【第6幕】大団円
ホワイトデーお返し調整会議【小説】第6幕 大団円
ケータイ電話、出会いと合コンの玉手箱を突如喪失した小早川ケンタはパニックになった。二人乗りをしている状況で、島津に自分の携帯を投げ捨てた理由を問いただすことも出来ないし、そもそも島津さんは怖そうなのだ。
何よりも怒られることが苦手な小早川ケンタの気分は、しばらくすると携帯電話を勝手に捨てられたという憤りから、失った携帯電話のアドレスをいかに回復するかということに遷移していた。
そんな小早川を乗せる島津隊のママチャリは、二車線を走行する車両と車両と間を縫うようにして走っている。なんかNYのバイシクルメッセンジャーみたい。いや、実際には見たことはないが、何かカッコいい気もしてきた。切り替えの早い小早川ケンタは、勇壮かつモダンなイメージを自分達に重ねて気分が上向きつつあった。
が、小ぶりなママチャリをこぐ身長180Cmを越す巨漢、島津警備員の姿は、傍目にはボリショイサーカスのヒグマように見えていた。そしてそのヒグマにつかまって二人乗りする若い男。どうみても島津隊は夜のキタの見世物であった。自転車が大阪市役所を過ぎ、大江橋を渡りきったところで小早川は島津に尋ねた。
「島津さん!我々は、新地の割烹、「関が原」に向かっているんですよね!?」
「。よかや、松平はあそこにはおらん。」
「松平部長はたしか守口のお住まいで、京阪電車をご利用ですが、、、」
「。松平ぁは、梅田で飲んだら谷町線を使います。昔はそうでした。」
「。あの男は二次会は太融寺のほうでするから。」
「太融寺、ですか。。。」
小早川ケンタは、松平部長の名誉のためにその先の言葉につぐんだ。
「あん、男は、無駄をせん男です。」
島津は小早川の気持ちを知ってか知らずか、そうつぶやいた。
たしかに、割烹「関が原」は松平部長の行きつけの店であるが、この時間であれば既に切 り上げて、二次会に向かっている公算が強い。御堂筋を北へ猛進する島津隊は、国道二号線と交差する二叉路で、大阪人が「シンミ」と呼ぶ新御堂筋に進路を替えた。割烹「関が原」がある北新地方面ではなく、松平部長のもう一つの御用達と言われる、スナック「ゴリラ★チョップ」のある太融寺方面へと向かうためである。
ところが、その新御堂筋は悪いことに、年度末の帳尻合わせか、飲酒運転の検問が行われていた。法律的には自転車に乗っての飲酒運転も立派な法律違反である。道路交通法には「車両等を運転した者で、その運転をした場合において酒に酔つた状態にあつたもの」と記してある。実際、自転車での飲酒運転を検挙したというニュースを、小早川ケンタは先日インターネットのトップニュースで見たばかりだった。
そういえば島津さんはちょっと酒臭いような気がする。いや、単なる口臭か。それにしても大の大人がママチャリに二人乗り。これが警察に咎められないわけがない。小早川ケンタがは恐る恐る島津の顔を覗いた。すると島津という人物は元来からしてまつろわぬ、反権力的な男なのだろうか、なんとこの窮地にむしろ嬉しそうに笑っているのだ。警察への反抗の好機に舌なめずりしている、そんな様子だった。島津はキタの夜空に向かって咆哮した。
「。ええい!ままよ!!」
絶叫するや島津はママチャリをさらに加速させ、検問用に設置された斜線の入ったカラーコーンとコーンバーをめがけて真っ直ぐに突進した。・・・乾いた音が響く。虚を突かれて唖然とする警官の顔。振り返る千鳥足の酔客。腕をにしがみつく髭面のオカマ。島津隊に吹き飛ばされたカラーコーンとコーンバーはカラカラと道路に転がった。
まさか自転車が検問を突破することなど夢にも思っていなかったのだろう、検問の警官二人は顔を見合したまま、過ぎ去る島津隊を見送ってしまった。が、すぐさま彼らの官憲としての矜持と官僚堅気が作動した。
「おいッ!そこの自転車!待ちなさい!!」
警察官は走って島津隊を追おうとしたが、島津隊の姿を見失ってしまった。追う事をあきらめた警官たちは舌打ちして、島津隊が消えた方向を眺めた。すると、対向車のベッドライトを浴びて、島津隊の雄姿が道の向こうに浮かび上がってくるではないか。警官の一人が言った。
「あいつら、、警察なめてんのか、、、両手放しや。」
興奮した小早川ケンタは尊敬の表情を浮かべて叫んだ。、
「島津さぁんて、、、何か凄いッス!」
「。、、、なあんでも決めたら早くせな。先んずれば人を制すと、言います。」
小早川ケンタは島津の背中に抱きつきながら島津の訓辞を拝聴した。そして小早川は思った。かの「関が原の合戦」において、西軍に属して敗れた島津軍は、撤退の折りに敵陣のど真ん中を突っ切って退却したのだ。この人、かの島津軍の末裔かも知れない、、、小早川は今度聞いてみよう♪と思った。今の派手な突破劇で、携帯の一件については、しばし忘れることが出来た小早川ケンタであった。
曽根崎東で右に折れ、真言宗の寺とタイ料理店や廉価な風俗店が並ぶ兎我野町に入り、カップルや酔客をかわしながら、島津が突然ブレーキを踏んだので、小早川ケンタは前のめりとなり、危うくコケそうになった。島津が自転車から急に降りたので、小早川ケンタはスタンドの壊れたママチャリを後部座席から支えることになった。
そんなトンマな姿勢の小早川をよそに、島津は厳しい表情で目の前の雑居ビルを眺めていた。スナック、「ゴリラ★チョップ」が入っている雑居ビルについにたどり着いたのだ。因みに「ゴリラ★チョップ」が店を構える雑居ビルは、別名「ジャングル・ビル」とも呼ばれ、「ゴリラ★チョップ」以外に、ショーパブ「アナコンダ」やSMクラブ「ジャガーの館」、人材派遣会社「アマゾネス」の事務所や会計事務所の「羽仁会計事務所」など、正にジャングルとも言うべき雑多な業種が混ぜんと同居していた。カオスシティ・大阪を象徴するビルディンと言ってよい。
「。小早川さん、着きましたよ。」
小早川は慌てて、自転車をビルの入り口の横の倒した。島津は一人スタスタとビルの入り口に向かっている。
「島津さぁん、、、薩摩守どの!待ってくださいよぉ〜」
島津と小早川は、隔階でしか止まらないエレベータを使って8階まで昇り、そこでエレベーターを降りて階段を使い「ゴリラ★チョップ」のある9階に向かった。ズンズン進む島津の後を追って、階段を駆け上がる小早川ケンタが、8階の踊り場にさし掛かった時、小早川の両目に一面のキタのネオンが飛び込んできた。
車が行き交う新御堂筋と無数テールランプ。悪趣味なhepの観覧車のライトアップ。東通り商店街から堂山あたりのいかがわしい店舗の光。この大阪の空の下、今日も、そして明日のホワイトデーも、男子と女子がデートしたり、告白したり、果たせるかな、まぐわったりするんだろうなあ、という感慨が急激に小早川ケンタの心に沸いてきた。
俺なんで別れたんだろ、、、いわゆる元カノとの切ない過去が去来した。昨日、今日、そして明日。明日のホワイトデーために上司らと自分は何故か必死になっている。ふと、小早川ケンタは人間が愛しく思えた時、何故かその脳裏には本田次長の笑顔が浮かんでいた。
「。ここか。」
小早川ケンタがあれこれと感慨に耽っている間に、島津隊はスナック「ゴリラ★チョップ」の入口にたどり着いていた。
扉を開けることに躊躇する小早川ケンタに一瞥をくれ、島津は入口のドアノブに大きく節くれだった手をかけた。ガチャ、「ゴリラ★チョップ」の扉が開いた。店内からは酔客の下品な笑い声とホステスの嬌声、そしてエコーのかかり過ぎたカラオケの音が響いてきた。
「いらっしゃ〜い」
「ゴリラ★チョップ」のママの挨拶にも返事せず、島津は無遠慮に店内を見回した。奥の四人がけのボックス席、その横のレザーディスクの古臭いカラオケセット、手前のやや大きめのボックス席、そしてカウンター、、、
「。松平、、、!」
カウンター席に座る小太りの後姿が、かつて見慣れた松平部長のものであることを確認した時、島津は言葉を失った。両手を腰のところで当てたままで、固まって動かない島津の脇の隙間から小早川ケンタが店内を眺めると、カウンター席には松平部長と、なんと企画室の紅一点、今般の騒動の震源地、おトヨその人で座っているではないか!
しかも二人の肩は触れ合わんばかりの距離で、それはこの二次会の盛り上がりを想像させるにあまりあるものだった。さらにおトヨの手元に目をやった島津と小早川は目を見張った。なんとそこには、愛らしいリボンにくるまれた長方形の箱があるではないか!箱の小ささがかえって高級感を漂わせる、ホワイトデーのお返し、、、。
中身は貴金属の類だろうか、いずれにしても一日早いお返しと二人だけのホワイトデー・イブである。腰から手が離れ、島津の拳がワナワナと震えいるのに、小早川ケンタが気がついたが、時すでに遅しであった。振り向いて小早川ケンタをブン殴り、島津はうめくように言った。
「マ・ツ・ダイ・ラァァ、、、キサマ、また抜け駆けかあ!!」
今は警備員をしている元企画室長の島津義男が若かりし頃に松平部長と職場のマドンナを争ったことを小早川ケンタが知ったのは、この後のことである。島津の中途退職が松平部長との確執に原因があったのか、これについては現在でも社内では諸説ふんぷんとしている。
島津の叫び声に、おトヨに向かって半身になっていた松平部長がこちらを向いた。見慣れたタヌキ顔はいい感じで酔いが回り、ひょうたんの徳利を持った信楽焼きのタヌキを思わせた。松平部長はバーボングラスを軽く上げてこう言った。
「あ、シマヅ、、、さん、一緒にやります?」
その柔和な声の誘いがけは、勝者から敗者に向けられた、圧倒的な勝利宣言であった。
バシャ!殴られて床に這いつくばったままの小早川ケンタの目に飛び込んできた帽子。去り際に島津が警備会社の制帽を叩きつけたのは、もう会社には戻らないという意味だろう。決して当世流行のコメディアン、上島竜平のモノマネではない。バタン!!島津が怒りにまかせてドアを閉めた音が響いた。
島津が去り、その場に取り残された小早川ケンタは、松平部長が肩をすめて両手を広げる、いわゆる外人ポーズをとって、おトヨの方に向き直ったのを這いつくばったまま確認した。「親にも殴られたことのないのに!、、、」と、殴られて焼け焦げるように熱い頬を手でいたわりながら、小早川ケンタはサラリーマン生活の中で、何が一番重要であるかを悟ったような気がした。
「疾きこと風のごとし」戦国時代の名将武田信玄が傾倒した、中国の【孫子】の言葉であるが、何事もスピードが大事なのである。勝者は常に早く、そして抜け駆け野郎だ。部下の女子社員の前で鼻を長くしている手の早いこの初老の男こそ、ビジネスの、否、人生の最終勝利者なのである。誰がリクエストしたのだろう、スナック「ゴリラ★チョップ」には、上司と女子社員の定番、「銀座の恋の物語」が流れてきた。
「世の中、少しもよくなってないじゃないか、、、」
小早川ケンタの泣き出しそうになりながらうめいたが、その小さな嗚咽は、やけにしっとりとした、おトヨのカラオケ用の声にかき消されていった。
「心のぉ〜奥までぇ〜♪・・・」
この平成某年3月13日夜の出来事は、「仮名手本・ホワイトデーお返し蔵」という名で、現在でも歌舞伎や浄瑠璃の人気の演目として受け継がれ、今日に小早川ら男子達の悲劇を伝えている。(了)
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