考えているか分からない男だ」
何も答えない総司にオボロは肩を竦めた。平和な店に突如やって来た迷惑な酔っ払いの客。もし、これが小説や劇であれば客は主人公に叩きのめされてそれで終わり。なのに現実ではその後、真っ当な道へ戻してもらった。
この新人によって。
「やっぱり君は頭がおかしい。きっと僕よりも強いくせにその力を邪な事に使わず、どうでもいい奴を助けて……そんなんだから質の悪そうな女に目を付けられるんだ」
「いえ、レイラさんはいい人……」
「ヘリオドールだけじゃ君を制御する事は絶対に不可能だね。だから、ソウジ」
オボロはこの新人の事について知らない事が多すぎる。知らなくてはならないと思った。
今後の自分が彼に影響されるかもしれないと分かっていても。
「ヘリオドールから離れて住民課に来て欲しい。そして、君の生き方を教えて欲しい」
「僕の生き方ですか? 毎朝六時に起きて朝ごはんを食べて……」
「一日のサイクルじゃないよ! ああ、でもそれも知るべきか……!?」
「何で総司君、オボロ君からスカウトされてるの……!?」
オボロを追い掛けてきたヘリオドールは、イマイチ噛み合っていない二人の会話を聞きながら困惑していた。
あの店で暴れた酔っ払い三人組は再び家具職人の道を目指し始め、頑張っているらしい。役所に彼らの試作品である机が寄贈されたのはしばらく後の事である。
更に店にいた五名の客は、男達を容易く屈服させた総司に憧れを抱き、役所で働くようになった。その内の三人は住民課に入る事になり、テキパキと仕事を行う後輩に負けていられないと前からいた職員も覚醒して課全体の空気が変わった。
「ソウジ、ヘリオドールにいびられたら僕に報告しなよ。僕と君は親友だからね」
「ありがとうございます。多分大丈夫です」
「多分って付けないで総司君ッッ!!」
そして、総司にこちらの世界で初めて友達が出来た。
完全に総司に惚れてしまった魔王と、ぶっちゃけ友達が欲しかった住民課エース。
次回は小話で総司とフィリア、ニーズヘッグのその後の話になる予定です。