エピローグC
「あたし達が大人になるまで、この組織はあの人達が守ってくれるってさ、酷い話だよね。あたし達にとって、此処はハーベイ・ライアンの怨念でも籠もってそうな場所なのにさ」
会議室で幹部達と、マーカスやカミラやアベリーが話し合っているその最中。アンはそびえ立つ高層ビルを複雑そうに眺めながら、呟いていた。
「でも、あの方々が私達を……いいえ、組織を守ろうとしているのは、とても大事ですよ?」
「それは……分かってるけどさ」
隣から飛んできた声に、アンはやはり複雑な表情で頷いていた。
アンの隣では昨日より遙かに健康そうなミアが、アンと手を絡めながら立っている。
どこか嬉しそうな様子でミアはアンと同じ物を見ていて、互いの手は相手の存在を離さない様にとしっかり、だが丁寧に握られていた。
「ところで、本当に良かったのですか? 私達があの場に居ないなんて……」
そんな中、ミアは少し迷う様な顔でアンへと声をかけていて、その内容にアンは一度頷く。
二人は、先程居た部屋から何も言わずに退室していたのだ。ミアが不安になるのも無理からぬ事だ。
だが、アンは空いている片手を軽く振って何の心配も、問題も無い事をアピールしていた。
「いいのいいの。あたしが居た所で邪魔にしかならないし、あたしはトニーさんを信じてるからさ……」
少し残念そうに、だがトニーへの心の底から来る信頼と共に息を吐いた。
ミアにも、アン自身にも組織運用の経験や知識は無いのだ。口を出す事が無駄でしかないのは、アンが一番分かっていた。
だからこそアンは屋外に出て、出来る限りトニーが動きやすい様にしているのだから。
「……では、私はアベリーさんを、カミラさんを信じる事にしましょうか」
そんなアンの姿に何か思う所があったのだろう。ミアはアンの言葉に同意を見せて、絡める手の力を少し強めながら微笑んだ。
気持ちが伝わった事にアンは喜び、同じように手の力を少し強くする。
それが出来る事に、アンは強い喜びを覚えた。
----本当に、この子の病気は治ったんだ。
幸せな気持ちで、アンはミアの手を握る。昨日のミアの手に力を込めるなどアンは絶対にしなかっただろうが、もうミアがその程度で体調を崩さない事は分かっていた。
そう、あれだけ酷い状態だと言われたミアの体は、今ではまさに健康そのものなのだ。
それを成した者が医者でも学者でもないのは驚くべき事だが、アンはまったく気にしなかった。結果的に、ミアは助かったのだから。
「健康って、素敵な事ですよね……体が思い通りに動くのがこんなに幸せだなんて、知りませんでした」
「あたしは……あんまり病気とかしなかったけど、やっぱりそういう物なんだ?」
「ええ、昨日までの自分が如何に弱っていたのかがすぐに分かるくらい、そういう物なのです」
アンと同じく、ミアも喜んでいるのだろう。その声はとても弾んでいて、周囲に幸せそのものを振りまくような最高の笑顔を浮かべていた。
そこで、アンは思い出した様に視線をミアから外し、複雑そうな、だが好意を持っている事だけは確かな表情でそこに居る『何か』を見る。
「……そうそう。エィストさん? 言い忘れてたけど……送ってくれて、ありがとう」
「いやいや、気にする事は無いさ。色々楽しかったし……君達が幸せそうなのが嬉しいからね」
そこに居た何か、エィストが大げさに嬉しそうな笑みを浮かべながら言葉の内容は、それだけだなら善意を感じさせ物だ。が、声音は明らかに愉快犯的だった。
何故、会議室に居た筈の彼が此処に居るのか。答えは簡単だった。
「あたしのわがままを聞いてくれたのは、凄く感謝してるよ」
静かに、だが心の何処かで警戒心を露わにして、アンはエィストに礼を言う。そう、アンとミアはあの会議室から『エィストの力を借りて』此処へ移動したのだから。
それを理解したアンとミアはそんなエィストの仕草や声、何より外見が似ている存在を頭に思い浮かべて、ほぼ同時に息を吐いた。
「それにしても、やっぱり似てるね。キョースケにさ」
二人分の意志を乗せて、アンはエィストへ声をかける。その時も、アンの心の中では恭助が写っていた。
似ているという言葉ですら片づけられないくらいに、彼は恭助に似ているのだ。親子ですら、こうは行かないと思う程に。
だが、エィストはそれを否定する風な様子で手を振っていた。
「ああいや、それは間違い。あの子が私に似てるのでも私があの子に似ているのでもないよ? 詳しくは……また、本人と会った時に」
「……教える気が無いっていうのは、分かったよ」
「では、本当に本人が来た時に聞かせていただきますね」
エィストから意味の分からない話を聞いた二人は同じ様に小首を傾げつつも、同じ様な口調で話している。
「……ま、あたし達は今日、キョースケに会ってない訳だけどさ」
「どこに、行ってしまったのでしょうね。まだお礼も言っていないというのに……」
そんな中、二人は独り言を漏らす。
話に上がった恭助自身は、そこには居ない。昨日、ミアの体を恭助は治し、喜ぶ彼女達を一通り眺めていたかと思うと、恭助はいつの間にか居なくなっていたのだ。
何故か、二人の脳裏には『僕の役目はもう終わった』とでも思わせる表情の恭助が立っていた。
「はてさて……君達は……そうだな……ああ、いずれ、恭助君に会えるだろうさ!」
嬉しそうな顔で、エィストは一瞬で二人の側に近寄って頭を撫で回したかと思うと数歩離れ、心の底から祝福する笑みを浮かべる。
「よぉし、ちょっとばっかり……見せてあげようか!」
言うと、エィストの形がぶれて一瞬にして別の姿を作り上げたが、すぐに元の青年に戻っていた。
常人より少し劣る五感しか持たないミアには、エィストがどのような姿をしているのかは理解出来なかった。
だが、優れた五感を持つアンには見えていたのだろう。何やら息を呑んだ様だったが、エィストはただ楽しそうに見つめていただけだった。
「ふふ……よぉし! じゃあ私はそろそろ……お暇させて貰おうか!」
ミアがアンの変化に首を傾げていると、エィストが楽しそうに片手を上げて、二人に背を向けた。
「ではでは、皆々様! 今回はお疲れ様でした! お二人さんのこれからの幸せと……ああ! ライアン・ファミリーの幸運を祈って……さらば!」
声が響く。だが、声が最後まで続いた頃にはエィストの姿はどこにも無かった。
「エィストさん……かぁ。恭助は、あの人とどんな関係だったんだろうね……」
最後まで明らかにならなかったその謎を、アンは消えたエィストが居た場所へ向ける。
「さて、どうだったのか……分かるのは、彼らが私達を今のような状況にした、という事だけですから」
隣に居たミアも同じ疑問を持っていたのだろう。遠くを見つめる様に、ミアは微笑みを共にして呟いていた。
ふと、その顔を見ていたアンは多少の罪悪感を覚えて、顔色を少し暗くする。ミアにもそれは伝わったのか、小首を傾げてアンの顔を見つめていた。
先程まで居たエィストの事を頭から消し去り、一度息を吸って、アンは真剣な面持ちで口を開く。
「話は、変わるんだけどさ」
「はい?」
「……本当に、良いの? あたしは、ううん、あたしの親代わりはあなたの父親だった人を……」
アンの言葉は最後まで告げられなかった。
そう、アンの父親代わりであるダンプは、ミアが父親だと『思っていた』ハーベイを殺したのだ。この事は、アンの心の中で大きな棘となって突き刺さっていた。
だが、ミアの反応は彼女のそれとは異なり、真剣そうでありながらも、安心させようとする笑顔だった。
「良いのです。だって、私の父だと思っていた人はあなたを殺そうとしていたのですから。ああ、これはもう……仕方のない事です」
「でも……」
「でも、ではありません。私達は今生きていて、彼はもう死んでしまった。それは仕方がないでしょう?」
そこまで言うと柔らかい笑みを浮かべたミアはアンの両手を握って、アンの正面に立つ。
正面に来て、視線が完全に合う。すぐにアンは互いの身長が全く同じである事を理解した。だが、それは気にせずミアの手を握り返し、息を一つ吐く。
思ったより、ミアの反応は乾いた物だった。
いや、もしかすると『命を大事にする』彼女は『既に無い命』には頓着しないのではないか、そんな考えがアンの心に生まれかけたが----
「……んっ? 冷たい……?」
直前に、肩に冷たい物があたった事でその思考は四散した。
肩に当たった物は、白く、水気を帯びた小さな何かだ。氷の様でもあり、水の様でもある。それは次々と天から落ちてきて、ミアとアンの体に水滴を作り出していた。
それが何なのか、アンには一つだけ心当たりがあった。この町では、ほとんど記録にしか残っていない物として。
「……これ、雪って奴……かなぁ?」
思わず、アンは呟く。その間にも雪は彼女ら二人の体にかかり、それ以上に視界に入り込んできた。
町を背景にして、降り注ぐ白い雪。それはとても美しく、写真の中だけでしか見た事の無い光景に、ミアは感嘆の息を吐く。
「きっと、そうですね……私は始めて見ましたが……寒いのは、伝え聞いた通りです」
「あたしも、寒いかな。でも、これが雪……」
雪が降ったからか、いつの間にか周囲の気温が下がっていた為か、その日の天気と気温に合わせた服装の二人の体は急に震えだした。
あまりにも寒かったのか二人は身を寄せ合い、純白の雪が降る空を、町を見る。
「綺麗、だよね……」
この世の物とは思えないその光景に、自然とアンの口から見惚れる様な声が滲み出ていた。心の底から出てきたその声、それを聞いたミアは同じくらい雪に見惚れながらも頷いて、アンに同意を示した。
すると、アンはまるで我に返った様にハッとした表情を浮かべて、だがまた雪に見とれ始める。
「……ねえ、あたし達の体が解け合って、一つになったらさ」
だが、考えていた事が口を付いて出てきたのだろう。ミアの耳には、アンの声が響いている。
急に告げられた意図の分からない言葉だったが、アンは構わず続けた。
「本物の、ハーベイ・ライアンの娘になるのかな?」
言い終えると、アンはまた雪を見ながらミアの手を握りしめた。
その言葉を聞いたミアはアンが何を思ってそんな事を告げたのかがすぐに分かる。
----そう、先程エィストが一瞬だけ見せた姿こそ、恐らくは『ハーベイの本物の娘』だったのだろう、と。
考えている間にも、アンは両手をミアの両手に絡ませて来る。
それはまるで、二つの体を一つにせんと握られている様で、ミアはその時初めて手の力をほんの少しだけ緩めていた。
急に力が抜けた相手の手の感触に、アンは悲しそうな顔をする。だが、ミアは構わず互いの両手を眼前まで持ち上げ、柔らかな笑みを浮かべた。
「どうしたって、私達は……彼の娘にはなれませんよ。私達は、私達なのですから」
心の底からの確信が込められた、その言葉。アンは頭から冷水を被せられた様に目を見開き、ゆっくりと普段通りの表情に戻っていった。
「そっか、そうだよね……」
「そうですよ」
「……うん、そうだ。分かったよ……よし!」
アンは気を取り直そうと自分の頬を一度叩き、明るい笑顔をミアへ見せる。そこにはもう、先程の感情は見て取れなかった。
「良かった。あんまり悲しい事は言わないでくださいね」
「そうだね。ごめんミア、ちょっと、動揺しちゃったみたい」
嬉しそうに声をかけてきたミアに、アンはこれ以上無い程の笑顔で返事をして、同時に頭からその思考を消し去った。
そこで、アンは周囲の状況が気になって辺りを見回す。いつの間にか雪は様々な場所で積もっていて、何故か二人の周囲は積もる気配が無い。
何かに気づいたアンとミアは、不思議そうに積もった雪の一部を掴んで握りしめていた。
「……これってさ、やっぱり……そういう事?」
「……でしょうね。それ以外には、ありえないでしょう?」
その時点で、二人はもうその雪が何故降ったのか察しが付いていた。何故なら、その雪は----
「あんまり冷たく、無い……」
----冷たくないのだ。気温自体は下がっているというのに、降っている雪は冷たいというのに、実際に積もった雪はぬるま湯の様な温度を保っている事が、分かってしまうのだ。
写真や、記録で見た限りではまったく知らない、暖かい積もった雪。もう、誰がそれを成したのかは誰に言われるでもなく明らかだった。
首を傾げて、暖かい雪に触りながらアンは一言、困惑した声音で呟く。
「多分、エィストさん、だよね。コレ、暖かい雪って露骨に妙だし……どうしろって言うんだろう」
「恐らく、こうしろという事なのでは?」
困惑したままのアンを余所に、ミアは何かが分かっているかのように雪の感触を確かめたかと思うと積もった雪へ寝転がった。
「え、ミア!? 何!?」
「……ああ、これです。きっと、こうするべきなんですよ。あぁ……! 凄く幸せな気持ちに……」
まるで寝台に体を預ける様に落ち着いた様子でミアは言う。いかにも気持ちよさそうで、暖かそうだ。
「じゃ、じゃあ……私も失礼して」
つい、アンの体は勝手に雪の上へ動く。
少し不安なのか彼女はぎこちなく雪に身を預けたが、まるで上等なクッションの様な雪の感触と暖かさに、次の瞬間には落ち着いた風に目を細めていた。
「あ、確かにこうするべきだ……これは気持ちいいかも……」
幸せそうな表情で雪の感触を味わうアンへ、ミアが同じくらい幸せそうに笑いかけた。
「……でしょう? それに、どうしてかエィストさんは私達に雪を当てる気は無いみたいですから……このまま、風景でも見ていましょうか?」
「あはっ、いいね! 雪、綺麗だし……皆が会議を終えるまでは、此処で寝転がってようか!」
言いながら、二人は寝転がったまま手を繋いで微笑む。
二人が見上げた空は雲に覆われていたが、雪を降らせているとは思えない程、純白の美しい雲だった。
「ふっ……くく、ふふ……」
思わず、アンは小さく笑い出してしまった。何故だか、ミアと天空を見る事がとても愉快だった。
「ふふ、くくく……」
釣られた様に、ミアもまた笑い出す。二人の小さな小さな笑い声は、しばらくの間、周囲に音を与え続けた。
笑い終えた少女達はそれっきり一言も話す事無く、空を、町を眺めている。その表情は見とれている様でいて、大切な人とそんな事が出来る喜びを享受している風でもあった。
二人は、何も言わない。だが二人の心は親しく暖かく会話し続けているのだろう。声など無くとも、伝わるのだ。
手を絡ませて、幸せそうな顔をする鏡のような二人には。
----そう考えながら、何処かに居るエィストがその光景を嬉しそうに眺めているのであった。
2012/8/28




