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16年後



 男が覚悟を決めてから十六年後、彼ことハーベイ・ライアンが頂点に居る組織、ライアン・ファミリーはその町の数少ないマフィアとして存在していた。

 妻を亡くした彼は、破竹の勢いで組織の勢力を広げていった。まるで妻を殺されたかのような必死さで働いた為に、組織を潰された者達が皆、「妻と一緒に心も捨てた」と言うほどに。

 そんな彼が、様々な組織を取り込んで得た富を使って建てた高層ビルの屋上こそ----今、一人の少年の座っている場所である。


「こんな日には素敵な出会いがありそうなんだよねー……うんうん、いい眺め」


 黒い髪の少年は、そんな場所で鼻歌混じりに景色を眺めていた。

 確かに、町で唯一の高層ビルであるそこは、景色という意味ではかなり良い物だろう。しかし、そこは町で最も巨大なマフィアの事務所なのである。

 この町で最も眺めが良く、この町で最も危険な場所で、少年は眺めを楽しみ続けている。

 そんな時、少年は何かに気づいた顔で柔らかな笑みを浮かべた。


「ふふふっ……楽しいね、幸せだね。おやおや? 声が聞こえる。聞こえるよ! 僕を幸せにする声が聞こえるんだ!」


 誰も聞いていないというのに、少年はやけに高いテンションで独り言を言いながら、靴を履いていない素足をばたつかせる。

 少年が座っている場所は、屋上の縁だった。崖の如きそこは、少しでも体を前にすればすぐに落ちてしまうだろう。だが、少年はそれを構わずはしゃぎ続ける。


「わあ! 今のは危なかったね! うんうん、そろそろ来る? 来るよね? ね?」


 少年の声はどこか別の場所を見ているかのような物だった。


「おいで、幸せになれるから! ほら、もっと早く! 早く! ああ追いつかれちゃう! 走りなって!」


 吹きすさぶ風が、彼の黒い髪をなびかせていた。少しばかり目にかかったそれが邪魔だったのか、少年が髪に触れた瞬間----髪は、まったく風を受けていないかのように動かなくなった。

 見る者が見れば、何が起きているのかすぐに理解出来るだろう、髪の時間だけが、止まっているのだと。


「さて、さて。髪も整えたし後……数秒? いや後十数秒? あぁ……よし来るか? 来るね!」


 少なくともこの町では人には到底出来ないであろう事を容易く行った少年の異常さは、誰にも認識される事無く過ぎ去っていく。

 少年は、やはり近づいてくる何かが見えているのだろう、柔らかく、暖かみのある笑顔で振り返って屋上の入り口を見つめ続ける。

 すると、屋上に近づく足音が響き、少年は景色を眺めたまま、片手の指で数を数え始めた。



「よーし、三……2……いち! さあどうぞ!」



 その瞬間、少年の背後の扉が吹き飛ぶような勢いで開き、短髪の赤毛をなびかせながら一人の少女が飛び込んできた。

 一般的な範疇で可愛らしいその少女は、顔に汗を浮かべながらも周囲を見回す。

 少年にはそれが何を意味するのかが良く伝わってきた。彼女は、隠れる場所を探しているのだ。


「ハァ……はぁ……クッソ……」


 しばらく周囲を見回し、何も無い事を理解した少女は悪態を一つ吐き、自身より小さな少年に何故か気づく事無く、自らが入ってきた場所を睨みつけた。


「……かわいいね、かわいい」


 少年は立ち止まった少女の姿をじっと見つめた。

 少女の体が明らかに激しい動きに慣れている所や、何かに追われているような挙動は全て無視して、少年は微笑む。


「はぁ……あぁ、来なよ……やってやろうじゃない」


 少年の独り言が聞こえていないらしく、少女は足下に落ちていた鉄パイプを握りしめ、入り口を睨み続けた。


----止めておいた方がいいと思うんだけどなぁ


 そんな少女を、少年は心配そうに見つめる。何せ、少女は笑みこそ浮かべていたが体は小刻みに震え、息は荒く、鉄パイプを握る腕はどこか弱々しかったのだ。心配するのも当然と言えるだろう。

 しかし、そのような姿を見せていても少女の目は勇気が感じられる物だった。まるで、悪に挑む勇者のように。


----あ、追いつめられてるけど強い子みたいだね……おっと、来た来た。


 そのような感想を少年が抱いた瞬間、少女が睨みつけていた場所から数人の男達が屋上へ飛び込んできた。



「やっと追いついたぁ! これで仕事は終わりだぁぁァヒャッハハハッハハハハはァガっ! ……いってぇ! 舌噛んじまった! どうしてくれるんだおい、どうしてくれるんだよ? なあトニーどうしてくれるんだよ? 死ぬか? 俺の歯で犠牲になった俺の細胞と同じ数だけ死ぬか?」

「そんな事言ったって、俺の命は一個だけだから一回しか死ねませんよ。大体何で俺が死ぬんですか」


 真っ先に屋上に飛び込み、鉄パイプを持つ少女の姿を見るなり騒ぎだし、勝手に舌を噛んだ男に、トニーと呼ばれた男は呆れ返った声を返す。

 だが、それが失敗だった事をトニーはすぐに悟った。言葉が届くと男は僅かに目を細めて数秒黙り込み、先程より悪意の籠もった口調で話し出した。


「おぉお、なんっっって現実的な返事だ心が傷ついた! じゃあ今からこの瞬間に俺が受けた心と舌の痛みを受けて見ろ!」

「ちょ、ちょっと? 今は仕事で」

「さあ今みたいなのを何て言うんだったか……そうだ、問答無用! ああこれで合ってるよな、そうだろう?」


 トニーが焦った声で制止したが、男はそれを構わず、理不尽にもトニーの足を勢い良く踏みつけた。足を潰されるような衝撃にトニーは悶絶する。


「ぁ……っ! ……っっ!!」


 横で転げ回るトニーを無視して、男は少女の方へ目をやる。強烈な目だ。少女は一瞬体を硬直させた。


「あぁーあスッキリした。よぉし、踏みつけの練習終わりだ、今からが本番だな」


 だが、男の言葉が届く前に気を引き締め、息を一度吐いて睨み返して見せ、ちらりと周りを見る。

 トニーと男の会話に少女が警戒している間に包囲したのだろう、周囲で他の男達が銃を構えて様子を窺っていた。


「そんなに警戒するなよなぁ、これ、アレだ。麻酔弾って奴さ、ちょっと前にどこぞの強盗団から盗んだんだがこれが高性能でなぁ! 速攻性な上に、効果も中々と来た!」


 急に銃から銃弾を取り出し、説明を始めた男に周囲の全員が呆れた表情を浮かべていた。だが、例外として少女と----それらを微笑んで鑑賞している少年は呆れなかった。

 そんな彼らの反応を無視して男は銃弾の説明を続け、それを終えるとふいに真剣な表情を作った。


「逃げ場もねえ、こっちの銃弾は高性能、これ以上体動かしても仕方ねえ訳だ。だから大人しく捕まろうぜ、な? なぁ?」


 ダンプが独り言の様な声音で話す中、それを遮って少女の周囲を固めている男の一人が口を開いた。


「はいはい、分かりましたからちょっと黙っててください」


 む、とダンプは隣でいつの間にか立ち上がっていたトニーを見る。が、声の主が彼ではない事に気づいたのか、すぐに男の方を見た。ダンプとトニーにとっては新入りの男だ。


「俺達の仕事はこのガキを生きて連れ戻す事でしょう? 追いつめた事だし、さっさと終わらせましょうや」


 話しが続くにつれてトニーがどんどんと青い顔になっていったのだが男の目には入っておらず、ダンプの笑顔が更に凶悪になっていく事にすら気づいていない。

 同じように少女の周囲を囲む男達の顔色も悪くなっていったが、誰も言葉にする勇気はなかった。だからこそトニーは、見かねて男を制止した。


「あー、おい。忠告するが、止めて置いた方がいいぞ?」

「ここまで来て何を言ってるんですかトニーさん。いやそれは置いておきましょう。じゃあ、とりあえず、こいつを連れて」

「ああ、もういい。黙ってろこのガキ」


 唐突に、ダンプがその男を銃撃した。反応すら難しいほど自然な動き、一発で狙った場所に当てるその腕前はかなりの物だ。

 トニーは想像通りの流れにため息を一つき、ダンプが持っていたのが麻酔銃であった事を心底安堵した。

 銃撃された男は、一瞬目を見開いて体を見る。それが麻酔銃である事に気づくと、男はダンプを睨みつけようとした。


「な、何をするん……で……」


 だが、非常に強い麻酔だ。言葉は最後まで続かず、睨む事も出来ず、結局は何をする事も出来ずに男は倒れ込んだ。


「なぁ、お前等」

「は、はい?」

「今、何か言ったか? いやぁ、俺の耳がおかしくなったみたいでな、楽しい会話の時間を邪魔された気がしたんだが……気のせいだよなぁ?」

「……え、ええ。気のせいです。気のせいですとも」

「だよな! そんな空気も読まない奴が居ていい筈がねえ!」


 しゃあしゃあと述べるダンプの言葉に、しかし彼の仲間の誰もが異を唱える事は無かった。ダンプの手にある銃は少女に向けられず、仲間に向けられていた為に。


「いや、居ただろ」


 しかし、居た。唯一ダンプに銃を向けらる気配の無い少女は、呆れた表情を浮かべていた。

 予想外の方向から投げかけられた言葉に、ダンプは一瞬硬直する。しかし、すぐに立ち直ったのだろう、数秒もすると普段通りの表情に戻っていた。


「……まあそんなどうでもいい事は後回しだ! それより、大人しく捕まる気は無いのか? 悪い様にはしないぞ? ちょっと体をへし折るだけだ、粉々にしてやる」

「それは悪い様にしない内に入らないよね……いや、本当に何もしないとしても、『捕まったら殺される』のは、動かないんだろ?」


 ダンプの無茶苦茶な発言に、少女はどこか親しげな、慣れた様子で返事をする。そんな彼らの様子を、トニーは少し楽しそうに、だがそれ以上に悲しそうに見つめた。


「まあ、その通りなんだがな。こればっかりはボスの命令なんでなぁ」

「……なら聞くけど、見ず知らずの相手に命を捧げたいの? 幾らそれがあたしの定めでも、それは出来ないよ」


 少女の言葉は、トニーとダンプには理解でき、ただ命じられるまま彼女を追跡した他の数人にはまったく意味が分からない物だった。

 しかし、それは当然の事だ、それこそが少女が生まれた理由であり、ライアン・ファミリーの秘中の秘なのだから。


「あぁ、だろうな。俺もそう思う、そりゃそうだ。当然だよな」


 ダンプがそこまで話すと、二人は沈黙した。相変わらず数人の男達は少女を囲んでいて、トニーは二人の様子を静かに観察し続けていた。

 そのままでは、ただ時間が過ぎるだけだと理解したのだろう、少女は一度深呼吸をして、覚悟を決めた表情になった。


「……じゃあ、何とか押し通るしかないかな」


 少女が一言呟いた瞬間、彼女は背後を固めていた男を蹴り上げた。



「……! このガキ!」

「ちょっと、邪魔だこのぉ!」


 それを認識した男が少女の前に立つと、彼女はその脇をくぐって跳躍し、ビルの縁に降り立った。

 隣で少年が一連の動きを楽しそうに眺めていたが、少女も他の者達もまだ気づく様子は無く、互いを見つめ合っている。

 少女の居場所を確認した男は一斉に彼女を逃がすまいと行動し始め----いつの間にか隣に居たダンプに足を踏みつけられた。

 その行動を予測通りだと笑いながらも、少女は声を上げた。


「撃ったら、あたしは落ちる。それでもいいなら撃てば?」


 ダンプに足を踏まれた男は、そこで少女の意図に気づく。自身の命を人質にした行動は、確かな効果があった。

 何せ、彼らに命令を下した男は、「死んでも五体満足で連れてこい」と言っていたのだから、彼らには少女を傷つける権限は無いのである。


「----お前に、そんな勇気があるのか?」


 だが、ダンプだけは別だった。彼は気づいていたのだ、付き合いの長い者にしか分からない程度だが、少女が小刻みに震えているという事が。

 それを聞いて、表情にこそ出なかったが少女は一瞬だけ体を硬直させ、僅かに背後を見た。町に一つしかない高層ビルだけあって、落ちれば確実に死ぬ事が分かる高さだった。

 少女の反応を確認する事もなく、ダンプは話を続ける。


「お前にはそんな勇気はねえよ。まだ、死ぬ事も生きる事も本当の意味じゃ、分かってない癖によ。自分の命をどうこうするなんざ、お前には出来るはずがない」

「……! どうかな? アンタへの嫌がらせの為なら、あたし、死んでもいいかなって思えるかも」

「嘘だな」


 とっさに言った強がりも、ダンプは即座に見破って見せた。それが真実である事を悟ったのだろう、男は再び動き出し、少女を刺激しないようにゆっくりと近づいていく。


「……後一歩近づいたら、落ちてやる」

「出来るならな、俺にお前の嘘が通じる筈がねえって事くらい、すぐに理解できるんだろ? 諦めな、もう、遅いんだってよぉ」

「な? 絶対落ちない方がいいと思うぜ? 出来れば痛めつけたく無いしな」


 無言で近づいてくる男達と、説得めいた事を言いながら近づいてくるトニーとダンプ。彼らの姿に、少女は一歩遠ざかろうとして、すぐ後ろには足場が無い事を思い出して止める。

 彼女の反応を愉快そうに眺めながら、しかし少し残念そうにダンプは近づいていく。


「ち、近寄るなぁ!」


 選択肢を失った事を理解した少女は、自身の中に諦めが浮かんだ事を振り払うように、または錯乱したように男の一人を蹴り上げた。


「ガっ……てめ」

「あーあぁ……かわいそうに、こりゃ痛そうだ……かわいそうだから、トドメを刺してやる」

「ちょ、ダンプの旦……ガハっ!?」


 蹴りあげられた男が恨みを込めて何とか立ち上がろうとした所へ、いつの間にかダンプの足が顔面に叩き付けられて、男は呆気なく気絶した。

 ダンプは男の様子を見る事もせず、少女へ近づいていく。後、もう僅かな距離を行けば少女に手が届く距離まで近づいたその時----



「大の男が寄って集ってこんな可愛い女の子を追いつめるなんて……酷いよ、最低だよ?」



----すぐ隣で聞こえた声に、思わず足を止めた。


「あ、そっか。君って最低な男だったね……いや、そうやってるだけで、実は良い人か」


 自分の隣を見たダンプの目に入ったのは、一人の少年だった。

 何やら勝手に納得して頷いている少年は、一言で言えば「異常」だった。何せ、今まで一度も視界に入っていなかった存在だ。


「いや、俺達は最低さ! 実は寝てる間にこいつの髪を短くしてやった事もあるんだよなぁ! 何せ、長いから目障りでな!」


 だが、それでもダンプは言葉を崩さない。先程の錯乱はどこへ行ったのか、愉快そうに話している。

 どうやら「お前の仕業か」と目が語っている少女の事は無視するらしい。


「へえ、本当に最低だ! こんな綺麗な赤毛を切るなんてもったいない!」

「ちなみに切った髪はこいつの持ってるぬいぐるみに植え付けてやった。ありゃあ大変だったぜ、何せ髪の毛を植えるなんて初めてだったんだ」

「おぉ! それは酷い、トラウマ物だね! 今度、見に行かせてほしいかな!」


 二人の会話に背後でトニーがため息を吐き、残った男が目を点にして、少女が殺気立ってダンプを見ていたが、彼はやはり無視する。そのような事よりも、優先する事がある、と。



「----で、だ。そんな俺を最低と呼ぶお前は、誰だ?」


 少年とダンプは暫くの間、ハハハ、と笑い合っていた。だが、唐突に、一瞬にしてダンプが真剣な表情になって、少年を睨み付けた。


「さっきまでお前は居な……いや、俺達が気づかなかっただけかもしれないが……」

「……わぁ、おじさん鋭いね」


 そのような呼び方をされた事に、少し肩を落とすダンプは、それでも少年を見つめ続けていた。

 少年は少女よりも幾らか年下に見える姿をしていて、背も少女より低い。外見で受けた印象のみで語るならば、子供が迷い込んだ様にしか思えないだろう。

 ここが、ビルの屋上で無ければ。


「まあ、そんな事よりっ! ね、お姉さんだよね、ね?」


 自身への視線を楽しそうに受け入れつつ、少年はいつの間にか少女の隣に立ち、輝かんばかりの笑顔を見せた。すぐ後ろには何も無いというのに、少年はそれを気にしていないらしい。


「え、え? ちょ、ちょっと!? ここは危ないから!」

「……うんっ! やっぱり良い人! 素敵!」


 それだけ言うと、少年は反応を待つ事無くダンプの方へ顔を向けた。少年はどこか得意げな顔をしていて、片手は何時からそうしていたのか、少女の服の裾を掴んでいる。


「えっと、まあ。そういう訳で! 僕はこの人を助けに来ましたぁ! えへへへへー」


 その言葉に、少女は思わず首を傾げた。

 無害そうに微笑む少年は多少の異常性を含めても、少なくともこの場を『何とか』する力がある様には思えない。


「で、そいつをどうやって助けるつもりだ?」

「ふふん、良くぞ聞いてくれましたー。とか、言っておくべきかな? えっとね、まあその……」


 少し首を傾げながらも興味深そうに質問したダンプに、少年は口ごもりながらも答えた。嘘には、感じられなかった。


「ね、聞きたい? 聞きたい?」

「おお、是非聞きたいぜ。お前みたいなガキがどうやってそのガキを助けるのか、是非聞いてみたい!」


 馬鹿にしたような口調のダンプだったが、その中には興味深げな色がある。

 それを聞いたと同時に、少年は少女の手を握りしめた。その時、何かをするのだと判断した男が懐から銃を取り出す。


「おいテメ……」

「おいおいおい? 何、邪魔をするのか? そりゃいけねえ、ちょっと寝てろよ」


 男が少女を捕まえようと前に出たが、その前に、何やら理不尽な事を言うダンプに殴り倒された。


「なぁ、は……え」


 少女は戸惑って、余裕そうな顔で笑う少年を見つめた。目の前で男が殴られても、眉一つ動かしていない。


「あ、ちょっと怖いかもしれないけど……そこはごめんなさい……手も離さないでくださいね」

「いや、そういう問題じゃ……」


 視線に気づいた少年が、何やら注意事項を述べた。少女は少し不安に感じたが、握っている手は何故か離れず、離す気にもなれない。


「さてさてさて! 邪魔な連中は全員倒れた訳だ! これでお前が何をするつもりなのか分かるって事だな!」


 そんな少女の気持ちを余所に、ダンプは笑いだし、困り顔のトニーの肩を何度も叩いていた。そうしているトニーも、興味深そうに少年を見ていたのだが。

 しばらく笑っていたダンプだったが、それを終えるとまた興味深そうに少年を見つめ、質問する。


「で、どうやってそのガキを助けるんだ? 俺達、やっぱり死ぬのか? 皆殺しか?」


 ニヤニヤとそんな事を言うダンプに、少女が鬱陶しそうな顔をしたが、少年は二人を面白そうに眺めながらも、ダンプの言葉に返事をした。



「それは勿論、こうするんだよ!」



 少年はそう言ったと同時に----少女と共に飛び降りた。

 不意打ちだった為、少女は一瞬呆けた様な表情を浮かべ、落下で加わるそれらを感じ、自身が落ちている事を理解した途端、悲鳴を上げた。


「え、あ、キャぁアァァァァぁッ!」


 除々に遠ざかっていく悲鳴を聞いたのとほぼ同時に、ダンプと足の痛みを無視したトニーが慌てて下を見たが----すぐに、『見上げる』事になった。


「おぉう、そりゃすげえ……飛んでやがる」


 ダンプの言葉が、状況の全てを表していた。

 少年は、少女を抱き抱えて『空を飛んでいる』。鳥のように羽ばたいている訳では無く、ただ、飛んでいた。どちらかと言えば『空中浮遊』という言葉がしっくり来るその姿を、ダンプとトニーは目にしていた。


「ははッ、どうこれ? どう? 落ちると思った? 怖かった? ビックリした? うん、それはごめんなさい」


 唖然として黙り込む少女に謝る少年。

 自分より背の高い少女を抱き抱える少年という光景は見る者に違和感を与えるのだろうが、少年は気にした様子も無く、また、少女の体重を苦にする事も無い。


「ほらほら、ね? おじさんから逃げる事に成功したよ?」


 得意げな表情の少年は、そう言ってダンプを見た。その顔は驚いている様子を一片も写さず、そこにあったのは圧倒的な興味だった。


「おぉぉぉぉ! 飛んでるじゃねえか! 飛べるのか飛べるんだな! すっげえな、お前! あ、でもおじさん呼ばわりは止めろ。俺はまだ……」

「ダンプの旦那、話題がズレるから止めてください」

「はははっ、楽しそうだねぇ。うん、僕は飛んでるんだよ、このお姉さんも、飛んでるんだ」


 そう言って少年は腕の中の少女を楽しそうに見つめた。それで我に返ったのだろう、少女は下を見て、次に少年の顔を見て、自分の頬を抓った。


「……痛い」

「夢じゃない夢じゃない。現実ですよぉ」

「そうだ、夢じゃねえ。現実だぜ、どう考えても現実だ」

「認めたく無いですけど、現実なんっすよ、これ。無茶苦茶ですけどね」


 少女の言葉を、三人はほぼ同時に否定する。少女は少し落ち込んだ表情を浮かべたが、三人共気にしなかった。


「……で、そこからどうなるんだ?」


 ひとしきり少女を眺めると、ダンプは少年に質問する。そこには、強い興味の色が感じられ、その奥にある物は、それは、まるで何かを----『少女を逃がす事を』期待するような口調だった。


「ただ浮いてるだけじゃ逃げられないぜ? まあ、予想出来るがな」

「うん、まあおじさ……じゃなかった、お兄さんの予想通りだと思うよ?」


 『おじさん』と呼びかけたが、少年はダンプに睨み付けられたので、止める。


「んっと、よし。お姉さん?」

「……?」


 呆けた様な少女に、少年は微笑みかけた。しかし、それは少女にとっては非常に嫌な予感を与える物である。少女は自分の顔に冷や汗が浮かんだのが、はっきりと分かった。


「うん、つまりね。しっかり捕まってて、って事だよ」

「えっ……ちょっと待」


 その一言で少女は次に何が起きるのか察し、慌てて少年の首に捕まった。そして心の準備をしようと少年に声をかけようとしたが----



「じゃあ、出発しまーす!」



 ----遅かった。その声と同時に、少年はダンプとトニーの視界から消えた。その理由が二人には分かった。余りにも早すぎて、動いた事にすら気づけなかったのだ。

 二人が周囲を見回すと、遙か空の彼方に凄まじい早さで動く小さな何かが見えた。

 それが少年と、抱えられた少女である事は明らかだった。


「ちょっと待てェェェェ! 早すぎるゥゥゥゥゥゥゥ……」


 耳を澄ませてみると、少女の悲鳴がどんどんと遠ざかっていくのが分かる。遠目で見ても凄まじい早さなのだ、直接風を受けている少女は凄まじい衝撃を受けているのだろう。

 それは少女の体に何らかの悪影響が出るのではないかと思うほどの早さだったが、二人の心にはそんな疑問は浮かばない。

 二人は、少し顔を見合わせ、暫くの間呆けた顔をした。が、唐突に、ダンプが笑いだした。


「は……ははっ、逃げられたなぁ! やばいやばい仕事に失敗しちまったぜ!」

「斜め上を行く無茶っぷりでしたねー、うわ、もうどこに居るのか分からないっすよ」

「気にするな! 良くある事だ!」


 遠くを探しているトニーの肩をダンプは何度も力強く叩いた。その力が少し強すぎたのか、トニーはダンプを睨んだが、その時にはダンプが続きを話していた。


「いやぁでも良かった良かった! これでボスにも言い訳が立つ、いや立たなくても無理矢理建てれば良くなった!」

「ですよねぇ。本当に良かった、これで俺達がボスに粛正されなきゃ最高なんですが……旦那は期待できないし」

「何か言ったか?」

「いーえ、なんでもないっすよー」


 二人は、遠くを眺めながらも、何故か最初から『少女を捕まえる気など無かった』かのように語り合っていた。

 それも当然なのかもしれない、少女が幼い頃から関係がある、付き合いの長い、たった二人の人間なのだから。


「いやあ、本当に。捕まっちまったら俺達じゃどうにもなりませんしね」

「あぁ、普通に組織の人間だしな、俺達。ボスからの命令には逆らえねえ」

「……普段は全然そんな感じの無い人の言う事じゃないっすよ。っていうか、俺はマジで捕まえる気になってるのかと」

「あ? マジだったぞ? 命令だしな。逃げ切られたら、追わないだけで」

「それを捕まえる気が無いって言うんじゃ……まあいいや」


 そこまで話した所で、ふと、トニーがビルの屋上に視界を戻す。そこには、ダンプによって理不尽い倒された数人の男達が完全に気絶していた。


「で、こいつらどうするんですか?」

「いつもの悪戯だと思って許してくれる事を期待しよう、駄目なら大人しく粛正されるか、ボスを粛正する」

「そりゃまた、適当な……」


 はっきりと『組織への敵対の可能性』を宣言するダンプに、トニーはため息をついた。

 その時だった、屋上の扉がまた蹴破られる勢いで開き、男が飛び出してきたのは。


「ダンプの旦那! すぐにボスの所へ戻ってください!」

「何だ? 邪魔をするのか? 丁度良いや、さっき空を飛んだ奴を見たんだ。お前も空を飛べるか確かめてみようかね」


 そう言うなり、ダンプは男の服を掴んで持ち上げ、ビルの端へ連れていこうとしたが、その前に男が言った言葉で足を止めた。


「ちょ、待っ! ボスの娘が誘拐され、たんでっ、すよ!」


 どさり、と。持ち上げられていた男は床へ落とされた。今まで男を持ち上げていたダンプは、異常な程の笑みを浮かべて、男へ顔を近づける。


「へえ。で、ボスはどこだ? ここに居るのか? ほら答えろ」

「そっ、それが、『自宅に居るからさっさと来い』と……」


 有無を言わさないダンプに、男は震えながらメッセージを伝える。その内容に、男は少なくとも殴られるであろうと内心で覚悟を決めた。

 だが、ダンプはトニーに何事かを耳打ちして、男には一瞥もくれずに去っていった。

 胸をなで下ろした男に、少し同情的な色を持ったトニーの声がかけられた。ダンプの部下であるトニーを、男は勿論知っている。自分の上位に立っている存在だという事も。


「ああ、ちょっと悪いが、こいつらをベッドに叩きこんでおいてくれ」

「は、はい。トニーの兄貴。一体何が」

「ボスに殺されたくないなら聞くな」


 少し緊張した風の男にそれだけ言うと、トニーはダンプを追って走っていった。男は知らないが、足を思い切り踏まれた為か、トニーの走る早さはかなり遅い。

 だが、質問を諦めた男は周囲に倒れる男達を背負る事を優先した。末端の人間が知って良い事ではないのだろう、と。



----にしても、ダンプの旦那も俺も、甘くなっちまったよなぁ……あぁ、ガキってのは、怖い。

 「昔は旦那も十倍は酷い性格だった」、と、どこか感慨深そうな声で一言呟き、トニーは少し考え事をしながら走っていった。


----しかし、あの子は逃がせたな。いや良かった。

----だが……ボスの『本物の』娘が誘拐されたってのは、どういう事だ? 誰がそんな無茶を……?




……さて、プロローグ2と書き溜めはここまで。ワンシーンでココまで書いちゃいました。いや、本当にきっついっすねー、長すぎる。次からは頑張って削減します。

で、色々あって、本作は群像劇っぽい何かになっております。いや本当は群像劇のぐの字も含めるつもり、なかったんですけどね……

前作と前々作の修正も放り出して、続きを書きまくってるわけですし、頑張りたいです。

2012/6/28

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