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135.魔物生態調査課

「お宅のお坊ちゃんって最近見かけないけど……どこか具合悪くしたの?」


 エントランスの床を箒で掃く老人に声をかけたのは、このマンション『ブリーシンガメン沖田』に住む主婦だった。

 彼女が心配するのも無理はない。以前はこの時間になると、やけに騒がしい男子高校生がエントランスで寒い寒いと震え、老人が何度部屋に帰るように進言する光景が見られた。


 近頃はその少年を見かけることはなくなり、朝になると老人が暇潰しのようにここを掃除するようになった。主婦の記憶が正しければ、もう十年は少年はブリーシンガメン沖田にいた。

 少年がランドセルを背負っている頃から知っている主婦としては、将来どんな大物になるか楽しみだったのだ。なのに、少年はある日を境に突然姿を消した。最初は風邪でも引いて寝たきりになっていると思った。


 だが、何日経っても彼の顔を再び見ることはなかった。朝になると老人が床に落ちたゴミを掃いている。

 他の住人たちからも心配する声は上がっていた。彼らの会話から二人に血縁関係がないことは知っている。老人がことあるごとに少年を『王子』と呼んでいたことから、金持ちの子供ではと囁かれていた。


 何か込み入った事情があるのかもしれない。それでも、何があったのかは知りたいと主婦は重い口を開いて老人に尋ねたのだ。


「……あの方は遠い場所に行ってしまわれました」


 彼女の不安を読み取ったのか、老人は穏やかに笑みながら答えた。優しい声の中に含まれている悲しさや寂しさ。遠い場所に行ってしまったという言葉。

 まさか……。主婦の脳裏に最悪の結末が思い浮かぶ。

 顔を強張らせ、息を飲んだ主婦に老人は若干慌てた口調で「違います」と付け加える。


「遠い場所というのは天国だったり黄泉の国ではありませんよ」

「あ、そ、そうよね……」

「年齢的に先にそちらに逝くのは私です」

「……………」


 返答に非常に困るブラックジョークに主婦の不安も一瞬で吹き飛ぶ。あの暴走機関車のような少年の世話をしていただけのことはある。

 ただし、やはり老人にはかつてのような元気はない。


「……どこかに引っ越してしまったとか?」

「いいえ、引っ越したというよりは帰ったと言う方が正しいでしょうな。本来、あの方がいるべき世界へ……」

「よく分かりませんけど……寂しくなりますね」

「ですが、あの人の選んだことです。私はそれを喜んで受け入れましょう……」


 本当は自分もついて行きたかったと老人は内心で呟く。

 クォーツ王子のウトガルド行きが決まり、そのお供として選ばれた時はなんと光栄なことかと思った。王子のためなら命をも捨てる覚悟で尽くそうと十年前に誓った。


 クォーツがあの総司という友人に誘われてアスガルドに行き、帰ってきた時の顔は決して忘れることは出来ない。

 命や誇り。あらゆるものを捨て去ってでも何かを成し遂げようとする強い意思を感じた。だから彼から城に帰ると告げられた時も驚きはしなかった。


『命令だ。貴様はウトガルドに残れ』


 恐らく最初で最後となるであろうクォーツからの命令だった。動揺を隠しながらも理由を聞けば、彼はこう言った。

 貴様にまで危ない橋を渡らせたくないのだ、と。

 何をするつもりなのか予想はつかなかった。ただ、老人はその命令を受け入れるしかなかった。どんなに危険な目に遭っても構わないから彼の支えになりたいという気持ちはある。先が短い身だ。死など恐れていない。せめて彼の盾になれればと願った。


 そして、老人はこうしてウトガルドに残った。いや、残されたというべきか。クォーツは老人が少し目を離した内に部屋からいなくなった。彼の私室には何も残されておらず、そこで生活していたという痕跡すら消されていた。


 老人はアスガルドに行くための方法を失った。二つの世界を行き来するために使う鍵はクォーツにしか与えられていなかった。

 総司を頼れば行けないことはない。しかし、老人がそれをしなかったのはクォーツの命令を思い出したからだった。もう二度と彼に会えないかもしれなかったとしても、クォーツに従おうと思った。こちらの世界との別離を決断した彼のために。


「あの方と過ごした日々は決して忘れません……」


 クォーツがこの世界を訪れた理由は決して明るく語れるものではなかったが、十年間は紛れもなく幸せだった。少なくとも老人はそう思っている。


(王子……いいえ、クォーツ様。どうか御武運を)


 彼に伝えることの出来なかった言葉を内心で囁き、老人は箒の柄を強く握り締めた。







 ウルドの役所ではある話題が持ちきりとなっていた。

 それはクォーツ・トリディレインがとある魔女に畏怖を覚えているということだった。二人が出会ったのは試食会の時。魔女は何もしていないのにクォーツがとにかく怯えまくっていたらしい。その光景を目にしていた食堂の職員曰く「人間を怖がる犬」のようだったとか。

 そのため、魔女はクォーツの弱みを握っているのではないとまで噂された。


「……いや、んなわけないでしょ」


 雪のように白い毛並みの馬にブラッシングを施しながらヘリオドールは呟いた。彼女こそが件の魔女である。その黄金色の瞳も今はくすんでいた。


 どうして初対面のクォーツにあそこまで怯えられるのかヘリオドールは分からずにいた。ずっと彼と共にいた総司にも分からないと言う。もうお手上げだ。


 それにしても、だ。


「まさか、あんたとクォーツ王子が親友だったなんてねえ……」

「僕が一番驚いています」

「そうよね。今まで親友だった子が異世界の王子様だなんて」

「僕と斎藤君が親友の仲だったなんて」

「おいおいおいおい!!」


 さらりと辛辣な言葉を口にした総司は、自分の掌の上で眠る鼠をぼんやり眺めていた。茶色い毛並みと長い尻尾と、どこにでもいるような鼠だ。額から紅い宝石が生えているという点以外は。

 このカーバンクルという鼠は爪や体毛と同じように、額からガーネットの角を生やしている妖精だ。その紅く美しい角は空気中に漂うマナ――魔力の源を常に吸収しており、危険が及べば蓄えたマナで強大な魔法を発動させる。

 そのため、小さな体と愛らしい見た目とは裏腹に、捕まえるのは命懸けだ。


「よく寝てるわね……こいつ野生に戻しても大丈夫かしら?」


 カーバンクルは少し前に飼育が禁じられている魔物を大量に捕まえ、虐待していたとするハーチェス家にいたものだ。発見当時はひどく衰弱していたが、この魔物生態調査課に保護されてからは徐々に回復している。あと一週間ほどで自然に帰してやれるだろう。

 魔物生態調査課の主な仕事は名前通り魔物についての調査だが、絶滅が危惧される動物の保護なども行っている関係で、ハーチェス家に囚われていた様々な生物がここに流れ込んできた。

 ちなみにカーバンクルに関しては妖精ということもあり、本来は妖精・精霊保護研究課の管轄だ。だが、暗くて不潔な檻の中に閉じ込められていたショックからか、屋内にいることを嫌がったのである。

 そのため、魔物生態調査課で過ごすこととなった。何故なら、この課は……。


「しっかし……相変わらずすごい課ね、ここって」


 ヘリオドールは純白の一角馬・ユニコーンの体を撫でながら周囲を見回した。

 魔物生態調査課のエリアの最奥にある扉を開けると、広がっているのは広大な牧場だ。魔法によって作り出した仮想空間ではなく、空も風も土も草も本物。

 役所内の扉はどこかの土地に繋がっていた。保護された魔物はここに連れて来られて傷をゆっくりと癒すのだ。

 牧場の果てには結界が張られ、外敵からも襲われることもない。野生で暮らす生物にとっては棲みやすい環境にあった。


「ここってどこなんですかね?」

「さあ……職員たちも知らないっていうし」

「ふふ……教えてあげましょうか。私のお家に泊まりに来てくれるなら」


 総司の背後に忍び寄る黒い影。それが総司に抱き着こうとするより先に、ヘリオドールは鬼のような顔つきで後ろから羽交い絞めにして阻止した。


「リーリース……セクハラはやめてくんない……?」

「冗談よヘリオちゃん。そんな怖い顔しないでってばぁ」


 この牧場がどこなのかは職員でも把握しておらず、唯一知るのはリリスのみである。

 牧場の周りに結界を張っているのも彼女。愛と肉欲に生きているサキュバスのハーフもこの課では頼りになる課長であった。

 もっとも、結構な頻度で男を求めて行方不明となるため、肝心な時に居ない人だと言われてもいるが。

モンスター文庫さんで三巻の表紙が出たでやんす。

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