133.静寂の貴公子
料理が並べられたテーブルに群がる人、人、人。総司とクォーツが試食会に顔を見せると、既に大勢の来客で会場は埋め尽くされていた。それだけ賑わっているということだろう。
農家に料理に使用された作物について聞いている客もいる。農家もどこか嬉しそうにそれに答えていた。
しかし、そんな賑やかな空気も総司の隣に立つ少年に気付く者が増えるにつれて変化していった。
「クォーツ様だ……」
「えっ、何で王子様がここにいるの!?」
好奇の目を向けられ、クォーツは苦虫を噛み潰したような顔となる。妖精を肩に乗せて、その隣を歩く総司が「どうしたんですか?」と尋ねた。
「この空気は本当に慣れん。やはり変装をしてくるべきだった」
ウトガルドでもクォーツは主に女子から騒がれている。それは斎藤春人としてであって、どこか親しみや愛着が感じられた。
だが、アスガルドではクォーツ・トリディレインとして対応される。やはり民によって行われる一種の祭りのようなイベントに、王族などが顔を見せるべきではなかったのだ。料理の味に舌鼓を打っていた人々の顔が緊張で強張る。
静寂の貴公子として女性から人気があるらしいことは聞いていた。しかし、実際に会ってみれば喜色より困惑が勝っているようで近寄ろうとしない。出来るだけこの世界にいたくない。その思いから愛想の一つも振り撒かなかった自分も要因になっているのも知っている。
いずれにせよ、冷徹な王子という印象が持たれているというで、彼らにどう接していいかも分からない。
隣にいる親友に言わなければ、こうして大きな用事もない限りアスガルドには来る予定もなかった。ヘリオドールという女性も気になるが、そんなものあとでこっそり見に来るだけで良かったのだ。
「超帰りたい……」
「君、いつも体育の時間になるとそう言ってますよね」
「意味合いは大分違うがな」
あとで覚えていろと念を込めて、クォーツは総司を睨み付けながら言った。
「あっ、いた!」
人々がクォーツから距離を取ろうとする中、逆に近付いていく少女が一人。金髪に翡翠色の瞳を持ったエルフの登場に、クォーツの降下していたテンションも僅かに上がる。
その愛らしい見た目のこともあるが、この状況で自分に近寄ってくれる人物がいるのが嬉しかった。
が、少女はクォーツではなく総司へと向かってきた。
「やっと見付けました、ソウジさん!」
「フィリアさん? 僕何かしましたか?」
「いえ、ヘリオドールさんとずっと一緒にいた妖精がいなくなっちゃって。もしかしたらソウジさんについて行っちゃったんじゃないかなって思ったんです」
「当たりです。と言っても途中ではぐれてしまって怪我しちゃったみたいですけど」
総司が妖精を肩から掌に乗り移らせる。少し顔色が悪く、透明な蜻蛉のような羽が折れ曲がった姿に、フィリアは口を手で押さえた。
「酷い……今、治しますね!」
フィリアは治癒の力を秘めた光で妖精に包み込んだ。羽が徐々に元通りになっていく光景を、クォーツが顎に手を当て興味深そうに見ている。
「ほう……貴様、治癒魔法が使えるのか」
「……ソウジさん、この人は?」
「僕の友達です。こないだ話していた……」
「あっ、パンダの人ですね!」
「藤原ぁっ! 貴様どんな説明をした!?」
第一印象がパンダという謎に満ちた初対面だ。
そして、総司に抗議するクォーツと、それを軽くかわす総司にフィリアは和んでいた。少し前まで森で暮らしていたフィリアは王族を見たことがなく、目の前にいるのが王子と知らなかった。ソウジさんにも仲良しな人がいたんだ、ぐらいの感想しかなかった。
そんなフィリアと総司は周囲からは奇異な目で見られていたが。
「ふう……これで大丈夫だと思います」
フィリアが治癒魔法の光を消すと、妖精は元気よく飛び回った。痛みも残っていない様子で、フィリアに礼を伝えるように何度も頭を下げている。
「……良かったな」
クォーツは妖精に小さな声でそう言った。フィリアは彼を不思議そうに見ていた。
「フィリアさん、これがどうかしましたか?」
「俺を物扱いするな」
「……ソウジさんのお友達さんって魔術師じゃないんですか?」
フィリアが見詰めていたのはクォーツというより、クォーツが腰に差している刀のようだった。
だが、フィリアには彼の武器がそれであることが疑問だったのだ。
「こんなに強い魔力があるのに……どうして魔術師にならなかったのかな」
「あ、そういえば妖精が見えるのは魔力が強い人だけでしたね。そこんとこどうなんですか、斎藤君?」
「……俺は貴様の方が分からん。何故、魔力がないくせに妖精が見えて言葉も分かるのだ」
クォーツは総司の問いに答えることなく、逆に問いを投げ返した。余計なことを聞くな、と言外に含まれているように感じられてフィリアは後悔した。いらぬことを言ってしまった。
落ち込む少女に慌てたのはクォーツだ。ハッとして弁解しようとする。
「き、貴様は何も悪くな……」
「クォーツ様ー!」
クォーツを呼んだのは随分と幼い声だった。振り向ければまだ小さな子供が料理が盛られた皿を持って駆け寄ってくる。総司でもフィリアでもなく、クォーツ。
それも一人ではない。同じ年頃のやんちゃそうな少年も皿を手に走ってきた。
何事だと焦るクォーツの横では、フィリアが子供から発せられた名前を聞いて目眩を起こしそうになっている。しかも、噂には聞いていた沈黙の貴公子ときた。自分が不快にさせてしまった人物が王族というショックはあまりにも強すぎた。
「どうしたんだ、貴様たち……」
彼らの目線に合わせるようにしゃがんだクォーツに、最初に名前を呼んだ子供は満面の笑顔を浮かべ、フォークと料理を盛った皿を差し出した。
「クォーツ様! わたしとおじいちゃんがおっきなお犬に襲われそうになった時、助けてくれてありがとう!」
「おじいちゃん……犬……そうか。貴様はあの時の……」
クォーツの脳裏に蘇ったのは、ハーチェス家に捕まっていた三つ首の魔物ケルベロスが逃げ出した夜だった。クォーツはケルベロスに攻撃されそうになっていた老人と彼の孫をアイオライトと協力して助けた。
今、ここにいるのはその時の子供だ。
「クォーツ様すごくかっこよかったよ!」
「そ、そうか」
「あのね、このお料理すっごく美味しいんだよ。食べて食べて!」
子供の純粋な好意を向けられてクォーツが狼狽する。
もう一人の子供も負けじと王子様自慢を始める。
「おれは妖精見えないんだけどさ、さっきクォーツ様は妖精を悪い奴から助けてたってばあちゃんが言ってたよ! クォーツ様って優しいんだな!」
「俺は別に優しくなど……」
「こらっ! 王子に何て口を……!」
血相を変えた子供たちの親が人混みから抜け出して走り寄る。恐怖と怒りがない交ぜになった親の顔を見て、子供たちも大変なことをしたのだと、ようやく自覚した。
泣きそうになる我が子と共に、頭を下げようとする親たちを「やめろ」と止めたのはクォーツだった。
しかし、やめろと言われても王子に馴れ馴れしい態度を取ってしまった罪は大きい。ですが……と、跪こうとしていた彼らはクォーツの顔を見て、ぎょっとした。
クォーツの顔や首、耳までもが真っ赤に染まっていたのだ。怒りのせいかと一瞬、寒気がしたが、そうではないとすぐに分かった。
恥ずかしそうに視線をあちこちに向けていたので。
「クォーツ様……?」
「す、すまん。こんな形で褒められることなど滅多にないのでな。どう言葉を返していいか分からんのだ」
助けを求めるように総司の方を見ようとしてクォーツは固まった。いつの間にか彼の姿がなくなっている。あのエルフの少女もいない。
緊張からクォーツの顔は更に赤みを増し、二組の親子をひどく混乱させた。
そして、絞り出すように発した言葉は王族にしては拙いものだった。
「あ……ありがとう」
その一言に沈んでいた子供たちの表情も明るくなる。そんな二人に、顔を赤くしたままクォーツは静寂の貴公子の呼び名に似つかわしくない幼い笑顔を見せた。
そんな様子を少し離れた場所にあるベンチに座って眺めていたのは総司だった。その黒髪の上には妖精。
フィリアは同じように総司を捜し、今頃はこの近くを彷徨っているだろうヘリオドールの捜索に行った。頼んだのは総司だ。クォーツに対してガチガチに緊張しきっていたフィリアにはありがたい話だった。
「………………」
妖精はぎこちないながらも子供たちと談笑して、大人たちを驚かせているクォーツを嬉しそうに、けれど寂しそうに見ていた。
十年前、試食会に参加していた彼は随分と憔悴しきった様子だった。あの頃はまだ王子であることなど知らなかったが、確かこの国の王妃が亡くなったという噂が妖精の間で流れていた。
きっと、母親を亡くした直後で、城の者に元気づけるために連れて来られたのだろう。
あの時のクォーツの昏い瞳を見付けた時、妖精は放っておけなかった。死に限りなく近い。そんな目をしていた。
だが、あの時の子供は無事に大きく成長してくれた。それだけで……妖精は十分だった。
「僕の友達は色んな意味で不器用なんですけど」
総司が口を開く。
「大切なことは絶対に忘れない人ですよ」
妖精がその言葉の意味を考えている間、総司は呑気に欠伸をしていた。
今章で一番書きたいシーンでした。
果たして彼が本当の意味で幸せになる日は来るんでしょうかね。
次回、今章ラストです。