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 アベリー達がそんな話をしている頃、そのアンと恭助は町の片隅にある建物の屋根に腰掛けて、空を見上げていた。

 その建物は如何にも汚く脆そうだったが、建て付けそのものはきちんとしているのだろう、子供二人の体重を支えるくらいの余裕はあるらしい。

 そんな建物を何度か足で叩いて様子を見ながら、アンがどこか遠くを見る様な目で話していた。


「この下はさ。ダンプとトニーさんが昔住んでた家らしいんだ」

「へぇ……じゃあ、あの人達昔から仲良かったんだ」

「あたしもそう思う、昔の写真で見た時もそう思ったよ。ここへ来たのも、その写真で知って、トニーさんに聞いたからなんだ」


 懐かしそうに苦笑しながら、アンは恭助の声に答える。

 だが、そこには意志の力はほとんど無く、やはりこの場ではないどこかを見ているという印象を受ける姿だった。


「昔、その話を聞いた時にね、あたしは何時か外に出て、写真の中にある家を見に行こうと思っていたんだ」

「夢が叶ったんだねー……」

「うん、夢が叶ったよ。こうして、屋根の上で誰かと話すのも、夢だったんだ」


 その時だけ、アンは遠くを見ている様な顔を止めて恭助に笑いかけていた。そんな様子はとても----ミアの浮かべるそれに、よく似ている。

 それに気づきつつも、恭助は全く関係の無い話題を投げかけた。


「はは、それにしても、よくあんな感じで走って知ってる場所に出れたねぇ。てっきり、適当に走ってるだけなのかと思ってたよ」

「ううん、適当に走ってたらいつの間にか此処に出てたんだ」

「運命、って奴?」


 アンは小さく頷いて、恭助の言葉に同意する。

 そう、ミアの前から逃げていったアンは、そのまま遮二無二に走ってこの建物にまで辿り着いていた。

 引っ張りながら走っていた筈の恭助がいつの間にか隣で走っていた事にすら気づかず、アンはそのまま屋根に上って、うずくまる様な姿勢で座り込んだのだ。

 そのまま際限無く落ち込み続けるかと思われたが、恭助が何度も話しかけた事によって、表面上だけでも普段の調子を取り戻していた。


「それにしても、運命、か……」

「うん?」

「あたしに微笑む運命があるとしたら、それはとても残酷で酷い奴に違いない、そう思ってね」


 苦笑混じりの声だったが、その奥にあるのは深い闇だ。表面上は落ち着いていても、中身は変わらず酷い状態だった。


「あたしは死ぬべくして生まれて、中途半端に覚悟を決めて、それで……」

「向こうがとっても素敵に覚悟決めちゃってた、と」


 恭助は笑顔のまま、少し困った雰囲気を放って声を返していた。その返事にアンは小さく頷き、無理に明るそうな声で話を続ける。


「そ、あたしはさ、あの子になら命を上げていいと思ってたんだけど……それが、あの子の強い声を見てるとさ、なんだか投げやりな感じがして……ハハっ、笑えるよね」


 アンの心を沈み込ませている物こそ、それだった。彼女は確かに覚悟していたのだ。

 「もしも、あの子がオリジナルだったら命を渡しても良い」と。本気で、考えていたのだ。

 だが、ミアと話をして、その声にある巨大な勇気---そして、『微かに震える体』を見て取った途端、彼女の覚悟は当人にとっては非常に安く見えて、折れてしまったのだ。


----あぁ……苦しい……こんな事なら、逃げなきゃ良かった……


 表面だけの笑顔を浮かべたまま、アンは心の中で自分の行動に唾を吐く。そんな後悔を抱えたまま、アンは独り言の様な声を発していた。


「やっぱり、あたしはあの子のクローンで、あの子はあたしのオリジナルなんだよ、だから---」

「---でもさ、僕は君とあの子の間に差なんて大して無いと思うんだよ」


 言葉を遮って、恭助は楽しそうな口調で話を続けた。

 そこにはアンを気遣うというよりもただ自分の考えを話したいという、ただそれだけの理由が見えていた。


「まあ、自分の生まれとかそういうので、生きるとか死ぬとか、深く考えてるのかもしれないけど……」


 そこまで話すと一度だけ息を吐き、恭助は柔らかな雰囲気で微笑む。


「そんなの、本当に理解してる人なんて少ないんだよ」


 いつの間にか、アンの頭には恭助の手が置かれていた。まるで聞き分けの悪い子供をあやす様に頭を撫でてくる恭助を、アンは不満そうに見た。

 だが、恭助にそれを気にする感情は無かった様だ。


「だから、僕は君が何であれ気にしない……月並みだけどね」

「……っ!」


 本人の言う通り、それは月並みな言葉だ。だが、その言葉は確実にアンの心に響き、彼女の意志に影響を及ぼす事になった。

 しかし、アンは頭を撫でられている中で一瞬だけ見えた物を感じて眉を顰め、礼を言う代わりに一言だけ、声をかけた。


「……本音は?」

「正直君の悩みとか分かんないしどーでもいいかなー、って思……あっ」

「やっぱり……」


 そう、恭助がアンの頭を撫でている間、一瞬だけ確認出来たのだ、恭助の目がまったくアンを見ていなかった事に。

 途端に、恭助は視線を逸らし、とても申し訳なさそうな顔で謝り始める。先ほどまでの柔らかで余裕のある物とはまったく違う表情だった。


「その、ごめんね? 君が心配だっていうのは本当だよ? だけど、僕には君の悩みはちょっと……」

「……いい、確かに、悩みすぎだったのかもしれないから」


 恭助が余りにも悲しそうな顔をするので、アンは怒る気を完全に無くして手を軽く振った。

 その話の流れで自分の気持ちが底辺から微かに上昇していたのだが、アン自身がそれに気づく事は無かった。


「そうだね、また後で、あのアパートに行くよ。行って、あの子と話して……それで、決める」


 アンは、生きるか死ぬかの決定を後回しにした。彼女は考えたのだ、「後で考えよう」と。

 まず間違いなく、確実に親代わりの影響だった。


「そっか……それじゃ、しばらく風景でも眺めてよっか!」


 そんなアンの思考に気づきつつ、恭助はアンへ肩を寄せながら微笑んだ。

 アンは何故かそれを嫌だとは思えず、恭助の肩を掴んで自分の胸の辺りまで近づける。

 無性に、誰かの暖かさを感じたい気分だった。


「……はは、顔赤いね」

「むぅ、からかわないでよ。本当にさ、困……らないけど」


 アンの行動が予想外だったらしく、恭助の顔は殆ど真っ赤だった。


「へぇー……成る程ねぇ、そういうのが好きなんだぁ……」


 その反応に思わずミアの事を思い出して、アンは先程とは違う悪戯っぽい『本物の』笑みを浮かべ、変わらず顔の赤い恭助の肩を軽く叩いた。


「そっかそっか、キョースケの好みは赤毛でこんな顔立ちの女か」

「い、いやいや。僕は素敵な人は皆大好きだよ?」


 恭助が慌てた声を上げる様子をアンは楽しそうに見ていた。


「そう? じゃあ、あたしも素敵な人なんだ」

「うんうん! そうなんだよ! お姉ちゃんは素敵な人なんだよ!」


 嘘が一切見られない純粋な言葉を聞いて、アンは思い切りからかう様な顔になったかと思うと、互いに座ったままで恭助を後ろから抱きしめた。


「そっかぁ……こういうの、照れるねっ!」

「わ! ちょ……! 止め……っ!」

「ははっ! 照れてるんだ、このマセガキめっ」

「恥ずかし……! あ、でも柔らかっ……!」


 続く恭助の言葉は嬉しそうで、逆にアンの顔を赤くさせる。

 そこで恭助は隙を見てアンから離れ、『お返しだ』と言いたげな顔をした。


「……僕の勝ち?」

「……ハァ、うん。あたしの負け」


 二人は顔を合わせて、笑い合った。

 「後から考える」とした途端にアンは自分の心が軽くなった事を感じていた。

 重い物を一気に取り払ったからか、普段ではしない様な事も軽々と出来てしまったのだ。


「……流石ダンプ……おじさん、か。あの人の考えも案外バカにできないなぁ……」


 それを少し恥じながら、アンは二人の事を頭に浮かべる。その時だった、背後から声が響いてきたのは。



「楽しそうな顔してるっすね、アン」



 その一瞬、二人の姿を思い浮かべていたアンはその鋭さを持った声を聞いて、ダンプが現れたのかと感じた。


「……トニーさん」


 だが、目の前に居るのはトニーだった。らしく無い雰囲気を纏った彼は、ダンプ以上に危険な物を持っている様にも見えた。


「トニーさん、その、あたしが逃げて立場悪くなったり、した?」


 それでも、アンは心配そうにトニーを見る。自分が逃げた事で二人が責められるのは、分かっていた。

 そのトニーは未だ黙ったまま、振り向いたアンに近づく事も、遠ざかる事もしない。しかし、アンの言葉を聞いた彼は鋭い雰囲気を少し押さえていた。


「いいえ、俺達は特に悪くなってないっすよ。元々ダンプの旦那は立場なんて無いような物ですし」


 トニーは笑わずに、しかしアンの言葉には真摯な調子で答える。それが嘘ではない事が、トニーと付き合いの長いアンにはよく分かった。

 何故か、隣の恭助が面白がる様な顔で笑っていたのだがアンは気づいていない様子で、トニーに話しかけた。


「そっか、良かった。あたしさ、外へ出て色々、気持ちが変わったよ」

「そうかい、そりゃ……良かった」


 笑顔の中に物憂げな色を感じ取ったトニーはその時初めて鋭い雰囲気を崩し、困った様な顔をする。


「ま、それはともかくっすね。俺はちょっと伝言があって来たんっすけど……いや、まさかアンがガキを……ちょっと年の差っすけど……」

「いや、それ誤解だから。魂から涙するくらい誤解だから、それは無いから」


 それまでのトニーが放っていた雰囲気とはまったく違う、どう見てもショックを受けた事が分かる顔をしている。

 その時、顔の前で手を振って否を言うアンの隣で恭助が面白がる様に呟いた。


「実際、年の差はあるよねー」

「ですよねぇ、いやぁ、アンが屋根の上とはいえ往来で……」

「ふふっ、実は会ったばっかりの時に港で……」

「無いっ! キョースケも煽らないで! 大体あたしは……あーもうっ!」


 気が合うらしく、ニヤニヤと笑みを浮かべながら語り合い始めた二人に、アンは顔を真っ赤にして声を上げた。

 特に威圧された訳でもないが、二人は笑ったまま口を噤む。

 それを見たアンは息を荒くしながらもトニーへ話しかけた。


「それで? ダンプの奴があたしにどんな伝言を寄越してきたの?」


 その言葉を聞いて、緩んでいたトニーの雰囲気は一瞬で引き締まり、目は真剣な物へと変じていた。


「……ええ、『ビルの執務室へ来い、全部を教えてやる』だそうで。ま、俺も旦那が話す内容を知ってる身として……来てほしいっすけどね」

「それは一体、どんな?」

「来てのお楽しみ、と言っておくべきっすかね」


 それだけ言うと、トニーはアンから視線を外し、楽しそうな雰囲気で恭助に笑いかけた。


「おっと、アンの事。助けてくれてありがとうございます」

「ううん! 僕も楽しかった! きっと、これからも楽しいよ!」


 やはり気が合うらしい、二人は笑い合い、いつの間にか握手までしていた。

 アンが怪訝そうに見つめている間、トニーは恭助に笑みを向け続け、それを終えるとすぐにアン達へと背を向けた。


「こうしてる場合じゃないんっすよ俺。ダンプの旦那が色々終えちまう、俺が先に戻ってないとぶっ殺されかねねえ」


 独り言の様な言葉の中に恐怖を宿らせ、トニーはアン達から離れていく。

 だが、屋根の端まで歩いていくと、トニーは急に歩みを止めて一言告げた。


「さて、まあ、アンなら来てくれると思ってるっすけど……来てくださいね」


 トニーがそう言った瞬間、どこからか閃光が走ってアンは反射的に目を瞑る。


「…………ん……?」


 ようやくそれが消えて目を開くと、そこには誰も居なかった。



「変わった人だね。それに、そこそこ強そうだ」


 隣では恭助が何度か頷いている。どうやら、彼は目を瞑らなかったらしく、トニーがどこへ行ったのかが分かっているらしい。


「それで? 行くの? 行かないの? 幸い、僕はまあ……色々してあげられる。つまり、あのビルまで君を連れていってあげられる。行きたいなら、行くよ?」


 クルリとアンの方へ顔を向け、恭助は問いかけて行く。そこには心配そうな色と、何より純粋な興味の色があった。


「行く。ダンプなら怪しいけど……トニーさんがあんな調子で物を言うなんて、随分久しぶりだから」


 アンは迷わなかった。

 何故か、心の奥底が騒いでいるのだ、『これを逃してはならない』と。それ以上に、ダンプの『全てを教える』という事が気になってもいたのだが。


「そっか。それはいいね。うん、いいさ。じゃあ……行こっか!」

2012/8/28

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