147.南瓜
こっそり覗くこと一時間。総司とクォーツの二人は、黙々と同人誌の原稿を描いていた。
よく見ると棚にはギャルゲーのソフト、漫画、ラノベが綺麗に並べられ、棚の上には美少女フィギュアがいくつも飾られている。トドメに壁に貼られた『魔法熟女ジョセフィーヌ』の巨大なポスター。
あまりにもガチ勢すぎて、もはや一種の悪夢である。
「ねえ……これシンデレラ要素あるの?」
ついにヘリオドールが禁断の一言を口にした。
「シンデレラですよ。城で舞踏会を開くみたいだし、藤原君一生懸命頑張ってるじゃないですか」
「私、シンデレラが同人作家だなんて初耳なんだけど!?」
「でも、このままじゃ物語が全然進みません。多分、郵便受けに舞踏会の招待状入れても二人とも気付きませんよ」
「それはいいことなの? 悪いことなの?」
「さあ、それは僕にも……」
話し合っていた二人の耳に再び入り込んできたクォーツの「ギャーッ」という悲鳴。また総司に注意されたのかと思いきや違う。今度は何かが割れるような音もした。
「あ、あれは……!」
黒いカラスだ。黒いカラス窓硝子を突き破って部屋に侵入していたのだ。硝子片が飛び散る室内で変わらず作業を続ける総司とは違い、クォーツは突然の出来事に悲鳴を上げている。
「カァー」
カラスは口にくわえていた白い封筒を机の上に落とすと、半壊した窓を通って大空へ帰っていった。
暫しの静寂が室内を包む。それを破るように、総司が封筒の中身を開け始める。
「藤原、それは開けてはならん! 不幸の手紙かもしれないぞ!」
「そんなそんなまさか」
既に自宅の窓を壊されてるという不幸に見舞われているせいか、総司は一切動じない。
封筒の中に入っていたのは便箋が一枚。一通り読み上げた総司は首を傾げた。
「今晩、お城で舞踏会を開くみたいですよ。急な話ですね……」
「そんなものがどうして平民である俺たちの元に届く?」
「今晩は平民であっても、十代の男(できれば黒髪で死んだ目をした敬語で喋る少年)は舞踏会にきてもいいそうです」
ポイント絞りすぎ。
「確か女王は絶世の美女と聞く。行ってみようではないか」
こういう流れか、とヘリオドールは意味もなく身構えた。
ここで総司を置いていこうとはせず、一緒に行こうとするのはクォーツらしいのだが。
「僕はお留守番をします。斎藤君だけで行ってきてください」
「えぇっ!?」
(えぇっ!?)
クォーツのみならず、ヘリオドールも心の中で叫んだ。このシンデレラ、自ら物語の軌道を直しにきている。
「ど、どういうことだ藤原。絶世の美女なのだぞ? それに敬語で黒髪で死んだ目をした十代の男って貴様ドストライクではないか」
「原稿やってる間に録り溜めしたアニメ観ないといけませんから」
「む……なるほど……」
あくまで二次元を優先させるオタクの鑑であるし、その廃人めいた欠席理由に納得するクォーツも同類である。
「まあ……形としてはシンデレラになってんの……かしら?」
「でも、このままだと藤原君、南瓜の馬車がきても乗車拒否しそうですよ」
「……もしかして、クォーツ王子がシンデレラ役ってこと?」
まさかの展開にヘリオドールの頭もこんがらがる。
そうしている間にも、クォーツは身支度を始めた。と言っても、学生鞄に持ち物を詰め込んでいるだけなのだが。
「ハンカチ、ティッシュは持ちましたか?」
「見くびるな! そのぐらい用意してある!」
「落ちている物は拾って食べないでください。近道と言って普段通らない道を歩かないでください。知らない人には声をかけられても無視してください。あとは……」
「大丈夫だ、安心しろ藤原!」
小学生に言い聞かせるように言葉を並べていた総司を、クォーツが呆れた様子で制止する。
「とりあえず何かあったら貴様に電話をすれば何とかなるだろう!」
とても安心などできない。もし、ヘリオドールが総司の立場であれば、心配でやはり同行するだろう。
だが、総司は表情一つ変えることなく言い切るのだった。まあ、頑張ってください、と。
見送りぐらいはすると総司が言い出したので、ヘリオドールは慌ててバイト君を連れて二階から降り、見付からないように台所に隠れた。
あの包丁を持った女はもういない。
少し遅れて二人も階段を降りてきた。
「一人ぐらいはお持ち帰りできるように頑張るぞ、藤原!」
「僕の家じゃなくて、君の家にお願いします」
高笑いを上げながらクォーツが家から出ていく。
(本当に王子一人で行っちゃったわね……)
少しは行きたいという気持ちはないのだろうか。
溜め息をつくヘリオドールに気付くことなく、総司は二階に戻ってしまった。
「僕たちも行ってみましょう」
「どっちに?」
「この場合、藤原君でいいかと思います。王子様の珍道中を見ても仕方ないし……」
「あんたも総司君もほんと王子に容赦ないわね」
しかし、賛同できる意見だ。ヘリオドールはまたあの軋む階段をゆっくりと昇り、唯一明かりのついた部屋を覗いてみた。
原稿がある程度落ち着いたのか、総司は本当に録り溜めしたアニメを観ていた。
数分後、不思議そうに首を傾げて漫画を開き、何やらアニメと交互に見始めた。謎の行動にヘリオドールは困惑した。
「あれは……何してんのかしら?」
「アニメオリジナルのシーンがあったんじゃないですかね。多分、原作と見比べるんだと思います」
「それ、リアルにやってる人多そうね……」
それにしても、アニメのどこがそんなに楽しいのかとヘリオドールは呆れの表情を浮かべる。しかも、あんな可愛いだけの女の子がたくさん出てくるだけの萌え系。
実際にはいないキャラよりも実在する女の子にもっと関心を抱くべきである。
(何が魔法熟女よ……私だって魔女だし、私の方が可愛いじゃないの……)
唇を尖らせながらもアニメを観る。主人公が採れたばかりのウニを元カレから投げ付けられているシーンだった。
それから数分後。ヘリオドールは重い口を開いた。
「かなり面白いじゃないの、あのアニメ」
「ようこそ、オタクの世界へ。もう元の世界には帰れません」
一人の人間が堕落の道を歩き始めた頃、図らずともその案内人となってしまった総司は、何かに気付いたようでアニメを一時停止にした。
「あらやだ」
そう言って総司が手に取ったのはスマホだった。総司の携帯はいまだにガラケーなので、あれは彼のものではない。
考えられることはただ一つ。
「斎藤君……」
親友の名を呼ぶ総司の声もどこか弱々しい。
何かあったら電話をすると自信満々に語っておきながら、このザマである。可哀想、とヘリオドールは思った。もう二人共可哀想だ。
「届けに行かないと……」
アニメ視聴を後回しにする程度にはクォーツへの気遣いはあるらしい。
総司が部屋から出ていく。その瞬間、ヘリオドールは絶対にバレたと思ったのだが、彼がこちらを見ることはなかった。
そもそも人間感知器のような総司が、ずっと部屋の外にいるヘリオドールに気付かないこと自体がおかしい。
「夢って不思議なもんね……」
「魔女さん、藤原君を追いかけた方がいいです」
「分かってるわよ」
子供の忘れ物を届けに行く親のような理由だが、総司も城に行く用事はできた。
特に魔女によるビフォーアフターシーンもないものの、南瓜の馬車ぐらいはあるだろうか。総司を追ってヘリオドールたちも家を出る。
「へい、らっしゃい! 南瓜はいかがかな!?」
南瓜の馬車はなかったが、南瓜を売るトラックはあった。
捻りはちまきを頭に巻いたオッサンが、ゆっくりとトラックを走らせている。荷台には山のように積まれた橙色の南瓜。
「すみません、ちょっといいですか」
しかも、何故かオッサンに総司が話しかける。
「何だボウズ。南瓜か?」
「舞踏会に行った友達がスマホを家に忘れてしまったから、城に行きたいんです。助手席に乗せて欲しいんですけど……」
「あいよ! さあ、乗りな!」
交渉成立。特に見返りも求めずに承諾したオッサンが助手席のドアを開ける。それに乗り込む総司に焦るのはヘリオドールだ。
「ちょっとちょっと! トラックに乗られたら私たち追い付けないわよ!?」
「魔女さん、僕たちはこれでお城に行きましょう」
運転席側のドアにでかでかと書かれたパンプキンタクシーの文字。橙色のカラーリング。深緑色の南瓜のイラストがいくつも描かれた車体。
バイト君の言う『これ』にヘリオドールは両手で顔を覆った。
舞踏会にタクシーで行くなんて虚しすぎる。