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111.白布の下

「う……にゃ!」

「ハ……ハジメ!!」


 走り続けていたハジメこと雄の黄金猫がついに力尽きた。立ち上がる気力も残っていないのか、その場に倒れた黄金猫に少年が駆け寄る。脚に巻かれた包帯を血まみれにしてまで駆けていた猫をそっと抱き上げ、よく頑張ったなと褒め称える。

 少年は猫以上に息を切らしていた。顔を隠す包帯が少し解けかかっている。

 遅れてアイオライトもふらついた足取りでやって来る。かつては勇者と共に数多の激戦を潜り抜けて来た聖剣だが、それは二十年前の話だ。猫の全速力に何とかついていき、見失わなかっただけでも大したものである。


「わ、脇腹いてぇ……!」

「ふん……情けないぞ、聖剣アイオライトよ……俺はまだまだよゆ……がはっ、ごほっ」

「思い切り呼吸乱れまくってんじゃねーか!!」

「ひ、ひぃぃぃ……こんなに疲れたのは町内マラソン以来だ……コホー……コホ―……」


 尊大な態度を保ち続けているのも限界がきたようだ。その場に蹲りつつも、猫をしっかりと離さないところは褒めるべきだろう。

 互いに罵ったあと、アイオライトと少年はしばらく動けずにずっと息切れ状態が続いた。二人共瀕死だった。


「しかし、ハジメはどうしてここまで走ったのだ? 貴様も辛いだろうに……」

「あっ!」


 少年の腕から逃げ出し、なおも黄金猫が動こうとする。だが、もう走れはしないようで、よろよろと歩くだけだ。

 アイオライトが慌てて抱きかかえようとすると、黄金猫は牙を剥き出しにして威嚇の動作を取った。だが、それは敵意を向けているのではなく、「いいから黙って見ていろ」と伝えようとしているようだった。

 黄金猫は目的地へと一歩一歩踏み出していき、やがて今度こそ完全に動けなくなって倒れてしまった。


「どうしてこんな無茶したんだよ、お前! ア、アタシたちも死にそうだってのに……」

「ふむ、この屋敷は……」


 アイオライトが黄金猫を抱きかかえる横で、少年は眼前に聳え立つ建築物を仰ぎ見た。

 他の家とは明らかに一線を越した豪華な造りの屋敷だ。黄金猫はこの屋敷を目指していたようだった。いや、ここに自分たちを導いていた。

 アイオライトもここがユグドラシル城で大臣を務めているフラット・ハーチェスの自宅だと知っていた。


「ふーっ……」


 黄金猫が屋敷に向かって低く唸る。怪我に構わずここまで走り、殺気だった視線を向ける理由は限られてくる。


(まさか……でもハーチェス家の人間がそんなことするのか?)


 古の時代からノルンを支えてきた誇り高き名家だ。黄金猫を捕まえようとするだろうか。

 訝しむアイオライトだったが、そんな彼女を屋敷の正門に横に立っていた見張りの兵二人が驚いた表情で見ていた。

 正確にはアイオライトではなく、少女に抱かれた黄金猫だったが。


「お、おい。あれ黄金猫じゃないのか?」

「そうだな……体も随分大きいし、あいつらの親か?」

「嘘だろ。フレイヤの森からわざわざ追いかけてきたっていうのか……よ……」


 小声で会話をしていた兵士二人は突然、顔を強張らせた。蒼い髪の幼女が憤慨した様子でこちらに向かってきたからだ。今更口を塞いだところでもう遅い。


「聞いたぜ……今、あいつらの親って言っていなかったかあ?」

「……知らないな、聞き間違いじゃないのか?」

「しらばっくれんな! お前ら絶対にフレイヤで捕まった黄金猫について何か知ってるだろ!?」


 アイオライトが藤色の瞳で兵士たちをきつく睨み付けながら叫ぶ。

 だが、始めの内は狼狽していた兵士たちも、落ち着きと冷静さを取り戻し、小さな少女へ呆れを込めて鼻を鳴らした。


「今日は猫の舞踏会の催し物があるだろ。黄金猫が見たいならそっちに行けばいいじゃないか。会えるかもしれないぞ」

「そうだな。俺たちもその話をしていただけだ。ハーチェス家とは何の関係もないよ。親のところにおかえりお嬢ちゃん」


 アイオライトが劔族で、自分たちよりも何倍も長く生きていることを知らないとしても、失礼な物言いだった。

 いっそ、菫青剣を出現させてしまおうか。そんなことを目論むアイオライトの後ろで、少年は彼女が拾った鞄を勝手に開けて物色していた。

 法螺貝に、木魚、使いかけのスクリーントーン。はては食パンの袋を纏めるための白いプラスチックの留め具まで。協調性がまるでない中身ばかりだ。

 だが、一冊の薄い本を取り出したところで少年の手の動きが止まった。

 それはウトガルドで人気沸騰中のアニメ、魔法孰女ジョセフィーヌの同人誌だった。ちなみに全年齢指定の健全オールギャグ本。


「これは俺の好きな作家のスマート本ではないか。コミケでしか販売されず、コミケに行けなかった俺に表紙とサンプル画像のみを無慈悲に見せ付け涙を流させた幻の熟ジョ本……」


 オタク丸出しの発言をしつつ、血走った目で本を見詰める少年。そこの横を二人組の女性が通りかかり、「あいつ超ヤバい」と聞こえるように言って去っていく。

 兵士と口論をしているアイオライトも、ちらちらと少年の様子を見ながら同じことを思った。総司もアニメや漫画という娯楽をこよなく愛しているが、あそこまで湿ってはいなかった。

 とどのつまり、気持ち悪い。


「ほら、とっとと立ち去れ。いい加減にしないと城に連れていくぞ」


 兵士の一人がアイオライトの脇を掴んで持ち上げた。


「離せ! どいつもこいつも幼女扱いしやがって!」

「だって見た目がそうだろ。背伸びしたがる気持ちは分かるが、ハーチェス家に喧嘩を売るのは得策じゃないぞ」

「喧嘩など売っておらん。俺たちはどこかで囚われの身になっている黄金猫を捜しに来ただけだ」


 今まで見ず知らずの人間の鞄を漁っていた少年が三人の下にやって来た。その手にはやや厚みはあるものの、それでも薄い分類に入る本がある。

 合同同人誌でも再録本(今まで出してきた同人誌を一冊に纏めた本)でもない。それはウトガルドに住む十代の若者なら誰もが知っている本……教科書というものだった。

 妙な服装に顔を包帯で隠した不審人物が話に加わってきた。兵士二人は露骨に嫌そうな顔をした。


「黄金猫という貴重な猫の親子がフレイヤで生け捕りにされた。そこの幼女の腕の中にいるのは、家族を取り戻そうと奔走している父親だ」

「知るか、そんなこと!」

「そうか……ならば、もう一つ聞きたいことがある。人捜しだ。俺の友がこの屋敷にいないかを確認したいのだが、いいだろうか?」

「ハーチェス家にお前のような怪しい奴の友人が? そんなわけあるか」


 兵士は鼻で笑った。


「すまん。ただ友が普段纏っている香の香りが貴様共に移っているからな。もしや……と思っただけだ」


 少年の言葉に兵士の一人が自分の臭いを嗅ぎ始めた。

 それをもう一人が止める。


「何してるんだよ、馬鹿。俺たちが捕まえたのはケット・シーの方……」

「言い忘れていたが、友はケット・シーと共にいたようでな。何者かに拉致された可能性が高い。ああ、ちなみに香の話は嘘だ。……貴様ら、やはり何か知っているな?」

「くそっ、カマをかけやがったな!?」

「口が羽毛布団のように軽い貴様らが悪い。ハーチェス家にはろくでもない噂がまことしやかに流れていたが、どうだろう。俺とそこの幼女を屋敷に入れてはくれんか?」

「はっ……国の大臣様の家にお前らみたいなみすぼらしい平民を? これ以上、やかましくするようならハーチェス家に危険を及ぼす者として斬り捨てるぞ」


 兵士が腰に差した鞘から剣を引き抜くべく、柄に触れようとする。

 しかし、少年が抜刀するのが先だった。その白銀の切っ先が向かう先は剣を抜こうとした兵士の喉元だ。


「な、何をっ」


 兵士には少年が刀を抜いた瞬間が、いつなのかすら分からなかった。声を震わせる同僚にもう一人が剣を抜いて、少年を斬ろうとする。

 少年はそれに構わず、顔の包帯を片手で器用にほどいていった。


「みすぼらしい平民では駄目か。ならば、これなら如何だ?」


 白い包帯の隙間から見える瞳と髪の色は漆黒。

 次第に明らかになっていく顔に、兵士たちの表情が引き攣っていく。格下への余裕は消え失せ、みるみるうちに蒼白になっていった。

 アイオライトも驚愕でただただ双眸を見開くことしか出来ない。


「だから言っただろう、幼女よ。俺は変装のために包帯をしていたと」


 包帯が全て解けて現れたのは端正な顔立ちだった。

 一方、兵士たちと言えば足を大きく震わせている。


「な、ど、どうして」

「言っておくが本物だ。疑うならば、今すぐにでも変化の術を解くための魔術師を引っ張ってこい。疑うことは悪ではない」

「う、疑うなんて、そんな」

「では、通してくれるな?」

「はっ、はいっ」


 可哀想なくらいに狼狽する兵士たちに、少年は浅葱の羽織をはためかせながら、「お勤めご苦労」とわざとらしく労りの言葉をかけて門を通っていった。アイオライトも混乱を隠し切れない様子で、彼のあとを追った。



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