134.真相
「何故、助けに来なかったのだ」
恨めしそうに親友に詰め寄るクォーツはすっかり憔悴しきっていた。あのあと、他の子供たちもクォーツに興味を示し、彼らの相手をする羽目になったのだ。
王子に堂々と絡みに行く我が子に胃を痛める親も続出したし、老人たちは握手してくれないかとせがんできた。冥土の土産になると喜ぶシルバー世代にクォーツもどう返事を返したらいいか分からず、ひたすら愛想笑いだ。
もみくちゃになりながらも、どうにか人混みが脱出したクォーツが見たものはベンチに座って料理を堪能する総司。自分を見捨てて逃げた親友に怒りが沸き上がるのは当然だった。
「助けるって……誰をですか?」
「俺に決まっているだろう、馬鹿者」
「そう言われても助ける理由が特に見付かりませんよ」
何言ってんだ、こいつ。そんな総司の心の声が聞こえてくるようだ。
何を言っても駄目だなとクォーツは脱力した。こういう時の総司に口喧嘩を挑んでも無駄だ。
そして、総司の次の言葉によってクォーツは大きなダメージを負うこととなる。
「いい訓練になったじゃないですか。君、ちやほやされたいって言ってるくせに、いざ距離を詰められると緊張する人見知りだし……」
「うぐっ……」
「ほら、この子もそろそろ帰るみたいですよ」
そう言ってクォーツへ伸ばされた総司の手には妖精が乗っていた。別れを告げるように控えめな笑みを浮かべ、小さく手を振る。
クォーツもつられるように手を振ろうとして、ふと動きを止めた。迷子になった子供のような表情で、何度も妖精と総司を見る。その行動を不思議がる妖精に、ついにクォーツは覚悟を決めて口を開いた。
「ら……来年も……この国に来るといい」
「…………?」
「その時はもっと貴様に話したいことがある。今まで俺がどう生きてきたとか、今更遅いかもしれんが……聞いて欲しい」
慈愛を込めた柔らかい声と言葉に妖精がゆっくりと瞳を見開く。けれど、すぐに愛しげに笑みを零し、小さく頷いた。
その様子に安堵したように笑いながら、クォーツは「すまんな」と謝った。
「こちらから一方的にまた会おうと約束しておいて、俺はずっと破り続けてきた。きっと子供との約束なんてすぐに忘れてしまう……そう思ってしまった。許されることではないと分かっている。それでも……」
妖精がふわりと総司の手から離れる。
そして、クォーツの頬にキスをすると彼の黒髪を撫でる。羽毛が触れたような微かな感触。思わず固まってしまったクォーツに妖精は何かを告げたあと、青い空へと飛び立っていった。
徐々に小さくなっていくその姿が完全に見えなくなったところで、ずっと黙っていた総司が喋り出した。
「最後にあの子が何を言ったか教えます?」
「構わん。何となく……分かる気がするからな」
「分かりました」
ならば、もうこの話は終わりだと総司が食事を再開する。クォーツはそれを苦笑しながら眺めてから、妖精が飛んで行った空を仰ぎ見た。ウトガルドの空と変わりのない美しい青だ。
こんなに綺麗だったのかと感慨深くなる。視界がじんわりと滲んだ。
「藤原、貴様はこのゲームの中のような世界をどう思う?」
「いい世界だと思いますよ。優しい人もたくさんいて、面白いこともたくさんあります」
「それは違うぞ。この世界はいいことばかりではない。目を背けたくなるような真実もたくさん転がっている。それらは貴様の言うような優しい人間を食い物にしようとしているかもしれない」
「斎藤君……?」
「俺は少なくともこの国に住む者をそんな連中から守る義務がある。今日、ここに来てみてそれがよく分かった。礼を言うぞ藤原」
アスガルドを訪れる直前までは靄にかかっていたクォーツの心も、今はあの空のように晴々している。
脳裏にはレヴェリーとかいう女の妖しげな笑みが浮かんだ。父であり国王であるクリスタロスの姿も。
……いや、クォーツにとっては『あの日』からクリスタロスはもう父ではなかった。
「奴らの化けの皮を剥がして、この国を守る。そのためなら俺はどうなっても……」
「斎藤君、本当に一体どうしちゃったんですか」
「……単なる独り言だ。それよりあの妖精もいなくなったところでそろそろ聞かせろ」
「何を」
「何故、妖精がヘリオドールとやらの部屋に繭を作ったかだ」
妖精がノルンにやって来た目的はクォーツであるとは判明している。だが、わざわざ森ではなく人間の住まいに繭を作る理由が見付からない。
何か自分に関係があるのかもしれないし、知っておきたい。そんなクォーツの心境を理解しているようで、総司は「うーん」と悩んでいる。
「あの妖精さんにとって君は大事な人ですからね。君になら伝えてもいいものか……」
「俺は貴様の頼みを聞いてわざわざアスガルドにまで来たのだ。今度は俺の命令を聞け」
頼みが命令にクラスチェンジして凶暴性を増した。と言っても、総司にとってクォーツは恐るるに足りぬ存在である。「こいつ本当に仕方ねーなー」という緩い雰囲気を纏いながら、総司は重い口を開いた。
「妖精さんはね、ヘリオドールさんの部屋を森だと勘違いしたみたいなんですよ」
「ん? んん?」
初っぱなからクォーツはステータス異常・混乱を喰らった。
妖精は意外と知能が高い。流石に人間の部屋を森だと錯覚するトンデモ発想は持ち合わせていないだろう。
思わずクォーツもはにわのような魂の抜けた表情となる。だが、総司は話を進めていった。
「フレイヤからノルン……それもウルドの中心部に辿り着いた時、妖精さんはとっても疲れていたみたいです。早く繭にこもりたいけど、繭は木々に囲まれた自然の中でないと作れないそうなんですね。で、中心部でそういうところがないか探した結果、見付けたのがヘリオドールさんの部屋であると……」
「ちょ……待て、待って! ヘリオドールは森で暮らしているのか!?」
「役所の寮です」
「え……!?」
クォーツは普段ゲームの時にしか使わない頭を必死にフル回転させて、親友の説明の解読に挑んだ。妖精が選んだのだから、相当緑が豊かな場所だ。インテリアとして観葉植物を二、三個置いたぐらいでは妖精たちのハートは掴めない。
それにより、導かれる結論はただ一つ。思考回路が停止しかけている親友を尻目に、総司は持参してきたペットボトルのお茶を飲んでいた。
「繭から出てきた時、妖精さんが『一週間前はあんなに木があったのに……』って不思議がってましたよ。多分、前みたいにならない内にと伐採して、その時にヘリオドールさんは繭があると気付いたんでしょうね」
「前って何だ、前って! 伐採って単語がどうして出てくるのだ!」
「この緑茶は美味しいなあ……」
「話題を逸らすな!!」
クォーツの頭の中では、ヘリオドールが汚部屋以上のクオリティを誇る部屋に棲んでいる可能性が急浮上している。
そして、その女と親しい友が大いに心配になった。
「ふ……藤原ぁ! そのヘリオドールという女に部屋に誘われても絶対に断るのだぞ! 三枚おろしにされてしまう!!」
「いきなり話がグロくなりましたね」
「ヘリオドール……一体どんな魔女なのだ……!?」
まだ見ぬ魔女に恐れおののくクォーツ。そんな彼は知らない。背後からその魔女が迫っていることに。
(ど、どういうことなのよ……)
総司の友人がまさかの王子様と聞いて緊張していたヘリオドールは状況を把握しきれずにいた。彼女を連れてきたフィリアも大混乱である。
(どうして私王子様からビビられてんの!?)
妖精の繭のくだりを聞いていなかったため、ヘリオドールは理由も分からぬまま、ひたすら怯えるクォーツに強いショックを受けるのだった。
「どういうことだ、こりゃあ……」
漆黒の魔手のリーダー、バイドンは自らが置かれている状況が困惑していた。
数ヶ月はいたであろう牢獄から解放された時は、ついに処刑台に立つものだと思っていた。しかし、連れて来られたのは異国であるオーディンの城。更にその客間で彼を待っていたのは豪勢な食事。暫くぶりのご馳走にバイドンは警戒しながらも、ごくりと生唾を飲み込んだ。
「さあ、どうぞ。私たちはあなたを歓迎いたします」
そう言ってバイドンを椅子に座らせたのは、レヴェリーという常磐色の髪の女だった。とても人の良さそうな笑みを浮かべているが、長い間闇の世界にいたバイドンは見抜いていた。
その優しい笑顔は作り物であると。
「女……俺に何をさせるつもりだ」
「バイドン様は優れた闇属性の魔法の使い手と聞いております。そこであなたに手伝ってもらいたいことがあるのです。……ニーズヘッグの魂を使って」
「あぁ? ニーズヘッグってあの暗黒竜か? あんなもん使って何を……」
「証明したいの」
レヴェリーはどこか切なげに笑いながら、天井を見上げて答えた。その桃色の瞳は別のものを見据えているように思えたが、それが何かまではバイドンには分からなかった。
「全てを覆せるほどの力を手に入れて証明したいの。私はちゃんと神様になれたんだって……あいつらに……」
レヴェリーの呟きには燃えるような憎悪と静かな悲哀が込められていた。
はい、不穏な空気を漂わせつつ今章は終了でございます。
次の次が大きな展開となるので、次は少しほっこりした話にしようかなと思います。