地下鉄の幽霊
ある日、気象庁の防災対策室に勤める左川は上司から呼び出されて、思いも掛けない言葉に思わず聞き返した。
「地震予知・・ですか?」
「そうだ。地震予知だ。君を呼んだのは他でもない、その可能性について調査してほしいからだ」
「もしかして今SNS上で話題のあのアカウントのことを言ってるんですか?」
「そうだ。君の耳にももう入っているようだな」
そのアカウントの名前は「地震予知X」。この数ヶ月、関東の一帯だけではあるが、予言した地震の震源、大きさ、日付をすっかり当ててしまっているという驚きのアカウントである。
あまりに予言が当たるので今何かと話題になっていて、最近ではテレビでも特集を組まれることも。外国のメディアも注目しているらしい。
どうやら上司はそのアカウントの持ち主と接触することに成功したようだ。
「明日、君が向かうのは地下鉄だ」
「地下鉄? 何でそんなところに? 地震予知と何の関係があるのですか?」
「アカウントの持ち主が地下鉄で働いていて、どうやら地震の余地と関わりがあるようなんだ」
「家で話を聞くってのはダメなんですか?」
「詳しい話は向こうで話すと言っている。これは本調査前のまあ、事前調査ってものだ。アカウント主は実際に見てもらった方が早いと言っている。だから、君は明日、運転士と一緒に地下鉄に乗って、その地震予知の秘密を確かめてきてほしい」
「分かりました。話が全然つながりませんが、何か理由があるのでしょう。確かめて参ります」
翌日、左川は東京の中心部を走るある地下鉄の駅事務所に来ていた。
アカウント主の上司に連れられてやってきたのは、30代くらいの物静かそうな男だった。
「彼が例のアカウントの持ち主の?」
「そうです」と、上司。
「姶良です」と、男は頭を下げた。
部屋の隅の方で椅子に座りながら、姶良と話す。
「姶良さん、あなたの地震予言。随分と話題になっているようですね」
「ええ。試しに始めてみたんですけど、最近は反響が大きすぎてちょっと怖いですね」
「11月1日房総半島沖マグニチュード6、11月14日群馬県マグニチュード5.3、11月30日相模トラフマグニチュード7.1。あなたが予言した2日後、どれも的中している」
「そのようですね」
「私の上司から聞かされた話では、どうやら地下鉄と地震予知がつながっているそうですね。どういうつながりがあるかそろそろ教えてもらえませんか?」
「ここで話しても信じてもらえるか分からないので・・。突拍子のない話ですので、実際に一緒に見てもらった方が早いと思います。これから地下鉄の運転をすることになっています。ここ数日、あれは現れ続けているので、今日も見ることができると思いますよ」
「あれ?」
何か不穏なものを感じ取り聞き返す。
近くにいた別の乗務員が不意に呟いた。
「お化けだろ?」
「え?」
その乗務員はニヤリと笑い、姶良の上司がさらに付け加えた。
「あのお化けが本当に地震予知に使えるのか私には疑問ですけどね」
左川はモヤモヤした状態のまま姶良とともに彼が今夜乗車する地下鉄の運転室に一緒に乗り込み、車両は定刻通りに発車した。
暗いトンネルの中を地下鉄のライトが照らしていく。
姶良の指示で左川はカメラを持ってきていた。
「さあ、そろそろですよ」
長い右カーブが続いていた。
突然ライトが死角になっていた場所に何か黒い影を照らし出した。それは、ちょうど人と同じくらいの大きさの影だった。ゆらゆらと揺れて、頭と思われる部分には赤い光が一点光っていた。
ぶつかる!
そう思った瞬間、黒い人影はサッと霧散して消えてしまった。
「動画ちゃんと撮れましたか?」
左川は我に帰り、カメラを確認した。ちゃんと動画は撮れていた。
「最初は自分の目の錯覚かなと思ったんです」
運転を終えて、左川と姶良は駅事務所で椅子に座り、話し合っていた。
「でもどうやら他の乗務員の人たちも同じものを見ているようだから、少なくとも自分の頭がおかしくなったわけではないことが分かりました。同僚の間では、とりあえず「お化け」と呼んでいます」
「確かにこれは自分の目で見ないとにわかには信用できない予知方法ですね。まさか地下鉄に出没する黒い影で地震予知をするなんて・・」
コーヒーをすすりながら、姶良がこれまでの敬意を説明する。
「私も最初はよくあるオカルト話の一つだと思っていたんですが、ある時その目撃事例と関東で起きる地震に相関関係があることに気づいたんです。影を目撃してから二日後に決まって地震は起きます。マグニチュードはその影の大きさと数で大体の規模が分かります。そうやって、関東近傍だけではありますが、地震の予測ができたんです」
「なるほど。これは実に興味深いですね。未確認事象が確認された以上、これから本調査が入ると思います。場合によっては気象庁が正式な公表をするかもしれませんが、姶良さんのプライバシーは守られるように努めます。今日は、本当にありがとうございました」
そうして予備調査は終わり、本調査が始まった。
まずは姶良の勤める地下鉄の乗務員に対して聞き取り調査を行った。すると、黒い影を目撃した人はほぼ全員だということが分かった。
目撃された場所はトンネル内の数カ所。決まって同じ場所で目撃されていた。本調査では地下鉄の運転が終わった深夜に、その数カ所に直接行き何かしらの痕跡や異常がないかを調べた。
本調査には左川も同行していたが、結果は特に何かしらの痕跡や異常はなかったと言っていい。ただ何箇所かではトンネルの壁がひび割れそこから地下水がちょろちょろと出ているといったくらいなものである。
本調査が始まる数日前には姶良の言った通り、関東で震度4を観測する小さな地震があった。姶良の説明では地震が起こると黒い人影は姿を見せなくなるらしく、実際に本調査中は人影に遭遇することはなかった。
何らかの光の屈折で影ができ、それが人の形に見えてしまったのだろうか。
左川は釈然としないまま数日が過ぎた。
SNSに匿名の垂れ込みがあったのはそんな時だった。
「室長、例の投稿は見ましたか? 我々の調査がリークされているようですよ」
職場に登庁した左川はすぐに上司に報告しに行った。
「リーク? なんだって!?」
「このアカウントです。どうやら姶良さんと同じ地下鉄の職員みたいですよ」
そのアカウントの発言とは、すなわち今話題の地震予知X氏は地下鉄の乗務員であり、そこで見かける黒い人影で地震の予知をしているというものだった。
「大変なことになるかもしれないぞ」
上司の言うとおり、その暴露は大きな影響を及ぼした。
まず同じように地下鉄の運転手をしていると言う人たちが自分も人影を見たことがあると何人か名乗り出た。
その乗務員たちはどうやら別の会社の人たちのようだった。
気象庁の方でも名指しされている以上、何らかの反応を示さなければならない。
翌日、会見を開きその暴露が事実であることを認め、予知アカウント主のプライバシーを守るため特定行為に対する自制を求めた。
ネット上ではいくつも専用スレが立ち、テレビも特集を組みその騒動は大きさを増していった。
中には地下鉄に乗り込み実際に黒い人影を見てやろうと息巻いている人たちも現れ、逆に恐怖から地下鉄の利用を控える人たちも出てきた。
そして、そんな中、姶良の上司から連絡が。
「例の人影がまた現れました。運行終了後に来てください」
左川たち調査メンバーは駅事務所に集合した。
姶良の姿もあった。多少やつれているが、そこまで心配しなくても大丈夫そうに思えた。
「いやあ、参りましたよ。まさかリークする人がいるなんて」と、姶良。
「流出させた人は特定できたんですか?」
調査メンバーのリーダーが姶良の上司に尋ねる。
「あいにくダメでした。何せ職員の数はそれなりにいますからね」
左川はいよいよ黒い人影の正体に迫れると内心昂っていた。ここのところずっと頭から運転室で見た怪しげな赤い光を放つ黒い人影の姿が離れなかったのだ。姶良の説明によれば、地震が起きるまで二日ほどは見られると言うことだった。
今日はチャンスなのだ。
「では、早速行きましょうか」
駅のホームから徒歩で当該箇所へと向かう。ホームから線路内に降り立った時、メンバーの一人が不意に呟いた。
「こんなところにも蚊がいるのか・・」
手で何かを振り払う仕草をする。
(蚊・・?)
左川は脳内に突然ある光景が思い浮かび、ハッとした。
リーダーに駆け寄り、言った。
「捕虫網を持っていった方がいいかもしれませんよ」
「なぜだ?」
「正体に心当たりがあります」
調査メンバーが当該箇所についた時、その場には確かに黒い人影があった。
モヤモヤとした塊で、一箇所にとどまったままその姿を揺らめかせていた。そして、頭の部分には赤い怪しげな光があった。
懐中電灯の灯りを向けてもその人影はその場に居続けた。
左川が捕虫網をサッと、その塊に向けて振り下ろした。人影は霧散したが、怪しい赤い光が捕虫網の中で動いている。
「正体はこれですよ」
メンバーに捕虫網の中を見せると、感嘆する声が聞こえた。
「なるほど、羽虫だったのか」
無数の羽虫が網に止まっていた。そして、赤い光を放つのは他の羽虫よりも数段大きなハエのような昆虫だった。赤い光は蛍のように、腹部の先端が光っているのだ。
「おそらく地下水性のハエの仲間ですよ。地震前に地下水が変動するって話を聞いたことはありませんか? 例えば、井戸の水位が変わるとか。そういう変動に合わせてこのハエの幼虫たちは羽化してきた。その寿命はかなり短く、すぐに死ぬ運命なんだと思います。この赤い発光器を持ったのはメスでこの光を頼りに体の小さなオスたちが集まってくるんでしょう。その群れの姿が黒い人影に見えたと言うオチです」
「しかし、こんなに湧いて出てきたなら死骸くらい落ちていたっていいものだが」
「ここは地下鉄がひっきりなしに通るんだ。きっと、風で遠いところへ飛ばされたんだろう」と、メンバーの一人。
「地震予知に使える昆虫・・これは大発見だぞ。サンプルをいくつか持ち帰って早速報告しなければ・・。とりあえず羽虫を持ち帰るための道具が必要だな。一度地上に出て、誰かに持って来させよう」
左川たちメンバーは地下鉄のトンネルを後にした。
これで地震の防災に素晴らしい光明が差すと興奮しながら。
しかし、彼らが去った後の暗闇の中で新しい赤い光が次々と、無数に灯ったことに彼らは気づかなかった。来たる大地震は間近に迫っていた。




