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119,お願い事

 休憩室の前に立ち、真剣な表情で室内を覗き込んでいるヘリオドールを見付けた。それはオボロが廊下を歩いている時のことだった。


(関わっちゃいけない物件だ……)


 明らかに明らかな不審者と遭遇したオボロは、速やかにその場から立ち去ろうとした。が、寸前で足を止めた。ヘリオドールに何か問題が発覚して役所を去ることになっても構わない。

 しかし、それによって彼女が連れてきたウトガルドの少年まで来なくなってしまうのは困る。彼は対所長の切り札である。何かあった時にもういませんよ、というのは非常に困る。

 とりあえず様子だけ見て、後はすぐに逃げようとオボロは休憩室に足を近付けていった。


「……何してんの」

「ヌァア! 曲者!!」


 女性の口から聞けるとは思わなかった奇声。呆然とするオボロに、ヘリオドールは振り向き様にラリアットを喰らわせようとした。それをギリギリで避けたオボロは腰を抜かしながら叫んだ。


「何この理不尽な暴力!?」

「ご、ごめん……びっくりしちゃって……じゃなくて、しー! 静かに!!」


 そう言うヘリオドールの方が音量を下げるべきである。

 ふらつきながらも立ち上がったオボロに、何も言わずにヘリオドールは休憩室の僅かに開いたドアの隙間を指差した。中を見ろ、ということだろう。これで自分も不審者の仲間入りかと思いながらオボロは目を凝らして室内を見る。

 すると、奥の方に見慣れた黒髪の少年がいた。その腕には小さな仔猫が収まっている。

 灰色の毛並みにエメラルドの瞳。可愛い、ではなく美しいという言葉が先に思い付く外見をしていた。総司はずっとその猫の背中を撫でているようだった。


「猫……撫でてるね」

「撫でてるでしょ!?」


 ヘリオドールは興奮した様子でオボロの言葉に賛同した。


「あの猫どっから来たの? ソウジの飼い猫?」

「クエスト課から貰った依頼で預かったみたい」

「クエストって……あ、そういや今日ってソウジはこっちに来る日じゃなかったよね」

「なのに、遊びに来ていいですかって言うから何事かと思えば……」


 クエスト課での依頼を受けるためにやって来たようだ。少し前までアスガルドのことなんて知らずに過ごしていたのに、すっかりもう一つの世界に馴染んでしまった。順応力すごいなあ、と感心しながらオボロは総司を観察し続けていた。

 猫は眠いのか、全く動こうとはせずに総司に撫でられ続けている。


「ヘリオドールもソウジが受けたクエストの内容は知らないの?」

「勝手に引き受けちゃってたのよ……聞こうにもすぐに休憩室に閉じ籠もっちゃって、聞くに聞けない雰囲気になっちゃったし……」

「だからってここで見張ってなくてもいいじゃん。過保護だなあ」

「べ、別にちゃんとクエストを達成出来るか心配してるわけじゃないわよ! ただ、猫を撫でる総司君って可愛いなーって思ってただけよ!」


 えっ。心配で覗いてたんじゃなくて、愛でるために覗いてた。完璧に犯罪者じゃないっすか。

 固まったオボロの表情に、ヘリオドールも自らの失言に気付いて頬のみならず耳まで真っ赤にした。事情を知らない者が見れば、オボロがヘリオドールをたらしこんでいる光景。しかし、実際はただの自爆である。


(自白しやがった……)


 どんどんヘリオドールが邪な道を進んでいく。

 オボロはどう反応するか迷った挙げ句、『優しく接する』の菩薩の選択を選んだ。


「ぶ、部下を温かく見守ることはいいことじゃない、かな……」

「顔を引き攣らせて言ってんじゃないわよ馬鹿ー!!」


 ヘリオドールがその場から逃げ出していく。オボロは特に追いかけようとはせず、小さくなっていく後ろ姿を見送った。

 すると、休憩室からニャーニャー聞こえてきた。視線を室内に戻せば、あれほど大人しかった猫が狂ったように泣き喚いている。

 総司はそんな猫に何を思ったのか、撫でるのを止めて猫をテーブルの上に乗せた。猫はぶるぶると痙攣を始めた。

 これは少しまずいのでは。見兼ねたオボロが休憩室に飛び込んだ瞬間だった。


「ニャァァァァァァァァァァ!!」


 ここ一番の叫び声を上げた猫の背中が縦に真っ二つに裂けた。


「ヴワァァァァァァァァァァァァ!!」


 オボロも叫んだ。総司は黒い瞳を見開いて乱入者の登場に混乱していた。


「え? オボロさん?」

「猫!! 裂けた!! ヤバい!!」

「この『虫』はそういう種類です」

「はあ!? 虫!?」


 見れば裂けた猫の背中からは、一滴も血が噴き出していなかった。代わりに中から出てきたのは、美しいエメラルドグリーンの翅。

 小さな猫の体の中から一匹の緑色の蝶が姿を見せた。総司が窓を開けてやると、蝶はひらひらと美しい翅を羽ばたかせながら大空へと飛び立っていった。


「ソウジ、僕は夢を見てるのかな」

「現実です」

「何あれ」

猫蝶ねこちょうという珍しい蝶みたいです」


 猫蝶。卵から孵って幼虫の間は普通の蝶と変わらない見た目だが、蛹が猫のような姿をしている蝶である。蟲人によって飼育されており、蛹から成虫になる間際はずっと蛹を撫でて脱皮を促すのだ。

 そして、成虫となった後は脱け殻を残して空へ飛んでいく。あのエメラルドグリーンの蝶が捨て去った残骸をオボロは虚ろな目で見ていた。


「猫蝶を撫でて成虫にしてみないかと依頼をもらったんです。貴重な体験をさせてもらいました」

「……何で君こんなトラウマになりそうな依頼受けたの?」

「僕、猫も昆虫も大好きですから」

「大好きだからってチャンポンは良くないよ」


 ペラペラになってしまった猫蝶の蛹は、本物の毛皮のようである。手触りも中々いい。

 しかし、使いたいとはこれっぽっちも思えない。金を積まれて「これでマフラー作って使え」と言われてもお断りである。


「これ、どうすんの?」

「僕は使いませんし、土に埋めようかと」

「後ろめたい感じがする」


 犯罪の香りが半端ない。しかし、総司の案が一番いいような気もする。

 そう思っていると、廊下からどたどたと足音が聞こえてきた。


「オボロ、さっき奇声は何!? まさか総司君に何かあった、んじゃ……」


 休憩室に入ってきたのは息を切らしたヘリオドールだった。

 そこで彼女が見たもの。それは大きく開け放たれた窓と、二人の職員。中身が無くなってしまった灰色の猫の毛皮。


「ヒィィィィィィィィィィ!!」


 役所内に響き渡る絹を裂くような乙女の絶叫が響き渡った。




「おっ、その様子だと猫蝶をちゃんと孵化させたみたいだな。えらいえらい」


 口から泡を吹いて倒れたヘリオドールがオボロや近くを通りかかった職員に運ばれた数分後、休憩室に顔を見せたのはアイオライトだった。


「これ、どうしましょう。毛皮の使い道がありません」

「あとで鑑定課に持って行きな。防具の素材として結構高く売れるんだぜ。鑑定証持って売りに行けば中々の値段にはなるよ」

「ありがとうございます」


 礼を言いながらも総司は猫蝶の毛皮をもふもふし続けている。その質感を気に入ったようだ。

 そんなやや幼い動作を繰り返す少年をずっと見ていたアイオライトの頬はどこか赤く、何かを言おうと口を開閉させていた。

 そして、意を決したように声を出した。


「ソ、ソウジ! お前、アタシに何かして欲しいことあるか?」

「ないですけど……」


 一刀両断。

 数日前、猫の展覧会に行った時はデートどころではなくなってしまい、聞けずじまいとなってしまった。だが、どうしても諦めきれず、思い切って聞いてみれば淡白な答えにアイオライトは「お、おう」と呆然とした表情で頷くしかなかった。


(やっぱり駄目か!? この幼女体型じゃ駄目なのか!?)


 世の中には小さな少女に劣情を催す男もいる。総司もその類だったら……と大穴を狙っていたのだが、現実なんてこんなものである。むしろ、総司がロリコンでありますように、とふざけた願望を抱いたことにめっちゃ罪悪感が押し寄せる。

 項垂れて休憩室を去ろうとするアイオライト。彼女の後ろ姿を見ていた総司の口が開く。


「何でもいいですか?」

「え!? 何かあるのか!?」

「わあ、早い」


 ものすごいスピードでアイオライトは総司の近くへと走り寄った。


「で、何だ!? この体で出来そうなことならなんでも言ってくれよ!?」

「髪飾り」

「あん?」

「この間、アイオライトさんにあげた髪飾り。あれを一度でいいから着けてもらえませんか?」


 そう言われてアイオライトは懐から硝子製の蝶の髪飾り。薄青と白で構成されたグラデーションの翅は見る度に綺麗だと思っていた。

 それを青い髪の飾り付ける。


「……こんなんでいいの?」

「こんなんでいいんです」


 呆けたような声で聞くアイオライトに、総司は首を縦に振る。どこか安堵しているように見えるのは気のせいだろうか。アイオライトは目を数回瞬きをした。


「な、なあ、似合ってるか?」

「似合ってます」

「でも、他にも何かあったら言ってもいいんだぞ。これじゃアタシが褒められて喜ぶだけだし……」

「……その髪飾り気に入ってくれましたか?」

「え、勿論!」


 大好きな人からの贈り物でこんなに素敵な物、気に入らないはずがない。アイオライトが即答すると、総司は毛皮をまたもふもふする作業を始めながら「それでは失礼します」と言って休憩室から出て行ってしまった。

 今日の総司はいつも以上に分からない。アイオライトはそう思いつつ、髪飾りにそっと触れて微笑んだ。


今章は終了でございます。実は今回、初めて髪飾りを付けたアイオライト。

次は血で血を洗う女の争いを書こうと思ったのですが、とりあえずその前に短いお話を挟みます。

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