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129.邂逅

 雲一つない青空の下、試食会の会場は役所の前となった。

 倉庫にしまわれていた長机を綺麗になるまで拭いてから並べていく。虫が寄ってこないようにするため、虫が通ることの出来ない特殊な結界を張るのも忘れない。

 下準備も終え、会場には次々と食堂で作られた料理が運ばれていった。見た目もよく食欲をそそる香りが参加者たちを盛り上がらせる。

 子供は早く食べたいと駄々を捏ねて母親を困らせている。農家の面々はそんな光景に、母親には悪いものの微笑ましく感じていた。


「小さな頃の俺は野菜ばっか出てきた時は肉を食わせろって怒ってたんだけどなあ」

「あの子の口に合えばいいな」

「ほら、男共! 早く動きな!」

「へいへい」


 農作業の時に比べて女性陣の動きは機敏である。男たちが料理が零れたら……とおっかなびっくりになりながら皿を運ぶ一方で、早足で会場を行ったり来たりを繰り返して運搬している。

 自分たちはいらないのではと思うが、動かなかったら動かなかったで怒られるのでやるしかない。




 役所の食堂では料理を一通り作り終え、力尽きた調理係たちがぐったりとしていた。まさに屍。

 いくら作りやすいと言っても大量となれば話は別だ。このような修羅場は慣れている食堂の店員と、やけにカラフルなプリンを食べている総司以外は机に突っ伏していた。水しか受け付けられないヘリオドールは老婆の如き嗄れた声で呻くように言った。


「あんた信じらんない……どうしてそんなもんパクついてんのよぉ」

「頑張ったご褒美として一個もらいました」

「小さな子供か……」


 ツッコミにもいつもの覇気が感じられない。調理係に回った農家の者たちもいざ本番となると、一昨日と違って更にスピードも要求されると知って震えている。

 燃え尽きたヘリオドールには、ピンク色の髪の妖精が魔法で起こした風を送っていた。涼しげな風が火照った体には心地よく感じる。


「あー……ありがとね。まだまだ頑張らなくちゃいけないわ」


 戦いはまだ続く。会場に送り込まれた料理たちの残量を見て、もう一度作らなければならないのである。


「ふわー……今のうちに体を休めておかないとですよね……」

「いや、お前とヘリオドールとソウジはもう仕事を離れていいぞ」


 苦笑混じりの顔で頭に被った三角巾の位置を調整していたフィリアに、冷たい水が入ったグラスを渡しながら言ったのはジークフリートだった。彼も事務作業や戦闘の時とは違うタイプの忙しさにやられて、少々疲れているようだった。

 フィリアはそんな上司からの言葉に落ち込んだ。


「私……役に立てませんでしたか?」

「ん? そういうことじゃなくて、ここからは少しゆとりを持って作業出来るからな。お前たちも会場に行って楽しんでこいってことだ」

「ジークフリートさんはずっとここにいるんですか?」

「まあな」


 ジークフリートは椅子に座ってから、そう答えた。その返答にヘリオドールは不思議がった。


「あんたも会場に行けば女の参加者が大量に釣れていいんじゃないの?」

「いや、俺は会場に行くべきじゃない」

「なんか理由あんの?」

「俺が行ったら女の参加者の意識が料理じゃなくて、俺にばかり向いて試食会どころじゃなくなるだろ?」


 悪気も慢心も存在しない。ただ事実のみを語ったつもりのジークフリートの発言に、食堂内が水を打ったように静かになる。

 更に、何がまずかったのか本人だけが知らず、ただ空気が瞬間冷凍されたことだけは感じ取って困惑している。


「ど、どうしたんだ。急にそんな目で俺を見るなんて……」

「びっくりした……あんたじゃなかったら頭カチ割られても文句は言えない発言だったわよ、今のは」

「ジークフリートさんだからこそ言えることですよね。こんなの会場で言ったら最後、一揆が起こりますよ」

「一揆!?」

「試食会をモテない男たちによる下克上大会にするわけにはいかないわよね。あんたはやっぱり食堂にいた方がいいわ」

「だから何なんだ……」


 日常的にモテる男の業の深さに、ヘリオドールは息を呑む。満たされている内はそれがどれだけ尊いか気付かないというものだろう。


「……それじゃ、僕はジークフリートさんのお言葉に甘えますね」


 そう言いながら、プリンを食べ終えた総司が容器とスプーンを自分で洗い始める。律儀な少年である。


「そ、総司君! あんた誰かとこのあと一緒にぶらつこうとかそういう約束してる?」

「約束はしてませんね」

「だったら私と……」

「ソウジさん! 一人で行くなら私と試食会回りませんか!?」


 えっ!? とヘリオドールは愕然とした。あのフィリアが突如立ち上がり、人前で堂々とお誘いの言葉を放ったのである。ジークフリートも驚いて目を見開いている。

 あくまでもヘリオドールは一人だと詰まらないし一緒に、と軽いノリで誘おうとしていたのだ。この状況で「ヘイ、私と一緒に行こうぜ」的なテンションで誘ったら取り返しのつかないことになること間違いなしだ。

 かと言って、ここで三人で行こうと言う勇気はヘリオドールにはない。フィリアはきっとそれを受け入れるだろうが、彼女の心を思うととてもじゃないが言えなかった。

 ヘリオドールに出来ることはただ一つ。総司とフィリアが二人で試食会を回るのを容認することだけである。


(でも……そしたらフィリアちゃんは……)


 ヘリオドールは見ていた。役所に来た時に小さな紙袋を持っていたフィリアを。

 その中身が何なのかぐらい分かっている。何故ならヘリオドールもほんの少しだけ重みのある紙袋を持っていたから。

 想い人のために一生懸命作ったパイを彼に食べさせたい。そんな想いが溢れそうになっているフィリアの邪魔をする資格などヘリオドールにはなかった。

 ヘリオドールも確かにパイを作った。だが、これを総司に食べさせるかどうかはまだ決めかねていた。作ったのはほぼ衝動的だった。試食会の日に手作りのパイを食べさせると、その相手と結ばれる。そんな話を総司が知っていたらと考えるだけで顔が熱くなってくる。

 それに知らなくても、総司にパイをあげるという行為は認めることを意味している。否定し続けてきたが、心の底ではずっと大切にしてきたこの感情を。


 きっと、この想いを最後まで認めないまま他の誰かに総司を奪われてしまったら、きっと一生後悔するだろう。本当は自分にも総司にも素直になってしまった方がいいのだ。


 だけど……と焦燥感に駆られながらもヘリオドールは総司を見た。彼はフィリアの誘いを受けるのだろうか。不安げな表情でその口が開くのを待った。

 その直後、総司から妙な機械音がした。ヘリオドールにはその正体がすぐに分かった。

 総司の携帯電話の着信音であり、彼のお気に入りのゲームのBGMである。


「ちょっと待っててください」


 そう言って、総司が制服のポケットから出した携帯電話の通話ボタンを押して耳に当てる。


「どうしたんですか? そうですね、君のパソコンに拳を叩きこんで壊しても弁償しろとか言わないのであれば……駄目ですよ、現実と理想の狭間から抜け出ることが社会復帰の第一歩です。汚泥のような闇から歩き出し、聖なる光の下でその身に受けた罪を洗い流すのです」


 さりげなくすごいことを色々を言ったあと、総司は携帯電話の通話を切った。


「僕の友達も試食会に来るみたいです」

「マ……マジで!? なんか途中からヤバそうな匂いがしてたけど!?」

「してました。ということでフィリアさんすみません。とりあえず、その人を迎えに行かないといけないので」

「は、はい!」


 小走りで総司が食堂から去って行ってしまう。 どこかぎこちなかった雰囲気が霧散していき、ヘリオドールは盛大に大きなため息をついていた。助かったと思うより先に、総司への呆れと疑問が出てきてしまった。


(男なら友達よりフィリアちゃんを優先するでしょ、空気が読めないんだから……そりゃ私には都合が良かったけど……って、総司君の友達って誰?)


 悶々と考えているとフィリアと目が合った。一瞬、ドキッとしてしまったのは向こうも同じらしく、強張った顔をされる。

 けれど、すぐに安堵と疲れが混じった笑みへと変わるのだった。


「ちょっとだけ残念だけど……安心もしてます。私、どうせ緊張して渡せないと思うから……」


 何を、なんて聞かなくても分かる。ヘリオドールは「私も」と小声で言葉を返した。

 何の話かと首を傾げる他の面々の中で、事情を知っているジークフリートは優しい眼差しを二人に向け、あることに気付いた。

 ヘリオドールにくっついていたあの妖精がいない。




「……で、君はどうして僕についてきてしまったんですか?」


 役所を出て街中を歩く総司の顔の横には妖精が飛んでいる。妖精が口をぱくぱくと動かすと、総司は瞬きを数回した。


「ヘリオドールさんが二人きりで大事なお話をする? フィリアさんとですか?」


 こくこくと首を縦に振る。


「それなら、君は僕と一緒に僕の友達を迎えに行きましょうか。大丈夫です。彼はとても優し……あっ」

「きゃっ!」


 ずっと妖精を見ながら話していたせいで、前から歩いてきた人物とぶつかってしまった。総司はよろける程度で済んだが、相手は衝撃を殺せずに尻餅をついた。

 常盤色の髪の女性のようだった。


「すみません、余所見をしながら歩いていました」

「いえ、私の方こそ……」


 総司が差し伸べた手を掴み、女性が顔を上げる。

 そして、薄紅色の瞳が総司の姿を捉えた瞬間、女性は浮かべていた愛想笑いを消した。


「あなたが……どうしてここにいるの」


 女性――レヴェリー・レルアバトが呟くように総司へと尋ねる。激しい憎悪や妬みを無理矢理押さえ込もうとし、それが僅かに滲み出た声だった。


 怯えた表情をした妖精がどこかへ飛び去ってしまった。

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