第二十四話
火花散る激しい争いが水面下に潜り、表面上は平和が戻った総務課。
周囲がほっと胸をなで下ろす日々が続いていた。
「…………あ、もうお昼……」
日常業務を捌いていた葵が、お昼のチャイムの音に顔を上げる。
「(切りが良いから、残りは昼からにしよう。
そう言えば……お金は準備しているのに、なかなか犬飼君に渡すタイミングが難しいなぁ……。
最近、なんだか兼子さんを含めて三人でいることが多いような……?)」
周囲の同僚たちがパソコンを閉じて、各々に昼食を取るために動き出す。
「葵先輩!」
「兼子さん?」
「もうっ!
葵先輩ったら!
今はお昼休みですよっ!
……休み時間の時くらい……名前で読んで欲しいなぁって……ダメ、ですか?」
「…………なぁに、華乃ちゃん?」
拗ねたように。
おねだりするように。
甘えた声で擦り寄る華乃に、葵は苦笑する。
「うふふ!
ありがとうございます!
やっぱり私……葵先輩に名前を読んでもらえるの……嬉しいし、大好きです……!」
「え、えっと……
(華乃ちゃんの"好き"が、どういう"好き"なのか知っているのに……軽く返して良いのかしら……)」
名前を呼んでもらえたことに、花が咲いたような笑顔を浮かべた華乃。
そんな華乃へ簡単に言葉を返して良いのか、葵は迷う。
「……あんまり深く考え込まないで良いですよ。」
葵の迷いを見抜き、ふわりと微笑む。
「私は、好きなことを好きって伝えたいだけですから。
…………真剣に好きって気持ちを私に返すときは……二人っきりの時にお願いしますね。」
「っ……う、あの……が、がんばるわ……」
微笑んでいたかと思えば、華乃は前触れなく葵の耳元で囁く。
「あはっ……葵先輩ったら、可愛い……」
「っ……」
油断をすれば現れる肉食獣を思わせる瞳。
口角を上げて微笑む様は、匂い立つ色香を纏っている。
「……何をしているんですか?」
低い声音に、心臓が跳ねる。
華乃によって、何時の間にか引き込まれていた葵は大きく息を吐きだした。
「あれぇ?
まだ居たんですが、犬飼さん!
全く気が付きませんでした!
……存在感、薄いですね!」
「犬飼君……」
振り向けば、黒縁眼鏡の奥の目を細めた彰良がいた。
「……単に兼子さんの注意力が散漫なのでは?
自分は存在感を隠すことなく動いていますので。」
「ええ〜、そうですかぁ?
でも、急に大きな男の人が背後にいたら、普通に怖いと思いますよ!」
「……それは、背後から狙われる理由が有るからでは?」
「ひっどいですね!
か弱くて、繊細な私を捕まえて!
私は、何処かの誰かさんとは違って、やわらかあく受け止めてもらえないと泣いちゃうような子ですよ!」
「泣くような玉ではないでしょう。
……か弱くて、繊細……図太くて、強かの間違いかと。」
目の前で繰り広げられる舌戦。
「……二人って……何気に仲いいですよね。」
「「……は?」」
しみじみと呟かれた葵の言葉に、瞬時に二人が反応する。
「葵先輩、大丈夫ですか?!
私と犬飼さんが仲良く見えるなんて!
高熱でもあるんじゃないですか?!」
「先輩、自分も不服です。
……何故、仲がいいと?」
互いに嫌悪感丸出しで、葵へと詰め寄る。
「……掛け合いのテンポが良いと思ったから……」
「先輩、彼女と仲がいいなど絶対にあり得ません。」
「前も言いましたけど、犬飼さんと仲いいなんて世界に二人だけになったとしてもあり得ません。」
あまりの嫌がりように、葵は苦笑する。
「……そっか。
あ、華乃ちゃんは私に何か用事があったの?」
「そうでした!
んもうっ!犬飼さんのせいで出鼻を挫かれちゃいましたけど……葵先輩、一緒にお昼ご飯を食べませんか?」
「お昼ご飯……?
私と……?」
「はい!」
満面の笑顔で答える華乃。
微かに眉を寄せる彰良。
不思議そうな葵。
「……私はお弁当持参だから、社食や外食は行けないので……」
「大丈夫です!
先輩がいつもお弁当なのは知っていましたので、私も作って来ました!」
手に持っていたランチバックを華乃は見せ、はにかむ。
「だから、屋上か何処かで一緒にお弁当を食べましょう!
……あ、犬飼さんは残念ですけどぉ、お弁当じゃなかったですよね?」
「…………購買で……」
「今からじゃムリですよ!
給料前だから社食も混んでて座れないでしょうし、コンビニとかも並んでるかもですね!」
「(……この性悪女……!)」
葵に見えないように、ニヤッと悪い笑みを浮かべる華乃。
ギュッと拳に力を入れる彰良。
「あ、あの華乃ちゃん……私は、犬飼君が買ってくるのを待ってても……」
「さあ、行きましょう!
犬飼さんが自分のことは気にせずにって言ってますよ!
……多分きっと心の中で!」
葵の手を握り、笑顔で引っ張って行く華乃。
振り返りざまに彰良へと渾身の笑顔を残して去っていくのだった。




