136.えっ……
ユニコーンとは雪のように混じりけのない白い毛並みと、額から生やした鋭い角が特徴の魔物である。角には傷付いた者を癒す力が秘められており、人間――特に純潔の乙女には慈悲深く優しく接すると言われている。
ただし、処女ではない者には嫌悪感を抱いており、強引に背中に乗ろうとしたり、傷を治せと強要すると角で突き殺すという恐ろしい一面も持つ。
つまり、サキュバスのハーフであるリリスとの相性が大変悪い魔物とも言える。
「コヒュー……コヒュー……」
「ちょ……リリス! お宅のユニコーンさんヤバいことになってるわよ!!」
突然体を痙攣し始めるユニコーンに、ヘリオドールは激しく狼狽した。リリスが来た時点でユニコーンがどうなるか気になってはいたが、これはまずい。彼女を攻撃しようとするどころか、拒絶反応を引き起こしている。
リリスが「あらあら」と暢気に笑って距離を離すと、ようやくユニコーンの呼吸は安定した。あんなユニコーン初めて見た、とヘリオドールは心臓の鼓動を速めながら思った。
「ごめんなさいね、お馬ちゃん。そろそろ私に慣れてくれると思ったんだけど」
「めっちゃ嫌がってんじゃない……」
「妖精ちゃんに嫌われちゃったジークちゃんの気持ちちょっと分かるかも。そうだわ、ソウジちゃん。この子に乗ってみない?」
「僕がですか?」
名前を呼ばれた総司が目を丸くする。
「白と黒の組み合わせってとっても似合うと思うの。私見てみたいわあ」
「あんたの願望かい!」
「……実は少し乗ってみたい気もしてましたけど、流石に馬の乗り方は詳しくないですよ?」
「心配しないで。このお馬ちゃん、とっても頭のいい子だから」
成り行きを聞いていたユニコーンがゆっくりと総司に近寄る。天に向かって伸びた角が白く光ると同時に総司の体がふわりと浮き上がった。
「浮いたっ!?」
「浮きましたね」
総司の体はそのままユニコーンの背中に座るように着地した。
ヘリオドールと総司の口からは「おお……」と小さな感嘆の声が漏れる。
「あんた超頭いいのね……」
ヘリオドールに褒められたユニコーンはどこか得意げだ。
「わあ、僕馬なんて初めて乗りました」
「私もユニコーンが男乗せるところなんて初めて見たわよ……」
「うんうん、やっぱり予想通りいい感じねぇ。どっちも可愛い!」
リリスが両手で頬を押さえて身悶えている。似合ってはいるが、可愛いというのはどうだろうとヘリオドールは疑問を抱く。
白くて角が生えていようが馬は馬だ。そんな意見を持つヘリオドールはパンダも「パトカーみたいな色の熊」としか捉えられない感性の持ち主だった。
どうにかしてユニコーンに「可愛さ」を見出だそうとするヘリオドールは、見ていなかった。離れた場所にいたはずのリリスが接近していたことに。
リリスの気配を感じ取ったユニコーンはびくりと体を震わせたあと、突然走り出してしまった。総司を乗せたまま。
「あ―――――――っ!?」
何とかせねば。ヘリオドールが追いかけるも、相手は馬である。箒を使って飛行した状態でなければ追い付けもしない。
すぐにそのことを気付いて魔法で箒を取り出すも、ユニコーンは牧場のど真ん中に佇む扉へ突っ込んでいた。破壊音を生じながら扉は木っ端微塵となり、空間には巨大な空洞が生まれる。
その先は役所の屋内。ユニコーンは躊躇いなく、進んでいった。
「ギャアアアアアアア!! 総司君!!」
「ごっめーん。もっと側で見たくて近付いちゃった」
「リリ―――――スッ!!」
テヘッと舌を出して謝るリリスにヘリオドールは割りと本気で怒った。
彼女を責めている場合でもない。急いでユニコーンを止めなければならない。あれの背中には総司がいるのだ。
穴の中に入って役所に戻ると、魔物生態調査課の面々がヘリオドールを待っていた。ユニコーンの脱走という緊急自体が起こったにも関わらず、緊迫した空気は全く流れていない。脱走しちゃったなーと軽い感じで笑っている。
と思ったら一人の職員が慌てた様子で課に飛び込んできた。
「リリス課長! 今、廊下をユニコーンが走って行きましたけど!?」
「あの子、うちで保護してたお馬ちゃんよ~」
「マジっすか! かなり元気になりましたね! これならもう少しで元いた森に帰してやれそうですわ!」
「ねー」
「ねーじゃないでしょ! 今どうすべきか考えなさいよ!」
恐るべし魔物生態調査課。どいつもこいつも緩すぎる。
愕然とする魔女の前で彼らは更に恐ろしい計画を語り出す。
「ていうか、あんだけ機動力があれば今日にでも出しても大丈夫そうですね」
「いっそあのまま自由にしてあげたりとか?」
「課長はどう思います?」
「そうねえ。それでもいけそうかも」
「だから総司君がいるんだってば! 総司君まで野生に放つ気か!?」
こいつらは駄目だ。使い物にならない。自分が動かないと。
ヘリオドールが箒に乗って全速力で廊下を飛んでいく。
「あらあら、行っちゃったわね。私も行ってくるわー」
「いってらっしゃーい」
緩い見送りの言葉をもらってリリスも廊下に出ていく。
残された職員たちは先ほど廊下から戻ってきた仲間に尋ねた。
「大丈夫だったんだろ?」
「うん。流石に暴れさせたら鑑定課とかクエスト課にきてる奴らに迷惑かかるからな。止めようと思ったら何とかなってたから帰ってきたよ」
リリスは何となく察していたようだが、ヘリオドールは分かっていなかったようだ。総司のことで頭がいっぱいになっていたのだろう。
冗談を言ってないで真実を伝えてやればよかったと課の職員たちは少し申し訳なく思った。
「わあ……すごいですね! 私、ユニコーンに乗るの初めてなんです!」
「フィリアちゃん怖くないだ?」
「はい! この子も大人しいし……何だかお花みたいないい匂いもします」
住民課の前で盛り上がる一同。フィリアは初めて乗るユニコーンに感激していて、ブロッドはそれを感心して見ている。
そして、総司はといえばユニコーンから降りて人参を食わせていた。
「動物とのふれあいパークか!!」
駆け付けたヘリオドールはほのぼのとした光景を目にして、力いっぱい叫んだ。渾身のツッコミに三人が彼女へと振り向く。
箒に跨ってふわふわ浮いているヘリオドールに全員ポカンと口を開く。
「ヘリオドールさん……どうして役所の中で飛んでいるんですか?」
「あんたを助けにきたのよ! そしたら馬に餌食わせてるし! そこの馬もむっしゃむっしゃ人参食ってるんじゃないわよ!」
「ヘリオドールさん、このユニコーンどうしただ?」
「魔物生態調査課から逃げ出したのよ。ほら、早く帰……」
ヘリオドールがユニコーンを連れ戻そうとした時だった。ばさっと何かが落ちる音がした。
その方向へ視線を向けると、そこには呆然とした表情の所長が硬直していた。当然、その視線はユニコーンに注がれている。
「ど、どうして馬がいるんじゃ……」
所長の足元には小さな紙袋が二つ。あまりの衝撃に手から落としてしまったようだ。
ここはリリスに事情を話してもらうのが一番だ。早くこないかしらと待っていると、フィリアが「どうしたの!?」と困った声を上げた。
見ればユニコーンはリリスの時ほどではないにしろ、興奮状態にあった。
見るからに所長を敵視しているようだった。
ユニコーンが拒絶反応を見せるのは非処女に対してだけ。そのユニコーンが男である所長を避けようとしている。
えっ……。それじゃあ所長って……。
四人の疑惑の目が所長へ向けられる。その理由をすぐに悟った所長は盛大に焦った。
「待つのじゃ! 超誤解じゃ!」
「所長……異常なまでの女好きっていうのは過去のトラウマのせいだったのね」
「わ、若い頃にされたんでしょうか……」
「可哀想だ……オラたちが所長のためにしてやれることはあるだ?」
「三人とも、所長に聞かれてしまいますよ。声のトーンを下げないと。あと、フィリアさんちょっと生々しいです」
「だから誤解じゃと言ってるじゃろ!! 多分、ワシの体にリリスちゃんの匂いが移ってるからそれに反応してるだけじゃ!!」
所長の叫びに四人は「あ、そういうこと……」と納得し、所長の純潔が失われていないことに深く安堵した。だってこんな形で発覚したら気まずいし。