124.繭
アクシデント。いや、これは単なる人災だ。ヘリオドールの衣服に埋もれた総司はピクリとも動こうとしない。それを見たヘリオドールは最悪の事態を想像して青ざめると、急いで山を崩し始めた。
「総司君生きてて……!」
「死ぬな、ソウジ!」
ジークフリートも加勢に入り、衣服を周囲に投げ捨てながら掻き分けていく。
それを横目で見たヘリオドールは非常に大事なことを思い出して息を飲む。彼を総司救出メンバーに入れるべきではなかったのだ。
慌ててジークフリートの手を止めさせようとするも、時既に遅し。彼の手はしっかりとヘリオドールのパンツを掴んでいた。
年が随分と離れている上にどちらも恋愛感情など1ミリも抱いていないとはいえ、これは看過できる行為ではなかった。
「ドヒェェェェェェl!」
「な、何だぁぁぁぁ!?」
あまりの羞恥に顔を赤らめながら絶叫するヘリオドールに、事の重大さに気付かずジークフリートが驚いた。同時にパンツを勢いよく投げ捨てたことにより、ヘリオドールの羞恥は憤怒にシフトチェンジした。
「これからはちゃんと片付けるようにするから女の子の下着をそんな風に扱わないで!」
「じゃあ、どうしろって言うんだよ! 敬いながらそっと置いたら逆に気持ち悪いだろ、俺」
「本当に気持ち悪いな! あんた実は少し変態属性入ってるでしょ!!」
「そもそも女の子って歳でもないだろ!」
「万死! その台詞は万死に値する!!」
パンツを話題に口論へと突入した美男美女の目の前で随分と削り取られた山が噴火したのはその時だった。中から飛び出してきたマグマこと総司は、水浴びしたあとの犬のように首をぷるぷると振った。
「総司君良かった! ごめんなさい、大丈夫だった!?」
「服って重いんですね」
「ほ、本当にごめんなさい……」
ここまできたらキレてもいいレベルである。特に平素と変わらない様子にヘリオドールは申し訳なさから涙ぐんだ。
そして、残された衣服はあとで片付けることになり、一行は問題の生物がいると思われる部屋へと向かった。
そこはリビングだった。観葉植物が数種類置かれ、テーブルに薬の調合に使用する蜥蜴の干物が放置されている以外は、特におかしなところはないように見える。
だが、皆さんお気付きだろうか。そう、赤い花を咲かせた観葉植物に注目していただきたい。
一見、ウトガルドに生息している椿という植物に似たそれの枝の一つをよく見ると、何かがぶら下がっているのが分かる。
まるでカマキリの卵のような白く球体に近い形の物体。それは数秒ごとに白くぼやけた光を発している。
「多分、一週間ぐらい前からあると思うんだけど……」
そう語るのは、この部屋に住む女性のHさん。ある日、仕事から帰ってきた時、この物体を発見したという。
Hさんは当初はカマキリの卵と判断し、外して森に移そうと考えた。しかし、どんなに力を入れても外すことが出来なかったため、やむを得ず魔法で燃やそうとした。
その時のことをHさんに再現してもらうと……。
「ホアタァッ!」
Hさんが火炎で出来た球体を出現させる。一歩間違えれば部屋を焼いてしまう恐れがある。そのことを危惧した彼女の部下が「やめた方が……」と忠告をするも、「大丈夫よ」と受け流す。一体何が大丈夫なのか。
火球はカマキリの卵のようなものにぶつかっていくも、燃え上がることなく消滅してしまった。正確に言えば、その瞬間赤く光った卵に吸い込まれていったようにも見える。
これはどういうことなのだろう……。今回の調査に同行したジークフリート氏の紅く鋭い瞳が謎の生物Zを睨み付ける。
「果たして彼は生物の正体を解明することが出来るのか。そして、CMのあと、取材陣は信じられない光景を……」
「総司君、さっきから何なの。その変なナレーション」
「緊迫感が増していい感じかなと思いまして」
「あんたはテレビ局の人間か!」
確かに総司のいつもより低い声での語りは室内の空気を重くさせていた。ジークフリートとフィリアが深刻そうな表情で何かを話し合っている。
いや、総司のせいではない。二人は物体を見た時点で正体を見破っていたようで、ヘリオドールが火球を生物Zにぶちこんだ瞬間にはジークフリートが「あ、ああ……!?」と悲痛な叫びを上げていた。フィリアも上司ほどではないが、魔女の凶行に身を震わせていた。
尋常ではない彼らの様子にヘリオドールも実はわりと洒落にならないことをしでかしたのだと気付いた。
「私何した!? 絶対にヤバいことしちゃった系でしょ!? ジークの目が死んでるもん!!」
「えーとですね……これはですね……」
フィリアが頬を引き攣らせながら慌てふためくヘリオドールに説明しようとした。まさにその時だった。
物体Zが騒ぎに気付いたかのように強い輝きを放ち始めた。
「これは取材に来た我々への警告ということなのだろうか? このあと、Hさんの部屋に棲み着いていた謎の生物の正体が明らかに……」
「あんたさっきから滅茶苦茶楽しんでない!?」
「昨日テレビで謎の生物特集がやってたので、つい……あっ」
「えっ、どうし……あっ」
総司の声にハッとしながらヘリオドールが物体Zに視線を向けると、表面に細かいヒビが入っていた。
先手必勝と気合を入れて杖を握り締めるヘリオドールだったが、それを止めたのはジークフリートとフィリアだった。二人がかりで羽交い絞めにされては流石に身動きも取れない。
「待て! もうこれ以上それに危害を加えないでくれ!」
「お願いです、ヘリオドールさん! 何か事情があったと思うんです! その子をいじめないでください!」
「ほっ!? な、何!?」
ヘリオドールが困惑しているうちに、ついに物体Zから白い発光体が飛び出してきた。
それは天井付近を飛び回ったあと、ゆっくりと降下してヘリオドールの目の前にやって来た。
「ぎゃー!」
「あら、可愛いですね」
ヘリオドールと総司の反応は正反対だった。声色はいつも通りだったが、少なくとも総司のコメントは好意的だだ。
その眩しさに発光体から顔を逸らしてしまっていたヘリオドールは、恐る恐るそれへと視線を向けていた。
そこにいたのは鋭い鎌がキラリと光るカマキリ。でなければ、赤黒い液体に塗れたグロテスクな生命体。でもなかった。
ヘリオドールとよく似たピンク色の髪の色と黄金色の双眸。頭からは小さな触角がぴょこんと生えており、蜻蛉と似た羽でパタパタと飛んでいる。
真っ白なワンピースに身を包んだ掌サイズの少女は、呆然とするヘリオドールに無邪気な笑みを送った。
「わ……私の子なのかし」
「いえ、十中八九違うと思いますよ」
動転しまくっているヘリオドールが言い終わるより先に総司が的確なツッコミを入れた。その間にも少女はヘリオドールの肩の上に乗っかると、ヘリオドールの髪をいじり始めた。
人間で言えば、少女の外見年齢はまだ五、六歳ほどだろうか。その楽しそうな表情を見ていると離れろとも言えず、ヘリオドールは少女を放置して事情を知っているらしきフィリアに話しかけた。
ジークフリートは急に座り込むと俯いたまま動かなくなってしまったので、使い物にならない。
「フィリアちゃん、この子って妖精……よね? あのカマキリの卵みたいのから出て来たけど、そうやって生まれるもんなの?」
「えっとですね、これは妖精の卵というより巣みたいなものだと思います。妖精は魔力は人間よりも強いですけど、人間に比べて脆い種族で一度疲れてしまうとすぐに回復することが出来ないんです」
フィリアが妖精が出て行って殻になった卵らしき物体を見る。それは役目を終えると様々な種類の花びらに姿を変えると、はらはらと崩れ零れてしまった。
「そこでこうして花びらと自分の魔力を練って作った繭のようなものに籠って、体力が回復するまで眠りに就きます」
「つまり、ヘリオドールさんはそれに向かって炎を少なくとも二回は……」
「総司君、お口チャーック!!」
こんな愛らしい生き物が中にいると知らなかったとはいえ、かなり外道なことをしてしまったという現実を受け入れられない。ぽつりと呟く総司に向かって鬼気迫る表情で叫ぶ。
凄まじい自己嫌悪に陥っているヘリオドールへフィリアがフォローを入れた。
「で、でも私もほとんど見たことはないんです。妖精が繭を作るのは森の奥とか人目に付かない場所だそうですから。そうですよね、ジークフリート課長……大丈夫ですか、課長!」
ジークフリートが膝を抱えたきり復活しようとしない。ヘリオドールが「おじいちゃん、こんなとこで寝ないで」と体を揺らすも、心を開こうとしない。しかも何かを呪詛の如く呟いていて不気味ですらある。
妖精好きなジークフリートの逆鱗に触れてしまったのだろうか。同僚に嫌われたと涙目になるヘリオドールに代わって総司が起こそうとする。
が、総司は赤く染まったジークフリートの耳を一瞥したあと、彼の顔の辺りに自分の耳を近付けるだけだった。
そして、十秒後に立ち上がってヘリオドールに呟きの内容を報告した。
「妖精たん超可愛い、だそうです」
「うわっ」
ヘリオドールの涙が一瞬で枯れた。
総司「アイ〇ツ観てる時の僕もこんな感じですよ」
ヘリオ「うわああああああああああ」
総司「ライブ観に行かなきゃ……」