125.遠征してきた理由
ヘリオドールを真顔にさせ、フィリアに「可愛いですよね、妖精……」と覇気のない声で言わせたジークフリートは突然部屋を飛び出していった。衣服まみれの部屋に何とも言えない湿った雰囲気のみが残される。
これからどうしよう。ヘリオドールとフィリアは目を合わせるとほぼ同時にそんなことを思った。総司は妖精に金平糖を食べさせながら、どうしてこんなところにいるかを聞き出していた。
妖精や精霊の言語が理解出来る総司さえいれば全て解決するのだ。軽やかに去って行った男などいてもいなくても一緒な気がした。彼に来て欲しいと言ったのは自分であるが、ちょっとばかり本気でヘリオドールはそう思ってしまった。
ただ、フィリアは上司の異変に心を痛めているようで、ジークフリートが戻って来るのを待つように何度も玄関へ翡翠色の視線を向けている。そんな健気な少女にヘリオドールは優しい声で、けれど諭すように言った。
「フィリアちゃん、ジークフリートのことは忘れましょう」
「でも……」
「いい人だったわよね……私にこの部屋を紹介してくれたのも、役所に働き始めた私を所長のセクハラの手から守ってくれたのもあいつだったわ……」
「忘れるって存在そのものをですか!?」
思い切りの良さに定評のあるヘリオドールの豪快な忘れ方に、床の服を拾っていたフィリアが仰天した。
「総司君、妖精から話は聞けたー?」
「金平糖は砂糖で出来てるんだよってお話してました」
「誰が金平糖の原材料の話をしろって言った!? ていうか、その情報源あんたでしょうが!!」
「あ、この子はフレイヤから来たって言ってましたよ。転移? 魔法が使えないから頑張ってここまで飛んで来たらしいです」
肝心な情報がおまけ扱い。総司はさりげなく重要なことを言ったあと、白い金平糖を自分の口に入れた。
フレイヤというと、あの機動力が異常に高いお姫様がいる国だ。
あの国は妖精国と称されており、妖精や精霊にとっては棲みやすい自然の宝庫である。わざわざ心地の良い住み処からこんな国までやって来る理由が思い当たらない。
ヘリオドールが意見を求めてフィリアを見るも、彼女も分からないようで首を傾げている。
「何で、あんたウルド……っていうか、私の部屋に来ちゃったのよ」
よっぽど気に入ったのか、ピンク色の金平糖を一心不乱にかじっている妖精に話しかける。妖精はヘリオドールに気付くと、悲しそうな表情でぺこっと頭を下げた。
その行動に固まるヘリオドールへ総司が解説をする。
「勝手に部屋の中に繭を作ったからヘリオドールさんが怒ってると思ってるみたいですよ」
「ちょっとびっくりはしたけど、怒りはしないわよ。それだったら火の玉ぶつけたり電撃与えたり氷漬けにしようとした私の方が圧倒的に悪いじゃない……」
ジークフリートが聞いたら、白目を剥くこと間違いなしの余罪が次々と出てきた。
だが、フィリア曰く妖精の繭はかなり頑丈で、それぐらいでは壊れたり中で眠る妖精に被害は及ばないらしい。ヘリオドールが謝罪すると、妖精は「謝らないで」と言うように首を横に振って微笑んだ。
髪と瞳が自分と同じ色で幼い容姿。少し前にとち狂って部屋を出て行った残念な男ほどではないが、ヘリオドールの胸もときめいた。
小さな妹が出来たような気分だ。
すると、総司からまたもや興味深い情報が告げられた。
「……毎年ウルドの試食会が開かれる時期に来てるみたいですよ」
「何で? 料理目当てってこと?」
「何でも会いたい人がいるようで」
「会いたい人ねえ……」
更に聞いてみれば、妖精は九年前からずっと年に一度の試食会に来ているようだが、目当ての人物には未だに会えないらしい。
その人物に初めて出会ったのは十年前の試食会。どうしても人間たちの開く催しに興味があって、妖精がこっそり様子を見に来た時だった。
人間の子供。分かっているのはそれぐらいで名前も聞けなかった。けれど、子供には妖精が見えていて別れ際にはこう言ってくれたのだ。
「また会おう」と。
「……それじゃあ、あんたはその言葉をずっと信じてるんだ」
ヘリオドールの表情は浮かない。
所詮は子供の口約束だ。とっくに忘れているだろう。現に九年間ずっと会えずにいるのだから。
「ねえ、あんたはその子供があんたのこと覚えてるって信じてるの?」
ヘリオドールがそう問いかけると、妖精は自信満々に頷いた。迷いなど一切感じられない。
「ヘリオドールさん……この子、本当に会いたいんだと思います」
フィリアがどこか悲しげに目を伏せる。
「フレイヤに普段棲んでる妖精にとって、フレイヤに比べて自然が少ないウルドは住みづらくてあまり長くはいられないらしいんです。だから、繭の中に隠れて試食会が始まるまで体を休めるつもりだったのかも……」
「そっか……でも、私たちが騒いでたから早めに出てくることになっちゃったのね。悪いことしたわね。よしよし」
ヘリオドールの指に頭を撫でられると、妖精は擽ったそうにしたが、嫌がる素振りは見せなかった。
そこまでして会いたい人物はきっと自分が妖精にそんな言葉を告げたことすら記憶に残っていないだろう。けれど、その愛らしい笑顔を見ていると、彼女にはそんな虚しい真実など伝えられない。
「でも、なんでそんなに会いたいんですか?」
金平糖を食べながら総司が尋ねると、妖精はぱくぱくと口を動かし始めた。ヘリオドールやフィリアには分からないが、言葉を発しているようだ。
話し終わったようで妖精が口を閉じるとヘリオドールは総司に尋ねた。
「何て言ってんの?」
「心配だから、だそうです」
「えっ? その子供に恋をしたとかそういうパターンじゃなくて?」
「はい。出会った時、何だかとても悲しそうにしていたので、もう一度会って元気にしているかどうか確かめたいと」
「こんなに可愛いのに、なんか母親みたいな理由ね」
「私はまだ百七歳でそんな歳じゃないって文句を言ってます」
「しかも、ジークより年上……」
ここにいない男の反応が見てみたいものである。
「あの、それでこの子どうしましょう?」
新たな議論のネタを投じたのはフィリアだった。
「そうねぇ……」
「私たちの課で預かることも出来ますけど……」
試食会が開かれるまであと三日。確かにこんな場所に置いておくよりは、妖精や精霊がある程度過ごしやすい環境を整えることが出来る妖精・精霊保護研究課の下にいるのが一番かもしれない。
ところが、妖精はヘリオドールとフィリアの会話を聞くと、金平糖を手離してヘリオドールの髪に抱き着いた。
「ちょ……ちょっとぉ!?」
「ここから出て行きたくないんじゃないですか? ヘリオドールさんに懐いてるみたいだし」
まだぽりぽりと金平糖を食べつつ、総司がそう言う。
「懐いてるって……いくら部屋を提供したとはいっても……」
「容姿が似てるから親近感持たれてるんじゃないですか?」
「それはあるかもしれませんね!」
総司の推理にフィリアが頷く。
ヘリオドールは何とか妖精を髪から引き剥がすと、苦笑気味で聞いてみた。
「あんた、もうちょっとだけ私といる?」
その言葉に元気をなくしていた妖精の表情がぱあっと明るくなる。そして、何度も頷いたあと、頬にキスをされてヘリオドールは悶えた。
「この子可愛い~~~~~!」
「ヘリオドールさんも気に入ってるみたいだし、とりあえず解決ですね。この金平糖は置いていってあげよう……」
「でも、どうして妖精はヘリオドールさんのお部屋にいたんでしょう……ジークフリート課長なら何か分かると思……ソウジさん?」
「同族だから分かります。この邪な気は恐らく……」
謎めいた台詞を残して総司がリビングから出て行った。
その直後、玄関から騒ぎ声が聞こえてきた。
「なっ……どうして部屋に入れてくれないんだ! 妖精たんのためにこんなにお菓子を買ってきたんだぞ!? あんなに幼い見た目の妖精たんなんて滅多に見れな」
「入っちゃ駄目です」
「何故!」
「今のジークフリートさんは事案そのものだからです」
結局、総司がジークフリートを部屋に入れることはなかった。彼の判断は正しいと言える。
何故なら妖精はジークフリートの声を聞き、不安気に体を震わせていたからだ。
どうしてヘリオドールのおへやにいたかはあとで明らかになります。




