二話
「早くしてよ! このクズ!!」
「はい……」
また灰色の一日が、始まる。
今日も、リリーナお嬢様に怒鳴られながら家を出る。
あれから、お嬢様の中で俺の扱いが、召使からクズに格下げされた。
もう笑うしかないよねぇ、あははははぁぁ。
やってらんね~……。
****
今日も俺は、お嬢様の視界に入らないように距離を取り、二つの鞄を持って登校している。
お嬢様……昔はあんなに優しかったのに……。
「リリーナさん。おはようございます」
「御機嫌よう、ファナさん」
お嬢様に、うちのクラスの学級委員長が挨拶をしている。
ああ、彼女を見ていると癒されるなぁ。
すげぇ、かわいい。
「レイ君、おはよう」
「お……おはようございます。」
彼女は、俺にまで挨拶をしてくれる優しい人だ。
お嬢様と違って、見た目だけじゃなくて性格もいい。
お嬢様が美人系だとすると、ファナさんは可愛い系と言えるだろう。
若干たれ目ではあるが、それで美貌が損なわれはしない。
魅力的すぎる大きな胸を持つ彼女は、クラスではお嬢様と人気を二分している。
いつもつけているリボンが可愛い。
あれ?
ファナさんに俺が見惚れていると、珍しくお嬢様の方から俺に近づいてくる。
なんだろう?
「なに変な目でファナを見てるのよ。このクズ。気持ち悪いのよ」
見られてた!
最悪……。
それもあの性格の悪いお嬢様は、わざわざ嫌味を言いにきやがった。
もう穴があったら潜りたい。
あのくそお嬢様のおかげで、久し振りのいい気分が台無しだよ。
ファナさんは、法術側の名家の出身で、俺とは縁はない。
そんな事は、俺だって百も承知だ。
それでも、少し目の保養ぐらいいいじゃないか。
そういえば、彼女の親父さんは法術庁の大臣だったはず。
彼女に変な事をすれば、ちっぽけな俺なんてどうなることか……。
最低でも退学の上、この国にはいられなくなるだろうなぁ。
あ~あ……。
彼女のポイントって、合法的に稼げないもんかなぁ。
あんな人と付き合えたら、人生バラ色だろうに……。
無理だろうなぁ。
****
俺はその日も机に突っ伏して、休み時間をやり過ごす。
「おい!落ちこぼれ!」
今日は珍しく、そんな俺にクラスメイトが話しかけてきた。
口調から、相手が俺に好意的だとは思えない。
だからといって無視するわけにもいかず、俺は少しだけ顔を上げる。
「今朝のこと見てたぞ! ファナさんをお前みたいな落ちこぼれが見るなんて、汚れるんだよ!」
ああ……。
そういえば、お嬢様が大声で、周りに教えてたな……。
そりゃ、すみませんでしたねっと。
「なんか言えよ落ちこぼれ!」
ここで、何を言っても余計に嫌な思いをするだけだ。
俺は顔を腕の中に戻し、寝たふりをする。
「舐めやがって……」
そのクラスメイトが、俺に拳を振り上げようとしているのは分かっている。
これでも、多少気配を読む事ぐらいは出来る。
どうしたものか。
反撃なんてすれば、面倒な事になる。
避けるぐらいは……いいかな?
「何をしてるんですか?」
目を閉じたまま俺が悩んでいると、ファナさんの声が耳に届く。
「あの……これは……」
俺を殴ろうとしていたクラスメイトが、誤魔化そうと必死になっていた。
ざまぁみろ。
「暴力は良くないですよ」
そのファナさんの言葉で、クラスメイトは退散して行く。
多分、お昼明けの剣術の授業で仕返しされるだろうが、この場は助かった。
「ごめんね、レイ君」
「いえ、ありがとうございました」
「そんな他人行儀じゃなくてもいいですよ? クラスメイトなんですから」
「そうはいかないんですよ……」
「今日は私のせいですが、他にも困ったことがあったら相談してくださいね。私、ほら、クラス委員ですから」
「ありがとうございます」
因みに、そのやり取りを見ていたリリーナお嬢様は、俺に恐ろしく威圧的で冷たい視線を送ってくる。
何がそんなに気に入らないんだよ。
今回、お前関係ないじゃんか。
机に突っ伏したまま、横目でもう一度その視線を確認したが、氷のようだった。
実は、俺の事が好きでのやきもちで睨んでいる……なんて事があるはずもない。
誰が見ても分かるほどの、はっきりとした軽蔑のまなざしだ。
俺にはリリーナルートの見込みはない!
それだけは、もう分かってる。
期待する気すら起きない。
それに引き換え、本当にファナさんは女神みたいな女性だ、
彼女の爪の垢を煎じて、うちのお嬢様に飲ませたいよ。
****
俺と唯一喋ってくれるファナさん。
何か困ったことがあったら、逆に俺が助けてあげたい。
俺のその純す……若干の下心もあるけど、思いを遂げる機会は、意外にもすぐに訪れた。
教室でのやり取りのせいで、俺は剣術の授業中ファナさんの前でクラスメイトに滅多打ちにされる。
木剣で急所は外しているし、可能な限りよけてるからいいが、それでも痛い。
くそ~。
****
「いてて……」
俺はダウンしたふりをして、授業が行われている武道場の裏に逃げ出した。
わざと当たるのも、無様に避けるのも、全力を出さないのも、俺にはストレスでしかない。
くそっ、全員殴り倒したい。
でも、やっちゃいけない。
俺のクラスは特に貴族の坊っちゃん、嬢ちゃんばかりだから、後々面倒になっちまう。
万が一魔剣の事までばれたら、死罪。
童貞のまま人生を終わりたくない……。
はぁぁぁぁ……。
****
心の中でもため息をついた所で俺は、武道館の裏に先客がいることに気がついた。
あれは、たしか……。
そうだ!
二年年上のクラス代表をしている、どっかの貴族の息子だ。
剣術の成績が優秀で、見た目はそんなに良くないがもててる先輩だ。
それが……。
ファナさん!?
「俺と付き合ってくれないか?」
「あ……あの……」
おおぅ!
告白の場面だった。
二人とも授業さぼって何してるんだか……。
てか! 断ってくれ俺の心のマドンナ、ファナさん!!
あれ?
ファナさんが顔を赤くしている?
もしかして、嫌じゃないのか?
そんなの俺が嫌だ! 勘弁してくれよ!
「すみません。両親に学生の間は男女交際を禁止されてまして……。その、本当にありがたい話なんですが……」
「そ……そうか、大臣に……」
「本当に申し訳ありません!」
ファナさ~ん! よく言った!!
先輩に深々と頭を下げるファナさんを、俺は心の中で褒め称えていた。
何故なら、自分の彼女にならないとしての、他の男と付き合ってほしくないから!
「いや。すまなかった。忘れてくれ……」
流石に先輩も、大臣相手では引き下がるしかなかったようだ。
先輩の返事を聞いて、もう一度頭を下げたファナさんが、その場から走り去る。
ん!?
先輩の顔が……。
なんだろう? あの邪悪そのものの顔は。
変なこと考えてないといいけど。
おっと、俺も教師に文句言われる前に帰らないと……。
****
翌日いつもの様にお嬢様について登校すると、げた箱の前でファナさんが顔を真っ赤にしている。
俺は、気付かれないように通り過ぎながら、ファナさんの手の中を横目で覗いた。
ラブレターってやつか?
でも、ファナさんくらいならいつものことじゃないのかな?
いや……違うな。
確か、ファナさんファンクラブには抜け駆け厳禁の協定があって、彼女にラブレターを出すのは禁止されていたはずだ。
クラスメイトがトイレで喋ってた。
どういうことだろう?
気になってしまう……。
どうしよう?
いや、俺じゃどうしようもないよな。
手紙を盗み見るわけにもいかないし……。
いつもと変わらず授業を受けていた俺は、一日中ファナさんの事を考え続けた。
それでも、答えが出せない俺は……もしかすると優柔不断なのかもしれない。
****
その日の放課後、ファナさんは何時もと違う行動をとった。
「あれ? ファナまだ帰らないの?」
部活動が終わって教室に戻ってきたリリーナお嬢様に、ファナさんが話しかけられている。
帰宅部である彼女が、その時間まで残っているのは珍しい。
因みに俺は、お嬢様の部活動がある日は部活が終わるまで教室で寝ている。
「少し用事があるの」
「そう……。じゃあ、さようなら」
お嬢様は何か言いたそうにしていたが、相手の事に踏み入るべきではないと判断したのか、別れの言葉を口にする。
「はい。さようならリリーナさん」
俺は、いつも通りお嬢様の後をついて教室を出た。
そして、ファナさんが残ったのはあの手紙のせいではないかと、歩きながら考える。
どうしよう?
「あの……お嬢様?」
「なによ! 学校で話しかけないでよね! このクズ!」
話しかけただけで、これって……。
「すみません。忘れ物をしたようでして……」
ファナさんの事が気になり過ぎた俺は、お嬢様に嘘をつく。
「鞄持ちすらできないの? このクズ! もう、うちに帰ってこなくてもいいわ!」
お嬢様は俺から鞄をひったくるように奪うと、とてもひどい置き台詞を残して一人で帰って行った。
あいつ、最悪だ……。
失敗だったかもしれないと考えつつも、俺は教室へ戻っていく。
****
教室の扉が見える位置に俺が辿り着く頃、ファナさんが丁度屋上に向かう姿が見えた。
可能な限り気配を消した俺は、彼女の後をついて行く。
お嬢様のせいで、ストーキングは得意だ。
ん!?
俺は屋上へは出ていないが、気配ぐらいは察知できる。
屋上には、気配が三つある。
ファナさんに告白しようとする奴がいてもおかしくないが、付き添いが二人?
何かがおかしい。
ファナさんが屋上の扉を閉めた所で、俺は扉の窓から様子を伺う。
彼女は屋上で一人、辺りをきょろきょろと見回していた。
次の瞬間、覆面をした三人の男子生徒が、入口側をふさぐように立ちはだかる。
おいおい!
まずい、助けに……あ、必要ないなぁ……。
法術の才能に恵まれている彼女は、全く怯まない。
男三人の動きも悪くはない。
いや、生徒にしてはかなりできるほうだと思うが、ファナさんの法術で弾き飛ばされている。
物理障壁の法術も完璧だ。
ファナさんって、怒らせると怖いんだなぁ。
しかし、あの動き。どこかで……。
あ! 昨日ふられた、あの先輩だ!
武道大会で見た動きとそっくりじゃないか!
なるほど……振られたから力ずくって……あいつ馬鹿なんだろうなぁ。
法術が得意ではないらしい三人は、ファナさんに圧倒され続ける。
おお!?
二人がこっちに向かって……逃げ出してるよ……。
格好……悪いです、先輩。
勢いよく開かれた扉で、俺は鞄を落としてしまった。
扉の後ろから、体を引くのが遅れてしまったからだ。
多分、先輩だと思われる覆面の二人は、そんな事を気にせず、一目散に逃げていく。
まぁ、正体見られたら洒落にならないだろうからなぁ。
俺は、視線を階段の先から屋上へと戻す。
最後の一人はまだ、ファナさんへ剣を振るっていた。
あの、背格好……多分、昨日振られた先輩だ。
あの人背が高いから、マスクしててもすぐ分かる。
ファナさんも気がついてるんじゃないのか?
ファナさんが危険になる事はないだろうとフンデ、階下へ落ちた鞄を拾いにいく。
そして、鞄を抱えて窓から再び状況を伺うと、先輩が何かを取り出していた。
あれは……魔物を捕獲する魔法具……に似てる?
俺って、魔法具にあんま詳しくないんだよなぁ。
まあ、いい。
通常この場合を考えると、先輩が使役出来る魔物があれに入っているんだろうなぁ。
多分だけど……。
先輩、なりふり構ってないな。
女の子に魔物をぶつけるって……。
まあ、ファナさんならあの先輩が使役出来るレベルの獣やモンスターくらいは、問題はなく退けるだろうな。
そんな呑気に構えた俺の背筋に、嫌な汗が流れ落ちた。
先輩が持っていた手のひらサイズの水晶玉を割ると、煙と共にモンスターが現れた。
洒落にならん!
先輩が出したモンスターは、Bランクのキマイラと言う魔物だ。
獅子と山羊と竜蛇の三つ頭をもつモンスター。
確か、火も吹くし生徒レベルで使役出来るモンスターじゃない。
馬鹿なのかあいつは!
俺でも無傷で勝てるかわからないモンスターだぞ!
言ってるそばから、キマイラの前足に吹き飛ばされた先輩だと思われる人物は、屋上の柵に突き刺さった。
一ミリも操れてないじゃん!
アホですか! 貴様!
まずい。
ファナさんの法術でも、何とかなるレベルじゃない。
****
俺は急いで憤怒のマスクを付けると、右手から魔剣を呼び出す。
先日、魂を食ったばかりのソウルイーターはまだ十分威力がありそうだ。
これなら対抗できる……はず!
「きゃあぁぁぁぁぁ!」
ファナさんは、キマイラの吐き出した炎を法術でかろうじて防いでいる。
しかし、長くは防いでいられないだろう。
俺は急いで屋上に飛び出し、キマイラに斬りかかる。
体長が三メートルはあるキマイラに、跳びかかるのは得策ではない。
まず俺は前足を狙って斬りかかるが、竜蛇の首がそれを防ごうと襲いかかってくる。
それを横っ飛びで避けながら剣をふるうが、竜蛇の口が少し切れただけだった。
飛び退きながらでは、深く斬り込めない。
どう戦う?
キマイラにもレベルがあり、高レベルのものになると尻尾も蛇だったり空を飛んだりするが、こいつは胴体はただの大きな獅子だ。
つまり、キマイラの中ではさほど強くないはずだ。
気を付けるのは、炎とかみつきだけでいいはず……。
なら!
自分の速度を最大に引き上げ、円を描くように回り込む。
さすがに、キマイラもそれに反応はするが……。
遅い!
ソウルイーターなら、この頑丈な魔物の皮膚も切り裂ける!
キマイラの周囲を二回転することで、相手の視界から抜けた俺は、敵の左後ろ脚を切り落とす。
振り向こうとしていたキマイラは、突然足を失いその場に倒れ込む。
頭が射程圏内だ!
竜蛇の首がこちらに炎を吐くが、それも遅い!
すでに反対側に回り込んでいた俺は、竜蛇の頭と反対側にある、山羊の頭を根本から切り落とした。
獣の反応速度で、中央にある獅子の頭が俺に噛み付こうとするが、俺は後ろに飛んでそれを避ける。
予想以上の反応速度で、正直危なかったけど、避けられたのだから問題ない!
キマイラの皮膚は、文献で読んだ通り恐ろしく硬いが、この魔剣なら斬れる。
そして、速度も俺が上だ!
獅子の首が伸びきっている隙間を縫い、俺は首の付け根にもぐりこむ。
それに反応した竜蛇の首を掻い潜って切り落とし、そのままの勢いで獅子の首を落した。
首全てが同から離れたところで、キマイラは絶命したようだ。
ソウルイーターが魂を食らったらしく、脈動し始める。
なんとかなったぁぁぁぁ。
俺、毎日の修練でレベル上がってるんじゃないの?
などと浮かれている場合じゃない。
ファナさんは……無事のようだ。
柵に吹き飛ばされたはずの先輩は、いつの間にかいなくなっている。
意外に抜け目ないな。
「ふぅ……」
一息ついた俺は、へたり込んでいるファナさんに手を差し伸べた。
「ひっ! 魔剣士!」
何故だろう?
助けたのに怖がられている。
結構格好良いヒーローみたいな事したつもりなんだけどなぁ。
この国では魔剣士なだけで罪だけど……ここは、ヒロインが惚れる場面じゃないのか?
あまりにもファナさんが怖がり、座ったまま壁際まで後ずさるので、俺は仕方なくその場を後にした。
折角お近づきになれるチャンスだったのに……。
くそ……。
あの豊満な胸が俺の物に……くそっ!
通報されると目も当てられなくなるので、仕方なく俺はマスクをピアスに戻して学園を後にした。
****
何かの間違いでもいいから、ファナさんとお近づきになりたい。
翌日まで、俺はそんな事を考え続けて、一人で妄想をしていた。
その俺の思いは、最悪ではなかったが裏切られてしまう。
いや、ある意味十分最悪の形で……。
翌日の休み時間、教室でリリーナお嬢様とファナさんが、何かをひそひそと話していた。
そしてファナさんから、昼休みに裏庭に来てほしいと手紙をもらった。
もしかして本当に俺の願いが……などと期待を膨らませた俺は、指定通りの時間に裏庭へ向かった。
****
「リリーナさんに聞いたのですが、昨日リリーナさんと別れて学校に戻ったんですよね?」
「ああ、はい……」
こういう場合、正体がばれてもヒロインは黙っててくれるはず。
「そして、制服がほこりだらけで帰宅したと聞きました。」
「え……まあ……」
でも、よく考えると最悪正体がばれて死刑とかも、ないわけじゃないよな。
やっとそこで、その事に気が付けた俺の顔色は青くなり、挙動がおかしくなる。
どうしよう!
しらばっくれるか?
「昨日の放課後……屋上の階段付近で、これを拾いました」
ファナさんは、俺の学生証を渡してきた。
俺ピィィィィィンチッ!
階段で鞄を落とした時に、中から生徒手帳も落としてたんだ!
ファナさんの事が気になってて、見落としてた!
もしかして、俺はこれで終わりなのか?
ファナさんが好意……いや、助けられた恩を感じてくれてなければ、死刑確定!?
最悪だ……。
「この事は……口外しませんが先輩達にも二度としないで欲しいと伝えて下さい!」
ん?
「あんなことをするのは最低の人間です!!見損ないました!!」
あれあれ?
もしかして、俺魔剣士じゃなくて覆面の三人側だと思われてる?
「いいですね!」
これなら、死刑にはならないけど……。
「今後私には話しかけるのはもちろん、二メートル上近づかないでください! 絶対に!」
そう言うと、彼女は教室へ帰って行った。
俺……命の恩人……なんですが。
****
もちろんその話は、リリーナお嬢様と言う拡声器によりクラスメイト全員が知る事となった。
それも何故か、主犯の先輩は名前を隠され俺だけ公表された形で……。
死刑じゃないけど……これは最悪の結果だろうな……。
はぁぁぁぁ……。
その後、教室で会話が出来る人間が俺には一人もいなくなった。
お嬢様との会話も、今まで以上に減った。
それに反比例して、意味もなく蹴られる回数は増えたけどね。
なんで、こうなるの?
最悪だ! 神様こんちくしょ--!!
やってらんね~……。