第十話
艶のない黒い扉が小さな音を立てて開き、玄関の照明が自動的に灯る。
「…………」
微かな物音を立てて部屋に入って来たのは、この部屋の持ち主である彰良だった。
「(…………これで良かったのか……?)」
悩みに悩んで己の自宅に帰ることにした彰良。
「(……やはり、二部屋ホテルを取る方が……無難だった、か……?)」
彰良の逞しい腕の中には、気持ち良さそうに眠る葵が横抱きにされていた。
「(……いや、そうすると……先輩が起きた際に、事の顛末を説明出来ない……)」
ガラス細工を扱うように、その大柄な体躯からは想像できないほどに優しく横抱きにされた葵。
「(…………はぁ……)」
内心で深いため息をつく彰良が移動すれば、間接照明が次々と光を灯し、消えていく。
「………………」
寝室へ辿り着き、ゆっくりと己のベットへと葵を横たえ、彰良は安堵の表情を浮かべる。
「…………どうしろ、と……」
まるで助けを求めるように、ぎゅっと握られた彰良の背広。
「(……背広がシワになるのは構わないが……なぜ、握る必要が……っ……)」
次から次へと発生する問題に本気で頭を抱えた彰良。
だが、安らかに眠っていたはずの葵へと目を向ければ、苦しげに眉を寄せていたことに息を呑む。
「…………うそ……つ、き……」
「(……っ…………傷付かないはずが無かったんだ……)」
微かに聞こえた葵の寝言、きつく閉じられた目尻から流れる一筋の涙。
「(…………やはり、アイツはぶん殴っておくべきだった。
いや……それは、俺も……だな。)」
傷付いていることを隠して微笑んだ葵に、簡単に誰かを頼れと説教まがいに責めた自分。
「(……あの性悪女に怒れないな……)」
脳裏に浮かんだ高笑いする華乃の姿に、彰良は思わず眉をしかめる。
「(……泣いている女性への対応など……学んでいないんだが……)」
悩む彰良の視界には再び涙を流す葵。
「…………」
思わず伸ばした指先で葵の涙を掬い、白い頬に掌を添える。
「……泣かないで、下さい……貴女に泣かれると……俺は、どうしていいか……わからなくなる……」
添えただけの掌に伝わる、彰良よりも高い葵の体温。
「……次は有りませんから。
俺が……必ず止めます……」
守るという思いが悪夢に涙する葵に伝わるように、添えた掌に心を込める。
「ん……」
「っ……?!」
添えられた掌に、無意識に顔を擦り寄せた葵の行動に彰良は驚いて手を引いてしまう。
「……いぬ……か、い………く……」
その振動で目が覚めたのか、葵の瞼が微かに開く。
「せん、ぱい……?」
ぼうっとした眼差しで彰良を見た葵。
「…………」
彰良の姿を見て安心したのか、嬉しそうに微笑んで再び瞼を閉じた。
「っっ……?!
…………卑怯でしょう……それは……!」
まるで彰良がいれば安心だと言わんばかりの葵の微笑み。
「(……まだ……まだ、冷静でいられる程度だったのに……!)」
口元を手で覆った彰良の目元は朱色に染まっていた。
「…………覚悟してくださいね、先輩。
もう止まりませんから。」
葵を起こさないように己の背広を脱ぎ、眠る葵の横に置く。
「先輩、良い夢を。」
苦しげだった表情が和らいだ葵を残し、彰良は扉を閉めるのだった。




