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143.狼さん

 子供とヘリオドールが飛び込んだ穴は、現実世界から夢の世界に向かう時に使ったものと比べて浅かった。慣れない感覚にヘリオドールが悲鳴を上げる暇もなく、底に辿り着いたのだった。


「ふぎゅっ!」

「魔女さん、大丈夫ですか?」


 顔面着地を果たしたヘリオドールの横で、総司が軽やかな動きで降り立った。

 何がいけなかったのか。ヘリオドールは情けなさと悔しさに顔を歪めつつ起き上がった。鼻と額がじんじんと痛みを発している。


 ここは一体どこなのだろう。見渡すと花畑のようではある。赤、青、黄、白、橙、ピンク色と様々な色彩の花が咲き誇り、甘い香りがする。暖かな風が風が吹くと香りは一層強くなった。


「ここのどこかに総司君はいるのかしら……」

「そうですね、藤原君の気配も感じます」

「……………」


 どこか引っ掛かりを覚えて、ヘリオドールは子供を見下ろした。


「何ですか?」


 上から降り注ぐような視線に気付いて子供も首を傾げる。


「あんたって総司君の一部よね?」

「そういうことになります」

「だったら、総司君のことをどうして『藤原君』って呼んでんの?」


 他人行儀な呼び名がずっと気になっていたのだ。思い切って疑問をぶつけてみる。


 神妙な面持ちのヘリオドールを尻目に、子供はモップを脇に挟むと花を摘み始めた。仕方ないのでヘリオドールはその横にしゃがんだ。

 この世界ではこの子の行動に従うことにした。本物の総司が心配ではあるが、ここは防衛本能であるらしい子供の好きにさせてみる。


「だって僕も藤原総司なのに、総司君って呼ぶのは僕自身を呼んでるような気がして抵抗があります」

「あ、それは分かる。じゃあ……あんたのこと何て言えばいい?」


 あんた、と呼び続けるのも何となく嫌だ。

 尋ねてみれば、子供は摘んだ花で花冠を作る手を止め、考え込むように空を仰ぎ見た。空では薄青色の海を白い雲がゆったりとした速度で泳いでいる。


「それなら……バイト君でよろしくお願いします」

「藤原総司要素ゼロ!!」

「防衛本能と言っても、僕が出てくるのは本当に珍しいことなんです。バイト感覚で軽く仕事をして、終わって帰る程度なので……」

「あんた可愛いげを持ちなさいよ! というか、防衛する気あるの!?」


 こんなところまでマイペースだなんて……。


 ヘリオドールはがっくりと肩を落とした。すると、バイト君が出来上がった花冠をヘリオドールの帽子に乗せてきた。


 本体と同じく無表情のくせに、少し満足そうにしているバイト君にヘリオドールの頬が赤く染まる。


 性格は総司と一緒かと思いきや、こちらは見た目相応の精神年齢らしい。時折、ヒヤリとするような発言を飛ばしていても、行動が少々幼く感じた。


(ありがとう、リリス……! あとで何か奢ってあげる!!)


 手のひら返しである。ヘリオドールは自分を夢の世界に文字通り落とした人物を神のように崇めた。


 他の誰にも体験できないことをしている。そんな優越感にヘリオドールは口元を緩めて、モップの先端に止まった蝶を眺めるバイト君に提案した。


「あんたのことバイト君って言うから、バイト君も私の好きな呼び方してもいいわよ」

「好きな呼び方ですか」

「そう。例えばお姉ちゃんとか?」


 むしろ、そう呼んでもらいたい。そんな細やかな願望を込めて言ってみる。お姉さんではなく、お姉ちゃんなのが大きなポイントだ。

 自分が犯罪者のように思えてきたが、ここは夢の世界だ。他の誰にもヘリオドールの所業が知られることはない。


「では、おねえ……」

「うんうん!」

「ちゃ……ん?」

「……え?」


 何故かたどたどしい。別に無理矢理言わせたわけじゃないのに、とヘリオドールは焦った。

 バイト君は困ったようにヘリオドールを見てくる。


「……? ……?」

「ど、どうしたの、バイト君!? 本当にどうしたの!?」


 異変をきたしているバイト君に、ヘリオドールが問いかける。


「あの、あなたって」

「うん?」

「おいくつですか?」

「ごめん、やっぱり私のことは魔女さん呼びでいいわ」


 あっ、調子に乗った罰が当たったわ。

 ヘリオドールは虚しい気持ちを押し隠して、精一杯の笑顔を浮かべた。

 総司なら絶対に聞かないであろう禁断の質問。しかし、それを敢えて聞いてしまうのが子供の恐ろしさだ。


 油断していた……とヘリオドールは、その場で四つん這いになって落ち込んだ。全てが上手くいくとは限らないものである。


「……お姉ちゃんってああいう人じゃないでしょうか?」


 つかさず追い討ちをかけるバイト君。

 誰だ、この子供からお姉ちゃん認定された羨ましい人物は。心に深い傷を抱えたヘリオドールが、どこか剣呑な目付きを携えて顔を上げる。


 誰かが花畑の向こうから歩いてくる。金髪に翡翠色の瞳を持つ美少女の姿にヘリオドールは見覚えがあった。


「フィリアちゃ……ん!?」


 そう。あれはフィリアに間違いない。のだが、彼女はヘリオドールの知るフィリアではなかった。


 エルフ特有の長い耳ではなく、頭部からぴょこんと生えた茶色い犬の耳。ふわふわの毛に覆われた犬の尻尾。


 今のフィリアはエルフではなく獣人になっていた。それはそれでとても可愛いのだが、どういうこっちゃとヘリオドールは混乱する。


しかも、獣人フィリアがこちらに向かってくるではないか。わたわたしている内にヘリオドールは声をかけられていた。


「あ、あの、すみません!」

「はいぃ!? 何かしら!?」


 挙動不審なフィリアに、ヘリオドールも挙動不審になる。


「赤ずきんさんのおばあさんのお家はこの先をまっすぐ行ったところで間違いないですか?」

「あか……ずき……ん……?」


 質問を理解しきれない。ヘリオドールは度重なる驚きと混乱の連続で、頭が痛くなりそうになった。

 夢の中とはいえ、困り顔のフィリアを邪険に扱えもしない。まずは話を聞くことからだ。


「まず……赤ずきんって誰?」

「え? 赤ずきんさんを知らないんですか!?」

「ごめん、本当に分かんない……」


 オーバーなリアクションをされて、とても申し訳ない気持ちになった。しかし、知らないものは知らない。


「赤ずきんさんっていうのは、隣町に住んでる男の子です。とっても優しくてかっこいい人なんですよ」

「へえ……」

「今日は病気のおばあさんの家にお見舞いに行くそうなんです」


 フィリアの説明にヘリオドールが思い浮かべたのは、ウトガルドの童話だった。あの話では赤ずきんは可愛い女の子で、祖母のお見舞いに行ったら祖母は狼に食べられていたという話だった。


(狼……ん!? 狼!?)


 ヘリオドールはフィリアの全身をよく見回した。フィリア元来の可愛らしさもあるせいで、その発想には思い至らなかったが、聞いてみる価値はある。


「あんたって……狼だったりする?」

「はい! ほら、ちゃんと牙も生えています!」


 大きく開いたフィリアの口からは二本の牙が覗いていた。人より少し長めの八重歯と言ってしまっていいくらい控えめなものではあったが。


「おっ、狼さんは何で赤ずきん君のおばあさんの家を探してるの?」

「先に家に着いておばあさんの振りをするんです。それで……赤ずきんさんがきたら……その……」


 フィリアはヘリオドールから視線を逸らして、両手で自分の頬を覆った。顔は桃のように色付き、翡翠色の瞳は潤んでいる。


「私……赤ずきんさんを食べるんです!」


 なんか、なんかニュアンスが微妙に違くないっすか。ヘリオドールはものすごく嫌な予感に身震いをした。


 総司が飲んだ所長の薬には二つの作用がある。 一つ目は失った記憶を蘇らせるもの。

 もう一つ目は美女や美少女にとにかく好かれまくるというもの。


「わ、私、頑張って赤ずきんさんと結ばれてみせます!」

「いや、そんな意気込まれても困るわ! どんな反応すればいいの!?」

「そのためにもおばあさんの家を見付けます!」


 狼フィリアが駆け出す。パタパタと揺れる尻尾が彼女の感情を如実に現している。

 ヘリオドールはバイト君に助けを求めた。


「どうしようバイト君! フィリアちゃんに総司君が食べられちゃう!」

「まだ赤ずきんが藤原君と決まったわけでは」

「いや、もうこの流れは確実でしょうが!」

「だって、あそこに藤原君いますよ」


 バイト君が指差す先には本当に総司が歩いていた。頭には何も被っておらず、いつもの学生服を着ている。赤ずきんとは程遠いスタイルだ。


 ようやく動いている総司に会えた瞬間でもあった。無事で良かった。ヘリオドールの顔にも安堵の色が浮かぶ。


「総司君! おーい!」

「……はい?」


 目を丸くしてヘリオドールを見る総司の手には白いコンビニ袋があった。


「どこも怪我はしていないみたいね。心配したのよ」

「……どちら様でしょうか?」


 夢だからか、総司にはヘリオドールのことが分からないらしい。


「あ、この辺に住む魔女よ」


 なのでヘリオドールは誤魔化すことにした。


「そうでしたか。でしたら、聞きたいことがあるんですけど」

「何……?」

「僕のおばあさんらしき人の家はどこにあるんでしょうか?」


 ヘリオドールは両目と口を限界まで開いて、自らが受けたショックをアグレッシブな形で表現した。

次回、グロ注意

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