天才装置
瀬戸が自宅に帰り玄関を開けたその時、後ろから男の声がした。
「やい、動くんじゃない。俺は強盗だ」
振り返ると玄関口に見知らぬ男が立って瀬戸に拳銃を突きつけていた。
「強盗だって?」
「ああ、そうだ。大人しく俺のいうことに従ってもらおうか」
瀬戸は強盗の指示に従ってリビングに向かい、そこで縄でグルグル巻きにされ床に放り出された。
家には妻もいたが、同じくグルグル巻きにされ瀬戸の横に転がされた。挙句に妻の口には粘着テープを貼られて声も出せない状態にされた。
どうしたものかと瀬戸は思ったが、とりあえず事実を喋ることにした。
「確かに私は大企業のトップでお金ならたくさん持っている。しかし、今この家には君を満足させるだけの額の現金は置いていないんだ。だから、諦めて帰ってくれないか?」
「あんたは思い違いをしている。俺は金が欲しくてここに来たんじゃない」
「金じゃない? じゃあ何の目的で私をこんな目に合わせているんだ?」
「瀬戸さん、あんたの経歴は調べたよ。24歳で作った会社は現在世界的なトップ企業となり、その売り上げは一つの地方町村の予算にも達する。CEOのあんたが芸術活動を始めたのが一年前。絵具をキャンバスに塗りたくる技法の抽象画を描くが、そのセンセーショナルな絵に、あっという間にその才能は界隈に知れ渡り、今じゃCEOと芸術家の二足の草鞋を履いて、手広く活動中、と」
「それが強盗に入った理由とどう関係がある?」
「あんたも知ってるだろう? 二年前に発売されたある装置のことを」
「ある装置?」
「ああ。知らないとは言わせないぞ。何せかなり話題になったからな」
瀬戸は少し考え、やがてある発明に思いついた。
「まさかアビリティ・オンのことか?」
「その通り」
強盗はテーブルの上にあった空のグラスを手にとり、そこに置いてあったバーボンを注ぎながら言う。
「アビリティ・オン。人々はその発明を天才装置と呼んだ・・。人間の脳は左脳と右脳に分かれている。普段は左脳の働きで右脳の働きが抑えられているが、その押さえつける働きが装置の微弱な電気刺激により弱くなると、本来持っていた右脳の創造的な機能が増幅すると言う発明だ。その前身として某社が作っていた頭に巻きつけるバンド型のものがあったが、第二段階として開発されたアビリティ・オンは従来型と同じバンド型だが、驚異的な創造性を解放してくれた。もはや天才という能力は人工的に作り出せるものになったんだ」
「あの騒ぎは私も覚えているよ。確かにあの装置は人々に創造性を与えた。しかし、価格が問題だった。確か、5万ドルだとかなんとか」
「早い話が才能もお金で買える時代になったわけさ。そして、それは高所得者と低所得者の間で摩擦を起こした。非常に高い値段のせいで、金持ちしか買えなかったからな」
「君はこの私がその装置を持っていると思っているのかね?」
「ああ。まず第一に金持ちであること、第二にその才能が発現したのが天才装置が発売されてから間も無くだということ、そして第三にあんたは人前では絵を描いたことがないということ。この三つから推察できるのは、あの装置を買い人目につかないようにバンドを頭に巻きながら創作活動をしているということ。俺の目に狂いはないはずだ」
「あいにくだが、私はそんな装置は持っていない。君の思い違いだ」
強盗はグラスに入れたバーボンを一口飲むと、微笑を浮かべた。
「では証明してみろ。あんたが天才装置を使って絵を描いていない証明だ」
「しかし、こうグルグル巻きにされては筆も取れない。まずはこの縄を解いてくれ」
「分かった。あんたのアトリエから用具一式を持ってきてから縄をとこう。変な気は起こすなよ。俺は銃を持ってるんだ。逃げ出そうとしたらすぐに撃つ」
「分かった。そうしよう」
「アトリエの場所はどこだ? キャンバスと絵具と筆を持ってくる」
瀬戸は強盗にアトリエの場所を教え、待った。しばらくして強盗が戻ってきて、キャンバスを部屋に立てかけ、筆と絵具を瀬戸に渡した。
「すぐに描けるのか? できれば1時間以内がいいな。長居するわけにもいかないからな」
「30分もあれば描ける。しかし題がなければインスピレーションが湧かないんだ」
「じゃあ決めてやろう。そうだな。・・無難に人生とでもしようか」
「分かった。描けたら嘘をついていないこととして、帰ってくれないか」
「お望みどおりに」
瀬戸はキャンバスに筆を走らせた。
その間も後ろでは銃を構えた強盗が一人、彼に会話を振ってきていた。
「しかし嫌な世の中になっちまったもんだな。俺みたいに子供の頃から才能に憧れて絵を描いていた人間は美大に落ちてバイト暮らしだってのに、あんたみたいな金持ちは金さえ払えば思い通りに才能が手に入るんだからな。不公平ってやつだ」
強盗が話を続けている間にも瀬戸は黙々と絵を描き続けた。
塗られた絵具は、まるで跳ねたり踊ったりしているように、白いキャンバスを縦横無尽に駆け巡った。
やがて強盗はその絵から目が離せなくなっていた。この力強いタッチ、生きているかのような筆遣い。まさに彼がメディアで見た瀬戸のアートそのものだったのだ。
瀬戸は30分後、筆を置いて強盗に向き直った。
「これで信じてくれたかね?」
強盗は呆然としてため息をついた。
「本物だったとはな・・。天才装置がなくてここまでのものが作れるんだ。本物に違いない。分かった。約束通り帰ることにするよ」
強盗は部屋を出ていく間際、彼に呟いた。
「疑って悪かった。これからもぜひ創作活動を続けてくれ」
瀬戸は強盗が出ていくと、妻の拘束を解き、粘着テープを外し、警察に連絡した。すぐに来るらしい。
妻が通報を終えた瀬戸に話しかける。
「もう大丈夫なのかしら・・」
「ああ安心だ。あの男は戻っては来ないだろう。それにしても、危なかった。これからは時々は外で絵を描くことにしよう」
「第二世代の天才装置じゃなくて良かったわ」
「その通り。第三世代の直接頭に埋め込むタイプのやつで助かったよ」