145.黒い女王
頭部が潰れたゾンビが大量に横たわる花畑は、一種の地獄絵図と化していた。花の香りも血と腐敗した肉の臭いで塗り潰されていく。
「ミッションクリアです」
「クリアじゃないわ!!」
銃を下ろしながら呟く総司に口元を押さえたヘリオドールが怒鳴る。メルヘンチックな世界を荒廃したグロテスクワールドに変えた罪は重い。
突如始まった虐殺タイムに、フィリアも気絶してしまった。平然と眺めていたのはバイト君くらいだった。同じ存在ということで肝の据わりようが半端でない。
一方のヘリオドールは何とか立ち上がろうとしても、腰が抜けて座り込んでしまう状態だった。自分の顔の真横を銃弾が掠めていく経験をしたのは、恐らくアスガルド人では彼女ぐらいであろう。
「ったく、あんたの夢ってハーレムを作ることだったんじゃないの?」
「ハーレム? どうして僕が……」
これっぽっちも興味がないといった風に首を傾ぐ総司の反応に、ヘリオドールは肩を落とす。夢というものは見るものの願望を叶えると言われている。そこに所長の薬が加わっているというのに、総司のいつもと変わらない様子。
これはひょっとしたら彼は、もうこの歳で枯れているのかもしれない。口には決して出せない推論を立て、ヘリオドールはひたすら震えた。
「藤原君」
そんな彼女に代わってバイト君が総司の前に立つ。総司が僅かに目を見開いた。
「あれ? 小さな頃の僕とよく似た男の子ですね……」
「初めまして。君の防衛本能です」
「ああ……それはそれは……いつもありがとうございます」
ヘリオドールが思うにあまり機能していないお飾り装置なのだが、本人が感謝しているようなので何も言わないでおく。
ともあれ、本人同士が並ぶとバイト君が総司に似ているのがよく分かる。どちらも死んだ目をしていた。
「どうして、僕の防衛本能はこんなところにいるんでしょうか?」
「総司君を捜しにきたのよ。あんた、忘れちゃった何かの記憶を思い出したいんじゃないの?」
「記憶……?」
総司が小声でその単語を繰り返す。それに対してヘリオドールは違和感を覚えた。いつもの感情の込もっていない声のはずなのに、この時ばかりがどこか頼りなく聞こえたのである。
時が止まったように動かなくなってしまった総司に、ヘリオドールがどう声をかけようか考え始めた時だった。
パリンッ、と硝子が割れるような音がした。音に呼応するかのように花畑の光景が割れていく。ゾンビの死体の山もフィリアも煙のように消え去ってしまう。
「なっ……にこれ……」
砕け散っていく景色の奥から新たな光景が現れる。どこかの町並みのようだった。歩く人々の表情は決して明るいものではなく、兵士の姿が多い。
ヘリオドールは息を呑む。そこはウルド中心部だった。
だが、もし、この光景が総司の記憶が作り出したものだとすれば、あり得ないことが起きていた。
(あの店……)
古びた造りの店。あそこはヘリオドールがいつも通っていた菓子店で、ケーキがとても美味しいところだった。
けれど、今はもうない。約三十年続いてきたが、ついに閉店してしまって、別の店となったのだ。
ヘリオドールが総司と出会う前、約二年前の話である。
「どうして……総司君が知ってるの……?」
静かに問いかけるヘリオドールの声も聞こえていないのか、総司は周囲を見回している。彼の目にこの光景はどのように映っているのだろう。
一歩一歩、ヘリオドールは少年へと歩み寄った。口の中がからからに乾き切っている。
今まで総司が怖い怖いとはしょっちゅう思っていた。それは彼のフリーダムな性格とその驚異的な身体能力からくるものだった。先ほども突如始まったゾンビ退治で散々震え上がらせてくれた。
だが、今のこの瞬間、ヘリオドールは本当の意味で総司が恐ろしいと感じた。
「総司君……あんた、前にもこの世界に来たことがあるの……?」
「……そうだったりするんでしょうか」
総司が怯えと不安を浮かべる金色の瞳を見ながら、曖昧な言葉を紡いだ。やがて、空からはちらほらと雪が舞い降るようになっていた。
また、雪だ。
「そうだったら、どうしたら僕はそんな大事なことを忘れていたんでしょうか」
「そ、それは」
「……どこかでヘリオドールさんと会っていたのかもしれませんね」
「!」
自分の名前に反応して、ヘリオドールは総司の元へ急いで駆け寄ろうとした。
総司の足元に黒い穴が開いて、総司が落ちていく方が先だった。ヘリオドールが手を掴もうとするも間に合わない。それどころか、徐々に広がっていく穴の中へ同じように落ちてしまった。
「うぎゃあ!」
この穴から落ちると、必ず顔面から落ちる仕組みにでもなっているのだろうか。ヘリオドールは鼻を押さえながら、その場に蹲った。横ではまたも華麗な着地を遂げたバイト君がいた。
「大変ですね」
「私のこと馬鹿にしてる!?」
シリアスな空気がどこかに吹っ飛んでしまった。バイト君はいるものの、肝心の本人もいない。
しかも、花畑でもウルドの中心部でもない場所に二人はいた。どこかの城の中なのか、広い廊下のようなところだ。壁には様々な絵画が飾られ、床には黒い絨毯が敷かれている。
「ユグドラシル城…ってわけでもなさそうだけど」
「魔女さん、魔女さん。あそこの大きなドア、少し開いてます」
確かに絨毯と同じ黒色のドアにほんの少し隙間が出来ていた。中からは女の声も聞こえてくる。
ヘリオドールは周りに誰もいないことを確認してから室内を覗いてみることにした。
「どうだ、あの者はまだ見付からないのか?」
「はっ、申し訳ありません女王陛下……」
どうやら王座の間のようだ。そこでは黒いドレスに身を包んだ赤髪の美女が、兵士たちに誰かを捜させているようだった。
ヘリオドールは二つの意味で驚いた。一つ目は兵士が全員骸骨であったことだ。もう一つは総司があんなに美しい女性に会っていた、という事実にだった。
「だ、誰よ、あれ……!」
「ものすごい女王様って雰囲気がしますね」
「女王様って……王女様なら一人いるけど……」
魔法も拳もどっちもいける脳筋ハイエルフのお姫様のことである。
「ふむ……捜索から一週間も経つというのに手がかりなしか」
成果のない兵士らの報告に美女は腕を組んで唸った。
美女が誰かを捜している。この時点でヘリオドールは嫌な予感がした。
すると、骸骨兵士の一人が「そうだ!」と明るい声を出した。
「いくら捜しても駄目ならこちらから誘き寄せてみましょう!」
「誘き寄せるとは……?」
「この城で舞踏会を開くと町中にビラをばら蒔くのですよ。平民が城に足を踏み入れることができる貴重な機会。決して逃すはずがありません」
「なるほど……それではお前の意見を採用しよう。では、早速舞踏会の準備を始めるぞ。城の者を集めろ!」
「かしこまりました!」
兵士らと共に大臣らしき骸骨たちも部屋から出ていく。ドアの脇に移動したヘリオドールとバイト君には誰一人として気付かなかった。
そして、一人部屋に残された美女は紅い瞳を蕩けさせ、独り言を呟いていた。
「くくく……待っていろ、シンデレラ。既にお前と私のためのダブルベッドは用意している……」
「シンデレラっていうか総司君逃げて! 超逃げて!」
舞踏会が始まる前から相手からの感情値がマックスな時点で、シンデレラの話じゃなくなっているし、女王様が何か怖い。こっちはフィリアと違って早めに見付けなければと謎の義務感に駆られ、ヘリオドールはバイト君と城を出ることにした。
「藤原君の気配がします」
バイト君のその言葉を信じて。