153.夢の出口
「うう……寒い……」
ヘリオドールは奥歯をカチカチ鳴らしながら、薄暗い洞窟の中を歩いていた。空高く投げ飛ばされたはずのヘリオドールの体だったが、地面に叩き付けられた時に予想していた痛みと衝撃はなかった。ベッドから寝惚けて落ちた時と同じくらいのダメージで済んだのである。
これも夢のおかげかしら、と思いながら立ち上がると、目の前には洞窟の入口があった。ぽっかりと大きく開けて闇へ誘おうとする洞口に不思議とヘリオドールの足は吸い寄せられ、気が付けば中へ入っていた。
内部は完全な闇ではなかった。多少は整備されているのか、所々にランタンが設置されており、炎色の光が岩でできた空間を仄かに照らしていた。
だが、何故かとんでもなく寒い。まるで真冬の海の近くにでもいるような感覚だ。吐く息は白くなるわ、鼻水は出そうになるわ。洞窟の中に入る前までは暖かったのに、中に入った途端にまるで別世界にやってきたかのような冷気が全身に纏わりついてきた。
「駄目……これ、凍死しそう……」
夢の中で凍え死んでしまうとは情けない。ずっと鼻水を啜りながら果ての見えない内部を歩き続けていると、前方に誰かが立っているのが見えた。
黒い髪とブレザー姿。間違いない。総司だ。色んな意味で安心しながらヘリオドールは総司へ駆け寄った。
「総司君! ……って」
呼んでからヘリオドールは不安になった。もしかしたら、向こうはヘリオドールのことを分からないのではと。今の総司はどちらなのだろう。
思わず立ち止まるヘリオドールに、総司は小首を傾げた。
「どうしたんですか、ヘリオドールさん?」
「………………!」
「……ヘリオドールさん?」
名前を呼ばれただけで目を輝かせる上司に、もう一度総司が心配そうに名前を呼ぶ。その声に我に返り、ヘリオドールは「ごほん」とわざとらしく咳払いをした。
「あ、あんたねぇ。なんでこんなところにいるのよ!」
「どうしてと言われましても……人と会ってました」
「人?」
こんなびっくりするぐらい寒い場所で?
ヘリオドールは周りを見回すが、他に人がいる気配はない。
「それにさっきまではもっと綺麗な場所だったんです。お花畑に囲まれた棺の中に人がいて……」
「はいはい。あとで聞くから。とりあえずここから出ましょうよ。寒くて死にそう……」
「どうやって出ましょうか」
「どうやってって……私が今来た道を引き返せばいいだけ……うっ」
ヘリオドールは思わず呻いた。振り向いて自分が歩いてきた道を確認しようとすれば、そこにはいくつもの分かれ道が広がっていた。
勿論、どこから来たかなんて覚えていない。
「ここ総司君の夢なんだから、どれが出口か分からないの?」
「すみません」
「私も分からないから謝らなくてもいいけど……」
「救助が来るまでここで待ちましょう」
「いや、待ってるうちに私氷漬けになる自信あるわよ」
それにもう頼りのバイト君はいない。
待っていても駄目なら動くしかない。ヘリオドールは大きく深呼吸して無数の分かれ道たちを強く睨み付けた。
もう離れてしまわないように、総司の手を握って。
「行くわよ、総司君!」
「はい。右から三番目の道ですね」
「そうね。……って、へ?」
さっき分からないと言っていたような。間抜けな声を上げつつ、右から三番目の道を見てみる。
すると、一定距離ごとに光る何かが落ちていた。
ヘリオドールがそれを拾おうと総司から手を離すと、それらは全て消えてしまった。
「えっ、えっ?」
「……ヘリオドールさん、失礼します」
「わひゃっ」
今度は総司からヘリオドールの手を握った。思わず奇声を発したヘリオドールだったが、光る物体は再び姿を現した。
「どうやら僕とヘリオドールさんが手を繋いでる時だけ出てくるみたいですね」
「何それ……あれが出口に続いてるってことなの?」
「とりあえず辿ってみましょう」
「そうね……」
若干どころか、かなり不安ではあるが、一縷の望みを賭ける価値はあるかもしれない。ヘリオドールは総司とともに発光体を辿ることにした。
二人が通過すると発光体はかしゃんっ、と硝子が割れるような音を立てて消えてしまう。魔法で作り出した光の球にも見えるが、魔力が感じられない。
かと言って、ウトガルドにもこんなアイテムは存在しないはずだ。
ヘリオドールは繋いだ手を見下ろした。総司の掌から伝わる温い体温。
聞いていいのか少し悩んでから、勇気を出して口を開く。
「総司君……何か思い出せたこと、あった?」
「……僕、ヘリオドールさんに子供の頃の記憶がないってお話しましたっけ」
「わ、私は総司君の上司なんだから何でも分かるの!」
自慢げに言いながらヘリオドールは内心で思った。嘘つき、と。
「……でも、あんたがどうしても困ってる時は私に相談してね。私じゃなくて、ジークとかリリスとか……うちの職場には頼りになるのがたくさんいるんだから」
「あの人も別れる時にそう言ってました。『あなたには信頼できる者がたくさんいる』って」
「あの人って……ここであんたと会ってたって人?」
「はい」
総司は一呼吸置いてから、その名前を声に出した。
「レーヴァテインって女の子でした」
「……聞き覚えのない名前ね」
ひょっとしたら総司が以前アスガルドにやって来た際に、出会った人物なのかもしれない。
「それで、その人は僕に色んなことを教えてくれて……」
「あ、総司君! 出口よ!」
総司の言葉を遮り、ヘリオドールが興奮気味に叫ぶ。二人の前方に光を放つ穴がある。
しかも、先ほどよりも冷気も薄れて、暖かな風が穴から吹いてきている。
ラストスパートだとヘリオドールは一気に駆けた。
そして。
「はーい、お疲れ様。ヘリオちゃん」
ニコニコと微笑むリリスを見て、ヘリオドールはようやく現実の世界に戻ってきたことを知った。洞窟の中でも外でもない。役所の仮眠室である。
「ただい……ま」
「おかえりなさい。夢の世界はどうだった?」
「どうって聞かれても……総司君は?」
「まだ寝てるわ。でも、もうじき薬が切れる頃だし起きるの思うの」
ベッドの上では静かに総司が眠り続けている。あんな幼い寝顔でカオスな夢を見ているのだから、恐ろしいものである。
(そういえば、総司君何か言いかけていたような……)
彼が目を覚ましたら聞いてみよう。そう思っていると、仮眠室の扉が荒々しく開かれた。
入ってきた切羽詰まった表情のオボロだった。
「ヘリオドール! 所長がヤバイんだけど!!」
「ヤバいって所長の毛髪の生存率?」
「違う違う! なんか分かんないけど所長の足が触手になったんだって!!」
「そりゃヤバいわ!!」
何で悪夢を見ているだけで、そんな影響が起きるのだ。大変なことになりそうだとヘリオドールとオボロは慌てて、リリスは鼻歌を歌いながら仮眠室から出ていく。
一人で残された総司の瞼がゆっくりと開かれたのは、それから二分後だった。
「所長……たこ焼き……」
そんな意味深な呟きは誰にも聞かれることはなかった。
その深紅に染まった葉の温度は百度を超えるとされ、外敵に攻撃されると葉が自然発火を起こして焼き殺すとされる灼熱の木。それらが多く聳え立つ燃えるように赤い山がある。
スルト山。かつては炎熱の山と呼ばれていたが、今は死の山として畏れられている場所だ。
高名な冒険者ですら近寄ろうとはしないその山を一人の少年は見上げていた。
「ここが……死の山……」
山の側にいるだけでも伝わる熱気にクォーツは顔をしかめる。
ここに一体何があるのか確かめなくてはならない。腰に差した愛刀の柄を撫でながら、山へと足を一歩踏み出そうとする。
「立ち去れ、人間よ」
その冷淡な声はクォーツの耳元で聞こえた。
今章終わり。
次章は「魔王と死の山」です。