十三話
命の恩人であるアドルフと、聖王国の法律という枷がなくなった少年は、ついに本能をむき出しにして走りはじめました。
その彼は、まだ自分がどういう存在で、どこに向かっているかも知りはしません。
もし、知っていれば未来は変わっていたでしょうが、そのようには変わりませんでした。
何故なら、彼は予知能力など持ってないからです。
さて、ここから三つほど語るのは、単なる幕間劇。
走り出した少年に、関係があるようで、あまりない話です。
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「う……ここは?」
「カーラお姉さま! 気がつきましたか?」
アルティア聖王国で蜘蛛の毒を受けたカーラは、自分の国へ帰り着いてから目を覚ましました。
マヒ毒が思った以上に強力だった事と、想像以上のダメージで目覚めるのに多少の時間を要したようです。
まだ、頭がはっきりしていないカーラが、ソニアにその時の状況を尋ねます。
「私はどうなった? ここは……」
「はい。お姉さまの部屋です。アラクネに襲われたところを王子に助けてもらったんですよ。そのままお目覚めにならなかったお姉さまを連れて、国に帰ってまいりました」
「はっ!? 言っている意味がわからないんだが……」
カーラの反応を見て、ソニアはまだ頭がはっきりとしていないのだろうとしか、考えられません。
「ですから、狩りであの大蜘蛛に襲われて……」
「それは覚えているし、今城にいるのも分かっている。王子が助けた?」
「はい。そう聞きましたが……」
「馬鹿な! じゃあ、レイは?」
「あの物はお姉さまを置いて逃げたと、聞きました。ですから……」
「誰から聞いた?」
ソニアの言葉を聞いたカーラの目に、明らかな怒りが浮かびます。
「えっ?」
「その話は誰から聞いたんだ!」
「あの……王子から……」
「その話をお前は信じたのか?」
「はぁ……」
「馬鹿な!」
姉の大きな声に、ソニアは体を強張らせましたが、問いかける事を止めません。
彼女も王族の一人であり、芯はしっかりしているからです。
「違うんですか?」
「当たり前だ! あいつは……レイはそんな奴じゃない! なんてことだ…………」
「あの……。お姉さま……」
カーラは自分が寝間着のままなのも気にせず、部屋を飛び出します。
「お姉さま!」
ソニアは、急いでその後を追いかけます。
そして、ガウンを薄着の姉へ、羽織らせました。
「まだ無理をされては……」
「これが黙っていられるか!」
「あの……。もしかして……」
「なぜお前がいながらこんなことに……。あいつは、命がけで私を救ってくれたのだぞ!」
「そんな……」
「やつはどこにいる! 私のこの怪我もすべてやつのせいだ!」
「王子でしたら、リラクゼーションルームに……」
裸足のまま場内を歩くカーラの足音が、ペタペタと響きます。
立ちくらみを怒りで誤魔化したカーラは、眉間に深いしわを刻んだまま、リラクゼーションルームへと早足で進んでいきます。
勿論、ソニアもその後を小走りで付いて行きました。
その頃、ルーベンはリラクゼーションルームで侍女達に、カーラを助けたときのほら話を自慢げに語っていました。
幾度も同じ話を聞かされている侍女たちの顔色は、あまり優れません。
勢いよく扉を開けたカーラは、ルーベンを見るなり詰め寄り、胸倉を両手で掴み、壁へと投げつけます。
「な! なんだ!? カーラ……。目を覚ましたか。よか……ぶほぉっ!」
立ち上がろうとしたルーベンに、カーラは渾身の拳を叩きつけました。
転がって痛みに悶えるルーベンの胸倉再度をつかみ、体ごと持ち上げ、殺気のこもった目で睨み付けます。
「いひゃい! お前、命の恩人に……」
「私が、都合よく覚えていないとでも思ったか! この痴れ者!」
「ひぃ……」
「自分の虚栄を満たすために嘘をつくだけではなく、我等の恩人に汚名をきせるなど……」
「いや、その……」
もう一度、殴りつけられ床に這い蹲るルーベンに、カーラは言い放ちます。
「貴様など王家の人間としてふさわしくない! この件は、母上……女王陛下に伝えさせていただく! 覚悟しておけ!」
「あ……ああ……あぁぁ……」
ルーベンは自分の犯した過ちの重さにやっと気がつき、その場でうなだれます。
カーラは、現在の女王の娘です。
娘としてのカーラの言葉は、隔てるものなく女王に届くでしょう。
ルーベンがカーラより王位継承権で上位に居たとしても、女王の前でその権威はあまり意味を成しません。
誇りを重んじるエルフ族の中で、ルーベンの行いは致命的と言えます。
カーラの怒りは、ルーベンを殴るだけでは収まらないようです。
正確には怒りではなく、悔しさのようですが……。
自分を命がけで守ってくれた青年を、不当に苦しめてしまったのは、自分が気を失うほどふがいなかったからだと考えているようです。
悔やんでも悔やみきれない……と、言ったところでしょうか?
自分の為に命をかけてくれた青年に、自分は嫌われてしまったのではないかと、カーラの心は不安で押しつぶされそうになっています。
ですが、青年の連絡先さえ知らないカーラは、すぐにどう償うべきかが思いつけません。
「奴に……レイになんと詫びればいいんだ……私は……」
「お姉さま……」
「お前もなぜ分からなかったんだ! ルーベンごときが、あのモンスターと戦えるわけがないではないか! なのに……なのに……」
「すみません……」
姉の涙の溜まった目を見て、ソニアは謝る事しか出来ませんでした。
「いや……、すまない。八つ当たりをしてしまった。お前の事だ。状況から判断しただけだろう」
「お姉さま……」
「レイは、私を守るために自らモンスターの懐に飛び込み、必死で戦ってくれた」
「はい……」
「私は……レイにもう一度会いたい。許してくれなくてもいい……。ただ、会って……」
いつもは気丈に振る舞うカーラが、妹の前で泣き崩れます。
姉のこんな姿を見るのが初めてだったソニアは、困惑しておろおろと何をする事も出来ません。
ひとしきり涙を流した後、カーラは立ち上がります。
その目には、明らかに炎が宿っていました。
その後、女王の判断でルーベンは王位継承権を失った為、次の女王はカーラになるはずだったのですが、その継承問題解決は少し先延ばしになります。
彼女は強固と言えるほどの芯の強さを持つ、動き出したら止まらなくなる女性だからです。
実はこのことが、カーラの運命を大きく変えてしまうことになります。
ある意味人として正しいかもしれませんが、王家の人間としてどうなんだろうという行動に、カーラは出てしまいました。
目的は、自分の心を揺さぶった男性と、心を通わせたいが為です。
ただ、彼女は何も分かっていません。
海を挟んだ別の大陸にいる男性なら、美人に謝られればすぐに許してしまいます。
その彼にとって女性は、馬鹿だと賢者に罵られるほどの弱点だからです。
それを理解するまで、彼女の苦難は続くでしょう。
****
次の話の舞台は、武道大会終了後の学園です。
「会長お怪我は!?」
「大丈夫だ……」
「よかった……」
一番最初にモンスター達に襲われそうになった生徒会長に、副会長が駆け寄ります。
「それよりセシルは……」
「はい。今、アルス君達が法術で治癒を行っています。問題はないかと……」
「そうか……」
「はい」
「しかし……。あの魔剣士は何者だ?」
「そうですね……。これで二度目……」
「ああ。下法の使い手ではあるが、われらを助けてくれた事に変わりはない……」
「はい……」
「あの!」
魔剣士の事を話していた会長達に、リリーナとファナが話しかけます。
「どうした? えと……アルスの学友」
「実は私達も、彼に助けてもらったことがあるんです」
「そうなのか……」
「はい」
「以前奴は、我が学園の制服を着用していた。うちにいる生徒であれほどの使い手は、セシル以外に思いつかない……」
「はい。あれからも私達生徒会でめぼしい生徒の動向は確認しましたが、わかりませんでした」
副会長からの返答に、リリーナは少し顔をしかめます。
会長と副会長なら、何か知っているのかもしれないと考えていたのでしょう。
生徒達を命がけで何度も救っている、謎の魔剣を持った男性の正体を、リリーナやファナは知りたいと思っているようです。
「貴方達、よければその調べた資料見せてもらえないかしら?」
生徒会長に今度はパメラが話しかけます。
「いいですが……」
「頼むわ」
「はい。何かお心当たりでも?」
「少しだけね……」
助けられた事で魔剣士について興味を持っていた武道大会参加者達が、会長について生徒会室に向かっていきます。
このことが悲劇を生んでしまいますが、これは誰にも止められなかった事なのでしょう。
生徒会室で、会長達が集めた資料に目を通したパメラは、予想通りといったひょじょうを作ります。
「この資料は、基本的に成績上位の人物だけね……」
「それは、あれだけの能力ですから……。潜在的に優れている者を男女問わず調べましたが……」
「たとえばだけど……。日ごろ何らかの理由で、能力を隠している生徒がいるとすれば……」
「なるほど……。それは盲点でした」
「事件現場にいた人物で共通するのは……」
「レイ……ですかね?」
悩んでいた者達の中で第一声を発したアルスの言葉に、全員が顔をしかめます。
「それは……」
「ないな!」
「ないですね!」
「ありえない!」
皆口々に迷いなく、アルスの言葉を否定しました。
呆れたように息を吐いたファナが、口を開きます。
「それにあのクズ……レイ君は今朝から見ていませんよ」
「そうだな……」
「では、ほかには……」
彼を調査対象から除外して、その者達は再度悩み始めました。
答えは……まあ、見つけられないでしょう。
****
第三の舞台は、アルティア聖王国の場内です。
武道大会で掴まったある男性を釈放する為に、アドルフが国王に直接報告を行っています。
人払いをした玉座の間には、王とアドルフだけです。
「なんと! まことか?」
「はっ!」
「では、その少年がアドルフの以前言っておった……魔剣を使う少年」
「おっしゃるとおりでございます」
「しかし……」
どうやらアドルフは、以前から魔剣を使う男性の事を、王へと内密に報告していたようです。
その為か、王はすぐに男性を釈放する方向で、話を進めていきます。
「はい、わかっております。現在も特殊部隊は極秘」
「うむ。公での釈放は難しいな……」
「はい。ですので、脱獄ということにして軍に所属が決まり次第、過去を帳消しにしていただきたく……」
頭のいいアドルフは、報告の前にどうするかを熟考し、王を悩ませてしまう時間を最小限に抑えようとしていた様です。
「あいわかった。そのように手配せよ」
「はっ!」
アドルフに対する王の信頼は厚いようで、返答は即決だった。
「しかし、十六歳でその能力とは……」
「はい」
「何かの使命を持って生まれた者やも知れぬな……」
「はい。私もそう考えております。故に私の加護に入ってもらい見守っていきたいと……」
「うむ。アドルフならば、英断をしてくれるだろう。逃亡の偽装後、追っ手を出さぬよう手配せよ。指名手配も私の名前でもみ消しておこう」
「はっ! ありがとうございます!」
その二人の会話を城に閉じ込められ、暇をもてあましブラブラと散策していた人物が聞いてしまったようです。
その人物とは、リアナ姫です。
「そんな……。それじゃあ……。レイは……」
そのまま気づかれないように、リアナはその場を立ち去ります。
自分の部屋に戻り、自分の素顔を受け入れてくれた青年を、彼女は思い出します。
「あの……馬鹿……。言ってくれれば……」
彼の言い訳を聞かなかったのは、彼女なのですが、それは今さら言っても仕方のない事でしょう。
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「ひゃっはああああああぁぁぁぁぁ!」
自分に向けられた様々な想いに全く気が付けない男性は、今日もどこかで走り、何かに巻き込まれます。
そして、神に辛辣な暴言を吐き、きっとこう言うでしょう。
やってらんね~……っと。




