105.猫の舞踏会
オリーヴの問いかけに総司はしばらく思案してみせたが、やがて諦めたのか首を横に振って答えるのだった。
「……人違いじゃないでしょうか」
「そうか、すまないね。変なことを聞いてしまった。君とこうして話すのも初めてのはずなのに」
忘れてくれ、とオリーヴは総司の撫でる手を止めずに言った。手を繋ぎ合う少年少女の光景など千年単位で生きていれば、数え切れないくらい見ているはずだ。今さらどうこう言うようなことでもないはずなのに。
ついにボケが始まったか。オリーヴは自らのこめかみを掻いた。
「おい……取り込み中悪いんだけど、あれ野放しにしといていいのかよ?」
ドMと女性たちの鬼ごっこを傍観していたアイオライトが沈黙を破った。何なら結界で閉じ込めて身動きを封じてもいい。そう提案する聖剣に猫の妖精は意外な言葉を漏らす。
「もう少しだけ彼の好きなようにやらせてあげて欲しい。あれが彼の仕事のようなものなのさ」
「仕事ってあれが?」
「彼は『幸猫』と呼ばれる妖精の一種でね」
あんな気持ち悪い妖精がいてたまるか。アイオライトは言いかけて留まった。オリーヴもアイオライトが言わんとしたことを悟っていたが、それには言及せず幸猫について説明を行う。
「幸猫は婚期を呼び起こす妖精でね。ああして一時間追いかけられて逃げ切った人間は近い内に結婚出来るかもしれないと言われているんだよ」
「だから女性の皆さんは鬼気迫る表情で走っているんですね。綺麗な人たちばかりなのに……」
いや、彼女たちが全力疾走している理由、他にもある。あの白い中年に捕まったら何をされるか分からないだろう。そんなアイオライトとオリーヴの心の声は、幸猫が可愛い猫と錯覚している総司に届くはずもない。
猫の舞踏会も当初は別の幸猫に追いかける役をしてもらうつもりでいた。十歳になる中年の娘である。それが本日になって、ちょっとしたアクシデントに見舞われたのだ。
「娘さんが急に風邪を引いてしまってね。鬼ごっこは中止しようという流れになったのだが、父親がそれなら自分がやると言い出して……その結果があれだよ」
甲高い悲鳴をBGMにしてオリーヴは肩を竦めた。子持ちで女性に罵られておいて、あの表情はいかがなものか。父の活躍を期待していた娘には、何としてでも見せてはいけない大活躍っぷりだった。
そもそも、うら若き乙女たちに婚期をもたらすのが、この鬼ごっこの目的。しかし、見ている男衆は笑っているかドン引きかの二択。これで本当に結婚話は舞い込んでくるのかと疑問を投じたくもなる。
これ以上の続行は無理であると判断した猫の舞踏会のメンバーにより、幸猫は捕獲された。まだ走れると講義するも、こっちが捕まってしまうと仲間は彼の主張を聞き入れようとしない。幸猫が娘の名前を叫びながら連行されていく。広場に平和が訪れた。
「猫にも色んな奴がいるんだな……」
濁った目をしたアイオライトがぽつりと独り言を零した。それを掬い取り、オリーヴはやれやれと肩を竦める。
そんな中、総司が一言。
「僕は逆に追いかけてみたかったです」
「やめとけ」
アイオライトがすぐさまツッコミを入れた。
この頃になると、広場にも多くの人々が集まるようになっていた。オリーヴは再び光を纏うと人間の少年に化けた。
「さあ、お二人様。こちらへどうぞ」
オリーヴが二人を先導して歩き出す。向かった先は小さめのテントだったが、一歩足を踏み入れると、そこは広大な野原に繋がっていた。空は青と白で彩られ、暖かな風が吹くと草や木の葉がさらさらと音を立てて靡く。
目を丸くして、不思議な空間に見入っているのは総司とアイオライトだけではない。後から訪れた客などは驚愕の声を発し、出入口を行ったり来たりと繰り返した。
彼らの様子を上機嫌で眺めていたオリーヴは、空間の秘密を語った。
「ここは猫の舞踏会が魔法で造り出した空間さ。空の色、風の暖かさ、土の質感、植物の匂い……全て忠実に再現している」
「どうしてそんな大がかりなしかけを作ったんですか?」
「自然が猫にとって一番快適に過ごせる場所だからだよ」
オリーヴが指差す先には、真っ白な仔猫二匹が追いかけっこをしていた。赤い花を咲かせた木の枝では耳が大きめの猫が欠伸をしながら背伸びし、頭上を舞う蝶を捕らえようとジャンプをする猫もいる。
中には、白い翼が生えた猫や、尻尾の先が二本に分かれている猫も。どこを見ても視界に入り込んで来る猫に客たちから喜びの声も上がる。
アイオライトも見たことのない猫の多さに口を小さく開けたまま固まっていた。
「聖剣殿、気に入っていただけたかな」
「うん、あいつがな」
アイオライトの視線の先には、猫へ向かって駆けていく総司がいた。彼のターゲットとなったのは蝶をハンティングしようとしていた猫だ。突然自分へと突進してきた人間に一瞬、動きを止めるも特に逃げる様子はない。それどころか、総司へと少しずつ近付いて行く。ちりん、ちりんと首輪の鈴が歩くたびに涼やかな音を響かせる。
一匹だけではない。仔猫二匹も興味を持ったかのように少年へと視線を注ぎ込み、木の枝にいた猫も地上に着地して様子を窺っている。
その周辺にいた全ての猫が総司に何らかの反応を見せていた。異様な状況にアイオライトは顔をしかめる。
「……あいつ、猫にまでモテんの?」
「アイオライトさん、助けてください。猫に近付いてこられるのは嬉しいんですけど、この数となると少し怖いです」
猫による包囲網の中心にいる総司が助けを求めた。オリーヴも顎に指を添えて、その原因を考えていたが、あることに気付くと総司の元へ向かった。輪を作って総司を取り囲んでいた猫も、自分たちの世話係を邪険するつもりはないようで、さっと道を開けた。
「ソウジ君、何か持ってないかな?」
「心当たりが多過ぎてお答えすることが出来ません」
鞄をぱんぱんと叩きながら総司がきっぱりと言い放つ。今日もあの鞄には色んな物が入っているんだろうなあ、とアイオライトは密かに思った。
だが、オリーヴの予想は当たっていたようで、茶斑の模様が入った白い猫が鞄に鼻を近付けて匂いを嗅いでいる。その様子を見た総司が鞄のチャックを開けるやいなや、茶斑の猫は鞄へと顔を突っ込もうとして。
「ニャッ」
そのまま鞄の中へ滑り落ちてしまった。
「あ、大変だ……」
緊迫感のない言葉を口にしながらすぐに総司も鞄の中へ手を入れる。しかし、茶斑の猫が取り出される気配は全くなく、オリーヴとアイオライトと不安へと陥れた。
「ソウジ君、外に出るのを嫌がっているようなら、ボクが取り出してあげようか?」
「嫌がるも何も、今あの猫さんがどこにいるかもちょっと分からなくて……あ、これは熊の毛皮だから違う……」
「おい待てよ。そんな狭い空間の中で見付からないって何だ」
「ええと、これは……」
手応えを感じたのか、総司の手の動きが止まったあと、ゆっくりと引き抜いていく。
総司の手に握られていたのは、『呪』という文字がびっしりと書かれた布に包まれた丸い球体だった。ウトガルドの文字が読めないにしても、何らかの危険を臭わせるアイテムの出現に、アイオライトとオリーヴの時が止まる。
総司は果敢にも、布の一部を捲り、中身を確認すると、無言で鞄の中に戻した。
「何で戻しちゃうんだよ!?」
叫ぶアイオライト。
「まだ猫が中に入ってんのに、そんなヤバそうなブツ突っ込んだらヤバいだろ!」
「あれは恐らく動物や純粋な人には害を及ぼすことはないはずなので大丈夫です」
「待て待て! せめて正体を教えてくれよ!」
「まあまあ。……あ、見付かりました」
総司が再び手を引き抜くと、薄茶色の何かを咥えた茶斑の猫が出て来た。
「お、おお……生きてて良かった……」
「でも、この猫さんが咥えてるのって……」
薄茶色の何か。それは小さな仔猫だった。総司の掌に収まってしまうほどの小ささで、生まれてからさほど日数も経っていないようだった。か細い声で鳴く姿は猫にそこまで強い思い入れのないアイオライトの胸もキュンとさせる破壊力があるが、どうもおかしい。
この薄茶色の仔猫がどうして鞄の中に入っていたか。浮上した疑問に三人は言葉を失った。
「ソウジ、お前って猫をこん中に入れて飼育してんの?」
「猫は飼ってません」
何だか言い方がおかしかったが、敢えてスルーする。すると、オリーヴが仔猫の目を見て怪訝な顔つきになった。
「この猫は『ラインの黄金猫』だ……」
私はマンチカンが好きです。
でも、ずんぐりむっくりな和猫もほっとする可愛さがあって好きです。