126.一夜明け
「それで? この妖精ちゃんはずっとヘリオちゃんにぴったりなわけねぇ」
本日、役所に訪れたヘリオドールはいつもと違っていた。その肩に小さな妖精が乗っているのだ。
自分と同じ色のピンク色の髪をいじりつつ、時折ヘリオドールの頬に自分の頭を擦り付けている。
妖精は魔力をあまり持たない者には見えない存在だったが、魔術師などにはその姿がはっきり見えていた。その微笑ましい光景に、口元を緩ませている。
リリスも妖精の可愛らしさに骨抜きにされた一人だ。
フィリアとジークフリートから話を聞いていたようで、ヘリオドールの姿を見付けると「ヘリオちゃーん、私にも妖精ちゃん見せて~」と駆け寄ってきたのである。
「妖精ちゃんって大体はフィリアちゃんくらいの見た目の子が多いんだけど、こういう子は本当に珍しいの。ジークが鼻血を出した気持ちも分かるわぁ」
「うげっ、あいつ鼻血出したの?」
「妖精ちゃんを思い出したら止まらなくなったって言ってたわよ」
「だから、あいつ総司君には立ち入り禁止って言われるし、この子に怯えられるのよ」
ちなみにジークフリートはフィリアから自分の声に反応して妖精が怯えたことを聞き、保護研究課で落ち込んでいる。彼の部下たちからは失恋した男みたいで哀れだから何とかしてくれと言われたが、無茶振りはよせとヘリオドールは断った。
フィリアもいつもより強い口調で「駄目です」と彼らの懇願をぴしゃりとはね除けた。
男が思っている以上に女の子の心は繊細で壊れやすい。男が純粋な愛を向けたとしても女の子が本気で嫌がるようなら、その時点で結果は知れている。周りが勝手に盛り上がって二人の溝を埋めようと模索したところで、女の子にはいい迷惑だ。
ジークフリートもそれを分かっているからこそ涙を流しながら、この妖精から距離を取っているのだ。奴が一番自分がどうすべきか理解していた。
「でも妖精はちゃん女性的な心と容姿を持つだけで、厳密には中性的な種族なんだけどね」
「待って。その話を前提に置いてジークの行動を顧みると、あいつかなりヤバい奴になる」
「愛に種族や身分の壁なんて関係ないわぁ」
「リリスって爛れてるくせに一ヶ月に一回くらいは、いいこと言うわね……」
何気に酷いことを吐き捨て、ヘリオドールはポケットから総司にもらった金平糖の小瓶を取り出した。中から黄色い金平糖を出して妖精に渡すと、喜んで食べ始める。
「ジークとかフィリアちゃんから聞いてはいたけど、この子たちって甘いのが好きなのねー……」
「妖精ちゃんの主食は花の蜜や小さな果実だから、こういうのが好きなのよ。甘いし見た目も可愛いから」
「この子昨日黒い金平糖欲しがってたけどね。ピンクとか青とか綺麗な色だから可愛いのに、何で黒を欲しがるかなぁ……」
ヘリオドールは不思議そうに首を傾げ、妖精へ手を伸ばした。すると、妖精はヘリオドールの手の甲に乗り、そこで金平糖を食べるのを再開した。
まるで小動物のようだ。リリスはその様子に癒されつつ、感心したように言った。
「ヘリオちゃん、よく妖精ちゃんの考えてることが分かったわねぇ」
「結構時間かかったけどね。部屋に置いてた黒い種と金平糖を交互に持って何だろうと思ってたけど……」
「多分……ソウジちゃんの色だから、じゃない?」
「総司君の色……」
ヘリオドールの脳裏に浮かんだのは黒いマントを纏い、ドクロがあしらわれた王座に腰かける総司の姿だった。
世紀末感溢れる部下をイメージしてしまい、ヘリオドールは眉間に皺を寄せた。
「なんか魔王みたい……」
「……ヘリオちゃんは何を想像したのかしら」
「ま、まあ、でも、妖精と一緒に過ごすのって大変なのね。総司君がいないと中々意志疎通が上手くいかないもの」
「そうね……」
「リリス?」
リリスは艶かしい笑みを消し、静かな眼差しで妖精を見詰めていた。どこか凛としたその表情はいつもの彼女ではないような気がして、ヘリオドールは一瞬だけ寒気を覚えた。
しかし、そんな魔女に気付くとまたサキュバスらしい妖艶な笑みを浮かべるのだった。
「ふふっ。どうしたの、ヘリオちゃん」
「い、いや、別に?」
「ごめんなさいね、驚かせちゃったかしら」
「あ、えーと、うん。今のリリスちょっとだけ怖かった」
「妖精のことに詳しい人から聞いた面白い話思い出しちゃって」
「……面白い話?」
「聞きたい?」
「ここまで言ったんなら教えてよー」
沸き上がる好奇心を抑えきれず頬を膨らませるヘリオドールに、リリスはその頬を指で軽く突いた。
「んー、やっぱり秘密にしちゃおっと」
「結局それかい!!」
期待が裏切られてヘリオドールは声を荒らげた。
本人がこう言っている以上、何が何でも口を割らないだろう。リリスとはそういう人物である。
「あ゛ー……期待して損した」
「残念だったわねえ、ヘリオちゃん」
「いやいや、私を残念な気持ちにさせたのリリスでしょ! 同情はいらないから、その話聞かせてよ!」
「聞かせてもいいんだけど……このことを教えてくれた人も本当にそうだとは限らないって言ってたから」
「あっ、こらっ!」
思わせ振りな発言をしておいて核心には触れることなく、リリスが逃げるように立ち去っていく。それを追いかけようとするヘリオドールの髪を妖精が引っ張った。
「ん? 何?」
動きを止めたヘリオドールに、妖精が何かを教えるように後ろを指差す。振り向いたものの、何もなかったので、どうしたのかと思った時だった。
「あ、ヘリオドールさん!」
フィリアが曲がり角からひょっこりと姿を現した。
「妖精も一緒に来てたんですね」
「………………」
「……えっと、何かありました?」
「ううん。妖精って随分と勘が鋭いんだなあって……」
ヘリオドールが零した呟きに、妖精は誇らしげに胸を張った。ここは褒めた方がいいのだろうか。ヘリオドールは「えらいえらい」と妖精の頭を指で撫でた。
それだけで満足げに目を閉じてされるがままになっている妖精に、ヘリオドールが微妙な笑みを浮かべる。
超可愛い。超可愛いのだが。
「ヘリオドールさんどうしたんですか?」
「この子すごく人懐っこいのよ」
「そうですね……」
「なのにジークには怯えているから、ちょっとあいつが可哀想になっちゃって」
オボロだけではなく、いかつい見た目のブロッドにすら妖精は怯えずに近付いて行った。なのに、やはりジークフリートだけは駄目なようで、名前を口にする度にびくっと体を震わせている。
総司に事案と言わしめた彼だが、哀れにも思えてきてしまった。この愛くるしい笑顔を彼にも向けてやってはくれないだろうか。
フィリアも同じことを考えていたようで、小さくため息をつく。
「課長、泣いてました……」
「でも、あいつ超いい男よ。昨日総司君に部屋に入れてもらえないからって買ってきたお菓子は全部置いて行ってくれたのよ……そのほとんどが私の胃袋に収まったけど」
「妖精があんなにたくさん食べられないって分かってるはずなのに……あ、でもジークフリート課長が買ってきてくれたお菓子は美味しかったですね」
どこで買ったのかは知らないが、ジークフリートが妖精のために買ってきたお菓子はどれも美味しかった。あれらを彼はどんな顔をして買ったのだろう。店員の中にジークフリートのファンがいなかったことをヘリオドールとフィリアはただただ願った。
見ず知らずの人の恋心が粉々に砕けていませんように。
「……そういえば私一つ気になることがあるんですけど、妖精はどうしてヘリオドールさんのお部屋に巣を作ってたんでしょうか?」
「うーん、総司君も多分そこは聞いてるはずなんだけど……」
総司はその部分にだけは一切触れず、そのまま帰宅してしまった。今日も試食会の打ち合わせで少しだけこちらの世界にやって来るのだ。
その時にでも聞いてみればいい。ヘリオドールはそんな計画を立てた。