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【第5幕】本田次長の秘策

 小早川ケンタが詰め所に行くと、そこには、一人正座をして腕組みしながら、恐ろしく険しい表情で「ナイト・イン・ナイト」を見ている初老の髭面があった。彼こそが元企画室の室長、今はこの会社の警備員となっている島津義男、その人であった。


 夜の娯楽番組をほとんど怒っているような顔で見ているのは、きっと、元来がそういう顔つきなのであろう。小山のような肉体、魁偉なその容姿に、小早川ケンタは圧倒された。が、萎縮ばかりしていては役目を果たすことが出来ない。


 「あの、島津さんですか?」


小早川は声を掛けた。島津は小早川に向き直るこもなく、一呼吸おいてこう応えた。


 「。いかにも、わしは島津義男です。」


 「島津さん、あの、企画室の小早川と言いますが、少し教えて欲しいことがありまして、、、」


小早川は職員IDの示しながら、こう切り出した。


 「。ふん、企画室か。企画室のお方が、この島津に何を聞くとですか。」


 島津はまた一呼吸おいてそう言うと、リモコンでTVの電源を切り、正座したまま膝を使ってはじめて小早川の方を向いた。威圧的に見える両の腕は組まれたままで、あたかも口をへの字に結んでいるように見える。いや、組まれた手は毛むくじゃらなので、口髭のある口をへの字に結んでいると言ったほうが、より描写が正確かもしれない、と小早川ケンタは思った。


 が、今はそのようなことが重要なのではない。組まれた腕そのものが島津の小早川への返答であり、小早川の用件、すなわち松平部長の居場所にあたりをつけるという依頼を快諾するようには見受けられないのだ。小早川は交渉の困難さを想像した。と、その時、小早川ケンタの目に詰め所の壁に掲げられた阪神タイガースのカレンダーと、その横に「夢」と筆字で書かれた色紙が目に入った。

 


この色紙、きっと阪神の選手のサインに間違いない!しめた、これは使える!と小早川ケンタは思った。オッサンと阪神、これは関西においては絶対の組み合わせであり、小早川は島津との距離を一気に詰めることができると確信したのだ。


 「あ、すげぇ、阪神の(ムニャムニャ)のサインだ!今年の阪神、どうですかねぇ〜!?」


 固有名詞を知らない場合、早口でムニャムニャ言って通じさせるのが、小早川ケンタの常套手段である。これは彼がビジネスで養った一つのスキルを言ってよい。


 島津は、ちらとサイン「夢」を振り返り、こう言った。


 「。あれは、わたしのものではなか。」


 島津はまた一呼吸おいてそういった。必ず話す前に一呼吸おくのは、あたかも翻訳をしながら話しているような印象があった。


 「あ、、、そうですか、、、」


 小早川ケンタはしくじったと思った。宿直に詰める警備員は何人もいる。「夢」はそのうちの誰かのものだろう。小早川ケンタはこの誰かを心の中で恨みがましく非難した。大体、職場にサインを飾るなどとは不謹慎であると。しかしそう考えたところで、小早川の今の窮地

に変わりはない。小早川のアテは完全に外れたのだ。島津は虎党ではなかったのである。


 小早川は島津に取り付くシマを完全に失ってしまった。が、これは結果的には幸運だったというべきかも知れない。そもそも小早川ケンタはスポーツ音痴であり、阪神タイガースについても球団名、監督名等の基本的な情報しか知らないのだ。もし島津が熱烈な阪神ファンであったなら、たちまちチグハグな会話となり、小早川のにわかファンぶりはすぐに露呈しただろう。小早川ケンタには、浜中選手と林選手のポジション争いについて所見を述べることなど出来ないのである。


 いずれにしても進退窮まった小早川。この際は、と彼は持ち前の性格で正直にこう言った。


 「スイマセン、実は、僕、野球は詳しくないんです。エヘへ。」


 そう言われた島津は意外にも小早川に向かって微笑んだ。


 「。わたしも野球は詳しくなか。野球は嫌いです。」


 島津がはじめて笑った。笑った瞬間に開いた島津の鼻の穴から、鼻毛が少し覗いた。小早川ケンタには、大事な時に瑣事を見逃さないという妙な才能があった。

 


あ、机にクロスワード・パズルの雑誌が置かれている。これこそが島津さんの私物だったのかも知れない!え、この雑誌、、今は三月だから、、普通「四月号」なのに、え!「十二月号」?、あれ、5ヶ月もかけてクイズ解けてないの!?小早川は、頭の中にとめどもなく無意味な空想が駆け巡ってしまい、しばし口をつぐんでしまった。


 若い小早川が沈黙しているのを見て、島津は小早川が萎縮して黙り込んでいる(実際には、くだらないことをあれこれ考えいている)と思ったのか、島津からこう切り出してくれた。


 「。で、企画室の小早川さんにわしは何を教えればよか?」


 への字に組んだ両の腕は、かるく拳を作り、両膝の上にあった。小早川は我に返り、企画室内が紅一点からもらったバレンタインのチョコレートのお返しを巡って紛糾しているということ、ついては松平部長に会って企画室全体としての結論を決めてもらうということを手短に話した。島津は黙って小早川の説明に聞いていたが、話が終わるとこう言った。


 「。松平、、部長の居場所か。」


 島津は松平部長の名前を呼び捨てにした上で、役職を取って付けたような言い方をした。小早川はこれに違和感を覚えたが、松平部長と島津は旧知の間柄ということだから、親しさからそのような言い方になったのだろうと小早川は一人で合点した。


 「。よかですよ。わしが松平ぁ、、部長んとこ、連れて行きます。」


 と言って、制服のコートを着、制帽を被って島津は詰め所から出てきたかと思うと、廊下の奥の非常出口に向かっていった。小早川ケンタは島津についていった。


 非常出口の横に立てかけられていた、古臭いママチャリ、スタンドが壊れてしまっているので壁に立てかけられているのだろう、ビニール傘が斜めに挿してある、その自転車にひょいとまたがると、島津は小早川に振り向きながら親指で後部座席を指差した。二ケツするというのだ。


 「あ、え、島津さん、警備の方は、、、」


 小早川の問いに、島津は答えた。


 「。警備員はもう一人詰めておるので、問題なか。松平、、部長がおる所はだいたい想像がつきます。」


 「。若いのに何ば言っとっとだ。なあんでも、早くせんと。」


 島津はそういうと再度親指で、小早川に二ケツを促した。その指の動きが最初の時に比べてやや激しかったので、小早川は「ヤバイ!怒られるかも!」と焦り、社会人にしてママチャリに二人乗りするというハメになった。


 二ケツママチャリの島津隊が北浜にあるビルの裏門から出陣したのが午後10時15分。早くしないと松平部長は帰宅してしまうかも知れない。焦る小早川の気分を察してか、島津はしばらくすると、いわゆる立ちこぎの状態となり西へと急ぎはじめた。

 


島津隊が京阪淀屋橋駅付近にさしかかった時、小早川ケンタの携帯電話が揺れながら鳴った。職場関係の人間用に割り当てられている愛想のないビープ音。その主は、本田次長であった。


 「あ、もしもし、お疲れ様です、小早川です!」


 「あ、も、もし、本田で、」


 「あ、本田次長、お疲れ様です!」


 「、今、いい?、、」


 「はい、何とか。」


 「、、、の、件、合わなくて、部長、、探さなくて、、よ」


 「え!?何ですか?非常に聞き取りにくいンですけど、、、」


 本田次長から電話が遠い。小早川ケンタは片腕を島津の腰に回し、もう片手で携帯電話を持ちながら、本田次長の話に耳を澄ました。どうも本田次長は自分に松平部長を探すなと言っているようだ。あるいは、松平部長を探したが見つからなかったので、ホワイトデーのお返し方法を決めてもらえなかったということにしろ、と命じているようなのだ。


 実はこれが本田次長の秘策、つまり小早川ケンタを一本釣りで寝返らせて、松平部長を探させないという作戦であった。ホワイトデーのお返しはこの際は度外視して、松平部長を、ホワイトデーのお返しに端を発して噴出した、企画室内の課長vs係長の対立に巻き込ませないという、組織の秩序の為の最後の努力であった。

 


しかし、その執念も不幸なことに本田次長の携帯電話がPHS方式のものであったことが命取りとなった。通話が順調でないように見える小早川ケンタから、島津は突然半身になって携帯電話を奪い取った。


 「。本田クン、わしです、島津です、、、もう何の心配もいらん、松平ぁんとこにアンタのとこの若い衆を連れて行く。」


 「薩、、守、、殿!お久、、本田で、、る!あいや、その、件、、」


 本田次長が食い下がろうしたが電波状態が悪い。しばらく耳を澄まして聞いていた島津であったが、音声の悪さに根を切らしたようで、携帯電話に向かって叫んだ。島津はどうも操状態のようである。


 「。男は四の五の言わんとだ!!」


 島津は一方的に本田次長にそう告げると、手に持っていた携帯電話を天高く空に投げ上げた。携帯電話とストラップは夜空にきらめいて美しい弧を描いて対抗斜線を越え、淀屋橋から土佐堀川にポチャと小さな音を立てて沈んでいった。もう賽は投げられたのだ、島津はそう言いたかったのかも知れない。


 「あー!!それ!オレの!ケェータイ!!」


 小早川ケンタの悲鳴はキタの夜に吸い込まれていった。

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