137.夢見る紅茶
「それはそうと……ほれ、ソウジ。こりゃお前のじゃ」
所長は落としてしまった紙袋を拾うと、片方を総司に渡した。
総司は素直に受け取ったものの、空気が凍結する。再びヘリオドールたちに激震が走った。
「所長が総司君にプレゼントをした!?」
「ありえないだ……!」
「まさか、今の話は本当でその口止め料ってことでしょうか……!?」
「お前完全に面白がっておるじゃろう!?」
真っ当なツッコミを入れつつ、所長は紙袋から中身を取り出した。それは小瓶……の中に入った小瓶だった。軽いマトショーリカ現象が起きている。
小瓶の中の小瓶にはピンク色の液体が入っており、よく見ればキラキラと光る粒のようなものが混じっていた。ラメ入りのマニキュア液と酷似している。
総司に渡された紙袋の中にもマトショーリカ小瓶が入っていたが、こちらはピンクではなく水色だ。
「何それ……」
「これを紅茶に溶かし入れて飲むんです」
「オラはこんなの紅茶に入れたくないだ……健康に悪そうだ……」
評判はイマイチである。
「でも、所長も僕と同じ同じものを注文してたんですね」
「ふん、ワシのだけ持ち帰ろうとしたら引き止められて同じ役所なんだからって持たせられたわい。これでお前が前払いしとらんかったら、途中で捨ててやったものを……」
「ありがとうございます」
「お前なんかに感謝されても嬉しくないわい!!」
所長のひねくれ具合を総司の緩さでちょうどいい加減になっている。いつもの所長だと傍観者三人はほっとした。
しかし、気になるとヘリオドールは紙袋に書かれた店名を見た。聞いたことがない名前だ。フィリアもブロッドも分からないと首を横に振る。
(何だかちょっと心配になってきたわね……)
所長はどうなってもいいし、元は有能な魔術師である。いざとなったら自分で何とかするだろうが、問題は総司だ。
のんびりしているようで案外しっかり者なので大丈夫だとは思っている。だが、万が一総司だけでは対処出来ない事態に陥った時に備えて情報は集めておいた方がいい。
「ヒヒーンッ!」
「うぎゃー! やめるのじゃー!!」
「駄目! 所長の髪は食べ物じゃないよ!」
「所長がツルピカ頭になっちゃうだー!!」
「どうどう。食べるなら人参を食べてください」
誰かこういう怪しいのに詳しそうな奴……。
喧騒に加わらず、ヘリオドールは一人悩み続けた。
ちなみにリリスは離れたところから一同を楽しげに眺めていた。
昼食の時間となり、食堂に腹を空かせた職員が流れ込んでくる。近頃の料理やデザートに変わった野菜と果物が出てくるようになり、好評となっている。
それは試食会で使用されたものばかりで、この役所でも仕入れるようになったのだ。
「あ、その店知ってるよ。最近結構有名だよね」
隅のテーブルでサラダを食べていた狐の耳を生やした青年は、ヘリオドールの口から出た店名にすぐにピンときたようで頷いた。
やっぱりこういうことはオボロに聞くのが一番だ。オボロの対面の席に座るヘリオドールは、自らの人選が当たっていたと確信する。
ヘリオドールの隣の席に座る総司は小瓶と一緒についてきた説明書に目を通している。
「総司君、先にご飯食べちゃいなさい」
「すみません。気になってつい……」
「そのくらい楽しみだったってことでしょ? 僕も今度行ってみようと思ってたし」
「ふうん……」
オボロがこう言っているので危険な類ではないようだ。ヘリオドールはほっとした。
「ヘリオドールって少し前に流行った『安らぎの夢』って紅茶知らないかな?」
「えっと……」
そういえば、そんなものがあったような。確か葉に魔法がかけられていて、それを飲むと心地良い眠りに就けるとか。
ただ、とても高額な品で買うのは貴族など富裕層ばかり。一般市民にはとても手の届かないもので、すぐに販売中止となってしまった。
「その紅茶を売っていたのが総司が買い物した店でね。安らぎの夢にかけられたのは眠りの魔法と、その人にとって幸せな夢を見る魔法なんだ」
「幸せな……夢ねえ」
購入した貴族は口を揃えていい夢を見た、と言っていたらしい。それも魔法の効果だったようだ。
「その小瓶に入った液体には、夢の魔法が込められてるんだよ。しかも、今度は自分の望む夢を指定出来るようになっている。あらかじめ予約しておかないと作れないらしいけどね」
「えっ、総司君それすっごく高かったんじゃないの!?」
「えっ、そこまでお値段張ってなかったと思いますけど……」
「紅茶の時は葉そのものも一級品だったこともあるからね。それに一日分だったらそんなに高くないよ」
「良かった……」
小瓶の正体が分かれば、次に気になってくるのは総司がどんな夢を見たいかだ。ヘリオドールは愛らしい笑顔を浮かべ、総司の方を見た。
「駄目です。教えられません」
先手を打って総司がきっぱりと言う。ヘリオドールが口を開く間も与えない。
ぷうと頬を膨らませるヘリオドールとは反対に、オボロはにやついている。
「君もまだ若いんだしさあ、別に恥ずかしいことじゃないと思うよ?」
「はい?」
「だって言えないってことは、いやらしい夢にしたんじゃないのー?」
「違います」
そう言うと思ったし、表情も変えないことは予想済みだった。どちらなのか判断するのは非常に困難だ。ダンゴムシを雄か雌か瞬時に当てろと言われているようなものである。
あまり詮索する話題でもないかと、ヘリオドールとオボロは食事を再開した。
その五分後、三人の中で一番早く食べ終わった総司は食器を片付けに行き、紅茶が注がれたティーカップを持って帰ってきた。そして、小瓶の中から液体入りの小瓶を取り出す。
「えっ、もう使うの? あんた、いくら楽しみだからってこんなに早く使ったら効果ないんじゃない?」
「説明書には、この液体を入れた紅茶を飲んでから最初に寝た時に夢が見れるって書いてあります。ということは今飲んでも、夜飲んでも変わりはないですよ」
「とか言って、君どんな味になるのか気になって仕方ないんだろ。変なところで子供っぽいな」
「だって夢の味ですよ」
「「なんか、その言い方ヤダ」」
ヘリオドールとオボロはほぼ同時に総司の言い回しに異議を唱えた。
総司はそれに構うことなく、小瓶の蓋を開けて、中身を紅茶へと流し入れた。琥珀色にキラキラと光る水色の液体が混ざり、紅茶がすごい色に変色していく。
こんなの飲みたくない。それがヘリオドールの感想だった。
「総司君やっぱりやめなさいよ……これ飲み物の色じゃないわ」
「え? 美味しそうな色じゃないですか」
「あんた、ちょっと病院行って目調べてきなさい」
色はあれでも、不幸中の幸いというべきか液体は無臭ではあった。紅茶本来の芳香しかしない。
あとは味。ヘリオドールとオボロは食事を中断して、紅茶を啜る総司に注目した。
「総司君どう? 美味しい?」
「残念ながら紅茶の味しかしません」
「そりゃ、残念がるところじゃないような気もするけど……まあ、ソウジの言葉を信じて僕も買って……」
ガシャン。
オボロの言葉を遮ったのは床に落ちたティーカップの音だった。カップが砕け散り、床に奇妙な色彩の紅茶が広がっていく。
「総司君……?」
ティーカップを手から滑り落としたにも関わらず、総司は全く動じていなかった。
と思ったら総司の体は横に傾いていき、座っていた椅子と共に床に崩れ落ちてしまった。
「「ギャアアアアアア!!」」
ヘリオドールとオボロの絶叫が食堂に谺した。
総司はその声に反応することなく、瞼を閉じたままピクリとも動こうとしない。
大変なことになった。