101.エンジョイ・アスガルドライフ
体を縮めて狭い空間の中で一生懸命総司から離れようとする姿は、警戒心の強い仔猫を思わせる。顔を真っ赤にしてジークフリートの足をぎゅっと掴んだまま動かなくなってしまった少女に、これ以上構うのよそうと判断したのか総司は屈めていた体を起こした。
そこには乾いた笑みを零すジークフリートがいた。
「ジークフリートさん、どうかしましたか?」
「別に何でもない……お前は? 今日は休みなんだろ?」
非番だというのに、何故かこちらの世界にいる。だからアイオライトも予想していなかった人物の登場に驚いたのだ。
「ちょっと用事がありまして……」
「そうか。でも、何かあったらヘリオドールに相談するんだぞ」
相談しなくても、少年に過保護なあの魔女なら首をつっこみそうなものだが。ヘリオドールも大概なものだ。
総司のこととなれば、すぐにすっ飛んでくるだろう同僚を想像していると、足をぺちぺちと叩かれた。脛を拳で攻撃された時に比べたら、ダメージは微々たるものだ。
しかし、あんまりにも長く続くので、顔をしかめて下を覗けばアイオライトが口を開閉させて何かを訴えていた。なるほど、分からん。ジークフリートは読唇術など持ち合わせていない。
固まる男に、それでもアイオライトはジェスチャーを混じえて続ける。指で総司のいる方を差したり、両手で四角形を作ってみたり。ジークフリートがアイオライトの思いに気付いたのは、口パクを貫いているという最大のヒントに気付いてからだ。総司に聞かれたくない話。と、するならば、自ずと答えは見えてくる。
お前が総司に何が欲しいか聞け、だろう。四角形はプレゼントを入れる箱を示していると思われる。
(俺が聞くのか……?)
女性の心を虜にすることで定評のある紅い瞳で問いかけてみる。アイオライトは彼の思考を読み取って力強く親指を立てるだった。
そこまでしてやる義理はない。ジークフリートは苦虫を噛み潰したような表情をしたが、両手を合わせたお願いポーズをされると断れない。
(あとでフィリアにもこっそり教えてやるか……)
孫娘のように可愛がっているエルフの少女も、総司を深く想っているのだ。少しぐらいあの子にも少年のことを話してもバチは当たるまい。その条件を飲むなら聞いてやってもいい。
総司に聞こえないよう小声で確認を取れば、アイオライトは渋い顔をして小さく首を縦に振った。
「なあ、ソウジ。お前、今何か欲しい物はあるか?」
「欲しい物? どうしてそんなこと聞くんですか?」
純粋に不思議そうに聞いてくる総司に、ジークフリートは言葉を失う。質問の理由を考えてなかったからだ。ストレートにアイオライトが聞きたがっていると白状すれば、本人から股間に拳を叩き込まれる。
仕方ないなあ、とジークフリートはため息をつく。
「お前、こっちで働くようになってから大分経つだろう? だから何か記念に贈ろうと思ったんだが、お前が欲しそうな物なんて全然知らなくてな」
「ジークフリートさん、そんな気を遣わなくても」
「いいよ、気にするな。アスガルドにしかない物であれば、大抵の物なら何でも買えるし、採ってきてやるが」
「……欲しい物ですか」
総司が腕組みして目を閉じた。そこまで考え込むほどか。時間がかかりそうだとジークフリートから突っ込んでみることにする。
「ソウジは近頃、よく一人で街に買い物に行くよな。何を買っているんだ?」
「主にお菓子の材料ですかね。あとはヘリオドールさんと食事に行ったり、オボロ君と本屋に行ったり、ブロッド君と武器屋を見に行ったり、おじいさんたちと川で釣りをしたり、子供たちと遊んだり」
「お前この世界満喫しすぎだろ」
「すみません」
謝る必要はない。しかし、予想以上に総司がこの世界に馴染んでいたことにジークフリートは驚いていた。あと、交友関係が役所のみならず、街の住人まで広まっていた。
そういえば、受付嬢が子供たちが総司に会いに訪れることが増えたと言っていた。男性職員の中で総司は若い方だ。ブロッドと違って見かけもごつくはなく、性格も温厚なので懐かれやすいのだろう。
だが、一つ疑問がある。
「お前、フィリアを誘ったりはしないんだな」
てっきりフィリアも誘っているかと思いきや。
言われた総司はきょとんとした様子で、瞬きを二、三回した。
「そういえば、フィリアさんとはあまりお出かけをしませんね……いつも仕事が終わった後や休憩時間に手芸をしたり、作ったお菓子を食べたりしてます。フィリアさんがあまり外に出たくなさそうで」
あ、そういうこと。ジークフリートは何となくだが、部下の気持ちが分かった気がした。
総司と仕事以外でも一緒にいたい。けれど、街へ出かけると周囲からの視線が恥ずかしい。
そんな葛藤の末、役所の中で二人きりになるという方法を思い付いたのだろう。ただの女子のお茶会のようで、恋愛イベントなどまるで起こりそうにもないが、彼女とってはかけがえのない幸せな時間なのかもしれない。
「……ジークフリートさんは精霊や妖精さんが大好きでしたよね」
「ん? 好きだな」
唐突に総司がそんなことを聞いてきたので、ジークフリートは特に深く考えずに返事をした。「だから婚期を逃した」だの、「キモい」だの陰口を叩かれるぐらいには好きだ。
オタクとは愚直な生き物なので、何を言われても自らの信念を曲げられないことをそろそろ一般人は知るべきである。精霊や妖精の可愛さ、尊さを知らない者たちには理解されておらず、オボロからは「うわっ……」と素晴らしい反応をいただいた。
総司は方向性は違うとは言え、オタクと呼ばれる人種であるため、「分かります、その気持ち」と全てを受け入れてくれた。ジークフリートの妖精霊への海より深くマグマより熱い愛は周知済みのはずなのに、どうして今更好きかと聞くのか。
すると、総司は鞄を開けると一枚のチラシを取り出して広げた。
「これ、ジークフリートさんの仕事が終わったら僕と一緒に行きませんか?」
そのチラシは、今夜中心部で行われる小さなイベントの案内だった。
ジークフリートは、それを総司から受け取ると、文面に目を通した。
「猫の展示会か……」
ウルドの中心部では年に数回、このアスガルド中から集められた猫が猫愛好団体によって、お披露目される。ただ見て帰るだけでもよし、ペットとして購入してもよし。猫に興味がない者たちにとってはただ動物大集合だが、猫大好き人間にとっては見逃せない一種の祭りのようなものだ。
動物好きな所のある総司だ。内心かなり喜んでいることだろう。
不思議なのは、どうしてジークフリートを誘ったことだ。猫は可愛いな、と思う程度で積極的に見に行きたいとは思わない。
その理由は尋ねる前に総司が教えてくれた。
「ケット・シーっていう猫の妖精さんも来ると聞きました」
「そうか、だから俺を……」
やって来るのはただの猫だけではない。猫の姿をした妖精や魔物だってたくさん訪れる。
ケット・シーとは人間の赤ん坊ほどのサイズの猫の妖精で、人間の言語も理解出来て知能も非常に高い。それ故に人間が自分たちを悪意を持って捕らえようとすれば、瞬時に察して魔法で撃退してしまう。
人間たちの前に現れることも皆無。今回の展示会でもケット・シーは非売対象とされている。
何故なら、猫愛好団体のメンバーの一人がそのケット・シーだからだ。彼らは世界の猫を愛しており、全ての猫が幸せになれるように尽力している。展示会で猫を購入したいと思う人物が猫を幸せに出来るかを見定めているのである。
通称・猫の守護精霊とも言われているケット・シーに会えるとあって、ジークフリートの心も大きく揺れ動く。
と、ここでジークフリートはテーブルの下にまだいるアイオライトに視線をやった。少女は何だと言いたげに訝しげな表情をした。そんな顔をしているのも今の内だぞ、と微笑する。
「ソウジ、悪いな。今日は仕事が遅くまでかかりそうだから俺は一緒に行ってやれない」
「……そうですか」
「だから、アイオライトと一緒に行ってもらえないか?」
「はっ?」
ジークフリートのまさかの台詞に、素っ頓狂な声を漏らしたのはアイオライトだった。
そんなわけで二巻目が来月発売するぞ、ジョジョーッ!!