七話
民主主義を政治の基本とした、とある大きな港町。
そこは漁業ではなく、船による交易で栄えた町だ。
様々ない文化が混じり合って町の繁栄を支え、人口もその周囲では一番多い。
「うっ? なんだ?」
その町の灯台近くで、小舟に乗ってのんびりと釣りをしていた男性が、目を細めた。
船の下を、大きな影が通り過ぎたからだ。
魚にしては大きすぎるその水中の影は、港の桟橋に近付くにつれ、徐々に海面へと近づいていく。
そんなものが近付いているとは気付かないカップルが、桟橋の上で見つめ合っていた。
「受け取ってほしい物があるんだ、クロエ」
「なに?」
「これさ」
「これって……この指輪って……」
「ああ、僕と結婚してくれ」
「嬉しい、ニコラス」
「じゃあ!」
「はい、宜しくお願いします」
「やった! 幸せにするからな! クロエ!」
カップルの立つ桟橋の柱に、ベシャリと音を立てて、腕が絡みつく。
「クロエ? どうかした?」
桟橋の奥から聞こえてくる水が滴るような音に、女性側が先に気が付いた。
「どうしたんだよ?」
「ニコラス、後ろ……」
桟橋に両手を突き、黒い影が大量の海水を滴らせながら上ってきた。
それを見ていた女性は、恐怖から目を見開き、悲鳴も上げられないようだ。
「え? 何……うわぁぁぁ!」
よっこいしょっと!
まあ、大仰に語っては見たが、水中の影は平泳ぎしていた俺で、桟橋から陸に上っただけなんだけどね。
はぁぁぁ。
死ぬかと思った……。
『相変わらず、悪運だけは抜群じゃな』
「あ……あああ」
んっ?
カップルが、俺の足元に座り込んでしまっている。
何、見てるんだ?
そんなに彼女いない俺が珍しいか?
殴るぞ! このクソカップルが!
「うわぁぁぁ!」
「まっ! 待って! ニコラス!」
ふん!
女を置いて逃げるなんて、最低だな。
しかし……。
あそこまで必死に逃げる事ないのに。
『海から作業服の不審者が上がってきて睨まれれば、誰でも驚くじゃろうが』
そんなもんかな?
『特にお前の目には、憎しみがこもっておったからな』
女は特に美人と言うわけじゃあなかったけども。
目の前でイチャつかれるのは気分が悪い!
てか、世界中のカップル絶滅しろ!
『相変わらずの歪み方じゃな』
歪んでない!
思春期の男子はこんなもんだ!
『世界中の思春期男性に謝罪しろ』
いやじゃ! ボケ!
それより、腹減った……。
『ま……まぁ、何か食べるか』
お?
今日は素直だな、ジジィ。
少しは性根を正したか。
『そう言うお前は、いちいちわしを煽らんと気がすまんのか?』
しかし……。
先立つものが何もないな……。
ミスリルっていくらで売れるんだ?
『無視した上に、わしを売ろうとするな!』
だって……。
俺の持ち物、今ジジィだけだぜ?
『だってで、売られてたまるか!』
でも、マジでどうすっかな?
作業服以外何もないぜ?
『そうじゃな……』
周りの飲食店から、いいにおいがする……。
腹減った……。
空腹で文無しって……。
やってらんね~……。
****
俺は服を乾燥させる為という意味でも、仕方なく街中に向かって歩き始めた。
そして、人だかりを見つけ、野次馬根性で様子をうかがった。
何だろう?
なんだか、厳つい男ばっかりが集まってるな。
「では、これより実戦のテストを、試合形式で行う!」
実戦? 試合?
何してるんだ?
行列のできていた大きな建物の門が開き、男達が入っていく。
「おい! そこの!」
えっ? 俺?
「はい」
「早く入れ!」
はい?
「早くしろ!」
「あっ……はい」
俺は厳つい男達三十人ほどと、その大きな屋敷の中へ入った。
これは……。
『うむ』
間違いないよね。
『そうじゃな』
何かに巻き込まれた!
ミィィィィスったぁぁぁ……。
今度は、何に巻き込まれんの? 俺?
『多少は覚悟しておくんじゃな』
一応嫌な事は想像しておくけど、大体何時も俺の想像を超えた不幸が襲ってくるじゃん。
『そうじゃな。今想像した事の、さらに悪い事でも想像しておけ』
ええぇぇ……。
こういうときは、嘘でも大丈夫とか言うもんじゃないの?
『お前に関しては、無理じゃ。ほれ、早く最悪を想像しておけ』
おいおい、ジジィ。
職務放棄か。
『どうせ、お前の事じゃからろくな事はない。早ようせんか』
考えたくもないわ!
『無駄な足掻きを……』
なんで不幸確定で喋ってるんだよ! クソジジィ!
「おい! そこのお前! 早く前に出ろ!」
あっ、俺?
先ほどから、厳つい男達は鎧を着た戦士らしき巨漢の男二人と、実戦形式のテストを順番に受けている。
次は俺の番らしい。
「お前! 得物は?」
「えっ? ないです」
俺は昔の癖で、反射的に魔剣を隠そうとしてしまう。
「それくらい準備して来い! 仕方ない、これを使え!」
受付のおっさんが、俺に刃挽きした剣を投げ渡してくれた。
とっ……とりあえず、頭がおかしい奴等ではないんだな……。
『まぁ、お前の事じゃから気は抜かんようにな』
だから、俺を不幸の代名詞みたいに言うのやめて!
なんかへこむから!
剣を握って棒立ちになっていた俺に、戦士の一人が斬りかかってきた。
これは……。
勝ってもいいのか?
俺は選択をよく間違うから、負けたほうがいいのか?
どう思う?
『ここで、負けんでもよかろう』
ん~……。
まぁ、どっちでも同じだよな。
おう?
俺が戦士の攻撃を避けていると、じれったくなったのか、もう一人も攻撃に加わって斬りかかってきた。
そいつらの持つ剣も刃挽きはしてるみたいだけど、そんなに本気で振り回すなよ。
多分、当たるとどっか折れるぞ?
まぁ、当たる気はないけどね。
『さっさとせんか! あ! 殺すなよ?』
へいへい。
といやっ! そいやっ!
俺は、戦士二人を動けなくした。
剣で殴るのはかわいそうなので、とりあえずパンチで殴って吹っ飛ばしたけど……。
『かわいそうに……』
二人とも鼻血を出して、泡吹いて気絶してしまった。
俺、手加減、苦手……。
「お……おおぉぉ」
先にテストを受けていた男達が、俺のその結果に驚いて声を出している。
「お! お前! 名前は!?」
「あっ、レイです」
「そうか! レイ! お前はどこかのギルドで働いていたのか?」
「まぁ、大分前に……」
「この二人は、フォースクラスの上位にいた二人だぞ!」
フォース……四番目のクラス?
この国のギルドのランクかな?
AかBクラスくらいかな?
「お前は合格だ! 今日からでも働けるか?」
落ち着け、おっさん!
状況が理解できん。
ん? 働く?
『雇ってくれるようじゃぞ』
おお! マジかよ!
さんざん苦労したから、お詫びが来たのか?
願ったり叶ったりじゃん!
「あ、お願いします」
「よし! 中で説明をする。ほかの奴らのテストが済むまで待っていろ」
「はい」
****
俺は、屋敷の中へ執事らしき人の誘導で入った。
そして……。
ああ、生きててよかった!
うまい!
肉って、うまい!
おなかが減っていると告げると、執事さんは食事を用意してくれた。
まともな食事って、何ヶ月振りだろう……。
ああ……。
しゃ~わせ~……。
「あら? 今度はまた、ずいぶんとみすぼらしい人を雇うのね」
みすぼらしい?
ああ、俺か。
誰がみすぼらしいだ!
『お前じゃ。ボロボロの作業着に、ぼさぼさの髪とまばらな無精髭、みすぼらしいじゃろうが』
おおおお……。
『ん? 何じゃ?』
めっちゃ可愛い!
俺の前には、真っ赤なドレスを着た美人が立っていた。
ブラウンのサラサラな髪が腰まである。
少し気が強そうな顔の女性。
この屋敷のお嬢様とかかな?
『また、悪い病気か……』
病気って言うな!
「まぁ、腕が立つならそれでいいんでしょうけど……。もう少し、腕の立つ美形の剣士とかって、いないもんかしらねぇ」
あっ……。
なんか、あの子の中では俺は論外っぽい。
あぁぁぁ……。
期待しちゃいけないんだよね。
『その通りじゃ。そろそろ、懲りろ』
ですよね~……。
てか、性格悪そうだから、俺の方からもパスだな。
****
それから、俺以外に三人の男が採用されるらしく、屋敷の中へ入ってきた。
俺はそこで何に雇われたかが、やっとわかった。
この大きな屋敷は町長の家で、さっきの女性だと思うけど娘さんの護衛が仕事だ。
最近、娘さんが人外の者に数度襲われたらしい。
それで、腕の立つ者を募集していたそうだ。
さっきの受付をしていたおっさん……オルコットさんが警備責任者をしているので、俺はその指揮下に入る事になった。
とりあえず、俺は遭難して何も荷物がない事を説明した。
その為、屋敷の使用人が使う部屋と、衣服等一式を用意してくれる事になった。
ああ……。
こんな当り前の事が幸せでたまらない……。
やっと、まともな服が着られる。
やっと、まともな食事がとれる。
目から心の汗がにじんでくるよ、ジジィ。
『……不憫な』
****
「では、この部屋をお使い下さい」
打ち合わせを終わらせた俺は、日が暮れた事もあり執事さんに部屋へ案内してもらう。
「あ……あの、風呂って今から借りられますか?」
「それでしたら、部屋にそれぞれユニットバスが完備されております」
「ああ……」
「お着替えのほうは、部屋に届けておきます。それと、剃刀なども洗面台に用意しておりますので」
「ありがとうございます」
やっぱり金持ちは違うな。
高々、使用人の部屋が、ホテルみたいになってるよ。
『わし等には好都合じゃな』
まあね。
カーラ達を捜す為の準備が、ここで整えられるな。
さて、風呂でも入るか。
『そうじゃな』
俺は、バスルームへ入り数カ月ぶりの入浴を……。
えっ……?
マジでか?
『本当に楽をさせてくれんようじゃな』
勘弁してくれよ。
作業着を脱いだ俺の体中に、鳥肌が立つ。
この付近のモンスターは、全般的にこんな魔力を放つのか?
『わからん』
なんか魔力に撫でまわされるみたいで、気持ち悪いから嫌なんだけどな。
「うわぁぁぁぁぁ!」
のんびりもしてらんないか。
俺は部屋を飛び出し、声のした玄関ホールへと走る。
そこには、窓ガラスから侵入したらしい……蚊?
なんかでっかい蚊がいる!
それも、デザインが妙にグロい。
何で虫に乳房があるんだよ。
どんなコンセプトだよ。
『あれは、そう言う生き物なんじゃろう』
あ……。
一人殺されてる。
多分、俺と一緒に雇われたと思われる男のミイラが、ホールに転がっていた。
あの髪型には見覚えが……。
「ぎゃああ!」
うおっと!
もう一人が、蚊に刺されて血を吸われそうだ。
他の傭兵は……。
全然役に立ってないな。
よいしょっと!
俺は階段の踊り場から襲われている男のところへ跳び、蚊が刺している管を魔剣で斬る。
それでひるんだ隙に、腹部から蚊を両断した。
「おお! レイ! よくやった!」
オルコットさん……。
特別戦闘力は高くなさそうだな……。
『まだじゃ』
分かってる。
もう一匹は……。
二階か!
俺は話しかけてくるオルコットさんを後回しにして、階段を駆け上がる。
そして、魔力を感じる方向へ全力疾走した。
「いやぁぁぁぁぁぁ!」
魔力を感じていた付近の、ある一室ないから、ガラスの割れる音と同時に女性の悲鳴が聞こえる。
狙いはお嬢さんか。
俺は悲鳴が聞こえた部屋の扉を蹴破ると、女性に襲いかかろうとしている蚊を斬り捨てる。
一撃で仕留める事に成功はしたが、敵は俺の動きに視線を向けてきた。
今の俺に多少でも反応出来るって事は……。
Bランクはあるな。
『室内で相手の動きが制限されていたのは、運がよかったのぉ。気を抜きすぎんようにせねばな』
ああ……。
ん?
この女の子は……。
さっきのお嬢さんに似てるけど、別人だ。
誰?
『オルコットが、この屋敷の娘は二人おると、言っておったじゃろうが』
ああ、もう一人のほうか。
「ご無事で?」
俺は床に座り込むお嬢さんに、手を差し出した。
「いやぁぁぁぁ!」
あっ……。
また、やっちゃった。
でも、緊急時だったし仕方ないと思うんだけどなぁ。
『お前の運命じゃ』
うん。
もう、分かってる。
抵抗しても無駄なんだろ?
諦めろって事なんだよな?
悲鳴を上げるお嬢さんの前には、風呂に入ろうとしてパンツ一丁で剣を握った……。
ええ、俺です。
俺が着ていた作業着はつなぎで、一度脱ぐと着るのに手間がかかる。
理由はそれだけ……。
ちくしょう……。
これ絶対、神のクソ野郎にはめられてるよ!
お嬢さん美人だけど、これはもうどうやってもフラグなんてたたねぇぇよ!
俺は、童貞がお似合いってか?
俺は、一生一人で生きて行けってか!?
ざけんな! こんちくしょぉぉぉぉ!
俺のフォローを、オルコットさんと執事さんがしてくれている。
****
下手な事を言いたくなかった俺は、そのまま自分の部屋へ戻り、風呂に入った。
だって、もうどうしようもないからね!
それ以外に何もできないから!
パンツ一丁で言い訳しても、通じませんよ!
ああ~。
もう何だろうな……。
死のうかな。
『剃刀を持ちながら、危険な事を考えるな』
えっ?
だって、髭そらないと。
いくら俺が十七歳でも、まばらにだけど髭は生えてるよ?
『考えてないのならそれでよい』
首筋と手首、どっちが楽かな?
『ちょ! 待て!』
う~そ~で~す~。
誰が童貞のまま死ぬか!
死ぬにしても、一回は大人の店に行ってから死ぬっての!
『……このガキ』
髭は剃れたけど、髪は切らないと駄目だな。
毎日直射日光にさらされて、毛先だけじゃなく全体がボロボロだ。
これ……ハゲたりしないよね……。
二十代でハゲるのは勘弁してほしいなぁ。
まぁ、今そんなこと悩んでも仕方ないよな。
さて、服を……。
ジジィ! 大変だ!
『なんじゃ?』
真っ黒なスーツが用意されてる!
『問題あるまい? また、悪役に見えるとか、くだらない事か?』
違うわ! 馬鹿!
『では、な……』
ネクタイの結び方! 知らん!
『想像以上にしょうもない……』
いやいや!
大事じゃないか!
どうしよう。
ジジィ知ってる?
『わしはスーツなどない時代の人間じゃ』
相変わらず、使えんジジィだ。
どうすっかな。
あ! 執事さんに聞こう!
とりあえず、ネクタイ以外を着てっと……。
コンコンガチャという、繋がった音が俺の耳に届いた。
「きゃぁぁぁぁぁ!」
その次には、女性の悲鳴ですか。そうですか。
ジジィ?
『なんじゃ?』
ノックしたら、返事あるまで待つもんじゃないの?
もしくは、多少でも待ってから扉をあけるべきじゃないかな?
『お前にしては、ノックされただけマシなんではないか?』
確かにね……。
先ほど俺のパンツ姿で悲鳴を上げたお嬢さんが、今度はパンツをはく途中のほぼ全裸の俺を見て、扉をあけっぱなしで走り去った。
扉閉めなさいよぉぉぉ!
俺、全裸ですからね!
何で俺は、こんな羞恥プレイを受けないといけないんだ?
俺が一体、何をしたって言うんだ……。
少しフリーズしてしまったが、パンツをはいて扉を閉めた俺は、スーツをネクタイ以外着用し……。
部屋の隅で体育座りをした。
『もう、慣れるしかないのぉ』
慣れるわけないだろうが、こんな事……。
『わしは慣れてきたぞ?』
ジジィが慣れても、仕方ないだろうが!
俺は無理!
裸を見られて喜ぶような性癖は、持ち合わせてない!
なんだよ! これぇぇぇぇ……。
『ネクタイの結び方を執事に聞きにいかんのか?』
もう、どうでもいい。
一気にブルーになった……。
『何気に、ものすごくへこんでおるのぉ』
ないわ……。
これは、ないわ。
思春期の男子が、若い女の子に裸見られるなんて……。
無いわ、これ……。
『ここ最近で一番落ち込んどるな』
ちょ、マジで。
一人にしてくれ。
先程と同じように、コンコンという音とガチャリという音の間には、ほぼまったく間がない。
えっ? どう言う事?
このクソアマは、ノックさえすれば返事無しで、部屋に入っていいとでも思ってるの?
もぉ、死になさいよ!
首括りなさいよぉぉぉ!
「あ……あの、レイさん? 二度も失礼な事を……」
分かってんなら、向こう行きなさいよぉぉ!
「本当に、申し訳ありません」
お嬢さんは、俺に頭を下げてきた。
雇われるわけだから、ここで文句言えないじゃないか……。
「いえ、いいですよ……」
「よかった!」
あ……ヤベ。
笑顔可愛い。
「先ほどは助けていただいて本当に、ありがとうございました。明日の朝、正式に他の方共々挨拶させていただきます。本当にすみませんでした」
お嬢さんは一方的に謝った後、部屋を出て行った。
可愛いんだけどな……。
『だけど?』
あの馬鹿女は、扉を閉める事を覚えるべきだ。
『そう……じゃな』
なんか、お嬢様二人とも、見た目だけで中身が残念っぽいなぁ。
ったく……。
やってらんね~……。




