四話
「お~い!一○五号室だ!」
「ふぇ~い……」
「返事は、はい……だっ!」
「へいへい……」
ゴッという音と共に、俺の頭に鈍痛が走る。
「返事は?」
「はい……」
「さっさと行け!」
オーナーとは、毎日このやり取りをしている。
最初はなんとなくだったが、最近は意地になってはいと言いたくないので抵抗している。
まあ、そのせいで、殴られまくってるんだけどね。
この六カ月で、俺の頭の皮膚は若干硬くなった。
禿げたら訴えてやる……。
俺はリネン道具一式を持って、一階の一○五号室に向かう。
そこで、一人の女性を見かけた。
彼女はまあ、このホテルを仕事で使用する女性の一人だ。
中年の男性と一緒に、部屋から出てくるところだった。
日ごろこういう場合は、目を伏せて見ないようにするのが礼儀だが、その女性が若く可愛かったのでチラチラとみてしまった。
そこで、少しだけ目があい、お互いに赤面して顔を伏せた。
俺とそんなに年も変わらなそうなのに……。
苦労してるのかなぁ。
などと考えつつも、何時も通り部屋の掃除と、リネン道具の入れ替えに取り掛かる。
さすがに半年もやっていれば、慣れたもんだ。
俺は掃除をしながら、さっきの女性の事を考えていた。
無理に厚化粧をしていたが、化粧をとったら可愛いだろうなぁ。なんて事を……だ。
****
その彼女との縁は、翌日後すぐ出来た。
「お~い!」
「ふぇ~い」
今日の叩かれた音は、軽かったが何故かいつもより痛かった。
くそっ! スナップきかせやがった!
「はい! な?」
面倒くさいと言いたげなオーナーから、ガンと圧力のある言葉をいただきました。
「はい……」
「今日は昼飯の後、花屋に行ってきてくれ」
「花屋ですか?」
「ああ、地図はこれだ。ドライフラワーを五ダース買ってきてくれ」
俺は手書きのメモを、オーナーから受け取る。
「ああ……。部屋に飾るやつですか」
「そうだ。うっかりして切らしてしまった」
「分かりました」
「じゃあ、金と地図な。店員にホテルの名前言えばすぐに用意してくれるから」
「ふぇ~……痛っ!」
同じところを、的確に殴られた。
このクソオーナーは、俺の返事を一切見逃さないつもりらしい。
「はい……。行ってきます」
「ああ。頼んだぞ」
****
俺は昼飯をホットドッグで軽くすませると、地図を見ながら店に向かった。
場所は西と東の境目で、中流階級の人が住んでいる地区だ。
着いてみると、古く小さな花屋があった。
「すみませ~ん!」
「は~い……」
俺は店員がいないので、声で呼びかける。すると、と奥から女性の声が聞こえてきた。
「お待たせしました。あっ!」
「あっ!」
出てきた店員は、昨日の女性だった。
昼間はここでバイトしてるのか……。
「あ……あの、ドライフラワーを……」
「はっ……はい! いくつですか?」
「五ダース……」
「しょ……少々お待ち下さい」
俺は、女性が準備するのをただぼんやりと見ていた。
「お待たせしました」
俺は、ドライフラワーの束を受け取り、金を支払った。
しかし、俺はそこで固まってしまい動けなくなっていた。
やっぱり化粧を落とすと……かわいい。
女性もどうしていいか分からず、ただ下を向いていた。
「あの!」
「はっ! はい!」
「昨日……」
「はい……」
その瞬間、女性の顔が曇った。
俺は何を言ってるんだ……。
ホテルの名前も言わないで用意してくれたんだから、相手も俺の事分かってくれていたのに……。
失礼どころの騒ぎじゃない。
えっと……えっと……。
「あの……お名前は?」
「あ、名前ですか? えと……キララです」
「いや、本当の……」
俺がそう言うと、女性の顔が赤くなったような気がする。
「マーガレットです。あなたは?」
「あ……レインです」
「そうですか……。これからも御贔屓に……」
マーガレットが頭を下げた瞬間に、俺は何か喪失感のような物に襲われた。そして、声を出していた。
表情は多分……変に歪んでたとは思う。
「あの! 明日お昼一緒に食べませんか?」
「でも、お店が……」
「じゃあ! 俺! 何か買ってきます!」
「それなら……」
「はい!」
俺は約束だけとりつけると、ホテルに走り出していた。
****
女性をお昼に誘った。
生まれて初めての経験だ。
てか、頭が真っ白なのに、口が勝手に喋ってた……。
俺どうなったんだ!?
『あの娘に好意があるんじゃろうな』
そうなのか?
『お前にしては下心なしの、純粋な好意のようじゃなぁ』
え? え? これが恋?
俺の人生に今までなかったもの?
『下心がないと妙に初心じゃな……。さすが、チェリー……』
うっさい! クソジジィ!
鼓動がおさまらない! なんじゃこれ!
俺は花屋を営みつつ、夜の商売をするマーガレットと言う女性に恋をした。
多分、初恋だ。
****
それから俺はホテルで働く日はかかさず、お昼ご飯を持って花屋に通った。
最初はぎくしゃくしていたが、二週間も通うとお互いの事を色々話せるほどになっていた。
彼女は両親が一昨年亡くなり、一人で花屋を守っているそうだ。
最近あの付近は新しいマンションの為に立退きを迫られ、家賃を高くされ仕方なく夜の仕事をしているそうだ。
俺も自分が彼女と同じ商売の子で、両親が死んで貴族に引き取られたがトラブルに巻き込まれ、今はホテルの下働きをしていると話した。
お互いの事情を話すことで、より仲良くなれた。
俺はマーガレットとのこの時間が、どんどん幸せになって行った。
俺のホテルから花屋までは本来三十分以上はかかるが、俺が本気で走れば十分で着く。
こんな時俺って便利。
ただ、神のクソ野郎は俺にそんな幸せの時間を、長くは与えてくれなかった……。
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ……。
やってらんね~……。
****
「おい!」
「なんです?」
「お前、今日もマーガレットの所に行くのか?」
「はぁ……まぁ……」
「相手の仕事内容は、分かってるよな?」
「あ、俺の母さんも同じ仕事をしてました」
「そうか……。余計な事だったな……」
オーナーから心配されたその日から、俺とマーガレットの歯車は狂いだした。
てか、俺の歯車が、平常運転を再開したんだと思う。
死ねよ……。
今回は、誰にこの気持ちをぶつければいい?
あああああぁぁぁぁぁぁ! もう!
ジジィ死ね! 折れろ!
『わしに八つ当たりするな!』
だって~!
****
その日、花屋に行くとマーガレットの顔色が悪くなっていた。
問いただしたが、少し風邪をひいただけだと言う。
明らかにそれは嘘だ。なんとなくだけど、俺には嘘が分かる。
多分、アルティアで人の裏の部分ばかり見せられたせいだろう。
マーガレットの元気がなかった理由は、夕方になって分かった。
「ザザンさん。依頼書見せて」
「おお、レインか。好きなのを選べ……」
日曜日の夕方十枚ほどの依頼書に目を通していると、一枚に目がとまった。
「なんだ? その安いのはお前向きじゃないだろう?」
内容は夜中家にゴーストが出るので、退治して欲しいという依頼だった。
一万ギリ。
日ごろなら無視するところだが、依頼人がマーガレットだ。
なるほど、彼女の元気の無さはこれか……。
「ザザンさん! 俺これ受ける! 今日の夜中行く!」
「ホテルの仕事はどうするんだ?」
「オーナーに頼みこむ」
「まあ、いいが……」
俺は、すぐにホテルに帰りオーナーに頭を下げた。
もう少し正確にいえば、おでこから血が出るまで土下座した。
許可はくれたが、翌日の時給を二割引きにすると言われた。
ただでさえ時給六百ギリなのに……。
鬼……「悪魔……守銭奴……」
室内に、ゴツンといい音が響く。
それは、声に出してしまっていた俺が、モップで殴られた音だ。
****
その日、深夜一時過ぎに花屋に向かった。
「えっ? レイン?」
「俺、ギルドでもバイトしてるんだ」
「そうなんだ……。とにかくお願い。眠れないの」
「任せといて!」
俺を迎えたマーガレットは、仕事の後だったのかあの厚化粧をしていた。
少しだけ心が、チクリと痛む。
そのマーガレットから、状況を聞く。
数日前から仕事が終わって帰ってくると、ゴースト二匹が部屋に出現し、眠れないそうだ。
ん? ゴーストはアンデッドで人の魂を食らうはず……。
レベルが低くても、精気は吸われるはずだよな?
何で、マーガレットは寝不足だけなんだ?
まあ、マーガレットが無事でよかったし、魔剣に魂を吸収させられるからいいけど……。
なんか引っ掛かるな。
マーガレットには店の隅で隠れてもらい、ベッドには布団を深くかぶった俺が待機することにした。
布団からマーガレットのいいにおいがする。
くんか、くんか……
『ド変態……』
黙れジジィ……。
お前に鼻があれば同じことしたはずだ!
『決めつけるな! この変態が!』
ベッドの中で、もだえながら俺は敵に出現を待った。
****
『……まだかのぉ?』
うっさいジジィ……はぁぁぁ、幸せの香りぃぃ。
魔剣を呼び出し、待つ事三十分。魔力は感じないが、人の気配がする。
どういう事? コソ泥?
「呪うぞぉぉ……」
「この家から出て行けぇぇ……」
俺は、布団の隙間から外をのぞく。
『わしは……必要なさそうじゃな』
ああ……。アホらしい……。
ゴーストの人形を、人が動かしているだけだ。
まぁ、魔力感知が出来ない人には、本物に見えなくもないか……。
俺は魔剣を戻すとベッドから起き上がり、普通の剣で人形の糸を切り落とした。
「やべぇ!」
窓か見下ろすと、人形を担いで通りを逃げ男が二人。
追いかけるか……。
俺は窓から飛び出し、その二人を追いかけることにした。
勿論、俺の速度なら、すぐに追いつき回り込める。
「くそっ! 何もんだ、てめぇ!」
如何にもなチンピラさんが、俺にすごんでくる。
「怖くもなんともないって……」
「舐めやがって!」
ええ? ナイフって……。馬鹿なんですか?
こっち剣ですよ?
いや、素直に認めてやろう、この二人馬鹿だ。
俺は剣を納めて、二人を殴り倒した。
そして、気絶しなかったほうの男の胸倉をつかみ上げる。
「誰に頼まれた?」
「何の事だ?」
音もなく相手の腹部に衝撃が伝わる。ボディ一発目ぇ。
「そんな事言うわけないだろうが、このバ……うぐぅえ!」
はい、ボディ二発目。
「死んでも依頼主は……ごはっ!」
ボディ三発目っと。
「ちょ……ちょっと待って……うぇ!」
ほい、ボディ四発目。
「分かったから、待ってくれよ……」
やっぱり! 体に聞くのが一番早い!
『何故……手慣れておる?』
秘密です。
「喋るけど、俺たちにもメンツってもんがあるんだよ……」
ボディ五……。
「待って待って! ただ、小銭でもくれたら素直に喋れるんだよ! 俺達明日の酒代もないんだよ! 頼むよ!」
ずうずうしいってか、情けない奴だなぁ。
ふぅぅぅ……今回はマーガレットの家に、仕返しされても面白くないし……。
俺は、仕方なく懐から五千ギリを出して渡した。
男はそれを受け取り、だらしない笑顔を作る。
「二人いるんですが……もう五せっごげっ!」
ボディ五発目! ずうずうしいわ!
「はぁはぁ……不動産屋のランドの旦那に、頼まれたんですぅ」
俺は男の髪をつかみ上げると、ニルフォに来てマスクなしで初めて本性を出す。
「二度と花屋に手を出すなよ……」
相手がぎりぎり呼吸が出来る程度の殺気を、直接ぶつける。
「はっ! はひぃ!」
男は気絶した男を担いで、逃げだしていった。
その光景を遅れてきたある人物が、物陰から見つめていたんだ。
それに俺は気が付けない。
もしも俺が勇者なら……。
俺がもしもこの時注意してれば……。
男達を見送り、花屋に歩いて帰ると、明かりは消えていた。
マーガレットは疲れて寝不足なのだろうと勝手に思い込み、俺はそのままホテルへと帰宅した。
****
翌朝、俺はフェザーギルドへ行き、ザザンさんとノリスに相談をした。
もちろん、不動産屋ランドについてだ。
非合法なこともする地上げ屋だそうだ。
その日のうちに、マスクを装備した俺とノリスがランドの店へ乗り込んだ。
その結果、ランドが次に目に余る非合法な事を働けば、フェザーギルドがランドの店をつぶすと言う事になった。
この街ではマフィアよりも、ギルドのほうが力を持っているのだ。
てか、マーガレットに手を出したら俺が皆殺しにする。
「ありがとう! ノリス!」
たまには役に立つな! 雑魚!
「なに、お安い御用だ」
俺は、ノリスと別れマーガレットの花屋へ急いだ。
早く解決したことを報告したいからだ。
****
俺が店に行くと、マーガレットは店先で花の手入れをしていた。
「おお~い! マーガレット!」
俺は彼女に駆け寄った。
次の瞬間は、俺の頬はしびれを伴った熱を帯び、鼻につんとした痛みが走る。
はいぃぃぃ!?
俺は、彼女に思いきりビンタされた。
何故に?
「よくも騙してくれたわねっ! 信じてたのに……」
彼女は両拳を震わせながら、涙目で俺を睨みつけている。
「何の事?」
「まだ、しらを切る気? 昨日見たんだから! ゴーストのふりをしてた男達にお金を渡してたじゃない! 全部貴方の仕業だったのね!」
「ちが……」
「確かに私はあんな仕事をしてるし! お金も持ってないわよ! でも、心を安売りなんかしないわ! それにこのお店も!」
「話を……」
「帰って……。帰ってよぉぉぉぉぉ!!」
彼女の絶叫が、町中に響いた。
泣きながら店の奥に走り去る彼女を、追いかける事が……。
俺には出来なかった……。
****
それから彼女の店には、オーナーが花を買いに行くようになった。
オーナーも説明してくれようとしたそうだが、彼女は聞きたくないの一点張りだそうだ。
そして、今日もリネン係と娼婦としてホテルですれ違う……。
なんじゃこりゃぁぁぁぁぁぁぁ!
酷すぎるだろうが!
初恋ですよ?
甘酸っぱいどころか、辛苦酸っぱいわ!
神ってのは世界を平和にするんじゃなくて、俺には彼女を作らせないのが仕事か!
言ってみろ! この野郎があああああぁぁぁ!
誰か殺す……。
もお、誰でもいいから殺す……。
いいのか?
神様? 止めなくていいのか? 本当にやっちゃうよ?
それが嫌なら俺に彼女くれよぉぉぉぉぉぉ!!
神様よぉぉぉぉぉぉ!!
はぁぁぁぁぁ。
やってらんね~……。




