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116.裁きの時間

 この胸の中で渦巻いている不快で濁った感情が何なのか、オリーヴは自問しながら今回の元凶の前に立っていた。

 動物を好き勝手に弄んだ彼らが許せないだけなのか。権力を我が物として腐るところまで腐ってしまった彼らに絶望しているのか。

 あの忌まわしい地下室で生まれた怒りの他にも何かがオリーヴには存在した。

 それは罪悪感だった。オリーヴは妖精になる前は普通の猫として、人間に慈しまれ愛されていた。あの頃はまだ優しい飼い主がオリーヴの世界の全てだった。人間の恐ろしい行為が蔓延している世界だなんて知らなかった。

 妖精になって優れた知恵と永い命を授かってから一匹の猫はそのアスガルドを知るようになった。自分のように人間に愛され幸せな日々を過ごすものもしれば、人間によって虐げられ命を落とすものも同じくらい存在する。

 食べるためでもないのに、己の中に棲み着いている嗜虐心を満たすためだけに殺すのだ。

 許すわけにいかない。許せない。許さない。


「ケット・シー……ウトガルド人と脱走したっていう……!?」

「フラット様下がってください! 今、私がこやつを始末します!」


 兵士がオリーヴへと斬りかかろうとする。オリーヴは逃げ出すことも、表情も変えることもなく手を前に伸ばした。

 剣に亀裂が走り、兵士が異変に気付く間もなく砕け散る。

 妖精は魔法を使いこなす。そんな存在を前に何の能力も備わっていない剣一本で相手をすることほど無謀なことはない。

 自らの武器を破壊され、動きを止めた兵士は唖然とした顔でオリーヴを見た。

もうオリーヴは笑っていなかった。二色に輝く瞳で戦う術を無くした兵士へ冷たい眼差しを送った。


「君はまあ……見逃してやろう」

「ひっ!?」


 兵士の体の周りに白い煙が現れる。甘い果実のような香りを持つそれを吸い込んだ兵士は白目を剥くと、その場に倒れた。……眠りの魔法だ。

 自分たちを守る者がいなくなったフラットはやけくそ気味に叫んだ。


「こ、こんなことをしてどうなるか分かっているのか!?」

「もちろん。ボクは君たちと違って善悪の区別はちゃんとつく正常な思考の持ち主なのでね」

「だ、だったら人殺しなんてやめろ!」


 何とか説得を試みようとするフラットに、オリーヴは静かに笑い声を上げた。馬車の中からはシャルロッテとグレイシアが出てくる。

 まさかオリーヴはここにいるとは思わなかったのだろう。二人は息を呑んだ。

 そんな母子にオリーヴは優しい口調で語りかける。


「フラット殿は君たちよりはいくらか賢いようだ。たった今、自分たちがボクに殺されることをしっかりと理解している」

「な……何でケット・シーが私たちを殺そうとするのよ!? お前は牢に閉じ込めただけでしょ!? お前なんかに殺される筋合いなんてないわ!!」


 シャルロッテが周囲を見渡しながらわざらしく大声で叫ぶ。この声を聞いて誰かが助けに来ることを期待しているようだ。

 だが、四人以外に人の気配などなかった。不気味なまでの静寂の世界に愚かな罪人の喚きが虚しく響き渡るだけだ。


「殺される筋合い? よく言えたものだ。では、ボクからも君たちに聞いてみよう。君たちが暗い地下に閉じ込めた生物たちの中には既に死んでしまったものもいる。彼らは君たちに殺された。彼らは君たちに殺される筋合いはあったのか?」

「そ、それは……」

「私たちが殺したわけじゃないもん! あいつらが勝手に死んだんでしょ!?」


 流石に言葉に詰まったシャルロッテだったが、グレイシアが半泣きで抗議する。この状況での言葉に、娘を溺愛して可愛がっていたシャルロッテも厳しい顔をして、彼女の口を手で塞いだ。

 が、意味はなかった。オリーヴは乾いた笑いを漏らし、グレイシアを睨んだ。


「あっはははは……傷付き、飢え、無念の中で力尽きた彼らの死に君たちは何の関わりもなく、勝手に死んだ……黙れゴミ屑!!」


 オリーヴの怒号に三人はびくりと震えた。


「君たちは何としてでも殺す……君たちのような人間は一人残らずこの世界から消さなければならない……!」

「い、嫌よ! 誰が獣なんかに殺されなきゃなんないのよ!」

「ママ!?」


 足手まといになると判断したのか、グレイシアを突き飛ばしてシャルロッテがオリーヴがいる方とは反対の方向に向かって走り出す。

 逃さない。そんなオリーヴの意思が具現化した檻が空から降ってきて三人を閉じ込めた。


「さて……誰から殺そうか……ボクも人殺しは初めてだ。しっかりと悔いの残らないようにしっかりとこなさなければならない」

「や、やめろ。許してくれ……」

「お願い……何でもするから殺さないで……」


 フラットとシャルロッテが涙を流しながら命乞いをする。グレイシアは生まれて初めて母親に見捨てられたショックからか、へたり込んで呆然としていた。

 あの檻に閉じ込められていた生物たちもこんな気持ちだったのだろう。オリーヴは手を微かに震わせながらそんなことを考えていた。

 震えは歓喜による震えではない。今から人間を殺そうとしている自分に対して恐怖を覚えていたのだ。


「君たちに一番恐怖と痛みを植え付けて殺す方法……何がいいだろうか?」


 きっと、ここで三人を殺せば二度と戻れない。オリーヴはそんな予感がしていた。

 今までのように笑って猫の舞踏会で過ごすことは出来ない。ハーチェスの人間を殺すことが必ず必要なことではないと分かっているのだ。人間に罪を裁かせるのが一番ということも知っている。

 だからこれはオリーヴの自己満足を満たすための殺しだ。それは彼らと同じように堕ちることを意味している。


「まずは皆と同じように君たちを檻の中に閉じ込めて手足を拘束しよう。それと杭も打っておいて……」

「や、やめろ……化物……!」


 化物。フラットの口から放たれた言葉にオリーヴの表情が凍り付く。それも一瞬のことだった。

 すぐに冷徹な顔へと戻り、一本の斧を出現させて柄を強く握り締める。


「だったら化物らしく残虐な方法で始めようか」

「きゃっ……!」


 グレイシアの体が浮き上がり、檻を擦り抜けてオリーヴの目の前まで飛ばされる。

  オリーヴはグレイシアの金髪をそっと撫でた。

 だが、もう片手には妖しく光る斧が携えられている。これから先が起こるのか。グレイシアもすぐに悟ったようで、いやいやと首を横に振る。


「まずは君を両親の目の前で殺しておこう。子供を必要以上に痛めつける趣味はないのでね、一撃で終わらせてやる」

「やだ、離して! お母さん、お父さん助けてえええ!!」


グレイシアが泣き叫びながらもがくが、何の意味も為さない。彼女の声など、今更オリーヴの心に届くはずもなかった。


「さようなら」


 意識せずに口から漏れた一言はグレイシアに対してだったのだろうか。それとも、もう会えないだろう猫の舞踏会のメンバーへの惜別の言葉だったのか。もうオリーヴは考えるのをやめて、斧をグレイシアへと振り下ろした。


「やだああああああああ!!」


 闇夜に谺する少女の悲鳴。その直後、血飛沫が——上がることはなかった。


「え……」


 斧はグレイシアの額に届く寸前で止まっていた。オリーヴが情けをかけて止めたわけではない。

 いつの間にかオリーヴの背後に立っていた人物が斧を押さえつけていたのだ。


「ここにいたんですか、オリーヴ君」


 自分の名を呼ぶ穏やかな声。オリーヴが恐る恐る振り返る。そこにいたのは総司だった。


「ソウジ君……どうして君がここに……」

「頼まれてましたし」

「え?」

「『ボクから目を離さないでもらいたい』って。そのこと、忘れてました」


 二人でベンチに座って会話をしていた時、オリーヴが何気なく言った言葉だった。


「君は律儀な男だな……」


 オリーヴは緩く首を横に振った。


「見ての通り、ボクは今とんでもないことをしようとしていた。もう君に優しくされる資格なんて……」

「猫の舞踏会の皆さんがオリーヴ君がいないって心配してましたよ。帰りましょう?」

「でも、ボクは人を」


 言いかけたオリーヴの足に温かいものが触れる。

 見下ろしてみれば、黄金猫の仔猫がオリーヴの足に寄り添っていた。


「にゃー」

「この子が僕をここまで連れて来てくれたんです。オリーヴ君の匂いをちゃんと覚えていたみたいですね」

「…………………」

「帰りましょう、オリーヴ君」


 総司が手を差し伸べる。

 総司と仔猫を見たあと、オリーヴはハーチェス一家へと視線を移した。三人とも乞うような目でこちらを窺っていた。


「……そうだね、帰ろう」


 オリーヴは斧を消して小さく息をついた。

 そして、諦めと悔しさと……安堵を抱き締めながら総司の手を握るのだった。


今章で一番書きたいところでした。


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