144.密室の中の悪夢
少しですが、グロ注意
驚愕のヘリオドールの反応には特に言及せず、総司はビニール袋からスポーツドリンクや、レトルト粥を出した。
「このお見舞いセットを知らない人に渡されて、今からおばあさんの家にお見舞いに行けって言われたんです」
「知らない人に物をもらっちゃ駄目でしょうが!」
夢の中の出来事にツッコミを入れても無駄だと知りつつも、ヘリオドールの中のツッコミ魂に自制心はなかった。レトルト粥を鷲掴みにして遠くへ投げ捨てる。
「そもそも、総司君おばあさんの家知らないの?」
「母方のおばあちゃんにならさっき会っていたので、父方のおばあちゃんだと思うんですけど、父からそんな話聞いたことないんですよね」
そういえば前に総司が話してくれたことがあったが、彼の父親は天涯孤独で施設出身らしい。なので総司が知っている祖父母は母方だけなのだ。
にしても、いきなり見知らぬ人間に「さあ、おばあさんの見舞いに行ってこい!」と言われて本当に向かうあたりが総司だ。将来、詐欺に引っ掛からないか非常に心配である。
「まあ……私はあんたのおばあちゃんの家なんて知らないんだけど、そんな危ない話にひょいひょい乗っちゃ駄目だからね」
「肝に銘じておきます」
そう言ってまた歩き出すところを見ると、家を探すのを再開するようだ。ヤバい、総司君が喰われる。先ほどのフィリアを思い出し、ヘリオドールは慌てて止めようと手を伸ばした。
が、その手を引っ込めた。
(大丈夫な気がしてきたわ……)
主要人物二名がどちらも物語の舞台を知らないという異常事態。少なくともヘリオドールの知っている赤ずきんは、赤ずきんも狼もおばあさんの家を探し回るシナリオではなかった。
このまま放置しても物語が進展しない予感さえする。別に構わなくていいや、とヘリオドールはそのままどこかへ立ち去る総司を見送った。
バイト君が口を開いたのは、総司の姿が見えなくなったあとだった。
「藤原君、記憶探しの旅はどうなったんですかね」
「あっ」
狼フィリアのことで頭がいっぱいで当初の目的をすっかり忘れていた。
追いかけようとしても、時既に遅し。広大な花畑の中に佇むのはヘリオドールとバイト君だけだった。
どうして引き留めなかったのかと後悔の念に苛まれるヘリオドール。そんな彼女を眺めていたバイト君が励ますように言った。
「夢の中なんですし、藤原君が狼さんに食べられても何てことはないですよ。魔女さんが気に病むことはありません」
「気に病むわよ! ここで平然としてられるほど私心強くないんだけど!?」
「魔女さんグロ耐性ないんですね」
「あんた、この状況よく分かってないでしょ」
精神年齢がお子ちゃまっぽいので無理もない話だが。
まずは総司を再び捜さなければならない。総司が魔物やフィリアに襲われる前に。
ヘリオドールとバイト君も捜索を開始するものの、どこまで行っても花畑が続いていた。家らしき建築物もなく、ずっと同じ光景を繰り返し見ているようである。
数分後、ヘリオドールは休憩だと座り込んだ。最初は綺麗だと思っていた風景にもいい加減腹が立ってきた。いくら美味いものでも毎日毎回食べさせられたら飽きるのと同じだ。
「総司君どこにもいないんだけど……」
「諦めて藤原君が狼さんに食べられるのを受け入れましょう」
「受け入れてたまるか!」
この子供、自らの職務をゴミ箱に捨てている。もう少し頑張ってくれないだろうかと、ヘリオドールがずきずきと痛むこめかみを押さえた時だった。
「キャアアアアアア!」
どこからか悲鳴が聞こえた。ハッとヘリオドールが慌てて周囲を見回せば、先ほどまではなかったはずの小屋が遠くにあるのが分かった。
まさか、あれがおばあさんの家。ヘリオドールは走り出した。後ろからバイト君も追いかける。
「何でしょうかね、あの悲鳴」
「分かんないけど、フィリアちゃんに何かあったのよ!」
「もしかしたら藤原君が狼さんに襲われそうになったから反撃を……」
「ギャアアアアア絶対に阻止するわよ!!」
「あ、はい」
ヘリオドールが般若の如き形相でバイト君へ振り返って叫ぶ。
小屋のドアは開けようにも鍵がかかっているようにビクともしない。
だが、耳をドアに当てるのとフィリアの「いや……助けてぇ……」とか細い声が聞こえてくる。その声が妙に色っぽく聞こえて、ヘリオドールの顔色はみるみるうちに悪くなっていく。始まってんのか、すでに始まってんのか。
半泣きになっていると、バイト君が「窓から覗いてみますか」とナイスアイディアを口にした。見たくないが、このままにしておくのはもっと嫌だ。意を決して窓の方へ回り込む。
「誰か、誰かぁ……!」
狭い小屋の中でフィリアは涙を流して座り込んでいた。ベッドの脇で。
そのベッドにおばあさんらしき人物は寝ていたが、狼少女に気付いていないのかピクリとも動かない。
それだけではない。病人にしてもあまりにも痩せ衰えており、肌は土色と化している。水分を全て吸い取られ、ミイラとなったような姿だった。
いや、ミイラだった。小さな小屋の中、ベッドの中で死んだ老婆はミイラとなっていた。死因は恐らく胸に突き立てられたナイフだろう。
殺人事件が発生した。
「オギャー!!」
ホラー映画のキャスト顔負けの絶叫をしたのはヘリオドールだった。バイト君は「映画化決定ですね」とこの展開を高く評価している。そんなことを言っている場合ではない。
ミイラと対面してしまったフィリアは、現実世界でも見たことがないくらい狼狽していた。這うように玄関に向かうが、何故か内側からもドアが開かないようだ。発狂寸前といった様子で一心不乱にドアを開かずの扉を叩く。
「いやあぁぁぁぁぁっ!! 開けて! お願いだから開けてぇっ!!」
メルヘンな世界で突如起きた惨劇にヘリオドールは身を震わせた。
「ヒイィィィィィ!」
「魔女さんはおばあさんを殺した犯人だと思いますか?」
「知らないわよ!! とにかくフィリアちゃんを助けないと……あんた、ドア開けれない!?」
「やってみます」
バイト君はモップでドアを壊すと思いきや、ポケットから細い針金を取り出して鍵穴に差し込んだ。その状態で針金を動かすこと約一分。
カチャッと音がした。
「開きました」
「絵面がヤバい!!」
開かれたドアから顔を涙で濡らしたフィリアが飛び出してくる。ヘリオドールにしがみついて状況を何とか伝えようとする。
「お、おばあさんが、死んでて、ナイフが」
「落ち着いてフィリアちゃん。全部分かってるから」
「私じゃ、私じゃないんです!!」
「第一発見者にありがちなこと言わなくていいから!」
ひとまずここから離れたい。足が震えてまともに歩けないフィリアを連れて何とか歩き出そうとした時だ。フィリアが家の中を見て悲鳴を上げた。
ミイラのおばあさんが起き上がり、ナイフを片手にこちらへ近付いてくるのだ。その足取りはふらついていて、目の焦点は合っていない。
「誰か助け……キャアアアア!!」
「今度は何……」
ヘリオドールは絶句した。花畑の向こう側から夥しい量のゾンビがやってくるのが見えたのだ。
もう駄目だ。そう思った瞬間、一発の銃声が鳴り響く。
直後にミイラのおばあさんの頭が弾けてその場に倒れた。
ヘリオドールたちの背後に赤いフードを被った少年が立っていた。総司だ。その手には黒い輝きを放つ猟銃が握られ、銃口からは硝煙が上がっている。
「そ、総司君……?」
「ゾンビが出たという情報を聞いたので、見にきました。無事なようで何よりです」
そう言って、総司は猟銃でゾンビたちの頭を次々と撃ち抜いていく。順調にヘッドショットを成功させ、バタバタと生ける屍が再び冥府へと旅立つ。
救世主の出現に安堵していたヘリオドールだったが、あることに気付いて呼吸が止まった。総司のフードは元から赤いわけではなかったのだ。何かで汚れていただけだった。
ゾンビの返り血である。
――――この村には時折、ゾンビが人里に現れて人間を襲うという。そんな死者から村人を守るために猟師の息子がこうして殲滅しにやってくる。
少年の白いフードはゾンビの肉片や体液によって赤く染まる。それでも顔色一つ変えず、ゾンビを撃ち抜く姿に人は畏怖を覚え、彼をこう呼ぶようになった。
そう、「赤ずきん」と――――。
「赤ずきんそんな凄惨な物語じゃないわよ!!」
血生臭い花畑の中心でヘリオドールは力強く叫んだ。