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109.堕ちた名家

 グレイシアの母親は口紅で真っ赤に染まった唇を愉しそうに歪ませ、牢の中にいる総司たちを見た。

 その眼差しにオリーヴはひどく不快な気分になった。長く生きている中で何度も見てきたから分かる。これは自分たちに害を及ぼそうとする者の目だ。

 オリーヴが睨み返すと、母親の顔が嫌悪で歪む。が、すぐに笑みを貼り付けて取り繕う。


「自己紹介が遅れてしまったわね。私はシャルロッテ・ハーチェス。この屋敷の主で、あなたたちの主よ」

「お母さん! この子たちのご主人様は私なの!」

「あらあら、そうだったわね。ごめんなさい」


 頬を膨らませて抗議するグレイシアに、苦笑して謝るシャルロッテ。端から見れば微笑ましい光景だが、内容は狂っている。

 オリーヴは息を深く吐いてから、親子の会話を黙って見ている総司へ視線を向ける。ケット・シーであるオリーヴを捕まえようとした者はいくらでもいた。

 だが、ウトガルドからやって来た。それだけの人間を捕まえて『飼おう』とする話なんて聞いたことがない。


「どうしてボクだけじゃなくてソウジ君まで?」

「あら、ソウジって言うのね、その子。実はウルドの役所で働いてるって話をグレイシアが聞いて、欲しい欲しいってずっと前から言ってたの」

「うん! だって、ウトガルド人なんてあんまりいないもん。飼って皆に自慢するの。私のお家はウトガルド人も飼えるくらいすごいお家だって」

「ふざけないでもらいたい。そんなくだらない理由でソウジ君を捕まえたのなら、今すぐ解放するんだ」


 幼稚にもほどがある理由だ。オリーヴがわざと殺意を込めて言えば、グレイシアは息を飲んで母親の後ろに隠れた。

 怯えた表情を見せる娘の頭を優しく撫でたあと、シャルロッテは左手に持っていた鞭で床を強く叩いた。


「そんな声をしてもだぁめ。グレイシアは将来このハーチェス家を継ぐことになる尊い存在よ」


 聞いたことがある、とオリーヴは思った。ハーチェス家はウルドでは知らぬ者はいないとされる家系だ。古くからユグドラシル城と結び付いており、多くの者が政治に携わる役職についてきた。

 欲に惑わされず、己の信念を貫く強堅な精神を持った一族。そう呼ばれていた。

 しかし、たった今、オリーヴの目の前にいる者たちからは、その気高さは微塵も感じられない。目先の欲しか見えていない獣同然の存在だ。


「あなたたちは、これから娘が飽きるまでずっとハーチェス家に飼われることになる。だからよーく覚えておきなさい。ハーチェス家の者が白と言えば、どんなに穢らわしい黒でも雪のように美しい白になる。それがこのノルンの国を支えてきた一族に与えられる特権よ。それはどんな者にも覆すことは出来ない。……グレイシアにはね、まだ子供の内にその構造を教えておく必要があるの。将来、偉大なるハーチェス家の主として平民を導き隷属させるために」

「……いつから偉大なるハーチェス家は愚かなるハーチェス家になったのだろう。嘆かわしいな」


 オリーヴの言葉は煽るためではなく、本心から出たものだった。富と権力を持つだけで人とはここまで変わってしまう生き物なのかと。

 しかし、シャルロッテにとっては、その諦観じみた呟きは侮蔑以外の何物でもなかった。グレイシアも母親が悪く言われているのは分かったようで、目を吊り上げる。


「お母さんを虐めないで!」

「私は平気よ、グレイシア。あなたは優しい子ね……この猫は少し生意気なようだから、あなたに預ける前に少し躾をしておこうかしら」


 そう言って、シャルロッテは鞭を構え、オリーヴに向かって何の躊躇もなく振るった。

 それは鉄格子の隙間に入り込み、オリーヴへとまっすぐ襲いかかる。直後の痛みと衝撃を予想して、オリーヴは無意識に目を強く瞑った。

 バシン、と叩かれる音。しかし、痛みも衝撃もやって来なかった。不思議に思い込み、ゆっくりと瞼を開いてオリーヴは驚いた。

 総司がオリーヴの前に躍り出て鞭の打撃を受けていた。庇うように顔面を覆っていた右手に当たったらしい。仔猫も鞭を受けないようにするためか、床に降ろされていた。


「ソウジ君! どうしてボクを庇ったんだ!?」

「いや、動物虐待ですから……」


 右手は赤くなっていた。かなり痛いはずなのに、総司は表情一つ変えることがない。

 それがシャルロッテの癪に触った。もう一度、鞭を振るおうとしたところで、屋敷の使用人が小走りでやって来た。


「シャルロッテ様、そろそろお食事の時間です。上に戻りましょう」

「あら、もうそんな時間だったのね。……あなたたち、今回はこのくらいにしておいてあげるわ」

「待て! せめてソウジ君だけでも……」

「バイバーイ! あとで誰かがご飯持ってくると思うから待っててね」


 シャルロッテたちが牢から離れていく。オリーヴの話を聞こうとする者はいなかった。

 唯一、使用人だけが哀れむような視線を向けたが、それだけだ。主に囚われの者たちを解放するようにと進言することはなかった。

 言葉を失うケット・シーに、シャルロッテが振り返り、愉悦に満ちた笑みを浮かべる。


「あなた……鞭に叩かれそうになった時、とてもいい顔をしていたわよ」

「…………!」


 あまりの屈辱にオリーヴの頭に血が昇る。すると、グレイシアが何故か引き返してきた。


「仔猫ちゃんは持って行かないと小さいから牢から逃げ出しちゃうかな? ほらー、おいで。美味しい餌あげるよ」


 そう言って、グレイシアが牢の隙間に手を入れて、仔猫にこっちに来るように声をかける。だが、仔猫は総司の後ろに隠れて出てこようともしない。

 自分にまったく懐く様子がない仔猫を冷えた眼差しで見下ろし、グレイシアは愛らしい顔を苛立ちで歪ませ、舌打ちをした。


「何なの? 黄金猫って皆人間が好きじゃないの? 猫のくせに……」


 ふん、と鼻を鳴らして立ち去っていく。三人分の足音が消えて、地下牢に静寂が戻る。

 オリーヴはハッとして総司の右手を見た。


「ソウジ君、手が……」

「すごいですね。ああいう人に鞭で叩かれるなんて、そういう店に行かないと出来ない体験だと思ったのに。今夜は色々なことを一度に体験できる日みたいです」

「…………………」


 とことんマイペースである。もしかしたら、オリーヴを気遣っているだけかもしれないが。

 総司の足元で震えていた仔猫は、総司がしゃがみ込んで抱き上げようとすると、赤くなったままの右手をぺろぺろと舐め始めた。


「すまない、ソウジ君。本当は今すぐにでも君の傷を癒してあげたいんだが……」


 オリーヴは申し訳なさそうな表情で鉄格子を見た。

 どういうわけか、魔法を使おうとすると魔力があの黒い柱の群れに吸い取られてしまうのだ。魔力を吸収する道具を製造するには、コストと時間がかかる。故に高値で売買されている。この魔力封じの牢を作るためにも相当な金が使われているはずだ。


「こんなものに拵えられるほどには資産があるということか……」

「オリーヴ君が気にすることはありませんよ。流石に鉄格子を壊すのは僕でも無理そうなので、誰か助けが来るまで待ちましょう」

「まあ……それしかないか。聖剣殿も今頃はボクたちを捜してくれているかもしれない」

「それにしても……僕の鞄は一体どこに……」


 拉致される時にどこかに捨てられたのか。総司がいつも持っている鞄はどこにもなかった。




 待ち合わせ場所にいるはずの総司とオリーヴの姿が見当たらない。アイオライトは周囲を見回しながら叫んだ。


「ソウジ――! どこ行ったんだソウジー!」

「ソウジ……? 連れの名前か?」


 いまだ包帯で顔を隠したままの少年が首を傾げた。


「そうだぜ。あと、もう一人ケット・シーもいたんだけど……どこ行っちまったかなあ……ん?」


 ベンチの下に何かが落ちている。

 それは総司の鞄だった。


「ソウジ……?」


 いつも肌身から離さず持ち続けているこれがここにあって、持ち主がいない。

 胸騒ぎがする。アイオライトが鞄を抱き締めながら、もう一度周囲を見回した時だった。少年が叫び声を上げた。


「アー! こら待て!」


 少年の腕の中にいた黄金猫が突然少年から離れ、走り出したのだ。せっかく脚に巻いたばかりの包帯も、じわ……と赤く染まっていく。

 しかし、痛みもあるはずなのも黄金猫は走るのを止めず、アイオライトと包帯少年は全力疾走を余儀なくされるのだった。


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