148.逃走劇
ヘリオドールは眼前に聳え立つ城を見て、「あれっ」と首を傾げた。特に外装は変わっていないのだが、やけに禍々しく感じるのだ。なんかこう……負のオーラを纏っているようなそんな感じだ。
「やだ。私、ここもう一度入るの絶対嫌なんだけど……」
「もしかしたら女王様は藤原君が三次元より二次元を優先したことを悲しんでいるのかもしれません」
「もう、それ悲しいなんて言葉じゃ片付けられないけどね」
まあ、女王は総司がまさか舞踏会を拒否った理由が、アニメ鑑賞のためとは思っていないだろう。今も総司が南瓜売りのトラックできたのも、友人に忘れ物を届けるためである。
総司は門の前に立つ見張りの兵に声をかけた。
「すみません、ちょっと友人が携帯を忘れてしまったので届けにきたんですけど……」
「ん? 何だ、だったら城に入って渡してこい。お前のような死んだ目のガキが女王の好みらしいからな」
「……僕も入らなきゃいけないんでしょうか」
「俺たちじゃ、お前の友人がどいつかなんて分からないからな。それが一番早い……」
「だったらいいです。このまま帰りますね」
「お……おいぃぃぃぃぃ!?」
本当に踵を返して帰ろうとする総司に、兵が慌てて腕を掴む。
「ここまできたなら入れよ!!」
「だって、これ以上時間がかかるようだと帰る時間も含めたら、アニメの放送に間に合わなくなりそうで……」
「お前の友人携帯なかったら困るんじゃね!? 友人とアニメどっちが大事なんだよ!?」
「アニメ観たいです」
ぶれない。総司の中にあった友情という二文字は木っ端微塵となっていた。
夢の中でぐらい優しくしたれよ……とヘリオドールが苦笑いを浮かべていたときだ。
「ソウジィィィィィィィ!!」
夜空を背景にして聳え立つ城の中から聞こえる総司を呼ぶ声。ハッとヘリオドールが見上げれば、最上階の窓から誰かがこちらを覗き込んでいた。
絶対女王だ。ヘリオドールはそう確信した。
「ソウジ……ああ、私のソウジ!」
「うげっ!?」
その人物はなんと窓から飛び降りた。赤い髪と黒いドレス。やはり、女王である。
このあと起こる悲劇を予想してヘリオドールが素早く動いた。口をポカンと開けたまま空から飛来する女王を眺めていた総司の手を掴み、走り出す。
まさかの邪魔者に女王が地面に着地すると同時に怒号を上げた。
「魔女め、私とソウジの再会を邪魔するな!!」
「だって、あんた何か変なの持ってんだもん!!」
ヘリオドールの言う通り、女王の手にはハートの形をしたピンク色の枕があった。ヘリオドールの指摘に、女王は眉を吊り上げて自慢気に語る。
「これはソウジの枕だ! ちなみに私の枕はもう少し赤っぽいぞ!」
「枕の色なんてめちゃくちゃどうでもいいんだけど!?」
「ピンク色の髪をした女の人にお聞きしたいんですけど、僕はどうしてあの赤い人に命を狙われているんでしょうか……?」
後ろを振り返りながら総司が尋ねる。意味は違うものの、危機が迫っていることは感じているようだ。
「あんたは今の会話からどうやって自分の命が狙われてるって判断したの!?」
「いえ、どこからかカチカチ……って時計の針みたいな音がするじゃないですか。もしや、あの枕の中には時限爆弾が入っていて、それで僕を……」
「あんた想像力膨らませすぎだから! ……でも、確かに聞こえるわね」
カチ……カチ……と小さく聞こえる音にヘリオドールも気付き、後ろを振り向いた。女王というより魔王のような形相の美女が持つ枕に、どうしても視線がいく。
まさか、総司のつれない態度に業を煮やし、強引な形でもいいから結ばれようと心中を……。ヘリオドールも丸々と肥え太った想像力でそんな恐ろしいことを考える。
そんな彼らを正気に戻させたのは、バイト君であった。その手にはカチカチ音を発する目覚まし時計。
「僕が持っている目覚まし時計から音がします」
「あんたかい!!」
「魔女さん、どうやらこの世界は十二時までに藤原君を連れて脱出しないといけないみたいです」
「えっ!?」
時計が示している時刻は現在十一時五十分。タイムリミットまであと十分しかない。
「十二時までに出られないとどうなるの……?」
「藤原君があの女王様と結婚させられるみたいです」
「行くわよ、総司君!!」
「わぁー」
ヘリオドールの走行速度が格段にアップした。
だが、女王も負けてはいない。美しい赤髪を靡かせ、ドレスをはためかせて猛スピードで追いかけてくる。
このままでは追い付かれるのも時間の問題である。
「バイト君、そもそもどうやってここから出ればいいの!?」
「それは僕にも……」
「ええええええ!? 時間もないし、怖いのも追いかけてくるし、どうしたら……あっ!」
処理しなければならない事案が多すぎる。半泣きになっていたヘリオドールだが、前方にある乗り物に気付くと一筋の希望を見出だした。
ヘリオドールとバイト君が城に行くために利用した南瓜タクシーが、停まっていたのである。客はおろか、運転手も乗っていないが、もうこれしかないとヘリオドールは運転席のドアを開いた。
「総司君! バイト君! 助手席に乗って!!」
「魔女さんが運転するんですか?」
「大丈夫! こないだウトガルドで運転免許証取ったから!!」
仮免で十回落ちたが。
エンジンには鍵が刺さったままだ。夢の中と言えども無用心すぎるものの、ヘリオドールにとって都合がいいことに代わりはない。
現在十一時五十五分。せめて、あの女王を撒かなくては。ヘリオドールはエンジンをかけると、アクセル全開でタクシーを発進させた。
「ウオッリャァァァァァァ!!」
「わー」
「わー」
レーサーの目になったヘリオドールの雄叫びが決して広くはない車内に響く。
後部座席では総司とバイト君ががくんがくんと体を揺らしていた。シートベルトがなかったら、そこら中にぶつかっていたかもしれない。
「どうかしら!? こんだけぶっ飛ばせば追いかけて来れないでしょ!」
ヘリオドールは得意気に笑いながら、バックミラーを覗き見た。予想通りそこには女王の姿はない。
あとは出口とやらを探すだけだ。ひとまず去った最大の危機にヘリオドールが安堵のため息を漏らした直後だった。
突如、ボンネットに黒い物体が落ちてきた。
「ソウジを返せぇぇぇぇぇぇ!!」
「ギャアアアアアアア!!」
女王である。女王が車にしがみつき、窓硝子を殴っている。
あんな細腕のどこに力を秘めているのだろう。硝子に蜘蛛の巣のような形のヒビが入る。
ヘリオドールは今度こそ泣いた。こんな体験、ペーパードライバーにはまだ早すぎた。
「ひいいいいいいいっ!!」
下手なホラーより怖い。パニックに陥ったヘリオドールのハンドルさばきも荒々しく変化していく。
ハンドルを適当に回しまくっているくせに、アクセルだけは立派に全開のまま。車内に三人、車外に一人を乗せたタクシーはアクション映画も真っ青なアクロバティックな動きを披露していた。
騒ぎながらハンドルを回しまくる運転手は気付いていないようだが、民家に衝突しまくっている。
ジリリリリリという音が後部座席から聞こえた。
「どうしたの、バイト君!?」
「十二時になりました」
「嘘ぉ!?」
この状態で振り向くこともできず、車にはりつく美女に恐れおののきながら叫ぶ。
そして、次の瞬間、辺り一面を白い光が包み込んだ。
「きゃっ! ちょ……何!?」
それとともに体を浮遊感が襲う。シートベルトが勝手に外れてしまっていた。
ぶつかる! というヘリオドールの不安を察知したかのように、車からは天井が消え、三人は白い光の中で飲み込まれていく。
「待ってくれ、ソウジ! 私はお前のことが……!」
ボンネットに取り残された女王が切なげに訴える。その表情は悲哀に満ちていて、ヘリオドールの心の中に僅かな罪悪感が生まれた。
(いやいや、でも、すごく怖かったからね)
ぶんぶんと首を振っていると、白い視界は一瞬にして黒一色に染まったのだった。
もうちょっとで二周年です。