162.ニールの気持ち
どうして物事とは、こうおかしな方向へ傾くのだろうか。
ヘルは現在の状況に、軽い頭痛を覚えていた。
「ソウジが行くというなら、私も行くぞ。いくらお前でもスルト山に一人で入るのは危険だ」
「危なくなったらすぐに戻ってきますから、その必要は……」
「俺も行くぞ、藤原。貴様がこっちの世界で死ぬようなことがあったら、俺は貴様のご両親にどう説明すればいいのだ」
「だから危なくなったら逃げ……」
「「絶対に危険な目に遭っても、危険と思わなさそうで怖い!!」」
レイラとクォーツの叫びが見事にシンクロする。鬼気迫る形相で指摘する二人に、総司も一、二歩後退りをした。
そんなに心配なら、まず総司を山に入らせないところから始めたらどうだろう。そんなヘルの提案は、「こいつは案外頑固だからな。それは無理な話だ」とクォーツに却下された。その言葉、発言者にも当てはまる。
「しかし、お前にスルト山に入るようにと指示した者は一体誰だ。ソウジをそんな目に遭わせようとするなど、一体どんな極悪人なのか……顔が見ていたい」
「レイラ様は顔を見るだけで済まさないでしょうが」
「当たり前だ。ソウジに何かあったら、義父と義母に何と侘びればいいか……私には伴侶として一生寄り添うことぐらいしかできないぞ」
「うおぁ……」
大真面目に頭がおかしいことを言い出したレイラに、クォーツが明らかに距離を取った。流石に、今のはヘルでも擁護できなかったので、沈黙を貫いた。
遠回りにプロポーズをされた総司は特に気にするわけでもなく、片耳に手を当てて固まっている。
「どうしたの、ソウジお兄ちゃん」
「うーん……私の名前は出すなって言われたので、レイラさんの質問にはちょっと答えられそうにありません」
「言われたとは……どこで? いつですか?」
「今、僕の頭の中でです。前は聞こえなかったんですけどね」
「んん? 藤原、貴様大丈夫か?」
感情が読めなかったり、不思議なところはあると思っていたが、こんな電波発言を堂々とするのは初めてだ。クォーツは親友の顔を訝しげに覗き込もうとし、自分より先に同じ行動に出たレイラに突き飛ばされた。
「あ、すまない、クォーツ」
「いや……」
「ソウジのことしか見えず、お前の存在に全く気付かなかった」
「眼中にすらないんかい!」
憤るクォーツを放っておいて、レイラは総司の顔をまじまじと見詰めた。
「……良からぬモノが憑いているようには見えないが」
「むしろ、レイラ様が良からぬモノの代表格じゃないですか」
「ソウジ、この私にもお前と会話をしている者の名を教えてくれないのか? な、何でもするぞ」
「何故、そこで照れる。生々しく聞こえるではないか」
「駄目です。レイラ様は何でもされることに何か期待してますよ……」
ガヤがうるさい中、レイラが照れ臭そうに総司を窺う。
が、総司はやはり首を横に振るのだった。
「言わないでって言われたから、やっぱり駄目です」
「ちっ……」
「おい、あの舌打ちはどっちの意味だ。質問に答えなかったことに対してか? 何もしてくれなかったことに対してか?」
「何言ってるんですか。レイラ様のことだから、両方に対してに決まってるでしょう」
ガヤが好き勝手に言っている。
「ねえねえ、ソウジお兄ちゃんだけじゃなくて皆もスルト山に行くの?」
いい加減、このやり取りに飽きたらしい。ニールがそう聞いてきた。
「私もクォーツもスルト山に入る予定ではいた。仕方ない、ソウジもクォーツも私が守ろう」
「おお、レイラさん太っ腹」
「暢気すぎるぞ、藤原……」
まるで他人事のように拍手している親友に、クォーツは脱力した。
そんな彼の肩を背後から叩く者がいた。面倒臭そうに顔をしかめるヘルだ。
「私も同行させてもらいます」
ヘルはため息混じりにそう告げた。その視線の先にはレイラがいる。
「レイラ様の負担を減らすためです。クォーツ王子、あなたの護衛は引き続き私が行います」
「ヒィアアアア」
「嫌だ」という代わりに妙な鳴き声を上げて、クォーツが抗議する。また虐められると思っているようだ。
ヘルだって、こんな奴のお守りは嫌だと思っている。しかし、主のため、主のためと言い聞かせて押し黙る。
この二人、一緒にすべきではない。そう直感したレイラは、部下に気遣うように言った。
「ヘル、私は守る者が一人でも二人でも構わな……」
「じゃあ、皆で山に入りましょうか」
総司がレイラの言葉を遮った。
「皆で山登りは楽しいですよ」
「藤原、今の時点でもう取り返しの付かない雰囲気になってる……」
「山に入れば何とかなりますよ」
「あなたの山に対する信頼はどこからきてるんですか!?」
山にだってできることと、できないことがある。
きっとろくでもないことが起こる。ヘルとクォーツはそう確信していた。
「そうだな。山登りをすれば、お前たちの仲も少しはよくなるかもしれない」
「レイラ様、山登りをしたぐらいで関係が良好になるなら、戦争なんて起きませんよ。皆、喧嘩をしたら山に行けばいいんですから……」
レイラの心は純粋な成分でできている。総司が言ったから、ではなく、わりと本気で自分でもそうだと思っている節がある。
『ソウジ君だったかしら? よくニールがスルト山に入るのを止めなかったわね』
ヒルダが総司に声をかける。彼らの視線は、クォーツに羽を触られて擽ったそうにしているニールがいた。
尋ねられた総司は目を丸くする。
「僕はニール君を止めた方がよかったでしょうか?」
逆に聞き返され、ヒルダはすぐに答えなかった代わりに首を横に振った。
『そんなことはないわ。でもね、それであなたはいいの?』
「と、言いますと」
『もし、焔神がまだスルト山に残っていたとしたら、私はニールには焔神の守護者になってもらいたいと思っている。……それがどういう意味か、あなたにも分かるはずよ』
「……そうだぞ、ソウジ」
「レイラさん」
いつの間にか、総司の後ろに立っていたレイラは、どこか案じるような表情だった。
「お前は先ほど、『これで終わりかもしれない』と言っていたな。あの言葉がどういう意味か、私なりに考えてみた。……お前はあの子竜とは、もう会えなくなると思っているのではないか?」
ニールは総司によく懐いていて、総司もニールをよく可愛がっていることは、この短い時間の中で窺えた。
もし、ニールが焔神の守護者となってしまえば、これまでのように総司と過ごすことはできなくなる。ニールはまだ、そのことに気付けずにいるようだが、総司は薄々そんな予感がしているのではないか。レイラはそんな気がしていた。
ヒルダも同じことを言おうとした。だが、二人の仲を引き裂くようなことを言っておきながら、その口で「ニールと二度と会えなくなるかもしれないけど、それでもいいの?」とは聞く勇気はなかった。
「うーん」
総司は上を向いたり下を向いたりを数回繰り返したあと、ようやく口を開いた。
「僕はニール君がスルト山に残っても残らなくても、どちらでも構いませんよ」
『あの子と別れることになっても?』
「こういうことは、ニール君の気持ちが一番大事だと思います」
総司の言葉は決して強がりには聞こえなかった。
ニールの意思を尊重してあげたい。心からそんな風に考えているのだ。
「ニール君が山に残るって決めたとしても、僕が我慢すればいいだけの話ですし」
「ソウジ……」
総司がここでニールと離れたくないと、はっきり言ってくれたなら、レイラはニールを何が何でも山に入らせなかった。たとえ、ヒルダが反対したとしても。
優しくて、強い男だ。レイラは改めてそう思った。