第14話 家での暮らし。オンラインですが
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謹んでお届けします。
ヒナタくんは休まなかった。
わたしは、3年2組によく行くようになった。3年2組の子どもたちには「カンちゃん」と呼ばれるようになった。
「先生じゃなくて指導員だよ。いつだって子どもの味方」
これをキャッチフレーズにしている。
自分が不登校で苦しんだ日々を想うと、困っている子どもの助けになりたいと強く思う。でも、本当は教室は苦手。子どもたちのワアワアという声や時折響くキーッという音は本当に苦手。できれば、適応教室にこもって少人数の子どもたちと穏やかに過ごしたい。でも、適応教室に定期的に通う子がまだいないのだ。
朝は出勤したらすぐに3年2組に行く。連絡帳の親からのメッセージを確認している。クレームは相変わらず多い。返事は書けない。押印だけしている。それが終わったら、音読カードに押印する。
「おはよう。カンちゃーん」
ミホちゃんだ。
今日もヒナタくんがいる。何かが起こりそうな気配がする。だけど、わたしじゃこの子たちが本当に救うことはできない。《《先生》》じゃないから。ここは《《先生》》が立て直してくれなくちゃ。わたしはあの人が適任だと思う。
その人の名は、憎きポン先生。わたしが不登校の原因となった給食事件の時の担任。
熱すぎる指導が、怖くて近寄りがたくて嫌だった。でも、今はあの時よりずっと丸くなっている。今のポン先生なら3年2組の担任としていいんじゃないかなあ。ミホちゃんと「アルプス一万尺」の手遊びをやっていたらインターホンが鳴った。
南山教頭だった。
「カンナさん。本校は今厳しい状況なの。わかるでしょう? 今日はわたしは行けそうにない。だから、ホンダ先生に3年2組の補教に入ってもらうように頼んだわ。あなた、ホンダ先生は苦手だと言っていたけど、我慢してくれる?」
「あ、はい」
「正直言うと、今日だけじゃないの。明日も、教頭職の仕事が山積みで、教室に行ける時間がほとんどないの」
「そうでしょう。お忙しいから」
「わかってくれる? 授業と生徒指導をしばらくの間、ポン先生に頼みたいの。適応教室の子どもが時々体験に来ますよね。その時は、カンナさんが対応してくれないかな? 適応教室最優先だけど、ふたりには3年2組のフォローをお願いしたいのよ。頼む!」
インターホンが切れた。そっかポン先生が来るのか。ほっとした。
そういえば、今朝、職員室に入ったとき、南山教頭は右手に包帯を巻いていた。毎日、市教委への提出物だとか、教頭会の連絡だとかで口をへの字にして仕事をしている。最近は「話しかけないでオーラ」を漂わせてさえいる。
ミカさんが教室に来た。
「ああ、ミカさーん。おはようございます!」
「教頭先生ね、階段で足を踏み外し、骨折したそうよ。でも、気づかないふりしてあげて。すごく悔しがっていたから。こんな時に、怪我なんかするなんて情けないって」
食事でさえ不自由な状況になってしまっている。見ていて気の毒だ。
ポン先生が3年2組に来た。さっそくクラスの規律づくりに力を入れ始めた。
「そこ、しゃべるなよ。 授業に集中するんだ」
その言葉に子どもたちはうっとりと尊敬のまなざしを向ける。
「先生、やるじゃん。ラブだよ」
手でハートをつくる女子もいる。クラスの子どもたちは、落ち着いてきた。
「これまで誰かがしゃべっても、若井先生は強く言わなかった」
ヒナタはきまり悪そうに、授業に参加せず、タブレットでゲームをしている。昭和の熱血教師なのでびしびし指導しつつも面白い授業もする。若井先生のときと違うのは、声は大きいが子どもを叱らないこと。熱くルールとマナーを語って、子どもの気持ちを変えようとしている。
子どもたちもあの荒れた日々を経験しているので、熱い指導を素直に好意的に受け入れているようだ。わたしはポン先生の良さを知った。
わたしが子どもの頃は、私語をしないは普通の事だった。あの普通な日々は、昭和の先生が作り上げてくれていたのだと、長い時を経てわかった。
誰もヒナタと一緒に授業妨害遊びをしなくなった。ヒナタは不満そうに不愛想な表情で一日を過ごしている。ポン先生の楽しいゲームにも加わらない。
そして、とうとう学校を休んだ。正確に言えば、オンライン授業を受けるということで、出席扱い。わたしはデジタル音痴のポン先生に変わり、朝の8時にテレビ会議アプリを立ち上げる。やがて、ヒナタくんの母親がログインして、教室とつなぐ。
ヒナタと入れ替わりにカナちゃんが登校を始めたのも嬉しいニュースだ。
放課後、ヒナタの母親、山下涼子さんがわたしを訪ねて来た。
「ヒナタくん、いかがですか?」
「はい。ヒナタは、オンラインの授業をちらりと見て『つまんないぃぃ。くそじじい!!』と叫んでいます。マイクを切っているのでご迷惑ではないはずですが」
「ええ、こちらでもミュートしているので誰も気づいていませんよ」
「そうですか。良かった。あの姿を見ると、『行かせなくて良かった』と思うんです。またカナちゃんたちにご迷惑をかけたら、もう申し訳なくてたまらない気持ちになります。家で言っているこれを学校で言ったら、他の子にどう思われるか。その子が家に帰って何と言うか。そのママたちがチャットでどんな話をするか、想像できるようになったんです」
「そうなんですね。よっぽど酷いこと言っているんですね」
「でも、我が子がずっと家にいるのもどうかと思うんです。もう少し落ち着いたら登校を促してみようかとも思うんですが、今はまだ無理です。教室では、集中してみんなが授業を受けていますね。活発に手を挙げて発言をする姿も見られますね。みんなで声をそろえて音読をし、詩の暗唱をし、計算ゲームで盛り上がっていますね。みんなで楽しい遊びの計画も立てている。今では、私語をする子なんていないじゃないですか。タブレットで遊ぶ子なんて一人もいない。ホンダ先生でしたっけ、素晴らしいですね」
「そうなんです。昭和の熱血教師、良いところもあるんです」
そう言いながら、ポン先生のことを少し見直している自分に気がついた。
あれ? わたし、ポン先生の事、嫌いじゃないかもって。
「カンちゃん、筆算かけ算がんばりカードを作ってくれないかな。みんな苦手なんで意欲づけに。えっと、こんな感じで」
ポン先生がさらさらっと紙に書いた。
「いいですよ。めっちゃかわいく作ります」
「いや別に、かわいくなくてもいいよ。実用的なのでいい」
「あー、昭和の人の発言ですね。今の子はデザインも大事なんです」
表を作って、文字のフォントも可愛くして、イラストも入れて渾身のカードを作った。ポン先生はそれを見ると「ふん」と言った。。
今はかけ算コンテスト団体戦の開催中である。
3年2組と3年1組の対抗戦だ。
がんばりカードをもらった枚数で勝負が決まる。だから、勝つために、みんな計算を練習している。この頃は、苦手な子に教える子もでてきた。
がんばりカードをもらうと、子どもたちは喜んでいた。
「めっちゃかわいい。ポン先生が作ったんですか?」
「がんばりカードを考えたのはポン先生だよ。でも実際に作ったのはあそこにいるカンちゃんだ」
拍手が起こった。
「カンちゃーーん、すごーい」
計算練習は、カードのおかげで楽しく進められたようだ。かけ算の苦手な子は、かけ算九九の暗唱の学び直し。暗唱を誰かに聞いてもらってサインをもらう。
この九九がんばりカードもわたしが作った。
例えば苦手な7の段、それを100回唱えて友だちにサインをもらったら、先生に聞いてもらうシステムなのだ。
カナちゃんは、苦手な子のそばで聞いている。
「すごいよ、間違えないで言えたねー」
九九がんばりカードにかわいいイラストを描いて励ましている。
100個のますにイラストやサインが埋まっていくのを楽しみながら、子どもたちはいろいろな人に聞いてもらっている。
もちろん「カンちゃん聞いて~」という子どもに喜んで向き合った。
山下さんは放課後に毎日来るようになった。
「黒川先生というか、カンちゃん。オンライン授業を見て、嬉しくなってきました。
『ヒナタも学校に行きなよ。すごく楽しそうだよ。ポン先生って熱いわぁ』って言っているんです。でも家でヒナタはさらに気持ちが荒んできたようです。
突然、『誰もわかってくれない』と言うんです。そして、『ご飯がまずい!』と叫ぶんです。それも、窓を開けてですよ。そして、『ゲームに課金したい!』というんです」
「え? 課金?ですか? そんなのダメでしょ」
「そうですよね。カンちゃん。でも聞かないんです。『だって、レアキャラ欲しいし』って言って」
「どのくらいの金額何ですか?」
「三千円って言ってます」
「えー! どうなんでしょうね。小学生で課金とかしていいんでしょうか」
「ですよね。ゲームにお金をかけるってどうなんでしょう。大人になって自分で稼いでそのお金を使うのならよさそうですが。でも、ヒナタは『みんなしてる』って言うんです。小学生のあの人もあの人も課金してるって。課金しないとつまんないって」
「それで、『ママにはできないな。パパに頼んでみて』と言うと『嫌だよ、あいつ、くそだから』って先日の乱闘の事、思い出すようなんです」
「そうなんですね」
「わたしが台所で食器を洗っていても、まとわりついてきて『つまんなーーーい。つまんなーーーい』って言うんです。それも今朝は大きな声を出して」
「はい」
「そして、とうとう、『つ・ま・ん・なーーい!』に合わせて、フライパンをおたまでガンガンたたき出したんです。最初はそんな感じだったんですが、とうとうリズムに合わせて、これを考え出したんです」
山下さんは落ち着くように深呼吸した。
「こんな感じです。『つまんない!』ガン!『つまんない!』ガン!……もう見ていられません。近所迷惑です。うるさいんです。これを何分続けたかわかりませんが、インターホンが鳴りました。モニターに映ったのは女の人でした」
その人は言いました。『すみません、山下さん。ちょっと申し上げにくいのですが、うちの夫はね、夜勤なんですよ。うるさくて眠れないって怒っているんです。お子さん、学校に行く時間ですよ。静かにさせるか、学校に行かせるか』
私は最後まで聞きませんでした。言葉をさえぎりました。
『申し訳ありません。ご迷惑をおかけして、ほんとにすみません』ひたすら謝りました。ドアを開けて顔を見て頭を下げました」
「そうだったんですか」
「その人に、静かにさせるので帰ってくださいとお願いしました。そして、『ヒナタ、静かにしてって言われた。近所の人』って言いました。そしたら、あの子」
山下さんはタオルで顔を覆った。泣いている。
「こんな感じでした『いやだよーーーー!!つまんなーーーい!つまんなーーーい! 課金してくれないと辞めないから!!』って言って、『そーれ!つまんない!』ガン!『つまんない!』ガン!って。わたしよくわかりました。ヒナタが学校で、若井先生にこうやって甘えながら反抗していたのかって。見に行けばよかったなと思いました。そして、わたし、なすすべもなく、ヒナタを見ていたんです。10分ほどたった頃でした。
ドンドンドン
ドアがたたかれたんです。
『おい、静かにしろ。警察呼ぶぞ。
おい、クソガキ、今すぐ出て来い!!』
ドアがずっと叩かれていました。
仕方なく、ドアを開けました。
『うるせえってんだよ。いったいどの口が言ってるんだ。見せてみろ!! 縫い合わせてやる』ってずかずかと入って来たんです。大きな男性だった。ゴリラが人間になったような感じの人でした」
「うわあ、大変じゃないですか。山下さん。怖かったでしょう」
「ええ、びっくりしたというのが正直なところです。無精ひげが生えていて、いかにも肉体労働系というタイプの人だったんです。ヒナタもびっくりしたのか、静かになりました。『すみません。帰ってください。子どもには手を出さないで』って言いました。わたしは、エプロンのポケットに財布が入っていたことを思い出し、そこから1万円札を抜きました。『これ、迷惑料です。お納めください。今日はあの子、ダメみたいなので、どこかホテルにでも行って眠ってください』って言いました。すると、『なんだと?! でも、ホテルに行くのならこれじゃあ、足りませんなあ』って言ってきたんです。わたしは、財布から一万円札をもう一枚取り出して差し出した。するとその人は、『2万か。これならホテルにでも行けるな。一日だけは。
明日は静かに寝かしてくれよ。クソガキ、親を困らせるなよ』
その人は帰って行きました」
「はあ、大変でしたね。でもヒナタくんが静かになってよかった」
「ところが、そうもいかない『ママ、そんなお金あるんなら、課金してよ。課金の方が安かったじゃないか』って言うんです。そして、『くそじじい、金返せ』とぶつぶつ言っていました。さすがに家に入ってこられたのは怖かったようです」
「次から次へと、山下さんは心が休まりませんね」
「カンちゃんにしか話せないことばかりです」
「お疲れさまでした」
「まだあるんです」
「まだ?」
わたしはさすがにびっくりした。これ以上まだどんなことがあったんだと。
「ヒナタがわたしが作ったご飯を食べなくなったんです。『昼ご飯は、ハンバーガーがいい。買ってきて』って言うんです。『そんなダメよ。無駄遣いしちゃ。チャーハン作ってあげるから』って言ったんですが、『いやだよ、いやだ。ハンバーガーじゃないと食べない』って言うんです。そして……」
山下さんはまたタオルで顔を覆った。
「あの、あのですね。ヒナタは窓を大きく開けたんです。そして、なんて言ったともいます?『ハンバーガーが食べたーい! ポテトも買って! ハンバーガーが食べたい。ポテトも買って!』リズムをつけて叫ぶんです。
わたしはもう心が疲れてしまって、何も言わずに家を出ました。そして、ハンバーガーとポテトを買って家に置いてきました。ヒナタは『夜もハンバーガーね』って言いました。それで、今、ここに来ているんです」
「はあああ。お辛いですね」
「そうです。辛い以外の言葉がありません。ヒナタは、昼も夜も、ハンバーガーとポテトを食べたいと言っています。そして、ずっとゲームをしています。
『課金してくれたら、こんなにがんばらなくていいんだけどなぁ。
課金してくれないからずっとゲームをやらなくちゃいけないんだ。
ぼくがゲームをずうっとしなくちゃいけないのは、ママのせいなんだよ』
ってわたしを責めるんです」
言葉が見つからなかった。
わたしは泣いている山下さんをぼーっと見つめるだけだった。
最後まで読んでくださり、本当にありがとうございます!
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