108.薄闇の牢にて
「そ、そいつどこで見付けた!?」
よく見れば雄である。まさか、とアイオライトが少年に詰め寄る。
あまりの勢いに先ほどまで自由人だった少年も、これには流石に怯んでみせた。やや小さくなった声で答える。
「俺がこの町に来た時に血の匂いがしたのでな。争い事かと思い、匂いの元を捜索していたら路地裏で蹲っていたところを見付けただけだ。動物虐待など断じてしておらん」
あらぬ疑いもかけられていると思ったのか、身の潔白も訴える。包帯の下には困り顔が隠れていることだろう。
しかし、アイオライトにとってはどうでもいいことだ。問題はこの黄金猫が、あの小さな仔猫の父親であるかである。
「お前、もしかして子供を探しにここまで来たのか?」
「にゃ……」
「どうやら、そのようだ」
頷いた少年にアイオライトは目を見開く。
「お、お前言葉が分かんのか!?」
「勘だ。この猫は何かを求めるような顔をしていた」
期待に目を輝かせるアイオライトを絶望の淵に叩き落とす発言。この適当ぶりは、総司が時折見せるそれである。
アイオライトはため息をついて少年へ両手を差し出した。
「まあ、いいや。とりあえず猫よこしてくれ。アタシが仔猫に会わせてくるからさ」
「いいや、俺も行こう」
「あ゛っ!?」
妙なことを言い出した少年に、アイオライトも奇声を上げた。猫も引き渡そうとしてくれない。
「幼女が夜に一人でほっつき歩くなどあってはならん。こちらの世界には見回りのパトカーもない。大変危険だ」
「幼女じゃねえよ! つか、その包帯何!? 大怪我しといて外出歩くお前が一番危険だろ!!」
「これは変装だ。怪我などしておらん」
変装ではなく、仮装というべきではないだろうか。こんな奇抜な格好した輩もそうそういるまい。
どうあっても同行する気満々の様子に、アイオライトは遠い目をした。
「安心しろ。俺も剣の腕には自信がある。幼女の一人や三人守ることなど容易い」
何故、二人を飛ばした。
何かしらツッコミ要素を練り込んで来る少年に、アイオライトも指摘するのも面倒臭くなって無言になる。
と、ここで彼の言葉の中で一つだけ引っかかりを感じた。
「お前……さっき、こっちの世界って言わなかったか?」
「言ったな。俺は普段はウトガルドと呼ばれる異世界で暮らしている。こちらに戻ってくるのは夏休みや冬休みぐらいなのだが……今回は急用でな。こうしてここにいるわけだ」
「急用ならそっち優先しろよ……」
「急くな。急用と言っても俺にはどうすることも出来ん内容だ。話を聞きに来ただけに等しい。そんなものより、幼女の護衛だ」
このままで少年の中での自分への呼び名が「幼女」に定着しそうな恐れがあった。
もう同行を拒否するのを諦めて、アイオライトは憮然とした表情で名乗った。
「だったらせめて、幼女呼ばわりはやめろよ。アタシにはアイオライトっていうれっきとした名前があんだからな」
「アイオライト……? ん? 貴様、まさか聖剣の劔族か?」
「何でアタシのことを知って……まさかアイカを知ってるのか!?」
ウトガルドで暮らしていて、アイオライトのことを知っている。あの少女との繋がりがあるのでは、とアイオライトは尋ねる。
少年は首を横に振った。
「その名前を知ってはいるが、恐らく同名の他人だ。俺が貴様を知っているのは、親から聞いたからだ」
「そ、そっか……」
「貴様が劔族であるなら、俺も一つ聞きたいことがある。……この刀を知っているか?」
少年が腰に差していた一本の刀の柄をこつん、と叩きながら質問を投げかけた。
傷や汚れのついていない、しっかりと手入れが行き渡っているのが分かる。刃も刃こぼれ一つない美しさを保ったままであると想像がつく。
だが、アイオライトがその刀に対して思ったことはそこまでだ。見たこともなければ、特に魔力も感じない。
不思議そうな眼差しを向けるアイオライトに、少年も察したのか「すまん」と謝罪の言葉を零す。
「これは劔族の刀のようなのだが……そうか、貴様も知らぬか」
「劔族って……でも、魔力も感じないし、普通の刀にしか見えないぞ?」
「大昔の頃には肉体や自我が存在していたようだが、いつの間にか劔族の魂と本体が分離してしまって、ここにあるのは本体だけになってしまったらしい。そのせいか、備わっていた能力も失われてしまった。詳細は分からんが、人を殺す道具としては考えられないような力があったとされるが……名は存在している。『菊一文字』と言う」
「悪い……アタシも全ての劔族を知っているわけじゃないんだ。けど、あれならミーミル村で預かるぜ?」
魂の存在しない劔族の剣を大事に扱っているということで、アイオライトの少年に対する態度が軟化する。
少年は柄を労わるように撫でながら言った。
「それには及ばん。そもそもこれは元はウトガルドに住む友人への贈り物だったのだ」
「劔族の刀を……ウトガルドの人間に!?」
「しかし、当時はまだ二人とも六歳という若さだったためか、向こうの父親に全力で止められてしまった。なので、奴が二十歳になったら受け渡すつもりだ」
ウトガルドには銃刀法というものがあるので、サラッとそんなものをプレゼントしてはいけない。
「よし、話はここまでだ。早くハジメの子供に会いに行くぞ」
「ハジメってその猫のことか!? 勝手に名付け親になってどういうつもりだ!?」
「気にするな、気にするな。さて、道中で薬屋に寄って傷薬でも買ってやるか」
「はあ……」
せっかく総司とデートを楽しめるはずの夜だったというのに、どうしてこうなった。アイオライトは項垂れながらも、先を歩く包帯ぐるぐる巻きの少年の後を付いていった。
寒い。冷たい。どこまでも闇が続いている。
歩いても歩いても光が見えない。
自分は死んでしまったのだろうか。自分を愛してくれた飼い主に会いたいのに、その声さえも聞こえない。
「オリーヴ……」
その時、自分を呼ぶ声が聞こえた。
(ここだよ、ボクはここにいる)
喉が張り裂けそうになるくらい叫んで声が聞こえた方向に向かって走り出す。
「オリーヴ君」
視界が急に明るくなる。と言っても、薄暗い空間だった。そこの場所で、黒髪に黒い瞳を持った少年がこちらを見下ろしている。彼の頭の上には黄金猫の子供が乗っており、不安そうにオリーヴを見下ろしていた。
「大丈夫ですか? 魘されているみたいでしたけど」
総司がオリーヴの頭を撫でる。言われてから、背中が汗で濡れていることに気付いた。いつの間にか猫の姿に戻ってもいた。
「すまないね。大したことはないんだ。気にしないでおくれ」
「そうですか……」
「それよりも……」
オリーヴは周囲を見回した。
蝋燭の小さくて頼りない灯火だけが頼りの空間。地下室特有の冷気と埃臭さが混じり合った空気。
極めつけは自分たちを閉じ込めている黒い鉄格子。
「すごいですね。僕誘拐されるの初めてですよ」
僅かに興奮気味な口調で話しかけてくる少年の言葉を聞いて、オリーヴは確信する。自分と総司、それと仔猫は何者かに捕まってしまったのだと。
仔猫の母親と兄弟をさらった連中と同一者か。分からないのは、どうしてオリーヴと総司まで連れてきたかだ。
考えていると、遠くから足音が聞こえてきた。オリーヴの心情とは裏腹に、弾むような音を立てて牢の前に現れたのは、金髪をツインテールにした十歳ほどの少女だった。
つぶらな青色の瞳が二人と一匹を見詰め、ふっくらとした唇が弧を描いた。
「すごいすごい……! ケット・シーとウトガルド人までいる……!」
「ウトガルド人っていうのは僕のことでしょうか」
「心配しないでね、ちゃんと私が大事に飼ってあげるから!」
「飼っ……ちょっと待ってくれ」
聞き捨てならない言葉が飛び出した。オリーヴはやや剣呑な声で少女に問いかけた。
非常に嫌な予感がする、と思いつつ。
「ボクたちを捕まえたのは君かな?」
「ううん。屋敷の人たちだよ。あのね、私がケット・シーとウトガルド人と仔猫ちゃんが欲しいって言ったら捕まえてくれたの。今日から皆私の家族だよ!」
「オリーヴ君はともかく僕は人間なんですけど、思いきりペット扱いされてませんか?」
「ペットよ。私の可愛い娘……グレイシアがペットにしたいって言ったものは、たとえ人間だろうと飼われないといけないの。そうじゃなきゃ、グレイシアが可哀想でしょう?」
もう一つの足音。その持ち主はグレイシアと呼ばれた少女とどことなく似ている女性だった。こちらは長い金髪を巻き髪にしているが。
一方、その頃のウトガルドでは。
「おいおいおいおい、愛華が夜になっても帰って来ないぞ!? 携帯も繋がんねえし、テメェうちの嫁に何しやがったぁぁぁぁぁ!?」
「ちょっとうるさいですよ! こっちは平民の男の子が悪い性格の令嬢のペットにされてしまうって面白そうな本読んでるんですから邪魔しないでください!!」
「それが客人の吐く台詞!?」
「人妻に手なんて出しませんよ! 君じゃあるまいし!!」
「俺だって手出さねーよ!? 俺が最低な男みたいな言い方やめろ!!」
いい年した男二人の口論が繰り広げられていた。
総司ですら匙を投げそうな適当ぶりと自由ぶり。