163.量より質
スルト山に灼熱の木以外の植物は育たない。灼熱の木から放たれる熱気に、通常の草木が耐えられないからである。
そのため、中に足を踏み入れても赤い葉ばかりが目立つ。足下を見ても、熱を失った灼熱の木の枯れ葉が地面を覆い隠しているだけだ。
「秋の紅葉みたいですね。綺麗です」
死の山に入ってからの総司の第一声は、何とも緊張感のない内容だった。
ヘルが総司の「綺麗」という発言に苦い表情を浮かべる。
「ソウジ様、人間の体では灼熱の木に触ったら発火して燃えてしまいます。綺麗とは呼べるものではありませんよ」
「綺麗な薔薇には刺があるってことですね」
「安心しろ、ソウジ。私の刺はお前を傷付けたりはしないぞ」
「ヒルダさんが守ってくれているんですよね。ありがとうございます」
さりげなく自分を薔薇扱いしているレイラの言葉をスルーし、総司は右手首に着けている灰色のブレスレットに声をかけた。
すると、応えるように仄かに発光し、ヒルダの声が聞こえた。
『もう少し結界を強めることもできるわ。暑いようだったら言ってね』
「今のところは大丈夫です」
人間である総司が灼熱の木の熱気にやられていないのは、ヒルダが結界を張っているおかげだ。総司とクォーツの周りにできた冷気を纏った青白い光の膜が、熱を遮断しているのである。
コンパクトなサイズになっているのは、レイラが魔法をかけたからだが。
人型にしてやれ、というクォーツの意見も出たが、「ヒルダさん美人さんになりそうです」と総司が言ったのをレイラが聞いたので取り下げられた。ライバルを増やしてはならない。
「ここがお父さんとお母さんが暮らしてた山……」
総司の頭に乗っていたニールは、物珍しそうに周囲を見渡していた。
自分たち以外に生物の気配はなく、風の音もしない。
かつて、山を守ろうとした黒竜と魔物によって行われた壮絶な戦いの痕跡は、どこにもない。
ニールが抱いた違和感は、レイラとヘルも持っていた。
「おかしい……魔物の気配がないぞ」
「入り込んだ者は殺して喰らう。そういった話のはずでしたが、これは……」
「……ヒルダお姉ちゃん?」
ニールが怪訝そうにヒルダを呼ぶ。ブレスレットから彼女の焦燥感めいたものを感じ取ったのだ。
『あの時と同じだわ……』
「どうしたんですか、ヒルダさん?」
『二十年前もこうだったの。何の前触れもなく、魔物が襲ってきた……全く気配を感じさせないで……』
「そうなんですか。あ、レイラさんこっちです」
ヒルダの言葉を適当に流して、総司がレイラの手を掴んで自分のほうへ引き寄せた。
緊迫した状況にも関わらず、レイラはときめいた。身を捩らせて照れる主に、ヘルの目が死んだ魚のように濁る。
「ソ、ソウジ! お前の気持ちは嬉しいが、せめて二人きりの時にこういうことはしてもらいたい。そうでなければ、さすがの私も……恥ずかしい!」
言い終えると同時に、レイラが先ほどまで自身が立っていた場所に雷を振り落とす。
迸る閃光。地面の中から巨大な角を生やした猪のような魔物が、悲鳴を上げながら這い出る。
とどめを刺すように、レイラが更にもう一撃雷を与えると、魔物は黒焦げになって絶命した。
「いつの間に……!」
一体いつからそこにいたのだろう。
レイラを守るのが自らの役目だというのに、何もできずにいた。ヘルは自分に対して怒りを覚えた。
だが、レイラも苦々しく顔を歪めている。土の中に魔物が潜んでいたと気付いたのは、総司に手を引かれてからだった。
「すまない、ソウジ。助かったぞ」
「何となくそこにいるかな? と思っただけなので……ついでに言うと、ヘルさんの後ろにでかい蟹がいます。美味しそうですね」
「え?」
ヘルが慌てて振り向くと、青黒い甲羅を持った蟹の魔物が鋏でヘルを捕らえようとしていた。
「ちっ」
蟹の前にクォーツが立ちはだかり、抜いた刀で鋏を弾き飛ばす。
ヘルは眉間に皺を寄せて怒鳴った。
「クォーツ王子! あなたはソウジ様とじっとしててください!」
「貴様を助けてやったというのに、何だその言い草は!」
「頼んでいません!」
「斎藤君、すごい言われようですね」
人間の馬鹿王子に助けられてしまった。更に自己嫌悪を深めながらも、ヘルは素早く風の刃を無数に発生させて放った。蟹の鋏は切断され、甲羅が砕かれて中身を容赦なく切り刻まれる。
気配が読めなくても、こちらが先に動けば十分に対処はできる。
しかし、魔族の中でも特に優れているはずのレイラとヘルが直前まで、魔物の気配を感知できないはずはなかった。
奇襲は意味がないと判断したのか、四方から大量の魔物が一斉に現れ、こちらへ向かってくる。
「こ、こんなにたくさんいるぅ! ヒルダお姉ちゃん、これっ……!」
『二十年前にスルト山に来た奴らの残党よ。なるほど、こいつらが山に入った人間を殺していたのね……』
「そうか。……だが、今回は相手が悪かったな」
レイラの右手から冷気の風が吹き荒れると、風に触れた魔物たちは一瞬で氷漬けとなり、氷が砕けると共に体も破壊された。
左手からは黒い炎が放たれ、灼熱の木の熱気をものともしなかった化物の集団を、いとも簡単に焼き尽くす。
レイラを恐れ、逃げ去ろうとする魔物たちだったが、彼らの前には一人のメイドが立ち塞がった。
「ここで殺しておかなければ面倒なことになりそうですから……消えてもらいますよ、お前らには」
ヘルからどす黒い煙が立ち込め、それらは意思を持ったかのように、魔物たちへと纏わりつく。
どろり、と。魔物は次々に蝋人形の如く溶けて消滅した。
レイラとヘル。たった二人の魔族によって、魔物の大群が削られていく。
ヒルダの結界の中で黙って傍観していたクォーツが掠れた声を上げる。
「うわぁ……」
「かっこいいですね、二人とも」
「魔王とニヴルヘイムの女王の力がこれほどとは……しかし、何故二人は魔物が接近していたことに気付かなかった……?」
「魔族から感知されにくい魔物を作ったからに決まってんでしょ」
「……ん?」
クォーツは真顔になって総司を見た。今の声は明らかに親友のものだ。親友のものだが、口調は総司とは異なっていた。
総司はじっとクォーツを見ている。
いつもの無表情で、覇気のない目のはず、なのだが。
「貴様、誰だ?」
「……はい? 僕、今何かしましたか?」
首を傾げるのは、いつもの総司だった。
だが、先ほどの総司は、まるで人格が変わったようにも思えた。
それだけではない。何者かにもたらされた情報に、クォーツは混乱した。
(作られた……? それはまさか……)
クォーツはそこで考えるのをやめ、突然走り出した。ニールの「あまり離れちゃうと結界が消えちゃうよ!」という言葉も聞かずに。
そして、レイラもあることに気付き、顔色を変えた。
「ヘル! 上だ!」
数メートルにも及ぶ赤い鳥の羽を持ち、蛇のような胴体の奇怪な出で立ちの魔物が、上空からヘルに向かって大量の羽根の矢を落とす。
レイラもヘルも攻撃に回っていたため、羽根を薙ぎ払う暇がなかった。
ここは諦めて受け止めるしかない。攻撃も防御も諦めたヘルを何者かが抱き抱えた。
クォーツだった。
「…………!」
直撃はしないものの、クォーツの手足や背中を羽根の矢がかすり、血が吹き出す。
ヘルは急いで土で鋭い刺を作ると、それを空に放った。
刺は赤い翼の魔物の頭部を貫き、巨体が力を失って地上に落下する。
「王子! あなた……!」
「お願いだから、セクハラと言うのはやめて! 今のは貴様を助けるためにだな」
「私は魔族ですから、ちょっとやそっとでは死にません! そして、あなたは人間で王族! どっちがどっちを守るかなんて分かりきっているでしょう!」
「……? 貴様が魔族で俺が王族だからと言って、それは俺が貴様を守らない理由にはならないだろう。何を言っているのだ、貴様は……」
手の甲にできた傷を舐め取りながら言うクォーツに、ヘルの動きが一時停止する。
その様子にクォーツが慌てたように声をかける。
「どうした? どこか怪我をして……」
「斎藤君や、頭下げてくださいね」
「は……うおっ!」
突然、総司が白いモップを槍投げのようにクォーツめがけて投げてきたので、クォーツはしゃがみこんだ。
結果、その後ろにいた魔物の顔面に命中して、魔物は低い呻き声を漏らしながら倒れた。
「大丈夫ですか、お二人とも」
「大丈夫って聞くわりには今の攻撃って俺にとっても危険じゃなかったか?」
「君を利用すれば、どんなに強い敵でも倒せるっていうジンクスが僕の中にありまして……ヘルさん?」
ヘルがクォーツからものすごいスピードで離れて、総司の背中に張り付いた。
「ソウジ様、今私はクォーツ王子を見たくはありません」
「違う! 俺は貴様にセクハラするつもりでは……!」
総司はヘルの顔を覗き込むと、「ああ……」と一人納得するように頷いた。