149.鏡よ、鏡
まるで照明のスイッチをオンからオフに切り替えたかのように、世界は一瞬にして闇と化した。
だが、しかし。予想もしていなかった恐怖を幾度も体験してきたヘリオドールには、もはや恐れるものは何もなかった。
次は白雪姫か、人魚姫か。ここまで童話で攻めてきたのだから、次もそれをモチーフにした世界に違いない。いつまでも続く闇の中を漂いながら、そんなことを考えていた。
「総司くーん、バイトくーん、どこにいるのー? おーい」
どこにいるかも分からない二人に向かって呼びかける。総司はまたいなくなっていそうな気がするが、いざというときの戦闘要員であるバイト君がいないのが心許ない。
せめてバイト君とだけでも合流はしておきたい。そう思いながら、もう一度叫ぼうとした時だった。
カチッとスイッチを入れるような音がしてあと、目の前に広がる黒が緑に変化した。
「!」
同時に浮遊感が消えて足が地面についた。
見回すと、ここはどこかの森のようで青々とした木が生い茂っていた。豊かな森のようで、あちこちから鳥の鳴き声が聞こえてくる。
木の葉の隙間からは木漏れ日が差し込み、鬱蒼とした森の中に小さな光をもたらしていた。
どこだろう。そう考えるより先に「なんて居心地のいい場所なんだろう」と思ってしまっていた。
人の気配はなく、穏やかな空気が流れている。ヘリオドールは周囲を見回しながら、ゆっくりと歩き始めた。
どのくらい歩いたのか。結構な時間が経っていた気がするが、疲れは不思議と一切感じなかった。
「でも、総司君もバイト君も見付からな……」
「良かったらこれあげる。食べてみて」
柔らかな少女の声がした方向に目を向けてみる。
そこには謎の光景が広がっていた。
白銀の鎧を着込んだ黒髪の少女が、林檎のような形の果実をバイト君に渡していたのだ。やっと見付けた! とヘリオドールは声をかけようとして止める。
少女からもらった果実を無言で見下ろしている子供は見た目こそはバイト君なのだが、微妙に雰囲気が違う。
(んん?)
困惑するヘリオドールのことなど露知らず、少女は子供の頭を優しく撫でていた。
「ねえ、あなたも一緒にくる?」
「待て。こんな子供を連れて行ってどうするつもりだ?」
少女の言葉に苦言を呈したのは、彼女の後ろに立っていた黒髪の少年だった。彼を見てヘリオドールは仰天する。
瞳が菫色であったり、雰囲気も随分と異なるものの、総司とよく似ていたからだ。
(ん!? どれが総司君で、どれがバイト君?)
ヘリオドールは動揺を隠せず、何度も瞬きをする。
「近くの村に送ってあげないと。こんな場所で一人にしておくなんて……」
「……分かった。ほら、来い」
少年が手を差し伸べると、子供はその手と少年を何度も交互に見てからそっと握った。
歩き出す三人。ヘリオドールは彼らの後ろ姿をぼんやり眺めていた。
「これも総司君が作り出してるヘンテコワールドってこと……?」
「違います」
「うぎゃあっ!」
背後から突然、棒のようなものでつつかれて振り向くとモップを持ったバイト君が立っていた。うん、これは本物だ。ヘリオドールはそう判断した。
「違うってどういうこと?」
「藤原君の記憶そのままの光景ということになります」
「ということは総司君は、昔あの二人に出会ったってこと……」
白銀の鎧を着た少女と、菫色の瞳の少年なんてウトガルドで出会う機会はまずあるまい。そうすると、すぐに思い付く可能性は一つ。
これは総司がアスガルドにやって来た時の記憶だ。
あの少女と少年はアスガルドの人間なのだろうか。
「追いかけてみる?」
「今はいいです」
バイト君は首を横に振った。
「あの二人はただ藤原君をこの森の近くにある村に送ってあげただけです。だから見に行かなくてもいいです」
「…………………」
「魔女さん?」
「あんたにしてはやけに消極的だなって思っただけ」
ヘリオドールがそう指摘すると、バイト君はそっと視線を逸らす。
もしかしたら、この子は総司が忘れている記憶をしっかり覚えているのでは。そんな疑念がヘリオドールの中に浮上する。
「……今は大きな方の藤原君を捜しましょう。あそこに分かりやすい建築物がありますよ」
そう言いながら総司が指差す先。遠くに巨大な城が見えた。
あの魔王めいた女王が住んでいた城とはまた違った造りをしている。
眠り姫、白雪姫あたりがくるのかも。ヘリオドールはこの二つに予想を絞って城を目指した。
やはり、この森には不思議な作用が働いているのかも、とヘリオドールは思いながら辿り着いた城を見上げた。
あんなにたくさん歩いたのに、疲労を感じずにいる。赤ずきんの世界で歩き回っていた時はあんなに体力を消耗していたというのに。
「で? やっぱり入るの?」
「入ってみないと藤原君を捜す手がかりが見付かりませんから」
「…………………」
城の入口に立つ門番の背中からは蜻蛉の羽が生えていた。彼らはヘリオドールたちが見えていないのか、目の前に立ってみても微動だにしない。
実験と称して、バイト君がモップで殴り付けると煙のように消えてしまったが。
「いやいやいや! 何であんた殴ったの!?」
「ちゃんと手応えはありました」
「それが何!?」
不必要な犠牲を出してしまったことに変わりはない。心の中で合掌してヘリオドールは城へと潜入した。
シンデレラの時とは違い、今回は兵や召使などと相次いですれ違う形となったが、誰も明らかに部外者であるヘリオドールたちに気付く様子はなかった。
そして、彼らの中には蜻蛉の羽と、頭部からは二本の触角を生やした者がちらほらといた。
エルフより上位とされる種族ハイエルフの証だ。
ヘリオドールの背中に冷たい汗が流れる。総司には一人ハイエルフの知り合いがいるのだ。
「ま、まさか、あの子まで出てくるの……?」
「あの子とは?」
「で、でも、彼女にはちゃんとしたお相手がいるのであって」
「魔女さん、戻ってきてください」
自分の世界に入り込んでしまったヘリオドールに、バイト君が帰還を要請する。
だって、とヘリオドールは真っ青な表情で語る。
「総司君にすごい懐いてるじゃない……噂によると、エリクシア祭でのレースの時にも、やたらとくっついてたらしいし。恋愛感情がないからって何してもいいってわけじゃないのよ……」
「魔女さんがダークサイドに落ちかけている」
鬱々としていくヘリオドールに、バイト君の冷めた視線が突き刺さる。
だが、今回は本当にまずい。れっきとした交際相手がいる美少女とのフラグは何がなんでも叩き折らなければ。
そんな熱意に燃えるヘリオドールは、どこからか強い魔力を感じた。
「あの部屋……から……?」
うっすらと扉が開かれた部屋から魔力の気配はする。ヘリオドールは扉の隙間から中を覗き見て盛大に後悔する。
「鏡よ、鏡。世界で一番可愛いのは誰?」
『勿論、ティターニア姫様でございます』
「きゃっ、嬉しいですわ~~~~~」
金髪に青い瞳のハイエルフ、フレイヤ国の姫君であるティターニアの姿がそこにあった。
喋る鏡に質問をしては悦に浸っている模様である。
「ひ、姫様……」
「白雪姫のお母さんみたいですね。鏡に聞いてるなんて……」
「じゃあ、姫様が総司君の母親役ってことかしら。だったら、王子役は……」
訝しむヘリオドールをよそに、ティターニアは次の質問に入っていた。
「鏡よ、鏡。では、世界で一番強いのは誰?」
『ティターニア姫様でございます』
「そこはソウジお父様と言うところですわぁっ!!」
『ギャアッ!!』
ティターニアの目が獲物を狩る肉食獣になった刹那、少女の正拳突きが鏡を叩き込まれた。断末魔とともに鏡が無惨にも砕け散る。
「ああっ、やっちまいましたわ!!」
焦るティターニア。ヘリオドールは息を呑んで、一部始終を見ていた。
(この世界……ヤバすぎる!!)
白雪姫、完ッ!
うそです